零日目 八月三十一日(木)
※この物語はフィクションであり、登場する人物、事件、施設等は、すべて架空のものです。
今、私の目の前には古びた病院がそびえ立っている。
恭心病院。
この村にあるいわくつきの廃病院。
村一番の心霊スポットとして有名な場所だ。
日はとっくに沈み、近くの田んぼからはカエルや虫の鳴き声が聞こえていた。
「おい、アカネ!」
入り口の中から私を呼ぶ声がする。スグルの声だ。
「早く来ないと置いてくぞ」
「ごめんごめん」
私は入り口のドアからヒョイと顔をのぞかせた金髪のツンツン頭の少年のもとに走り寄る。
「あれ、ツバサは?」
「もう一人でさっさと中に入っちまったよ」
スグルが苦笑いをうかべながら言った。
夏休み最終日。
私たち三人は、肝試しに来ていた。
「あ、来た来た!」
電気のついていない薄暗い待合室のソファに黒髪のショートカットでピンクのカチューシャを付けた小柄な少女が座っていた。ツバサだ。
輝かんばかりの笑顔で手を大きく振ってくるツバサに懐中電灯の光を当て、スグルが嫌味っぽく言う。
「心霊スポットに来てもこれだけ元気な女の子ってなんか可愛げがないよな」
「へぇー、スグルは怖いの? 幽霊なんかいないって豪語してたくせに」
負けじとツバサも言い返した。
さらにムキになったスグルも言い返す。
「なんだと! お前だって昔はよくちびってたくせに!」
「ちょ……! 女の子になんてことを言うのよ!」
いつもの見慣れた言い争い。
そしていつも通り私が話をそらして言い争いをやめさせる。
「ねぇ、言い合いしてないでとりあえず、先に進まない?」
「ごめんごめん。じゃあ、とりあえず上に行こうか」
私たちは、階段に向かった。
「ん? 何だ、このドア」
スグルが指差した先には大きなドアがあった。鍵がかかっていたようだが、無理矢理こじ開けられている。
「うわ……不気味……」
私は思わず声を漏らした。
「ははん、怖いのか?」
スグルはそう言ってニヤリと笑い、さっさと中に入っていく。
「え……入るの?」
「そのために来たんでしょうが!」
ツバサもなんの躊躇もなく彼のあとに続く。
「もう! ちょっと待ってよ!」
私も急いで後を追った。
しかし、中に入った途端、私の足は固まった。
暗くて懐中電灯の明かりだけではよくわからなかったが、壁に赤黒い何かが飛び散って染みになっていたのだ。
おそらく、血だろう。
背筋に冷たいものが走る。
「うわ……」
「昔、殺人があった場所ってここのことかな?」
ツバサが少し興奮したように尋ねた。
「かもな。ここ、入院病棟みたいだしな」
スグルもサラリと答えた。
そうだ。昔この病院では、殺人事件があった。
ここに収容されていた患者が突然発狂し、他の患者、勤務中だった医師を含め計六人の血肉を食らった、と言われている。
当時の警察がなぜか捜査をろくにせず、目撃者はその事件のすぐ後に全員死んでしまったために、事件の全容は闇に葬られてしまったらしいのだが。
「本当に食ったのかな?」
「恐ろしやー」
どうやら、二人はこれを見ても全然平気なようだ。
「この部屋入ってみよう!」
そう言ってツバサはドアが開いていた三〇三号室という入院室の中に入っていった。
「まったく、どんだけ興味津々なんだよ」
スグルも呆れていた。
――その時だった。
「きゃああああああああ!」
耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。ツバサが今入った部屋からだ。
「どうした!」
スグルが急いで部屋の中に入る。すぐ、私も後に続いた。
そこには、ホコリまみれの床に倒れこんで暴れているツバサの姿があった。とても苦しそうにもがいている。
「おい、しっかりしろ!」
そして、私は気づいた。
ツバサの顔には、角がなく牙の長い鬼の面のようなものが付いていた。それを外そうともがいているようだ。
「手伝ってくれ!」
スグルがツバサの体を押さえこみ、仮面を引き剥がそうと 引っ張り始める。
私もすぐに駆け寄る。
「な……なにこれ? なんで取れないの?」
二人がかりで力いっぱい引っ張っているのだが、一向に取れる気配がない。
「いやあああああああああああ!」
ツバサの悲鳴が激しさを増す。
「くそっ! 一気に引っ張るぞ!」
私とスグルは呼吸を合わせる。
「せーの!」
突然、まるで肌に貼ったガムテープが剥がれるような音がして、仮面はツバサから離れた。
「おい! 大丈夫か、ツバサ!」
「ツバサ! しっかり!」
私たちはツバサを揺さぶりながら声をかけた。
「……うわー、びっくりした!」
彼女は急に目をぱっちり開いてそう叫んだ。
私は恐る恐る聞いた。
「一体何があったの?」
「わ……わかんないけど、ベッドの上にあったあの仮面付けて二人を驚かそうと思ったらなんか外れなくなって、苦しくなって……」
さすがのツバサも突然のことに混乱しているようだ。
「何も異常ないか?」
心配そうな顔でスグルはツバサの目を覗き込む。
「たぶん……」
「ならよかった」
私たち二人は安堵の溜息をついた。
「まったく、気をつけてよね」
「えへへー」
――全然こりていないようだった。
「これが……心霊現象ってやつかな!」
ツバサはこちらの心配をよそに、はしゃいでいた。
「角がない鬼っていえば……吸血鬼かな?」
「吸血鬼の面なんか聞いたことないよ」
そんなことをしゃべりながらも今日はもう帰ることに決めた。