ショベル担いで冒険者~効率的ですよ?~
ショベルを書きたかっただけなのにヤケに長くなった。
「何故、僕らが仕事を受けられないんだい?」
その言葉には不満も不審もなく、ごく純粋な疑問から発せられたものだった。
言葉の主は半板金鎧を身に纏い槍を背負った金髪の少年。その所作は活発そうな雰囲気に似合わず洗練されていて、騎士見習いか、それに準じた教育を受けていることが見て取れた。
その少年の斜め後ろに立ち、黙って成り行きを見守っているのは赤髪のドワーフの女性。炉の神の聖印を首から下げ、背には肉厚の戦斧を背負っていることから恐らく神官戦士だろう。
対応していたギルド職員のアイサは、この二人を何らかの事情で家を出ざるを得なくなった貴族の子弟とその従者であろうとあたりをつける。
「正確には、お二人だけではお仕事をお任せするのは難しい、と申し上げております」
「ふむ? それは戦力的な問題かい?」
「いえ。勿論数は力ですのでそれも無いとは言いませんが、この場合は求められる技能の方が問題となってきます」
金髪の少年ロンドは、背後に控える従者マードレッドと顔を見合わせた後、続きを促す。
「技能というと具体的には?」
「まずは何をおいても斥候技能。索敵、探索、警戒──予め戦場が設定されていないケースが多い冒険者にとっては、戦闘力以上に必須とされる技能です」
冒険者の仕事の大半が荒事なのは確かだが、そもそも標的を見つけることが出来なければ戦うところまで辿り着けない。また人間の身体は案外繊細で、軽い攻撃でも急所に当たれば死ぬし、骨や腱が一本損傷した程度で戦闘力は大幅に減衰する。立て直しの難しい少人数なればこそ猶更、敵を探し周囲を警戒する斥候は欠くべからざる技能だった。
「なるほど。僕はこれでも軍で基礎的な斥候の技は学んでいるんだが……足りないかい?」
「残念ながら。軍と冒険者では斥候に求められる役割が微妙に異なってきますので、軍での経験をそのまま直ぐに冒険者として活かせるかというと難しいでしょう。また斥候のミスはパーティー全員の生死に直結します。可能な限り専門の方が担当することをお勧めしています。それが不可能な場合も斥候技能を習得した方を複数パーティーに加えてカバーするのが一般的ですね」
新人冒険者に対する定番の説明なのだろう。アイサはいかに斥候が重要でどうあるべきかを滔々と語る。
「また斥候技能に次いで重要なのが対応力です」
「対応力?」
「はい。冒険者の仕事は非常に多岐にわたり、中には特定の知識や技能を備えていないと話にならないものも少なくありません。魔法が絡む依頼などがその代表例ですね」
古代魔法王国時代の遺跡の探索、アンデッド退治など対応する魔法が使えなければどうしようもないケースというのは少なくない。
だがそれに疑問を呈したのはそれまで黙って話を聞いていたマードレッド。
「それは仕事を選べばいいってだけの話じゃないかい? アンデッドならあたしが対処できるし、流石にあたしらも二人で遺跡探索やろうなんて考えちゃいないよ」
「仰る通りです。ですから斥候技能に次いで、と申し上げました。とは言え、未発見の遺跡から不可視の魔法生物が外に出てきてしまったケースなど、常にこちらが状況を選べるわけではありません。できる限り手札を増やし対応力を高めておくことをギルドとしては推奨しております」
そう説明されてマードレッドも納得し「なるほど」と引き下がった。
「また、ある意味ではこれが一番の問題なのですが、お二人は冒険者としては全くの未経験です」
「それは当然だね」
「依頼人との折衝やその際に守るべきルール、ギルドへの報告など冒険者としての一般的な立ち振る舞いというものを学んでいただく必要がございます」
そこまで言われて、ロンドもマードレッドもギルド職員が何を言いたいかを理解した。
「なるほど。ここでそうした説明があったということは、ギルドから経験のあるパーティーメンバーか教導役のどちらかを斡旋してもらえる、と理解していいのかな?」
自分たちで探せと突き放される可能性も考えないではなかったが、冒険者の情報を一番詳しく握っているのは間違いなくギルドだ。そうした人材の斡旋はあって然るべきだし、仮になかったとしても言うだけならタダ。ロンドは軽い気持ちでそう口にした。
「はい。本来であれば、そうさせていただいているのですが──」
だがアイサは少し困った表情で頬に手を当て続けた。
「──あいにく今は紹介できそうな方が出払っておりまして……」
「ああ。さっきの話だと斥候要員は引く手あまただろうし、そういうこともあるかもね」
ロンドはおっとりとした態度でアイサの言葉に理解を示すが、マードレッドが食い下がる。
「教導役の方はどうなんだい? 手すきの人材がいないなら、他のパーティーにあたしらが一時的に入れてもらうってやり方もあると思うけど」
「それは……受け入れてくれるパーティーはあると思います。ただ……」
「ただ?」
言葉を濁すアイサに、マードレッドは淡々と続きを促す。
「その、声をかけてみないことには確たることは申し上げられませんが、多くの冒険者はパーティーのバランスや陣形が崩れることを嫌われます。その場合、お二人同じパーティーで、というのは難しいかもしれません」
「それはそうだろうね。僕が逆の立場でも、何をしでかすか分からない新人二人を同時になんて余程のことがない限り拒否するだろうさ」
アイサが敢えて伏せた部分を言語化し、ロンドは気を悪くした様子もなく淡々と了承の意を示す。
「僕はそれでも構わ──」
「ロンド坊ちゃん!」
だがそれに異を唱えたのは従者であるマードレッドだ。彼女は太い腰に手を当て、主人を見上げながら抗議する。
「坊ちゃんを一人きりに何て出来るわけがないでしょう! 何のためにあたしがついてきたと思ってるんです!? あたしの目が届かない場所で万一のことがあれば、奥様にどう説明すればいいか──」
「いや、ちゃんと先輩がいるわけだし別に一人になるわけじゃ──」
「坊ちゃん!!」
「…………」
全く退く様子の無いマードレッドにロンドは肩を竦め、そのやり取りを見ていたアイサがどうしたものかと眉を顰める。
そして『この二人を同時に受け入れてくれそうなパーティーなんてあったかしら?』と頭の中のデータベースを検索している、と──
「──『穴掘り』を紹介してやりゃいいんじゃねぇか」
ロンドたちの背後から口を挟んできたのは、軽装の中年冒険者。アイサはその男に窘めるような声を発した。
「モルドさん」
「おっと、悪いね。立ち聞きするつもりは無かったんだが、耳に入っちまったんで、つい、な」
モルドと呼ばれた男はすぐに引き下がろうとするが、それをロンドが呼び止める。
「いえ。それよりその『穴掘り』と言うのは?」
「お? 興味ありかい?」
「ええ、まぁ。二つ名にしても変わった呼び名ですが……」
蔑称なのかもしれないが、それにしては迂遠な気もする。少なくともあまり良い意味の呼称ではなさそうだが。
「『穴掘り』ってのはソロで活動してる変わり者の小僧のことだよ。お前さんらより半年ほど先輩で、最初の頃はパーティーを組んでた時期もあったんじゃねぇかなぁ」
「優秀なんだろうね? 使えない奴はいらないよ」
当然の問いを口にするマードレッドにモルドはケラケラ笑って返した。
「さて、俺も実際仕事をしてるところを見たわけじゃねぇから優秀かどうかまでは知らねぇな。自称魔術師兼斥候ってことだが、ソロで半年近く生き延びてるってことは、まぁ斥候としてはそれなりに使えるんじゃねぇの?」
その説明にロンドとマードレッドは目を丸くする。
「魔術師で斥候? そんな人間がソロで活動というのは何か事情があるのか……それとも何か問題があるのだろうか?」
魔術師兼斥候ということは冒険者に求められる二大要素を併せ持っており、普通に考えて引く手あまただ。何か事情があって敢えてパーティーを組んでいないのか、そうでなければ余程問題のある人物ということになるが……
「問題ねぇ……」
「問題は……まぁ」
しかしロンドの疑念にモルドとアイサは顔を見合わせ曖昧な態度をとる。
