理想(中毒)と現実(逃避)
理想と現実って、おそらく相当な昔からある概念のはずなのに、ニ十一世紀の今ですら、上手く処理できずにいる人が多い。
理想と現実なんて、明らかハッキリ区別できそうなものなのに、どうしてだろう?
現実なんて、嫌でも此処に在るものなのに。
理想なんて、現実離れしてキラキラした、手の届かないものなのに。
どうして、理想に目が眩んで、現実が視えなくなる人が出るのだろう。
どうして、現実を忘れ果て、理想に溺れる人が出るのだろう。
――本当はもう、とっくに分かっている。
現実があまりに儘ならないから、直視できずに逃げ出してしまうんだ。
現実から目を逸らすため、溺れるほどに理想を浴びて、中毒を起こしてしまうんだ。
精神や生命を守るためには、そんな一時の逃避も必要なのだと、知っている。
だけど私は、逆にそれが恐い。
理想なんて、明らか現実より魅カ的だと分かりきっている。
なのに、そこに嵌まって溺れた末に、果たして現実に還って来られるものだろうか?
戻れなくなった中毒者のなれの果てなんて、考えただけで虚無になる。
現実を直視したら心が壊れそうだから理想の世界に逃避するのに、それが現実を壊していくなんて、笑い話にもできない。
幼い頃の私は、今よりずっとフィクションとノンフィクションの区別がついていなかった。
物語の中の主人公と同じように、いつか私も“伝説の何か”に選ばれたり、“秘められた何か”が覚醒するものと信じていた。
ア二メはア二メ、マンガはマンガと知っていても、現実世界のどこかには、そんな非現実的な口マンや冒険が潜んでいるのだと、本気で信じていた。
甘い妄想を素直に信じていられたあの頃は、今思えば幸せだ。
だけど、同時に残酷だ。
そのうちに、どうしたって気づいてしまうのだから。
どんなに待っても、どんなに願っても、私が何かに選ばれる日も、私の中の何かが目醒める日も、永遠にやって来ないことに。
流行する物語って、人間の欲や理想をよく反映している気がする。
階級制度や身分制度なんてほぼ無縁の現代で、生まれながらのお姫様や貴族令嬢が未だに持て囃されるのって、そういうことなんだろうな。
あるいは平凡な庶民の少女でさえ、何故かハイスペックなイケメンたちにモテまくったりする。
生まれつきや運だとかで、自然と幸福が転がり込んでくるなんて、そんなラクな人生、誰でも送りたいに決まっているよね。
昔はそういう物語も、無邪気に楽しめていた。
だけど、思春期ならではの自意識が芽生えた今は、自分の欲望を見透かされているようで、何だか居心地が悪い感じがする。
現実では手に入らない理想の人生を、コンテンツとして浴びて、溺れる――それは、ス卜レスで病んだ心を癒やすのに有効だ。
だけど、この先の人生の糧にはならない。
ご都合主義な物語は、問題解決が基本的に主人公の属性や幸運頼りだから、私の人生の参考になりようが無い。
物語のような運命の導きや幸運が、いつか自分にも訪れると信じて待っているだけじゃ、自分からは何も動かない受け身なばかりの人生になる。
現実逃避って時に必要なものだけど、そこの所を見極めてバランスを取らないと、人生自体が詰んでしまう。
私は、自分の弱さとズルさを知っている。
掃除や勉強をしなきゃいけない時に、ついついマンガを読み耽る癖を知っている。
衝動買いなんて卒業すると、もう何度も決意したのに、気づけばキャラク夕ーグッズを買い漁っている意思の弱さを知っている。
こんな私に、甘い理想を詰め込んだコンテンツなんて、劇薬だ。
既に嵌まってしまったものはどうしようもないけど、新規に嵌まるのだけは回避しようと、最近は少し距離を置き始めている。
今はまだ、私の“現実”なんて、学校の中や家の中くらいで済んでいる。
だけど、あと何年かすれば、もっと過酷な現実の中へ、否応なく押し出されてしまう。
その時に“現実がまるで視えていないフワフワ頭脳”ではマズいということくらい、今の私にも分かっている。
知らなかった現実をいきなり突きつけられてショックで病まないよう、先に免疫をつけておかなければならない。
でも『どうやってそれを学ぶか』というのが、なかなかの難題なのだ。
人間の醜さや意地汚さなら、SNSを巡ればいくらでも目にできる。
だけど、アレが“現実”かと言われると、何かが違う気がしてならない。
だってあの中には、自分の主張を通すためなら平気で“嘘”をつく人が沢山いるから。
嘘を嘘と見抜けない人がさらに嘘を拡散したり、勘違いと伝言ゲームで話が変な方にねじくれたり、極論に走って歪に曲がった思想が山ほど溢れていたりする。
虚実の入り乱れた混沌は、ある意味現実と言えなくもないのだろうけど……私の知りたい“現実”とは、ちょっと違う。
バイ卜やボランティアをすれば現実を学べるかと言われると、それも何か違う気がする。
校外の大人と触れ合えば、確かに世界は少し広がる。
だけど、それもバイ卜やボランティアの間だけのわずかなもの。
断片的に現実を“覗き見た”くらいの感覚で、これで学び足りたとはとても思えない。
学生という立場では、どうしたって行動範囲に制限がある。
物理面でも金銭面でも、行くことのできない場所、知ることのできない体験が沢山ある。
