「英霊になんかなりたくなかったのに無理やり特攻させられた俺、英霊として現代に転生して靖国神社に行く」
第1話 死の命令
「おまえら、明朝、出撃な」
その言葉が落ちた瞬間、俺の視界は闇に沈んだ。
詰所の空気が一変する。油と汗が混じった臭気は、冷たく澱んだ死の匂いへと変わった。
明朝、つまり明日。
俺は死ぬ。
上官は淡々としていた。
清々しさすら感じた。
机に肘を置き、煙草をくゆらせながら、ただ一言だけ告げたのだ。
そこに憐れみも迷いもなかった。命を数で処理する男の顔だった。
俺は立ったまま、拳を握り締めた。
指が震える。歯が鳴る。喉が空気を拒んでいた。
母の顔が脳裏をよぎった。
幼い弟の笑い声が遠くから響いた。
俺はまだ、帰って家族と飯を一緒に食いたかった。
望んでいたのはただそれだけだった。
「命を惜しんではいかん。お前の死が日本を救うのだ」
上官の声は乾いていた。
その冷たい響きは、鉄鎚のように胸を叩いた。
誰も声を上げなかった。
隣の同期も、向かいの先輩も、皆うつむき、震えていた。
勇敢でも、誇りでもない。
あるのはただ、逃げ場を失った獣の恐怖だけだった。
夜。
天井の隙間から見える星が、やけに遠かった。
一睡もできないまま、俺は出撃の朝を待った。
第2話 靖国の陽炎
夜は長く、そして容赦なく短かった。
まぶたを閉じても眠りは訪れず、耳の奥で心臓の音ばかりが響いた。
夢はみなかった。
そして、夜明け。
「出撃準備」
乾いた号令に、俺の体は勝手に立ち上がった。
足は鉛のようにずっしりと重い、だが誰も逆らえない。
逆らった者がどうなるか、俺たちは骨の髄まで知っていた。
滑走路に並ぶ機体。
油の臭気が鼻を突き、胃の中の苦い液が喉に逆流してきた。
血のように赤い朝焼けだった。
操縦席に身体を押し込み、震える指で操縦桿を握る。
機体が咆哮を上げ、心臓は胸を突き破りそうに跳ねていた。
「天皇陛下万歳!」
誰かの声が風に流れた。
俺の唇は動かない。
ただ、ただ、胸の奥で絶叫が渦を巻いていた。
死にたくない。
母に会いたい。弟とまた飯を食いたい。
生きたい。ただそれだけだった。
滑走路を蹴り、機体は宙へ舞い上がる。
風圧が涙を引き裂き、視界は白く滲む。
「俺は――死にたくない!」
そして……爆炎。
白光。
轟音が俺の周りの世界を飲み込み、全てが暗転し、俺は正気を失った。
……次に目を開けたとき、蝉の声が耳を刺した。
石畳。
木立。
焼け付くような真夏の陽炎。
そこは、東京都千代田区九段。
俺は靖国神社の境内に立っていた。
たくさんの群衆がいた。
軍服を模した服に身を包み、軍帽をかぶった中年男たち。
赤ら顔で拳を振り上げ、口々に叫んでいた。
「英霊に感謝を!」
「軍神を敬え!」
俺は呆然と立ち尽くした。
英霊?軍神?ハァ?
俺は英霊にも軍神にも、なりたくなんかなかったよ。
八十年前に俺を殺した声と、目の前の群衆の声は、まったく同じ響きで俺の耳に突き刺さった。
第3話 俺は死にたくなかった
蝉の声が境内を埋め尽くしていた。
軍服もどきの布をまとい、拳を突き上げて、勇ましい雄たけびを上げる連中をみていたら、胸の奥で何かが弾けた。
俺は唇を震わせ、声を振り絞る。
「……俺は死にたくなんかない!命を捧げた英霊なんて、真っ平御免だ!!」
一瞬、境内に静寂が落ちた。
拳を下ろして彼らは俺の顔を見た。
蝉が鳴き止み、空気が凍りついたように思えた。
次の瞬間、怒声が爆ぜた。
「何を言いやがる!」
「国賊め!」
「御国のために命を捧げた英霊を侮辱するな!」
群衆の顔が一斉に歪んだ。
眼には憎悪が燃え、唇からは罵声が滲み出る。
「反日左翼豚は日本から出て行け!」
「親中の売国奴をブチ殺せ!」
「英霊を汚す奴に生きる価値なーし!」
拳が突き上げられ、足が石畳を踏み鳴らす。
境内は罵声と怒号の渦に呑まれた。
俺は首を振り、喉を焼くようにして叫んだ。
「俺は英霊なんかじゃない!俺は……ただ生きていたかっただけだ!」
だが、その言葉は、蝉時雨と群衆の喚声にかき消された。
彼らは俺の声を聞こうとはしなかった。
彼らの心の中にあるものは、自分たちの信じる「愛国心」という幻影だけだった。
中年男が一歩踏み出し、唾を吐き捨てる。
「この国賊め……よりにもよって、この靖国でその口を叩くとは、よほど死に急ぎたいらしいな!」
群衆がざわめき、熱気がさらに高まる。
八十年前、俺を死に追い立てた上官たちがとりつかれていた狂気と同じ熱気だった。
第4話 国賊
最初の拳が頬を裂いた。
骨が軋み、視界が白くはじけた。
「反日親中の売国奴め!」
「左翼豚はぶち殺せ!」
怒声とともに、次の蹴りが腹を抉った。胃液が逆流し、喉を焼く。
肩を掴まれ、石畳に叩きつけられる。
重い靴底が脇腹に食い込み、息が詰まった。
「英霊を侮辱する奴は、この場で処刑だ!」
「我々を護ってくれた軍神を汚すな!」
拳、足、罵声。
狂気の熱を帯びた肉の臭い、汗の酸味、血の鉄臭さ。
境内が、修羅場に変わった。
俺は両腕で頭を庇った。だが容赦はなかった。
蹴りが背を割り、拳が肋骨を叩いた。
「死ねや、売国奴!」
八十年前と同じだった。
あの時は軍刀の命令で、今は群衆の狂気で。
石畳に広がる血が陽光に赤黒く照り返す。
視界が滲み、蝉の声が遠ざかる。
それでも俺は、唇を震わせて声を吐き出した。
「……俺を殺したのは、敵じゃない……俺の国だった……」
だが、その言葉は怒声と蝉時雨にかき消された。
誰も耳を傾けなかった。
第5話 公開処刑
拳が止むことはなかった。
血は石畳を濡らし、蝉の声はなお鳴き続けていた。
やがて群衆の誰かが叫んだ。
「撮れ!日本中に晒してやれ!」
スマホのレンズが一斉にこちらを覗いた。
倒れ伏した俺の顔、血に濡れた体。呻きも、吐息も、無慈悲に切り取られていく。
「靖国で反日豚が正体を現したぞ!」
「英霊を侮辱した親中豚を処刑!」
怒声と笑いが交じり、暴行がそのあとも延々と続いた。
――数時間後。
SNSの画面に記事が踊った。
【速報】靖国神社で反日左翼豚が暴言 → 日本を守った軍神をディスり、無事公開処刑されるwww
「反日国賊豚は殺されて当然」
「これぞ日本人の正義」
拡散希望。
無数のリツイート。
罵倒と嘲笑の洪水。
俺の声はどこにも残らなかった。
画面の中で、俺は延々と殴られ続けていた。
八十年前に一度。
そして今度もまた令和にもう一度。
転生人生、無事終了。
<了>