「──あ、別に能力や人格に問題があるとかじゃないんですよ!?」
ロンドとマードレッドの視線に警戒の色が濃くなったのを感じとり、慌てて否定する。
「イクスさんは真面目な方ですし、ソロでも堅実に仕事をこなしておられます。ただどうしてもソロでは受けられる仕事が制限されるので、ギルドとしてもパーティーを組むことを勧めていたのですが、その……」
アイサの表情は問題のある何かを誤魔化そうとしているというより、純粋にどう説明したものか頭を悩ませているように見えた。
そんな彼女に助け舟を出すようにモルドが軽い口調で提案する。
「──ま、『穴掘り』がどんな奴かなんてのは見てみりゃわかるさ。ちょうどあいつがギルドに顔出す時間だろ? どうせあんたらはこのままじゃ仕事を受けられねぇんだ。取り敢えずお試しで組んでみりゃいいじゃねぇか」
『…………』
結局、ロンドとマードレッドはその提案を受け入れ、半刻ほど後に現れた『穴掘り』と対面する。
「初めまして。ご紹介に預かりました、イクスと申しますです」
──なるほど。『穴掘り』だ。
紹介されたのはまだ十代前半だろう小柄なヒューマンの少年。
彼は杖でも剣でも弓でもなく、その背にショベルを背負っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ロンドとマードレッドがイクスとお試しパーティーを組み、ギルドから受けた最初の仕事は牧場周辺の危険調査だった。
その牧場ではこの二か月ほどの間に十頭近くの家畜が原因不明のまま姿を消しているそうだ。一、二頭なら頭のいい獣に襲われることもあるだろうが、今回は些か数が多い上に食い残しも見つかっていない。また逃げ出せるような柵の破損なども見当たらない。不安に思った牧場主は冒険者ギルドに依頼を出し、家畜失踪の原因調査とその排除を要請した。
今回ロンドたちに与えられた仕事はその調査までで、排除は可能であれば。アイサからは無理をせず撤退判断はイクスに従うようにと言い含められている。
件の牧場は街から歩いて二時間ほどの距離。現地到着後すぐに依頼人への面通し、事情聴取はロンドが前面に出て行った。当初ロンドたちは先輩のイクスがそれを行うものと思っていたが「見るからに子供の僕よりロンド様が話をされた方が依頼主も安心されます」と本人がいうので、それももっともだと納得し引き受けた形だ。
それにイクスも先輩としての役割を放棄したわけではない。定型文のやり取りは事前にロンドに説明していたし、聴取内容に不備があれば小声でそれとなくフォローしてくれた。元々それほど難しい内容でなかったこともあり、依頼人との対面はつつがなく終了する。
その頃になるとロンドとマードレッドはイクスに対し「頼りになるかは別として弁えてはいるようだし邪魔にはならない。いざとなれば自分たちが守ってやればいい」と考えるようになっていた。
「それ。よく見たら随分変わった形のスコップ──いや、ショベルだね」
調査のため牧場脇で近くの森に入る準備をしていたイクスに、先に準備を済ませたマードレッドが暇を持て余して話しかける。
話しかけられたイクスは作業の手を止めることなく明るい声音でそれに応じた。
「はいなのです。知り合いのドワーフの鍛冶師さんに作ってもらった特注品なのですよ」
子どもっぽい喋り方に、違和感はない。
自己紹介によるとイクスの年齢は十三歳ということだったが、彼は同年代の平均と比べてもかなり小柄で華奢な体躯をしており、ドワーフであるマードレッドと比べても目線の高さはほとんど変わりがなかった。
見た目はくすんだ茶色の髪と目を持つどこにでもいそうな子供で、着ている物もちょっと革で補強されただけの動きやすそうな作業服。この体格なので下手に鎧を着るより合理的だろうが、一見した限りではほとんど一般人と区別がつかない。
その上、持っているのは杖でも剣でもなくショベルときた。
先ほど一般人と区別がつかないと言ったが、むしろこの姿を見て誰が彼を冒険者だと思う者がどれほどいるだろうか。依頼人の牧場主も、話をしている間中イクスに対し「この子供は一体何なんだ?」と物問いだけな視線を向けていた。
初対面から問うタイミングを逸していたイクスのショベルに対し、その独特の形状に気が付いたマードレッドがイクスに断りを入れ、手に取って観察する。
「ヘッド部分が小さくて厚め……重心も手元に寄せてあるんだね」
「よくお分かりなのです、マードレッド様」
「……様は止めとくれ。マーズでいいよ」
「ではマーズさん、と」
そんな二人のやり取りに興味を引かれたのか、ロンドがイクスのショベルを覗き込み、首を傾げる。
「ん~? 確かに少し変わってるけど、一体何の意味があるんだい? 正直、穴を掘るなら普通の形状の方が使い易いと思うけど」
「工具としてはその通りなのですが、武器としても使うにはこちらの方が扱いやすいのです」
「あぁ……軍でも工作兵が咄嗟の状況でショベルを振るって戦うことがあるけど、これはそれをより重視してるわけか」
ショベルが工具であると同時に、近接武器としても十分実用に耐える代物であることは広く知られている。
斬撃、刺突、殴打をこれ一本で対応し、剣としての軽量さと扱いやすさを保持したまま、斧や鉈のように木を切り藪を払い、金槌のように杭を打ち付け、穴掘り簡易築城までこなせる万能ツール。使いこなせばこれほど便利なものもない。
「でも、いくら使いやすいといってもこれで戦うのは少し頼りなくないか?」
ロンドが疑問を呈した通り、ショベルは所詮『武器としても使える』というだけで、専用の武器と比べれば確実に劣るし使い勝手は良くない。あくまで素手よりはマシといったレベルだ。ロンドからすると多少かさ張っても剣などの普通の武器を持った方がいいのではと思ってしまう。
「そもそも僕は積極的に武器を振るって戦うべきではないのです。ロンド様の剣と同じで、基本的にはいざという時の保険なのですよ」
イクスは苦笑してロンドの腰に差した剣を指さした。
ロンドのメインウェポンは槍だが、サブウェポンとして剣も持ってはいる。これは屋内や閉所など、長柄武器を使いづらい状況に対応するためだ。
大前提として剣は槍より弱い。実戦においてリーチの差は如何ともしがたく、同レベルの力量の戦士が剣と槍をもって戦えばまず間違いなく槍が勝つ。
剣の長所は戦闘力ではなくその取り回しの良さにある。その意味で言えば、イクスがもつショベルソードは理に適っており、まさしくどんな状況でも使える最強のサブウェポンと言えた。
「そうか、イクスは魔術師だったね」
「はいなのです!」
一般的な魔術師が呪文を使う際に持っている杖や指輪のようなものを持っていないので忘れていたが、イクスは魔術師兼斥候という触れ込みだ。であれば、彼にとって近接武器とは本当に緊急時の使用に耐えうる最低限の機能を備えていれば良いということだろう。
そんなやり取りをしている間に荷物をまとめ終えたイクスがリュックを背負い、口を開く。
「お待たせしました。それでは自分が先行して索敵するので、後をついてきて欲しいのです」
「ああ、頼むよ」
ロンドはそう言いながらマードレッドに目配せし、彼女も分かっていると言いたげに頷きを返す。
一先ず斥候役をイクスに任せるとは言え、決して油断はしない。この辺りであればさほど強力な獣や魔物も出ないだろう。不意を打たれてもすぐにイクスのフォローに入れる距離を維持してついていくつもりだった。
──まぁ、あくまで念のためだ。
天を見上げれば透き通るような青空。カラスがやけに低い場所を飛んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「────」
『…………!』
イクスが当てにならない前提で、気を張って森の中の探索に臨んだロンドとマードレッドだったが、嬉しい誤算というべきかイクスは斥候としてはそれなりに優秀だったようだ。足取りを見る限りあまり特別経験豊富には見えなかったが、少なくともロンドより遥かに速くこちらに接近する存在に気づいたのだから索敵能力という一点においては認める他ない。
