壹日目 九月一日(金)
私とツバサ、スグルはこの村唯一の高校までの道を並んで歩いている。
私たちは家が近く、いつも一緒に登校しているのだ。
そんな私たちを容赦なく照らす朝日がとても眩しい。
あたりは田んぼだらけ、車なんかそうそう通らない。
本当に、ど田舎と言ってもいい景色だ。
「ずっと夏休みが続けばいいのに……」
スグルがため息をつきながらぼやく。
昔からそうだ。長期休暇明けはいつもこの台詞を口にする。
「何回目よ、それ言うの」
「さあ? もう数えきれないくらい」
この私とスグルのやりとりも、もう何回目だろうか。
「それにしても昨日はすごかったよな!」
突然、彼が瞳をキラキラ輝かせてしゃべりだした。
「あの病院、やっぱり何か取り憑いてそうだよな。血とかまわりに飛び散り放題だったし、それがそのまま残ってるっていうのがまたなんか怪しいものを感じるぜ!」
何、そのテンション。
「はは、そうだね」
私は昨日のことを嬉しそうにしゃべるスグルについていけなかったので、とりあえず相槌を打っておく。
「しかもあの仮面とか本当に信じられなかったよな! なあ、ツバサ!」
適当に返事をしたのがバレたのか、スグルはツバサに同意を求めた――が、
「うん、そうだね……」
と軽く流された。
予想外の反応に私はツバサの様子をうかがった。
そういえばいつもなら饒舌なツバサがほとんどしゃべっていない。
よく見ると顔色が悪い。
昨日のこともあるし、心配になった私はツバサの顔を覗き込む。
「どうしたの? 元気ないけど」
「ああ、平気平気。ちょっと……寝不足なだけだから」
ツバサはうつむいたまま答えた。目の下にはくまができている。
「今日始業式あるのに大丈夫なの?」
「わからない。でも辛くなったら保健室、行くかも」
そう言って、ぎこちない笑みをうかべた。
「無理しないでね」
「わかってるよ」
道の先に、守逸高等学校と書かれた校門が見え始めた。
「――これにて平成二十二年度、守逸村立守逸高等学校、始業式を閉会いたします」
五十代後半の教頭が閉会のことばを述べ、生徒が次々と体育館から出て行く。
この無駄に広い体育館に集まると、九十二人という総生徒数の少なさを実感する。
「あー、終わったー!」
スグルがおもいっきり両手を上に伸ばす。
「そういえばツバサは?」
私はキョロキョロ体育館内を見回しながら聞いた。
スグルもまわりを眺めている。
「保健室行ったんじゃないの?」
「そうかもね。じゃあ私たちも早く教室戻ろうか」
もう体育館には他の生徒は一人も残っていなかった。
教室に戻ると、ツバサは自分の机に突っ伏していた。
「あぁ、おかえり」
彼女は側に寄ってきた私たちを見てそう言った。
「大丈夫?」
「うん、まあ保健室行って少し寝たら楽になった」
はは、と軽く笑いながらツバサは答え、また机に突っ伏した。
「相当眠かったんだな」
呆れ半分、安堵半分、といった感じにスグルが言う。
「まあ、こいつもあれだけはしゃいでたくせに本当は超怖がってたってことだな!」
「今でも昔と変わらず臆病なんだね」
私たちはニヤニヤしながらそれぞれの席に戻った。
「よし、じゃあロングホームルーム始めるぞ!」
そう言って担任の先生は黒板の前に立った。
授業開始の鐘が鳴った。
「起立、礼!」
学級委員が号令をかけ、帰りのショートホームルームが終わった。
窓から空を見ると、相変わらず太陽は高く昇っていたが、朝よりも雲が増えているようだ。
窓際の席ってこうやってボーッとしていられるから便利だな、とか思っていたその時。
「なあ、アカネ」
私は声のした方に振り向いた。
「数学、教えてくれないか? もう全然わからなくてさ……」
スグルが頭の後ろをポリポリ掻きながら近づいてきた。
「別にいいよ」
私は呆れながら言った。
「そんなんで大丈夫なの? 理系の大学受験するんでしょ?」
「大丈夫じゃないから教えてもらうのさ!」
……何開き直ってんの。
「まあそりゃそうだけど――あ、ツバサ!」
前を通りかかったツバサにも声をかけてみる。
「ツバサも勉強やっていかない?」
「あ……アタシ、ちょっと今日は遠慮しとくよ」
「まだ気分悪いの?」
「うん、ちょっと熱っぽいから病院行こうかなって思って」