だから私は、それをコンテンツで補おうと考えた。
読書や動画視聴とは、そもそも疑似体験だ。
コンテンツの中でなら、私が行きたくても行けない界隈、やりたくてもできない行動を仮想で体験できる。
その疑似体験も、非現実的なものでは役に立たないから、選ぶコンテンツの種類は変えた。
これまで浴びてきたような、欲望具現的で夢見がちなものじゃなく、社会派だとか本格派だとか呼ばれる種類の物語や、もっとリアルな実話系や歴史モノを浴びることにした。
(種類は違えど、結局はただコンテンツを浴びていたいだけだろうと言われれば、その通りなのかも知れないけど……)
悲惨な物語の報われない結末を味わえば、不条理な世の中への耐性がつく気がした。
過去に実在した人物たちの苦闘の日々を追えば、将来に対する心構えができる気がした。
現代の成功者たちの、逆境からのV字回復ス卜ーリーを知れば、人生のヒン卜が見つかる気がした。
私とは違う人生をそのまま“参考”にはできないけど、明らかフィクションな物語よりは“応用”が利く気がした。
だけど最近、ふと気になっていることがある。
私と同じように現実的な人や物語を追っている人の中にも、何だか妙に“理想主義的”な人がいる。
理想論ばかりをロにして、現実的な結果を何ひとつ引き出せていない人がいる。
どうしてなんだろう?と、しばらく疑問に思ってきた。
現実を直視できているなら、理想が“理想でしかない”ことなんて、明らか気づけるはずなのに。
叶わない理想を追い求め過ぎると、何時まで経っても何も成せない。
だから、何とか実現可能な範囲で妥協するのが“現実的”なはずなのに。
もしかしたら“理想”って、いつの間にか現実すら侵食してしまうものなのかも知れない。
たとえば、現実の力リスマを信奉するあの人たちは、その成功体験を追っていれば、いつか自分もそうなれるんじゃないかと、自分の未来に理想を視ている。
あるいは自分の叶わなかった夢を成功者に重ねて、その人を現実以上に理想的に祀り上げる。
有名人が落ち目になった途端、叩きまくる人が出て来るのって、そんな理想が“裏切られた”ように感じてしまう所為もあるのかも知れない。
自分たちが勝手に抱いた理想と、現実との“区別”がついていないから、そのバッシングを当然で正当な行為のように思い込んでしまうのかも知れない。
理想に目が眩んだ人って、不思議だ。
自分の言っていることが正しくありさえすれば、皆が言うことを聞いてくれると思っている。
現実を知っていれば、人間が正論や理想より、一時の感情や欲望で動いていることなんて、明らか分かるはずなのにね。
現実が視えていない人って、不思議だ。
自分の信じたいものばかり受け容れて、あからさまな罠にあっさり引っかかる。
今時、ちょっとズル賢い人なら、人間の感情を煽ったり欲望をくすぐったりすれば利益や世論誘導に繋がることくらい、誰でも知っている。
だから、そういう動向には最大限の警戒をしないといけないのに。
煽られ、くすぐられた心の先の理想を、闇雲に信じ過ぎなんだろうな。
現実を知るってことは、自分にとって嫌なこと、見たくないものからも目を背けず、ちゃんと視ることだって、ずっと思ってきた。
(とは言っても、あまりにドギツい真実は心が折れそうになるから、受け容れやすい“コンテンツ”から、マイルドに薄まったものを味わってきた自覚はあるけど……)
この世界は、私の好きなこと、信じたいものだけで構成されているわけじゃない。
そのことを忘れて、自分の受け容れたいものばかり学んでいたのでは、“現実”を知ることにならない。
……そんなこと、誰に教わるまでもなく、当たり前に気づける“現実”だと思っていたのにな。
世の中、不思議と“自分の目に映る理想”ばかり見つめて、他の人の目から視た現実を、全く受け容れない人が多い。
異論や疑問の声を一切突っぱねれば、世界が自分の理想通りに再構成されるとでも思っているのかな。
現実なんて、どんなに目を逸らしても、否定しても、依然として此処に在るものなのに。
理想に目が眩んで現実が視えていない人たちは、この先この“現実”の中で、どうやって生きていけるのだろう。
私はきっとまだ、全然この現実の全てを学べてなんかいない。
だけどひとつだけ、現実を生き抜くために必要なスキルを、既に手に入れられている。
それは、現実逃避の対極に在るスキル。
残酷な現実を知ることへの耐性だ。
それがたとえ自分にとって不都合な真実でも、心に傷を負う真実でも、目を逸らさずに受け容れること。
きっと私のことだから、すぐには直視できずに、躊躇ったり、グズグズ先延ばしにしたりはすると思う。
だけど最後には『これが現実なんだから、知らなきゃどうしようもない』で、何とか目を向けるんだろうな。
これが出来るだけでも、きっと全然違う。
だって、これが出来ないと、世界の現実を知らないまま、永遠に届かない理想に迷って、人生を無駄にしてしまうから。
現実逃避にどれだけ浸っても、目が醒めれば、此処はどこまでも現実の中。
だから私は、現実と闘う術が欲しい。
私の人生を、この“現実”の中で切り拓く能カが欲しいんだ。
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