数メートル離れて先行していたイクスが突然歩みを止め、予め取り決めていたハンドサインで何かを発見したことを伝えてくる。そして身振りで足音を抑え、ついてこいと少し離れた場所にある樫の木を指さした。
『…………』
ロンドとマードレッドは顔を見合わせ頷き合い、それぞれ武器に手をかけて指示されたポイントに向かう。合流すると、イクスは無言で木の影から少し離れた獣道を視線で二人に示す。
『────』
木々に視界を遮られ辛うじてその姿が確認できる二〇メートルほど先に、緑色の皮膚を持つ小人──ゴブリンがいた。
数は三──いや、四匹。影になっていてハッキリとは確認できないが、何か武器のようなものをもって武装しているように見えた。こちらに気づいた様子はなく、獣道を無警戒に移動している。あと三十秒ほどで最もこの場所に接近し、そして隠れていれば通り過ぎていくだろう。
「ここで仕留めることを提案するのです」
ロンドがどうするか確認するより早くイクスが小声で提案する。その意外に好戦的な態度に驚くが、提案自体はロンドの意に適うものであった。
それにマードレッドが念のため、といった様子で口を挟む。
「……いいのかい? 巣穴があるかもしれないし、泳がせて後をつけるって選択肢もあると思うけど」
「ゴブリンが真っ直ぐ巣穴に向かうとは限らないですし、流石にそんな長時間追跡すれば気づかれるリスクの方が高いのですよ」
イクスの言葉にマードレッドは納得した様子で頷き、ロンドに視線をやる。それを受けてロンドも二人に了承の頷きを返すと、イクスが続けて提案した。
「近づいてきたところに僕が一発叩きこむのです。お二人はそこに切り込んで欲しいのですよ」
「了解した」
「あいよ」
ゴブリン四体程度ならロンド一人で斬り込んでも何とかなるだろう。だが逃がすことなく確実に仕留めるなら段取りは必要だし、イクスの腕前も見ておきたい。一発叩きこむと言うからには恐らく攻撃呪文なのだろうが……
──【火球】か? いや、森の中で火はマズい。閃光系か轟音系の呪文……攻撃呪文じゃなくて【誘眠】って可能性もあるな。
実戦における魔術師の実力はどんな呪文を使えるかではなく、いかに状況に合わせ適切に呪文を選択し使いこなせるかにあると、昔騎士団に所属していた魔術師から聞いたことがある。果たしてイクスはどんな呪文を選択するのか──
──ザシュッ!
しかし、イクスの行動はロンドの想像の斜め上を行った。
「行くのです。必殺──【石弾】!!」
その宣言と共にゴブリンの集団に襲い掛かったのは無数の石礫。
『ゲヒッ!?』
『グギャァ!!』
勢いよく飛来したソレは、致命の威力こそなかったものの衝撃と痛みでゴブリンたちの足を止め、混乱でその思考と行動力を大幅に削いだ。
その結果だけ見ればまさしく非の打ちどころがない完璧な不意打ちと言えるだろう──
「──って、ショベルで掬った砂利を投げつけただけ!?」
それが呪文でも何でもない物理的な投擲だという点に目を瞑れば。
いや、別に不意打ちを呪文でしなければならないという道理はないので、結果が出ているのなら何も問題はないのだが──
「そんなこと言ってないで速く行くのです!!」
「坊ちゃん!!」
「~~~~っ!!」
ロンドは色々と言いたいことがあったが、二人に促され一先ずそれを呑み込み、ゴブリンの集団に切り込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「【石弾】は立派な攻撃呪文なのですよ」
奇襲を受け混乱していた四体のゴブリンを瞬く間に切り伏せたロンドとマードレッド。
周辺に他にゴブリンがいないことを確認し、一息ついたところで先ほどの【石弾】にツッコミを入れたロンドにイクスは「えへん」と胸を張って断言した。
「……いや攻撃呪文って、さっきも言ったけどあれ単にショベルで砂利を掬って投げつけただけじゃ──」
「何か問題あるのですか?」
問題。いや、問題があるかないかで言えばないのだが、この場合の問題は問題があるかないかではなくあのショベルによる投石を攻撃呪文と呼ぶかどうか。
「……問題はないけど、あれを攻撃呪文と呼ぶのは違くないかい? 普通攻撃呪文って言ったら【火球】とかを言うと思うんだけど」
「属性の違いなのです」
「思い切り道具使って投げてたよね?」
「射程を伸ばすために杖を使うことはままあるのです。それ以外にも呪文行使に触媒や特殊なアイテムを使うことは珍しくないのですよ?」
「魔力じゃなくて腕力」
「結果が同じなら過程は問題じゃないのです」
「この場合、呪文という言葉が示すのは結果じゃなくて過程だと思うんだ」
「ならイクスの呪文はより優れていることになるのです。魔力を使った呪文は駆け出しなら日に三~四発も撃てば弾切れですが、イクスの【石弾】は体力の続く限り何度でも使用可能なのですよ」
「…………」
まるで一般的な呪文の上位互換であるかのような物言いにロンドは言葉を失う。
確かにイクスのショベルを使った投石は威力も射程も攻撃範囲も中々のものだった。そもそも魔術師も駆け出しレベルならそう大した呪文は使えないし、攻撃呪文を使うより普通に弓でも撃った方が威力も射程も優れているケースというのは珍しくない。
その意味でイクスのやり方は合理的で優れていると言えなくもなかったが、だからと言ってイクスの言い分を認めるのはどう考えても違う……筈、だと思う。
ロンドはしばしの沈黙の後、絞り出すようにイクスの攻撃呪文にケチをつけた。
「……屋外じゃないと使えないよね、それ」
「ふっふっふ。ご安心めされるな、です」
しかしイクスは待ってましたと言わんばかり、腰に下げたポーチから子供の拳大の鉄の弾を取り出しショベルの先端部分に載せると──
──ヒュドンッ!!
器用に遠心力を使って飛ばされた鉄の弾が五メートルほど離れた木の幹にめり込んだ。
「お~、中々の威力だねぇ」
「これが上位呪文の【鉄弾】なのです。硬い床や地面にショベルが無力と油断している敵にはコイツをお見舞いしてやるのですよ」
「…………」
石の上位呪文が鉄。いやまぁ、別にイメージ的には間違っていないが、やはり根本的なところが間違っていた。
「いや、そうじゃなくてだな。呪文っていうのは魔術師が呪文と魔力を使って起こすものだから呪文なのであって、ただの投石を呪文と呼ぶのはやはりおかしいと思うんだ。君の理屈で言えば僕が石を投げてもそれは【石弾】ってことになってしまうだろう?」
「ロンド様は魔術師なのですか?」
「いや違うけど」
「ならロンド様が石を投げても呪文じゃないのです」
「……僕の言い方が悪かった。誰が実行しようと投石は投石だろう? 行為の主体が変わったからと言って行為の意味や名前が変わったりはしない筈だ」
「? 例えば神様について同じようなことを語っていても、資格を持った司祭様が言っているかどうかで説法か詐欺かが変わってくるのです。それと同じで魔術師である僕が呪文だと言えば、それは呪文なのです」
「う~ん……?」
それを言い出したらイクスが魔術師だという大前提がそもそも疑わしい訳だが、彼の幼い見た目もあってそれを指摘するのは躊躇われる。何が駄目というわけではないが、おままごとをしている子供に現実を突きつけるようで大人げない気がした。
「……おい、マーズ。君も何か言ってやれ」
「何をだい?」
「何をって……あれを呪文と認めていいのか?」
「いいんじゃないかい」
ロンドの期待に反して、ドワーフの従者はあっさりと言い切る。
「怪しげで得体の知れない呪文より、よっぽど分かり易くていいじゃないか。あたしゃむしろ塔の耳長どもが使う呪文の方が得体が知れなくて嫌いだね」
「……君も神聖呪文を使うだろ」
「ロンド坊ちゃん。神の奇跡と呪いを一緒にするんじゃないよ」
「…………」
僧侶としてそこは譲れない部分だったのか、マードレッドに凄まれロンドは閉口する。
「まぁまぁ、マーズさん。ロンド様も悪気があって言った訳ではないでしょうから」
「そうは言うがねぇ……」
──おかしい。どう考えてもおかしいのはイクスの方なのに、どうして僕がフォローされているんだ?
