貳日目 九月二日(土)
気がついたら、私はどこかの建物の廊下に立っていた。
まわりには人の気配すらしない。完全な、孤独だ。
見覚えのある壁や床に血が飛び散った跡が残っている。
どうやら、恭心病院の入院病棟のようだ。
しかし、あの時の入り口はどこにも見当たらない。
廊下がどこまでも、どこまでも続いている。
どこなんだろう、ここは。
私は、外に出られるところを探してゆっくりと歩き出す。
自分の足音が不気味なほどに大きく建物中に反響した。
とりあえず、館内案内図を探そう。そう思い、あたりを見回す。
しかし、ここには地図どころか、階段、さらには窓すらもなかった。
どこまで行っても廊下、廊下、廊下。出口など、皆無。
「どうなってるの……?」
思わず声が漏れる。
頬を汗が伝う。
私は、パニックになる。もう何が何だかわからない。
「あああああああああ!」
叫びながら、私は走った。暗い廊下を、ただただ、走った。
もうこうしていなければ、理性が保てない気がした。
と、その時。
「あ、ドア!」
視界の隅に一つのドアを見つけた。
私にはそこから一筋の光が差しているようにも感じられた。
「やっと出られる……」
そう言って、ドアノブを握り締める。
しかし、ドアを開けてから――気づいた。
このドアは見覚えがあった。
ふと目に入る、【三〇三号室】の文字。
これは出口のドアなんかではない。
――『あの』入院室の、ドアだ。
ガラッ
ドアを開ける音が、頭の中に響いた。それはとても無機質で、冷たい音だった。
「ひひっ」
そんな声が聞こえた気がした。
その途端、私は床に尻餅をついた。
「痛っ!」
その部屋から出てきた誰かにぶつかったようだ。
私は、顔を上げて、目の前の人影に目をやる。
「……」
その顔を見た途端、私はハッと息を呑む。
そして、突然金縛りにでもかかったかのように、体が言う事を聞いてくれなくなった。
目の前に立っている人の顔には――
角がなく、牙の長い鬼の面がついていた。
そしてその手には、ギラリと光るナイフが握られている。
それも食事の時使うようなキッチンナイフではない、とても刃の鋭いバタフライナイフだ。
「ひひっ」
不気味な笑い声が頭の中で反響する。人影から発せられた胸に突き刺さるような冷たい笑い声。
しかし、私はどこかで聞いたことがある声のような気がした。
その仮面をかぶった人影は、バッと私の上に覆いかぶさり、私が着ていた服を剥いだ。
そして、私に、握っていたナイフを突き立てる。
私、死ぬんだな。そう思った。
「いやああああああああああああああああああああああああああああ!」
――目を開けると、私は自分の布団の上で叫んでいた。
いつも通りの自室の天井が見える。
「な……なんだ、夢か……」
私は思わず一人で苦笑いをする。
時計をみると、もう午後三時だった。
「え! もうこんな時間?」
寝過ぎた。誰か起こしてくれてもいいのに、と悪態をつきながら起き上がる。
「なんか怖い夢、見ちゃったな」
今見た夢が妙に脳裏に焼き付いてしまって余計不気味だ。
今日はもう寝れないかもしれない。そう思いながら自分の部屋を出る。
「お母さーん! まだご飯残ってる?」
とても、お腹がすいていた。