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ひと夏の透明  作者: ここやまいぬこ


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950400秒

重い体と心を引きずってダイニングまで下りる。

普段そんな時間に1階へ降りることはない。緊張で足音が控えめになる。

なるべく音をたてないように、ダイニングのドアをあけると母の姿はなかった。

どうやら仕事へ出かけているらしい。

救急箱から体温計を取り出し、脇に挟んだ。

誰もいない静まり返った部屋をみまわす。

昔は表彰状や私の工作が所々に貼ってあって、一緒の部屋で過ごすことも多かったから、

マンガ本や図鑑、ゲームソフト、様々なおもちゃが置きっぱなしになっていた。

今は私の影なんてどこにもない。この部屋には母の匂いしかしない。

伏せられた写真立ては小学校の入学式、母と父と3人で校門の前で撮った写真だ。

父は私がひきこもり始めてから母とたくさん喧嘩をするようになって、

いつの間にか離婚して、この家からいなくなっていた。

写真自体をしまわないのは、後悔なのか、それとも名残惜しさからだろうか。


ピピピ…体温計の音が鳴った。39.5度。

救急箱をあさって熱さましと冷えピタをおでこに貼って部屋に戻った。


誰かに体をゆすられたような気がして、目を覚ます。

心配そうな母の顔が目の前にあった。


「救急箱が出てたから…昨日の雨でもしかしてって思って…」

「熱…ある。薬…飲んだ」

「おかゆつくるから持ってくるね」

頷く前に母は下へおりていった。

スマホの時計に目を向けると20時半。

今日はミィちゃんはコンビニへ来るだろうか。

それとも来ないだろうか。

私だけが浮かれていたのかな。

あの嬉しそうなミィちゃんは偽りなんかじゃないと思ったのに…。


グルグルいろんなことを考えていたら、母がおかゆを持ってきた。

おかゆの隣には小皿にウサギの形にカットされたリンゴが添えられている。


悲しそうな顔で私を一瞥した後、扉を閉めて部屋を後にした。


久しぶりに食べる母のご飯。


母がご飯を作らなくなったのは、ひきこもりはじめた私がご飯を投げつけたからだ。

私のご機嫌を伺って、あれこれ大好きな料理を運んでくる、それがみじめで許せなかった。

完全な八つ当たり。

扉の向こうで手づかみでご飯を拾いながらすすり泣く母の声が痛かった。

痛かったのに、向き合うときでてくるのは棘だらけの言葉だけ。

そうして母は私から距離を置き、言葉通り何もしなくなった。

お母さんから『お母さん』を取り上げてしまった。あんな形で。


次の日も、熱は下がらなかった。

病院へ連れていこうとする母に反抗した。同級生に会ったら怖い。それだけの理由。

次の日の夕方に熱が下がり、更にその次の日には平熱に戻っていた。


代わりに身近で看病してくれた母が発熱した。

私はミィちゃんと違ってご飯を作れない。


「あの…コンビニでおかゆとか…飲み物買ってくるね」

「うん…ありがとう」

「あの…お金もらうね」


財布から千円札を2枚抜き取り、コンビニへ向かう。

今日もミィちゃんの姿はみえない。もう気にならない。

レトルトのおかゆと飲み物、ゼリーを購入し袋につめてもらう。


「あ、久しぶりだね。きみが待ってたあの女の子、ずっときてたんだよ」

「え?」

驚いて顔をあげた。


「今日も来てたよ。目に涙をいっぱいためて、きみのこと待ってたんじゃないかな」

「どっちの方向へ行きました?」

「公園の方へ歩いていったよ。今なら追いかけたら間に合うかも」


袋を雑に持って急いでコンビニを飛び出した。

初めて一緒に逃げた公園の方向へ猛ダッシュする。

病み上がりの体にはこたえるなあ。


「ミィちゃん!!」

目の前をミィちゃんが歩いてた。

背中が丸まってトボトボって表現がぴったりなミィちゃんが。


振り返ったミィちゃんは涙で顔がグシャグシャになっていた。

口を開く前にミィちゃんは駆け寄ってきて、私を抱きしめワンワン泣いていた。


「もう、会えないかと思った」

「風邪ひいてて…ミィちゃんだって…来なかったじゃん」


気付くと私も泣いていた。


「ごめん、ごめん、理由は言えない。でもたった1度の間違いで会えなくなることをミィは知ってる」


きっとおばあちゃんのことだろう。

でも何も言わなかった。

たった1度の間違いで、私は『仲の良かった』家族を失った。

ミィちゃんと違って会えないわけじゃない。でも少しだけその喪失感を共有できる。


「もうやぶらない、2度としないから、ミィを置いていかないで」


返事のかわりに、ギュッとミィちゃんを抱きしめた。

ミィちゃんの話が本当なら、あと何日猶予があるのだろう。

今日はミィちゃんと出会って7日目。ミィちゃんが羽化した日から7日目。

あと、7日。

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