納得はいかない。だが反論しても泥沼だと理解したロンドはそれ以上何も言わず口を噤んだ。
「それよりも問題はこれからどうするか、なのです」
「これから……?」
イクスは場を仕切り直すよう、地面に転がる四体のゴブリンの死体を見下ろしながら切り出した。
「人の住む牧場からあまり離れていない森にゴブリンの小集団。家畜失踪の原因は十中八九コレと考えて間違いないのです」
確かにその通りだ。だがロンドは念のため疑問を口にする。
「僕もその可能性が高いとは思うが、断定するのは少し早計じゃないか? はぐれのゴブリンと偶々出くわしたって可能性もあるだろう」
「その可能性がないとは言いませんが、極めて低いと思うのです」
「その根拠は?」
ロンドの問いに、イクスは二本指を立てて答えた。
「まずゴブリンは基本的に群れで行動する生き物なのです。稀に群れから弾かれて放浪している個体はいるのですが、そういうのは大抵一、二体なのです」
「ふむ。四体もまとまって群れから弾かれるのは少し考えにくい、か。だがそれだけでは少し根拠としては弱いな」
「はい。なのでもう一つ。このゴブリンたちは全て若い雄ですが、見る限り肌ツヤは悪くなくて、しっかり食事や睡眠をとれているのです」
言われてロンドは改めて自分が倒したゴブリンの死体に視線を落とす、が──
「……いや、そう言われてもゴブリンの肌ツヤとかよく分からないんだが」
ゴブリンの薄汚れた緑肌のどこにツヤを見出せと言うのか。これまでゴブリンを間近で観察したことのないロンドには、普段料理をしないお父さんが脂の乗った魚や新鮮な野菜を見分けるとの同じ程度に区別がつかない。
だが穴倉暮らしでゴブリンと対立することの多いドワーフのマードレッドには、イクスの言わんとすることが理解できたようだ。
「……確かに。はぐれのゴブリンなら普通もっと痩せ細ってるもんだ。多分、近くに群れの巣穴があって、コイツ等は獲物を探しにきた部隊ってとこかね」
「でもそれだけなら行方不明の家畜を食べて、って可能性はないか?」
「たった四、五匹で牛を運べると思うかい? その場で食い荒らすならともかく、運ぶならこの倍は必要だよ」
「僕もそう思うのです」
イクスとマードレッドが同じ結論に達したことで、ロンドは自分を納得させ大きく頷く。
「分かった。この近くにそれなりの規模のゴブリンの巣がある。距離や状況に視て家畜の失踪と無関係とは考えにくいし、万一現時点で無関係だったとしても早晩牧場にとって脅威となることは間違いない。このゴブリンの群れが原因だという前提で動こうってことだな?」
「はいなのです」
その上で、先ほどイクスは「これからどうするか」と言った。
「ゴブリンの巣穴を探し出して、可能なら殲滅する。それ以外に何かあるかい?」
「この時点で撤退するという選択肢もあると思うのです」
大真面目に告げるイクスに、ロンドとマードレッドは思わず顔を見合わせた。
そして代表してロンドが意見を口にする。
「それはいくら何でも消極的過ぎやしないか? 巣穴の場所や群れの規模も確認しないまま撤退って、子供の遣いじゃないんだから」
ロンドは決してゴブリンを舐めてこんなコトを言っているわけではない。
ゴブリンはヒューマンの子供程度の体格しかなく、一般人でも一対一ならまず負けることのない弱い魔物だ。だが、そんな弱い魔物であっても多数相手の対処は一般人が想像する以上に難しく、一流の戦士であっても不覚をとることは珍しくない。
そのため敵の数が多いようであれば撤退することも想定はしていたが、だからと言ってろくに調べもせず撤退というのはいかがなものか。
「あたしも無理に戦いたいとは言わないけど、このまま何もせず撤退ってのはどうかと思うね。それこそ冒険者の名に瑕が付くってなもんじゃないかい?」
「ああ。せめて巣穴の場所や群れの規模くらいは確認しないと、仕事を果たしたとは言えないだろう」
二人の反論にイクスは予想していた様子で頷き、淡々と自分の懸念を口にする。
「仰りたいことは理解できるのです。ただ今回の場合、ギルドが想定していた脅威は精々大型の獣が一、二匹牧場の近くに棲みついた、程度のものだったと思うのです。原因がゴブリンの群れだと分かっていれば僕らを三人だけで送り込まなかった筈ですし、一旦ギルドに報告して追加人員を求めてから調査・殲滅に取り組んでも評価は下がらないと思うのですよ」
『…………』
確かにイクスの意見にも一理ある。ゴブリンの群れともなればその規模は二十を下回ることはないだろうし、自分たち三人で殲滅できるかというと少し怪しい。いや出来なくはない思うが、数が多いとどうしても事故のリスクがあるので、無理せず退く判断をするというのはアリだ。
それに調査だけと言ったところでリスクがないわけではない。イクスが言っているのは、どうせ自分たちだけで最後まで片付かない可能性が高いのなら、無理せず先にギルドに報告して応援を呼んだ方がよいのではないか、ということだ。
「…………僕は反対だ」
ロンドはしばし頭の中でイクスの意見を吟味した後、言葉を選びながら改めて自分の意見を述べた。
「確かに君の言うように撤退してもギルドの評価が下がることはないかもしれないが、同業者からの評判はどうだろう? 臆病者と舐められる可能性は高いんじゃないか?」
「ふむん。撤退はあくまで僕の判断だと説明するつもりなのですよ?」
「だとしても、だ。それに応援を呼ぶにしても正確な群れの規模が分かっているのといないのとでは、ギルド側の判断も違ってくるんじゃないか? 最悪、応援を呼んだはいいが想定より群れが大きくて二度手間どころか三度手間になる可能性もある」
「確かに。今は人手が出払ってる様子だったし、余計そうなる可能性は高いかもねぇ」
マードレッドもロンドの意見を支持する。
「勿論、君に僕の意見を強制するつもりはない。君はギルドに戻って状況を報告してくれれば──」
「分かりました。僕も巣穴の調査に同行するのです」
しかしイクスはあっさり意見を翻し、ロンドと共に調査続行を宣言した。
そのあまりの変わり身の早さにロンドは目を瞬かせる。
「いいのかい? いや、斥候役がいてくれた方が助かることは間違いないんだが……」
「いいも何も僕は撤退案を提案しただけで、どうしても撤退するなんて言った覚えはないのですよ。ロンド様が同業者の評判を気にするのはよく分かりますし、僕もお二人を残して撤退なんてしたらギルドから評価を下げられる可能性があるのです」
ニコニコしながら答えるイクスだが、言葉の端々に棘が混じっている気がするのは気のせいか。
ロンドは今更ながら、ギルドから撤退判断はイクスに従うよう言い含められていたことを思いだし、少し気まずそうに頭をかいた。
「あ~……済まない」
「いえいえ。お気になさらず、なのですよ」
イクスはそう言って空を見上げると、上空を旋回するカラスの姿に溜め息を吐き、ボソリと付け加えた。
「…………いざ現場を見てからじゃ退くに退けなくなるかもしれませんけど」
『…………?』
ロンドたちがその言葉の意味を理解するまで、さほどの時間は必要としなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
イクスはほんの半刻ほどで森の奥に作られたゴブリンの巣を探り当てた。
恐らくは足跡か痕跡を辿ったのだろうが、多少斥候経験のあるロンドにも何をどうやったのか理解できないほどあっさりと、ほぼ最短距離で彼らは現場に辿り着く。
「……多いな」
少し離れた茂みに身を隠しその巣を観察し、ロンドは思わず呻き声を漏らした。
ゴブリンたちの巣があったのはちょっとした高台のようになった岩壁にポッカリと空いた横穴。穴の奥行きは分からないが、あまり広くはないのかもしれない。ゴブリンたちの大部分は巣穴周辺の草木を刈り取り、その草木で自然のテントを張って生活していた。
