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明るい部屋が嫌い。
小学生の声が嫌い。
毎年やってくる蝉の鳴き声が嫌い。
母の生活音が嫌い。
この世界は嫌いで満ち溢れている。
そんな嫌いだらけの一部に私『桜井絵理依』もいる。
それに比べてこの城は安全だ。
常に雨戸とカーテンで閉ざされ、陽が入ることも無邪気な声に潰されることもなく『私』だけしか存在しない。
好きも嫌いもない、この城でただ生活をするだけ。
死ぬ理由も、死ぬほどの絶望も、今はもうどこかへ置いてきてしまった。
生きる屍代表として、親の脛をかじり酸素を吸って二酸化炭素を吐き出して養分をとって排泄する。
生きる活動をしているだけなのだ。
この城に閉じこもりはじめたのは、小学6年生のとき中学受験に失敗したあの瞬間からだった。
元々内気でいじめられっ子だった私は、高偏差値の私立中学校で華々しい中学デビューをする予定だったのに、
プレッシャーに負けて成績は入試が近づくにつれ右肩下がり。
残ったのは1度も袖を通していない近所の公立中学校の制服と、心を病んでしまった母親だけ。
本当なら今頃は「高校どうする?」なんて友達と悩みを共有したり、はしゃいだりしていたのにな。
「今何時だっけ?」
スマホの画面に目を向けると21:55の表示。
フードつきの薄めのパーカーに着替え、さらにその上から顔が隠れるように帽子を目深にかぶる。
全身黒ずくめなのは夜に擬態できるように。
廊下に出てダイニングに入ると、能面のような母親がこちらを一瞥しテーブルを指さす。
そこには千円札が1枚。私の明日のご飯代。
「いってくる」
無言で頷く母を横目に靴を履いて玄関の重きドアを開けた。
7月の生温く湿った空気に顔をしかめた。
徒歩30分の、校区外のコンビニ。
校区内にコンビニはいっぱいあるからわざわざこんなところまでくる同級生はいない。
店内をぐるりと一周しながら明日の食料を考える。
パンばかりだと飽きるし、おにぎりは最近値上がりしたから割引きされているのにしないと…。
お菓子の新商品どんなのがあるかな。
お菓子売り場にくると同世代の女の子がいることに気付いて思わず身構えた。
帽子のツバをそっとあげて女の子を凝視する。
大丈夫、知らない子だ。
ホッと胸を撫で下ろしお菓子を吟味しようと目を逸らした瞬間、視界の片隅で女の子がチョコレイトの小箱をポケットに入れるのを目撃してしまった。
「あ」
思わず声を漏らしてしまう。
「あ」
女の子もこちらをみて声を漏らす。
咄嗟のことに動けず目をパチクリさせていると女の子がすごい速さでチョコレイトを売り場に戻し、私の手首を掴んで走り出した。
走るなんて何年ぶりだろう。息があがって心臓がドクドクいってる。
公園の中まで入ると女の子は手を離しこちらを振り返った。
万引きとは無縁そうな幼く無垢な顔立ち。
ギザギザの前髪にオシャレとは程遠いTシャツとハーフパンツ姿。
「轢かれちゃうよ」
息を切らしながら女の子が口を開いた。
「そんなに全身真っ黒だったら車に轢かれちゃうよ」
「…万引きするような子に説教されたくないんだけど」
「まだ、してないよ」
この悪びれなさは、きっと常習犯だろうなと思ったけど口に出すのはやめておいた。
「チョコレイト好きなの?」
「食べてみたかったの。ミィはカカオアレルギーだから」
「カカオアレルギーなら食べちゃダメでしょ」
「ダメじゃないよ。食べたら死んじゃうだけ」
「じゃあ、ダメじゃん」
女の子は鉄棒にもたれかかって夜空を見上げながら静かに言った。
「ダメじゃないの。食べても死ぬ、食べなくても私は2週間後に、死ぬ」
驚いて女の子をみた。
悲壮感も何もないが、この子は何か重たい病気で余命宣告でも受けているんだろうか。
それとも私からかわれてる?こんなとき普通の子はどう返すんだろう。
コミュ力のない私には上手い返しが見つからない。
そう、こういうとき、こういう小さな劣等感の積み重ねが今の私をつくっていったんだ。
早く城に戻らなきゃ。
私が惨めで辛くなる前に、尊厳を取り戻すために、城に戻らなきゃ。
「ねえ、転生って信じる?」
「…は?」
「転生!知らない?」
転生って今当たり前に存在するあのジャンルの?
主人公が西洋風の世界にいったり、ゲームの中に入ったりする、あの?
「知ってる…けど、え?」
「私の名前はミィ、おばあちゃんはミィちゃんって呼んでた。戸籍がね、ないの」
「え?親は?」
「知らない。ミィのおばあちゃんがミィのお母さんで、お父さんで家族なの」
重たい話のはずなのに、淡々と同じリズムで会話をする。
まるでドラマのあらすじでも話すかのように。
「ミィってなんでミィって名前だと思う?」
「ミイコとかミイナとか…そういう名前だからじゃないの?」
「ミィはね、蝉の生まれ変わりなの!蝉だったけど転生してミィになったんだ!」
「せみ…の『み』でミィ…?」
あ…この子ちょっとアレな子なのかな…。
「おばあちゃんが言ってた。夏の暑い日に蝉と一緒に大泣きしてたって。あんたも蝉と同じくらいうるさい子だったって、でもすごく元気な子だって安心したんだって」
「学校は?保育園とか幼稚園とか、そういうのはどうしたの?」
「行ってないよ。戸籍ないし。おばあちゃんが簡単なのは教えてくれた。あといーっぱい本があるの。」
「それで…病気になっちゃったの?」
「なってないよ?ああ、もうすぐ死んじゃうって話?」
どれが嘘でどれが本当で、どれが冗談でどれが真面目な話なのかわからないけど、
ミィちゃんの話には何の意図もなく、私に何か期待しているわけでも反応をみているわけでもなさそう。
「蝉って地上に出てから2週間くらいしか生きられないんだよ」
「はぁ…」
「今日ね、羽化したの。羽化したばかりだから、今日から2週間後にミィは死ぬんだよ」
きっともう会わないかもしれない。
だから思ってもいない言葉で、当たり障りのないお別れをしよう。
「そんなの、おばあちゃんが悲しむよ」
一瞬だけ、ミィちゃんの表情が歪んだような気がした。
「じゃあ、私帰る。万引きはやめなよ、あとチョコレイトも」
帽子を目深にかぶりなおし、服装を整えて踵を返す。
後ろからミィちゃんの声がする。
「……」
「黒い服着ちゃだめだよ。おばあちゃんはそれで車に、ひかれちゃったんだから」
それが、私とミィちゃんの出会いだった。