彼女は少しふらふらしながら歩き去ろうとする。
「大丈夫? 送っていこうか?」
このまま一人で行かせるのは危ない気がしたので、そう言って私はツバサの体を支えようと近づいた。
しかし、私が身を寄せた途端、彼女は全身をこわばらせ、バッと私から離れた。
「あっ……ごめん、本当に大丈夫だから」
彼女の額には汗がにじんでいた。
「それじゃ、またね」
そしてそのままそそくさと帰ってしまった。
「あ、うん。バイバイ」
私は、何が起きたのかわからず、突っ立っていた。
不安になったので座って見ていたスグルに尋ねてみる。
「私、今何か悪いことした?」
「くすぐったかったんじゃないの?」
「そ……そうだったのかな?」
ポジティブシンキングも大切かな、と思い、私は気にするのをやめた。
気を取りなおして席に座る。
「じゃあ、勉強しようか。何がわからないの?」
「……」
私は、無言の上目遣いで見つめられた。
「どうしたの?」
そして、しばらくの後、スグルがボソッと答えた。
「……高一後半くらいの範囲から、全部」
ため息しか出なかった。
ふと外を見ると、夕日はその姿を地平線の彼方に隠し、あたりは薄暗くなっていた。
時計をみると、そろそろ完全下校時刻だ。
「ん、親から電話だ」
ブルブル震えている携帯電話を取り出し、スグルは電話に出た。
「もしもし? ああ、うん。今? 学校――」
おそらく、もうすぐ夜ご飯の時間なのにどこで何してるの?などと聞かれているのだろう。
彼の家は家族がみんな揃ってから一緒に食べる習慣があるんだったな、と思いだしていると、彼は電話を耳から離し、私に尋ねてきた。
「アカネ、この後暇?」
「え? 別に何も予定はないけど」
いきなり話を振られて私はきょとんとする。
「飯、食いに行かない?」
「うん、いいよ」
「勉強教えてもらったお礼ってことで、ってうちの母ちゃんが」
はは、と私は笑った。
その名目で何度ご飯をご馳走になったかわからない。
「またいつものラーメン屋?」
「不満か?」
私は大きく横に首を振る。
「全然」
「よし、決定!」
スグルは得意げな笑みを浮かべて電話を再び耳に当てる。
「もしもし、母ちゃん? 大丈夫だってさ!」
私も家に連絡しなくちゃな、と携帯を取り出す。
「あ、もしもしお母さん? うん、今日ね――」
昔はしょっちゅう来ていた小さなラーメン屋。
豚骨スープの香りが店中に漂っている。
私たちはいつもの定位置であるカウンター席を占領して座って食べていた。
「いやぁ、いつも悪いねぇ!」
そう言ってスグルのお母さんがにっこり笑う。
「いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます」
私はラーメンをすすりながら答えた。
「まだスグルの奴は勉強が苦手なのか?」
ガハハ、と笑いながらスグルのお父さんも会話に入ってくる。
「そうなのよ、スグルったらいつもアカネちゃんに頼りっぱなしで――」
本当に仲の良い夫婦だな、と思いながら愛想笑いをしておく。
私の隣ではスグルの妹と弟が熱いラーメンを一生懸命冷ましながら食べていた。
「二人とも熱いの、まだ苦手なんだね」
「そうなんだよ、こいつらあいかわらず猫舌でさ」
その隣に座っていたスグルが答える。
「兄ちゃんに言われたくないやい!」
彼の妹と弟が声を合わせて反論した。
私はニヤッと笑う。
「へー、スグル、まだ猫舌治ってなかったんだ」
「べ、別にいいだろ」
彼は顔を赤くした。
それを見て、やっぱり兄弟って似るんだな、としみじみと思った。
ふと、カウンターの奥にあるテレビに目がいった。
ニュース速報がやっているようだ。
『――つい先ほど、守逸市の恭心病院跡の前の通りで、二十代男性の変死体が発見されました。現在、警察が捜査を進めている様子ですが――』
「怖いねー」
スグルのお母さんもニュースを見ていた。
「帰り、気をつけないとね」
「そうですね、世の中なにかと物騒ですから」
『――その男性の死体は、何かに食い荒らされた形跡があったため、獣に襲われた可能性もあるとして、現場付近の住民に注意を――』
「あら? このへんに人間を襲うような動物はいないはずだけどねぇ……」
スグルのお母さんが、ボソッとつぶやいた。