巣というよりはキャンプ地であり、ちょっとした集落。ざっと見える限りで四〇近いゴブリンが生活を営んでいた。
「坊ちゃん……」
「ああ、分かってる」
マードレッドが横から焦りの滲む声音で囁くが、彼女の何を言わんとしているか、聞くまでもなくロンドも気づいていた。
巣穴のすぐ近くに一人の男が縛られ転がされている。身なりからすると恐らく狩人か冒険者。運悪くゴブリンたちと遭遇し捕まってしまったのだろう。既に散々ゴブリンたちに嬲られた後で、見るも無惨な有り様だ。
「あの男、長くは持たないよ。早く治療しないと……」
「……分かってる」
マードレッドの口から思わず漏れた言葉に、ロンドが押し殺した声音で繰り返す。
その主の様子にマードレッドは彼の安全を第一に考えるべき従者としてあるまじき発言だったと俯き口を噤んだ。
ロンドも助けられるなら今すぐにでも突っ込んで助けたい。だがこの群れは些か数が多い。不意を打って混乱に乗じれば何とか、とは思うがあの男を人質に取られでもしたらどうなるか……
──あの巣穴の中にどれだけゴブリンが隠れてるかもわからない。それにマーズは気づいていないみたいだが、巣穴の中から微かに聞こえる女の呻き声……
一旦退いて体勢を立て直せば、恐らくあの男はその間に死ぬ。巣穴の中に囚われている誰かもどうなるか分からない。
逆に突入はリスクが高いが、何とかならなくもない微妙なライン。
ロンドたちに囚われている連中のために命を懸ける義理などなく、堅実に行くなら撤退一択だろうが、そうなればロンドたちは『ゴブリン相手に怖じ気て救助者を見捨てた』とのレッテルを貼られることになりかねない。もし捕らえられているのが冒険者であれば、余計に悪評を流される可能性が高いだろう。
加えて、貴族の子弟として幼い頃から『貴族たるもの民を守るべし』と言い聞かされてきたことが、ロンドに安易な合理性に縋ることを躊躇わせた。
「…………」
大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
それから横を見やると、マードレッドとイクスが自分を見つめていた。
「無理をするつもりはない。だが助けられるものなら助けたい。やり方を考えてみよう」
「そうだね」
「異論はないのです」
三人はその場から這いつくばった姿勢で後ずさりし、巣から少し離れた場所に車座になって相談を始める。
まず最初に口火を切ったのはロンドだ。
「ゴブリンとは言え、あの数を僕らだけで相手にするのは少し荷が重い。いや、倒すだけなら地形を上手く使って囲まれないよう立ち回ればなんとかなるとは思うけど、そうなるとあの男が人質にされる可能性がある」
「……ゴブリンどもは馬鹿だけど狡賢いからねぇ」
「ああ。だからまずは奇襲を仕掛けて一気にあの男のところまで駆け寄って、マーズの奇跡で治療したらどうかと思うんだが」
そうすれば人質に取られるリスクを無くせるだけでなく、戦力としても換算できるかもしれない。そう考えてのロンドの提案だったが、しかし肝心のマードレッドは渋い顔だった。
「……期待してもらってこんなことを言うのは気がひけるんだけど、あたしの奇跡じゃ失った体力までは取り戻せない。あの様子じゃ、結局足手纏いを抱えるだけになりそうな気がするねぇ」
「む……」
「仮に体力が残っていたとしても、この状況で彼を回復させるのは危険かと思うのです」
加えて根本的な部分でイクスの口から異論が飛ぶ。
「それはどうして?」
「長時間ゴブリンに嬲られていた人間がまともな精神状態とは思えないのです。最悪、回復させた直後に錯乱して襲い掛かってきても不思議じゃないと思うのですよ」
「……あり得ない話じゃないね」
僧職として思い当たるフシがあるのだろう、マードレッドもイクスの意見に同意する。
「それに人質と言うなら巣穴の中にもいると思うのです。彼一人を救出しても意味が無いとは言わないのですが、根本的な解決にはならないのですよ」
むしろ中の人間と知り合いだったりしたら余計厄介かもしれません──と、イクスはロンドが目を逸らしていた部分についても指摘する。
ロンドは天を仰いで溜め息を吐くと、ありきたりな結論を口にする。
「となると、彼──いや、彼らを救助しようと思えば、僕らだけでゴブリンどもを倒すしかないってことか」
「いや坊ちゃん。そりゃそうだけど、いくらなんでもそれは──」
「それしかないと思うのです」
無理がある──と言いかけたマードレッドの言葉を遮り、イクスはロンドに賛成した。
撤退派だと思っていたイクスの言葉にロンドたちは目を丸くし──いやこれは逆説的に、だから難しいと撤退を勧めようとしているのか?──その意図を測りかねて首を傾げた。
「それしかないって……イクス。あんたはどうすべきだと考えてるんだい?」
「そうですね。少なくとも僕は、何が何でも彼らを救出すべきとは考えていないのです」
マードレッドの問いかけに、イクスは少し言葉を選ぶようにして答えた。
「見たところ捕まっているのは素人というわけではなさそうですし、彼らがどうなっても基本的には自己責任。僕らが命懸けで救出する義理はないのです」
『…………』
それに関してはその通り。イクスの言っていることは正論だ。だが世の中正論だけでは回らない。
「勿論、情けは人の為ならずとも言いますし、救えるものなら救ってあげるべきなのです。今回のケースで言えば、彼の生命力にかけて撤退するもよし、殲滅可能か一当てして無理そうなら撤退するもよし──救うことに固執せず試してみる程度ならいいんじゃないかと思うのです」
一当てして無理そうなら撤退──まぁ確かに、このまま撤退すればどうせあの男は死ぬ可能性が高いのだ。仮に人質にとられても、無視して逃げればゴブリンたちも再襲撃があった場合の保険のために無闇に男を害したりはしないだろう。それだけ聞くとイクスの言葉は合理的に思えた。
「でもそれは一当てして僕らが逃げられることが前提だろう? ゴブリンどもは数が多いし、攻めるとなればそれなりに懐に飛び込んでいかざるを得ない。君の言うように上手くいくものかな?」
ロンドの懸念に、イクスはニッコリ可愛らしい笑みを浮かべ、自分の策を口にした。
『…………』
そしてそれは、ロンドとマードレッドが思わずドン引きしてしまうほどえげつないものだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………?」
それは一匹のゴブリンが風切り音に気付いたところから始まった。
ロンドたちは存在に気づいていなかったが、このゴブリンは群れの見張り役。巣穴のある岩壁の上に交代で陣取り、巣に近づくモノがいないかを高所から警戒していた。
ただ実際のところ、異常どころか変化や刺激さえそうあるものではない。見張り役のゴブリンはウトウトと眠気と戦いながら岩壁の上でぼんやり眼下に広がる森を見下ろしていた──彼が頭上から近づく風切り音に気付いたのはそんな折だ。
──ザシュッ!!
『カァァァッ!!』
「グギィッ!!?」
顔を上げるとほぼ同時、右目に突き刺さる衝撃と鳴き声──ゴブリンは一瞬遅れて悲鳴を上げ、顔に纏わりつくその影を振り払おうと腕を振り回す。
「ギィ! ギィギャッ!!?」
──ガッ、ガッ、ザッ!!
辛うじて無事だった左目で、襲い掛かってきたのがカラスであったことだけは分かった。だがゴブリンが必死に追い払おうとしても、カラスは頭上でステップを踏むようにその爪をゴブリンの身体を突き刺し、ひっかいて離れようとしない。
右目を潰された痛みと怒りでゴブリンは我を忘れ、無我夢中で頭上のカラスに手を伸ばし──
「────キャヒ?」
足元が疎かとなったゴブリンは、岩壁から足を踏み外して落下。ゴブリンの集落の一角に、赤く大きな花を咲かせた。
──グシャッ!!
