シーン2:最初の消失
立ち上がったあと。
鹿間斎は、しばらくそのまま立っていた。
何をするわけでもなく。
どこを見るわけでもなく。
ただ、立っていた。
背後では、水無月ひかりがまだ銃を構えている。
撃たないまま。
撃てないまま。
しかし斎は、もう振り返らなかった。
彼女がそこにいることは分かっていた。
分かっていたが。
それはもう、意味を持たなかった。
一歩、歩く。
床の感触が、靴越しに伝わる。
硬い。
冷たい。
ただ、それだけだ。
斎は、部屋の壁の前で立ち止まった。
白い壁。
何の変哲もない、ありふれた壁。
この部屋を、この世界を、内側と外側に分けている境界。
斎は、その壁を見つめた。
しばらく。
何秒か。
あるいは、もっと長く。
自分でも分からない時間。
そして。
手を伸ばした。
理由はなかった。
触れようと思ったわけでもない。
ただ。
そこにあったから。
指先が、壁に触れる。
その瞬間。
壁が――消えた。
音は、なかった。
砕ける音も。
崩れる音も。
何も。
ただ。
そこにあったはずの壁が。
なくなっていた。
切断されたわけではない。
壊れたわけでもない。
最初から存在しなかったかのように。
完全に。
消えていた。
その向こうに。
夜が、あった。
街の灯り。
遠くのビル。
黒い空。
冷たい空気が、部屋の中に流れ込んでくる。
カーテンが、揺れる。
斎は、しばらくそれを見ていた。
理解していた。
何が起きたのか。
これは。
自分が。
やったことだ。
止めなかった。
防がなかった。
無意識に。
そのまま。
消した。
斎は、自分の手を見る。
何も変わらない手。
血もついていない。
傷もない。
ただの手。
しかし。
この手は。
今。
世界の一部を消した。
斎は、思った。
止めようと思えば、止められたのか。
分からない。
だが。
少なくとも。
止めようとは思わなかった。
その事実だけは、はっきりしていた。
胸の奥を探る。
何かを感じるかと思った。
恐怖。
後悔。
罪悪感。
しかし。
何もなかった。
空っぽだった。
本当に。
何も。
なかった。
「……どうでもいい」
声が、夜に溶ける。
自分の声なのに。
まるで他人の声のように聞こえた。
どうでもいい。
その通りだった。
壁が消えても。
世界が消えても。
同じだ。
価値がないのなら。
存在する理由がないのなら。
消えても。
何も変わらない。
斎は、もう一度、壁だった場所に手を伸ばした。
今度は、迷いはなかった。
指先が、空間に触れる。
その先で。
夜の一部が、静かに消えた。
遠くの街灯が。
その支柱ごと。
音もなく。
消失する。
闇が、広がる。
斎は、それを見ていた。
何も思わずに。
ただ。
確認するように。
そして。
理解した。
これは。
止まらないのではない。
止めないのだ。
自分が。
自分の意思で。
世界を壊している。
初めて。
破壊が、
意図を持った。




