11.消せない綻び
幼い頃、人前に出るたびに持て囃されていたのは姉の方だった。
彼女の中の自尊心、人への信頼感が少しずつ削り取られていったのは一体いつからか―――。
「……馬鹿みたい」
ベッドの上で膝を抱えながら、ルイーズはまた胸が詰まるように顔を歪めた。
昨晩の出来事があってすぐ、アランから贈られた絵画やドレスはすでに部屋から片付けられていた。
しかし彼を感じるもの全てを取り払っても、心が、身体がそれを覚えている。
抱えた膝に頭を埋め、彼女はぎゅっと瞳を閉じた。
―――最初から、あの人の妻になるなんて私には無理だったんだわ……。
そうしてまた暗然たる長いトンネルに迷いこもうとした時、ドアをノックする音がした。
どうせ侍女か何かだろうと返事もせずにいると、
「……ルイーズ、僕だ」
「!」
どこか躊躇いがちに聞こえてきたその声は、アランだった。
彼女は滑り落ちるようにベッドから立ち上がる。
「少し、話をしたいんだ。開けてくれないか?」
「……」
ルイーズは足音を立てぬよう、そっとドアの方へと近付いた。
「……開けたくないです……」
これからの事なんて全く分からない。でも今はまだ、アランに会いたくない。それが彼女の返事だった。
―――彼は今、どんな顔をしただろう。
ドアの外に佇むアランは「まあ、当たり前か」とその答えに納得しつつも落胆の色を隠せなかった。でもここで挫けている場合ではない。
「じゃあ、そのままで良いから聞いて欲しい」
アランは額をドアに付け、彼女に語りかけた。
「昨日、あなたに何があったのか僕には詳しい事は分からない。でも嫌な思いをさせて誰かがあなたを傷つけたということは分かる。
だからそれに気付けなかったことをまず謝らせてほしい。すまなかった……」
アランの口から出た謝罪の言葉に、彼女の中の自己嫌悪がまた膨らんでいった。
本当に悪いのは彼じゃない、こんな風に謝らせたいわけじゃないのに、と。
「ルイーズ、僕が馬鹿だった。あなたの気持ちを深く考えずに無思慮な事をしていたと、今さら気付いた。
もう自分の考えを押しつけるようなことはしないし、無理に社交場へ行かなくても良い。これからは、あなたの意思を第一に尊重したいと思ってる」
聞き慣れた、肌をやさしく撫で上げるような柔らかな声の中に、芯が一本通っていた。
ドア越しでも、そんな彼の誠実さはルイーズにも痛いほど伝わっていた。こんな台詞に喜ばない女がいるのだろうかとも思う。
でもルイーズはまだ、この言葉を受け入れるのを怖れていた。
自分を包み込む殻を、彼が勝手にどんどん剥がそうとしたのは確かに苦痛だった。
しかし根本的な問題の所在は、結局は自分自身にあるのだ。
ルイーズは自分の胸に手を当てながら、意を決したようにドアの方を見つめた。
「……アラン様」
「なに?」
「しばらく……会うのを止めませんか……色々と考えたいのです」
最悪の事態を臭わせるような提案に、アランは内心狼狽した。“婚約破棄”という文字がすぐさま頭をよぎって行く。
でもそんな心情を露も表に出さずに、「ああ、分かった」と従順に答えたのは、彼の改心の賜物だろう。
そんな自分の健気さに苦笑しながら、アランは部屋のドアに手のひらをそっと押し付けた。
「期限はあるのかい?」
「分かりません……」
「まさか、無期限になんてしないでくれよ?」
無理やりに笑った声が、虚しく廊下に響いた。
ドアの向こうの彼女の気配を、体温を感じたかったけれど、手のひらに伝わってくるのはひんやりとした感触だけだった。