『────!?』
突然仲間が落下してきて、巣穴の外にいたゴブリンたちの視線が一斉にそちらに集中する。
不注意による事故か、襲撃か──ゴブリンたちが衝撃から立ち直り落下の原因に意識が向くより早く、次手が彼らに襲い掛かった。
さて、巣穴の外だけでも四〇前後の個体が確認できたゴブリンの群れだが、当然その全てが戦える戦士というわけではない。人間の集落と同様、戦い獲物を狩ってくる雄がいれば、子供を産み育て生活基盤を整える雌も、幼い子供もいる。
ゴブリンは成長が速いため子供の数は五、六匹前後と多くはないが、雄と雌の数は概ね同数。つまり四〇の群れと言っても、全体の半数以上は戦闘力を持たない足手纏いだった。
そして意外に思われるかもしれないが、ゴブリンは雄が雌に尽くす奉仕種族である。
ゴブリンは異種族の雌を犯し、子を産ませる習性があるため雄優位の種族だと考える者も多いが、それは大きな間違いだ。異種姦は所詮ゴブリンたちの生存戦略においてはサブプラン。そもそも種の存続において最も重要な行為である繁殖を異種族の子宮に依存するなど生存戦略としては不安定極まりない。しかもゴブリンはひ弱な種族だ。異種族の雌一匹を捕まえるのに果たしてどれだけの犠牲が出るのか。それをメインプランとしていてはどう考えても採算がとれない。
ただゴブリンは繁殖にとても貪欲な種族であり、ヒューマンなど異種族の雌を捕まえることが出来た際には母体として余すことなく有効活用する。そのことから異種族を犯すことが“好き”なのだと誤解されがちだが、ゴブリンとて好きで異種姦などしているわけではない。彼らの美的感覚からすればヒューマンやエルフの雌などはとんでもない醜女。同族の雌に相手にされない雄が、やむを得ず、苦渋の選択で使っているだけなのだ。
話が脱線したが、つまりゴブリンの雄は同族の雌をとても大切にしている。それこそ雌と自分の命とを天秤にかけた時、躊躇いなく自分の命を捨てられる程度には。
──ブワァァッ!
『────!!!』
子育て、あるいは妊娠中の雌が集まる天然のテント目掛けて、何か土のようなものが曲線を描いて降り注いできた。
それはパラパラと空中で解けていて重量感はなく、また量も精々桶一杯分程度。浴びてもダメージを負うようなものには見えなかったが、それでも雌たちは咄嗟に子供たちに覆いかぶさり彼らを庇う──
「グギャァァッ!?」
「ギィ、ギギャ!!」
「ゲヒィ──ッ!!?」
だがその“土”に触れた瞬間、雌たちの身体は高温で赤く爛れた。
『マーズさん。先に二つ確認したいことがあるのですが、マーズさんは【金属加熱】の奇跡が使えるですか?』
『ん? そりゃ、ウチの神様の奇跡だから当然使えるけど……あれはかなり接近しないと駄目だから、戦闘で使うのは難しいと思うよ』
『そこは問題ないのです。ではもう一つ──その奇跡はコレにも使えるですか?』
『────』
『もし駄目なら他の方法で温めるのですが、火を起こすとなると気づかれる可能性が高いので、できれば奇跡で対応していただけると助かるのです』
『あ、あぁ……これぐらいなら、問題ない、けど……』
この時マーズが口ごもったのは、イクスがそれをどう使うか察するものがあったからだが──その彼女にしても、まさかここまで容赦のない使い方をするとは想像していなかったに違いない。
奇襲──イクスがショベルでゴブリンの雌たちに浴びせたその“土”は、マードレッドの奇跡で超高温に熱せられていた。しかもご丁寧にイクスはその土の中に鉄粉まで混ぜている。
熱々になった土を全身に浴びた雌たちは、致命傷でこそないものの激痛にその場でのたうち回った。しかも高温の土は粉塵となってその場に滞留する。雌だけでなく庇われた子供たちまで、その熱された粉塵に皮膚や喉、目を焼かれて悶え苦しんだ。
まさに阿鼻叫喚。ゴブリンの雌と子供は死んでこそいないものの、ある意味死ぬより過酷な責め苦を味合わされていた。
だがロンドとマードレッドがドン引きしたイクスの策はここからが本番だ。
奇襲を受けたゴブリンの雄たちの反応は大きく二つに分かれた。即ち警戒と雌子供の救出。割合としてはやや前者の方が多い。
「行くぞ、マーズ!」
「あいよ!」
そこに切り込むように姿を見せたのはロンドとマードレッド。敵襲を警戒していた雄たちの意識が一斉に二人に向く。
このまま二人が突っ込んで暴れ回るだけでも、混乱し意識が散漫になったゴブリン相手なら十分に優位を取れただろう。だがイクスはそこで更に追い打ちをかけた。
「もいっちょ、なのです!!!」
ロンドたちとは逆方向から現れたイクスが、今度はワザと大声を出して雄たちに気づかせるように、ショベルで砂利混じりの土をのたうち回る雌や子供目掛けて投擲した。
悲鳴を上げる雄たちの半分以上が雌たちを庇って覆いかぶさり、その“土”を代わりに浴びる。先ほどの攻撃で、その“土”が高温に熱せられていることは雄たちも理解していた。痛みさえ我慢すれば致命傷にはならないことも。彼らは粉塵を吸い込まないように息を止め、歯を食いしばってその痛みに耐える──
「グゲッ!?」
「ウギャァァッ!!」
「ガフッ!!?」
──だが、それこそがイクスの仕掛けた罠。
“土”の中に混ぜられていた無数の熱せられた鉄球が、無防備に受けた雄たちの全身を焼きながら抉る。
油断していたわけではないが、予想を超えた激痛に彼らはのたうち回ることしかできなかった。
「ふっふっふっ。僕の呪文とマーズさんの奇跡のコラボ──ヒートメタルブラ──もといデスメタルブラストなのです!!」
「やめろ馬鹿あたしの神を巻き込むな!?」
ここで簡単にイクスの策について解説しておこう。
イクスの狙いはゴブリンの雄たちに奇襲でダメージを与え、その戦闘力を奪うことにあった。
だが雄たちは集落内に分散しており、上手く奇襲が決まったとしてもダメージを与えられるのは精々三、四体。これでは数の上での不利を覆すにはまるで足りない。だからイクスはゴブリンの雌を餌として利用した。
見張り役を始末した方法は一旦置いておくとして、続く雌たちへの攻撃。これは雌たちを倒すことが目的ではなく、雌たちを囮に雄たちを一か所に誘き寄せ、同時にこちらの攻撃を『食らっても致命傷にはならない』と誤認させるためのものだったわけだ。
人型生物であるゴブリンは、ヒューマンと同様生き汚いが、繊細な身体構造をしている。骨が折れたり腱が切れたりまで行かなくとも、例えばちょっと肉離れを起こしただけでその活動能力が大幅に制限されるように、身体のあちこちに熱せられた鉄球を浴びた一〇体前後の雄のゴブリンは、もはやまともに戦える状態ではなかった。
「でやぁっ!! マーズ! こっちは僕一人で十分だ! 君は怪我人の救助を!!」
「あいよっ!!」
奇襲により数を大幅に減らし混乱するゴブリンたちに、ロンドとマードレッドが切り込み更に数を減らす。形勢悪しと見て逃げ出す個体も現れ、マードレッドは人質に取られないよう捕らわれていた男の安全確保に動いた。
数の上ではゴブリンたちの方が勝っているが、ロンドは次々とゴブリンたちを切り捨て、既に戦況はこちらが圧倒的優位。
まだ戦いは続いているが、ロンドもマードレッドも、そしてイクスでさえも『勝った』と確信していた──その時。
──グォォォォォォォォォォォォォッ!!!
