9.この心は染められない‐3
“これが滅多に姿を現さないミシュレ家の娘か”
そんな好奇に満ちた幾つもの視線が自分に集まっている。
それだけで彼女は足元が震えそうになるのを感じた。
「待たせてすまなかったね。こちらが僕の婚約者でミシュレ家のご令嬢、ルイーズだ」
どこか誇らしげにアランが彼女を紹介すると、ルイーズはおずおずと膝を折って会釈した。
「はじめ……まして、ルイーズ、と、申します」
絞り出すように聞こえた彼女の声は、少し掠れた頼りないものだった。
それでも彼女にしては殻を破るための大きな第一歩だと、アランは隣から優しい眼差しを向けている。
アランは上座に、ルイーズはそのすぐ傍に腰を下ろした。
「それでは、ここに集まってくれた良き友に」
ワインのグラスを手に一斉に乾杯し、宴は始まった。
ニンジンのスープに、アンチョビソースのかかった肉料理、贅を尽くしたメニューが運ばれてくるが、それに舌鼓を打っている余裕などルイーズにはなかった。
アランは順番に友人たちを紹介してくれるのだが、その合間にも会話は次々と飛び交い、名前も顔も到底頭に入りそうにない。
「いやあ、お会いできて光栄ですよ。なかなかお目にかかれないのは王族かあなたくらいでしょうから」
「……そう、でしょうか」
軽い冗談にも、すぐに言葉を返せない。
「私、こういった場は苦手でして……」
そう答えるのがやっとだった。
でもそんな彼女を安心させるように、アランは絶えずルイーズに微笑みかけていた。
“大丈夫、うまくいってるよ”という耳には聞こえない声が、彼女の強張った身体をやさしく解していく。
「こう言っては何だが、ルイーズはとても理知的な女性でね。語彙力も長けているから口喧嘩では敵わない事もあるんだ」
「ということは、さすがのルヴィエ公爵でも将来はしっかりと妻に手綱を握られるということかな」
友人の冷やかしにアランは苦笑する。
「まあ、そっちの方が夫婦生活は上手くいくんじゃないか?」
「確かに。でも君は相変わらず毎晩のように色んな場所に顔を出している。こんな男を未来の夫としてどう思われます? ルイーズ殿」
「あの、でも……昼間は私の所に来て下さいますから……」
そう言って精一杯笑顔を取り繕ったときだった。
賑やかになり始めた歓談に紛れて、ルイーズの隣から聞こえたもの。
“なあに、あのわざとらしい笑顔……”
“愛想がないわねえ。姉君の方はあんなに魅力的で素晴らしい人なのに”
“期待はずれね。取り立てて美人でもないし”
薄汚れた嫉妬にまかせて、扇子で口元を覆いながらわざとらしく耳打ちする娘たち。
重箱の隅をつつくような嫌味たらしい声音がルイーズには聞こえてしまった。
トクンッ、と、彼女の心にさざ波が立つ。
まるでとんでもない失態を犯し、ぶざまな姿を晒しているのではないか、そんなどうしようもない羞恥心がみるみる内に噴き出して行った。
―――……だから嫌なのよ……
内側から抉られたような、そんな彼女の痛手にアランは気付いていなかった。
楽しげに談笑しているそんな彼の姿にルイーズは憤りを感じる。
ふと、ちょうど正面に腰を下ろしている男がほんの一瞬だけ自分に目線を送ったのにも、彼女は過剰に反応した。
それは全くもって意味などない、無意識の仕草だった。
しかしそれさえも、ルイーズは怖れを覚えたのだ。
―――こわい、こわい……
今、おかしなことをしただろうか。やっぱり上手く笑えてないのだろうか。
そんな妄想は際限なかった。
そしてだんだんと、眼の前が暗転していくのが彼女には分かった。
自分の中の何かが、脆くも崩れ去っていく―――。
そう思ったとき、彼女は食堂を飛び出していた。