『─────!?』
凄まじい雄たけびが、巣穴の中からロンドたちの全身を貫いた。
小柄なゴブリンではあり得ない音量と迫力。その正体を知っているゴブリンたちでさえ、その叫びに一瞬動きを止め硬直している。
そして、重い足音と共にノソリと巣穴の中から姿を現したのは──
「鬼……」
──ゴブリンでは似ても似つかない、赤黒い肌と角を持つ巨人だった。
さて。改めて語るまでもない当たり前の話だが、戦い──特に近接戦においては体格や筋力に勝る者が圧倒的に優位だ。
小柄な戦士が大男たちをバッタバッタとなぎ倒すなんてのはファンタジーの中だけの話。極端な話になるが、実戦では分厚い金属鎧を身に纏ったマッチョな素人の方が、一〇年以上訓練を積んだ小柄な素人よりも圧倒的に強い。
勿論、世の中にはファンタジーの住人としか思えない例外も存在しないわけではないが、それは本当に例外中の例外だ。
圧倒的なフィジカルの前では多少の技術など意味をなさないし、人間のフィジカルはどれほど鍛えようと限界がある。
つまり何が言いたいかというと、本当の怪物の前では人間の個の武力などほとんど意味をなさないということで──
「デヤァァァァァァッ!!!」
巣穴から現れたオーガの姿に誰もが──ゴブリンたちですら──恐怖で動きを止める中、硬直から最も早く回復したのはロンドだった。
あるいはそれは恐怖に突き動かされてのことだったのかもしれない。どちらにせよ、未だ無事なゴブリンの戦士がいる中で、同時にオーガの相手などしていられない。ロンドはゴブリンたちの合間を縫ってオーガに突進し、その脇腹目掛けて槍を突き出した。
オーガの身体は分厚い皮膚と筋肉に覆われており、並の斬撃や刺突はほとんどダメージが通らない。だが人型生物である以上、急所は人間と同じ。筋肉の薄い脇腹から心臓を貫けば、オーガと言えど致命傷は免れない。
敵が状況を把握し戦いに意識を切り替える前に、最速で急所を狙う。ロンドの行動は極めて理に適っていた、が──
「────なっ!?」
合理的であるということは、つまり敵にも読まれやすいということ。オーガは精確に急所目掛けて突き出された槍の穂先を『むんず』と素手で掴み取ると、コバエでも払うような仕草で鬱陶しげに槍ごとロンドの身体を投げ飛ばした。
「ぐあっ!!」
「坊ちゃん!!」
ロンドの身体が地面を転がり、マードレッドが悲鳴を上げる。彼女は今すぐ主人に駆け寄りたかったが、ロンドはオーガを挟んで反対側に投げ飛ばされ、また周囲のゴブリンたちが邪魔で近づけない。
幸いにもロンドのダメージはあまり大きくなかったらしく、衝撃で多少よろめきはしたが、すぐに立ち上がりオーガを睨みつける。
「くそ、が……っ」
だが彼我の実力差は明らか。戦っても勝ち目はない、とロンドは今の一瞬の攻防で理解させられていた。
──とは言えどうする? 撤退するしかないだろうが、当初の想定とは状況がまるで違う。ゴブリン相手ならまだしも、オーガ相手に逃げ切れるか……?
一当てして厳しいようなら撤退というのが当初のイクスとの取り決め。数が多くとも所詮ゴブリンだ。最悪、捕らわれている人間を見捨てれば撤退自体は難しくないと考えていた。
だが相手がオーガとなれば話は違ってくる。身体が大きいということは当然歩幅が大きく、移動速度も人間より圧倒的に速い。ゴブリンの妨害も含めて考えれば、全員で逃げ切れる可能性は極めて低いと言わざるを得なかった。
ロンドは救助を主張した者として、元騎士として、自分が囮になって仲間を逃がす覚悟はある。だがイクスはともかく従者であるマードレッドがそれを良しとし逃げてくれるとは思えない。最悪二人共倒れになる可能性が高かった。
「ゲヒ、ゲヒヒ……!」
そんなロンドの窮状を見て、先ほどまで追い詰められていたゴブリンたちが嗜虐的な笑みを浮かべた。
そしてロンドたちには言葉の意味こそ分からないが、オーガに対し「先生、やっちゃってください」とでも言うように騒ぎながら近づき──
──グシャッ!!!
無造作に振るわれたオーガの拳に、ゴブリンの矮躯が粉砕された。
『────』
ロンドたち、ゴブリンの双方が絶句する──が、オーガは鬱陶しそうに目を細めて溜め息を一つ。味方の筈のゴブリンを殺したことに何の感情も抱いていないように見えた。
同じ集落、巣穴に棲んでいるのだ。ロンドはこのオーガはゴブリンたちのボスか用心棒のようなものと予想していたが、どうやらオーガの認識はそうではなかったらしい。オーガにとってゴブリンたちは自分の世話をさせてやっている奴隷で、しかもオーガは主人としての責任感など露ほども持ち合わせていないようだ。敵であるロンドより、騒ぎ、自分の手を煩わせたゴブリンたちにこそ苛立っているように見えた。
「ギィ、ギギィ……」
「グヒ……」
怯え、オーガに赦しを乞うようその場に這いつくばるゴブリンたち──その姿が何故か無性にロンドを苛立たせた。
「坊ちゃん!? 何やってるんだい!」
槍を構え、オーガと交戦する姿勢をとったロンドにマードレッドの悲鳴が飛ぶ。
ロンド自身、勝てるなどとは露ほども思っていない。だが、このオーガに一発かましてやらなければどうにも気が済みそうになかった。
「マーズ! お前はその人を連れて先に逃げろ! 僕も後から追う!」
「そんなこと──」
「行けっ!!」
逃げられるわけがない。自分も、ロンドも。そんなマードレッドの言葉を遮って、ロンドは主人として従者に命じた。
「~~~~っ!!」
奥歯を噛みしめ、理性で自分を納得させる。このままでは自分もロンドも共倒れだ。ごねてこの場に留まっていても、ロンドは決して逃げてはくれないだろう。自分にできることはこの捕らわれていた男を治療し、避難させ、ロンドが逃げやすくすること。あるいは取って返してロンドの助けに入ること、それぐらいだ。
マードレッドが【治癒】の奇跡の詠唱を始めたのを見て、ロンドはせめて二人が逃げる時間ぐらいは稼がないとな、と緊張に乾いた唇を舐めた。
──ん? 二人? そう言えばいつの間にかイクスの姿が見えないけど……先に逃げたのか?
そうであればいい、と責めるつもりもなく直ぐに思考を切り替え、ロンドは目の前のオーガに意識を集中させた。
パワーとタフネスではオーガが遥かに上。スピードも敵わない。またロンドが修めた槍術は基本的に対人を念頭に置いたものだ。この状況で友好な技はなく、技術もオーガが上と考えるべきだろう。逆にロンドが唯一勝っている点はリーチ。オーガは左手に太い棍棒を持っているが取り回し重視なのか長さはない。打ち合わないよう注意しオーガの間合いの外からヒット・アンド・アウェイを繰り返し、隙を伺う。とても現実的ではないが、それぐらいしかロンドにはやり方が思いつかなかった。
まずはマードレッドに意識が向かわないよう牽制から──だがオーガはそんなロンドを待ってくれるほど付き合いの良い性格はしていなかったようだ。
──ドン!
地面が破裂したような音と共に、オーガの巨体が一瞬でロンドの前に移動する。
「は────!?」
次の瞬間、ロンドがオーガによるこん棒の振り下ろしを回避できたのはハッキリ言ってただのまぐれだ。
驚いて反射的に飛び退いたタイミングに、偶々オーガの攻撃が重なっただけ。それでも好機には違いないと槍を突き出すが、それは先ほどと同様あっさり右手で掴み取られてしまった。
「ぐ……っ!」
先ほどと違うのは、オーガが幾分ロンドに興味を持ったのか槍を掴んだまま動きを止め、ロンドを観察していることだ。
ロンドは必死にオーガを振り払おうと力を込めるが掴まれた槍はこゆるぎもしない。このままでは槍ごと引きずられるか、投げ飛ばされるか。だが槍を手放してはもう時間稼ぎすらできない。
ジリ貧の状況でロンドは『どうする!?』と必死に思考を巡らせるが、案など出る筈もない。
だがその時、ロンドの視界にあり得ないモノが映り込み、彼は一瞬状況を忘れて絶句した。
「…………は?」
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
それはオーガの背後からショベルを振りかぶり駆け寄ってくるイクスの姿。
状況だけ切り取ればロンドの窮地に勇気を振り絞って助けに来たように思えるが──それは誰が見ても無意味な愚行でしかなかった。
「…………フ」
チラと背後を振り返ったオーガが失笑をもらしたことが気配で伝わってくる。
駆け寄ってくるイクスに対し迎撃どころか回避する気配すら見せない──その必要もない、ということだ。
「────っ!??」
ロンドは「止めろ」「逃げろ」と制止しようとしたが、戦いの緊張で喉がカラカラに乾燥していて咄嗟に声が出なかった。
イクスがオーガの間合いまで後、一歩のところまで近づく。
このまま行けば彼は、ほんの数秒の内にはオーガの攻撃で地面に落ちたトマトのように赤い花を咲かせることになるだろう。
その残酷な光景を幻視し、ロンドとマードレッドは顔を強張らせた。
「【隧道】!!」
──ズボッ!!
しかしイクスが叫んだ瞬間、目の前から突然オーガの姿が消える。
『…………は?』
いや消えたように見えただけで、オーガの姿はすぐに見つかった──ロンドの足元、すっぽり頭まで落とし穴に落ち、地面に埋まった状態で。
『…………は?』
再び、ロンドとマードレッドは異口同音に同じ音を繰り返す。
オーガは穴に落ちた瞬間、土壁が崩れてほとんど身動きが取れなくなっていた。辛うじて顔だけは出して呼吸だけは確保しているが、とても自力で抜け出せそうにない。
『…………は?』
三度、ロンドとマードレッドは異口同音に同じ音──
──ゴォォンン!!
「早く! とっととコイツを仕留めるのです!!」
ショベルでオーガの頭を容赦なく殴打しながらイクスが叫ぶ。
状況から見てこの穴はイクスが掘ったものだ。勿論、ショベルで穴を掘ったわけではなく、一瞬で穴が出来たことから恐らく呪文。そう言えばイクスは魔術師を自称していたがアレは本当だったのかいや待てそんなことより何より──
『いや、ショベル持ってても穴掘るのは呪文なんだ!?』
そんな状況ではないと分かっていたが、ロンドとマードレッドはそうツッコまざるを得なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後の顛末について簡単に語ろう。
いくらオーガと言えど、落とし穴に落とされ身動き取れない状態ではどうしようもない。イクスとロンドによって文字通りタコ殴りにされ、アッサリと仕留められた。
頭──あるいは主人──を失ったゴブリンたちは戦意喪失。数匹は逃亡を許したが、大半はロンドとマードレッドによって狩り尽くされた。
その後、捕まった男性をマードレッドの奇跡で治療した後、巣穴の中を探ると行方不明になった牛のものと思われる大量の牛の骨──と、ヒューマンの若い女性が二人。彼女たちは生きてはいたが廃人同然の有り様で、応援を呼んで近くの教会に運びこむことしかできなかった。自分たちには責任のないこととは言え、何とも苦いモノの残る結末である。
だがそれはそれとして──
「いや、ホントに魔術師なら最初からちゃんとそう教えておいてくれよ!?」
「ホントにも何も僕は最初からちゃんとそう言ってたのです」
「そうだけど! だけれども! あんなふざけたショベル投石を攻撃呪文だなんて言ってる奴をどこの誰が本物の魔術師だなんて思うんだよ!?」
「呪文の使用回数は限られてるので投石は魔術師にとって割とポピュラーな攻撃手段なのですよ?」
「だとしてもわざわざ投石に【石弾】なんて名前を付ける必要は無いだろ!?」
「つけちゃいけない道理もないのです」
「ある! 紛らわしいから駄目!」
「我儘な。そこはむしろ僕の言葉を信じてなかったロンド様に責任があると思うのです」
「ない! あの状況で君を魔術師だなんて信じる奴はいない! 信じろって言うならせめてどんな呪文が使えるかぐらいは教えておいてくれよ!?」
「パーティーを組むとは言えまだお試しで、しかも初対面の相手に手の内をベラベラ喋れと?」
「だとしても程度問題があるだろ!? あれじゃむしろ魔術師じゃないアピールをしてるようなもんじゃないか! せめて【光】とか基礎的な呪文を使って見せてくれれば大分印象も違ったのに!」
「呪文ならずっと使って見せてたじゃないですか」
「投石なんちゃって呪文なら──」
「ではなくて──」
イクスが右手を上げると上空から一羽のカラスが降下し、その手に止まる。
「──これは僕の【使い魔】なのです。索敵も巣の場所の捜索もゴブリンの見張りを始末したのも、全部【使い魔】を使ってやってたのですよ?」
告げられた言葉にロンドは一瞬絶句。そして──
「分かんねぇっての!!!」
その大音量のツッコミに、イクスだけでなく近くてやり取りを見守っていたマードレッドも顔を顰め耳を押さえた。
「いいか、イクス! この際だから言っておくが、君は何て言うかもう少し魔術師なら魔術師らしくしてくれ! ショベルとか投石とかもいいけど、ちゃんと呪文を──」
「いやでも効率的なのですよ?」
「ノォゥッ!! 効率的でも紛らわしいのは不合理だ! 大方これまで君がまともにパーティーを組めなかったのもそういうところが原因なんじゃないのか!?」
「いえ、これまでの皆さんは僕とはスタイルが合わないとのことで──」
「それは遠回しに自称魔術師の変な奴だと思われたんだよ! 虚言癖のあるヤベー奴だと思われてたの!」
「え~? それは言い過ぎ──」
「じゃない! いいかい!? こうなったからには今後君は僕らが徹底的に──」
「はいはい」
「ちゃんと聞け! いいか──」
いつの間にやらロンドの中では今後もイクスとパーティーを組むことが既定事実となっているようだが、特にイクスがそれに反論する様子はない。いや、それどころか──
──やれやれ。屋敷を出てそうそう、どうにも変わり種を捕まえちまったみたいだね。
傍らで二人のやりとりを見ていたマードレッドは、無言で肩を竦めてかぶりを振った。
彼女もイクスと組むこと自体に異論はない。変わり者ではあるが、機転が利いて有能であることは間違いないのだから。
一方で、ロンドは気づいていないようだがイクスの振る舞いには少し思うところがあった。
例えばロンドは、イクスが効率的に振る舞うあまり魔術師らしく見えず、結果的にソロでの活動を余儀なくされていたと考えているようだが、実際は逆ではないのか、とマードレッドは思うのだ。
そもそもあれだけ効率に拘っていたイクスが、ソロで活動することの非効率性に気づかなかったとは思えない。むしろ彼は魔術師ではないと意図的に周囲に誤認させ、敢えてソロで活動していたのではあるまいか。
普通にパーティー活動を拒否しようとしても、魔術師であり斥候の心得さえあるイクスを周囲が素直に手放してくれるとは思えない。組みたくない相手を遠ざけるため、敢えてあのような怪しい言動をしていたのではないかと、マードレッドは思ってしまうのだ。
今回、イクスが自分たちの目の前で魔術師としての手の内を晒したのは、自分たちが彼のお眼鏡にかなったということか。
どうにも厄介な人間に見込まれたような気がしなくもなかったが──
「いいかっ!? もう人前で投石に名前を付けて叫ぶのは無しだ!」
「石以外なら──」
「鉄球も何もかも全部だめ!」
「そんな恥ずかしがらなくても──」
「恥ずかしい以前の問題だいやもちろん恥ずかしいけど──」
活き活きと説教らしき言い合いを続ける主人の姿に、従者は「まぁ本人が楽しそうだから構やしないか」と無言で肩を竦めた。
いっそ連載形式にした方がとも考えましたが、取り合えずこのまま短編で投稿。