第四十二話
【王立記録局・緊急依頼文書】
宛先:探索担当者 エヴァン・クロスフィールド殿、セシリア・ヴァレンタイン殿
発信:王立記録局・特別探索課
【任務名】
《広域探索任務:記録消失現象白紙化の連鎖調査》
【任務目的】
現象の発生地調査
王国北東域一帯で同時多発的に発生している「記録の白紙化」現象を確認。
碑文・祈祷文・商会記録・戸籍簿など、複数の文書群が突如として消失している。
最初の兆候は王都フェル=グレイで確認済み。以後、周辺町村に連鎖拡大中。
影の核の特定
各地の消失現象は必ず影の残滓、あるいは小規模な眷属の発生を伴っている。
現地調査により、各拠点に潜む核の有無を確認し、除去を試みること。
広域連動の構造把握
調査の目的は単なる局地鎮圧ではなく、現象を統括する根源的存在(通称黒き門)との繋がりを見極めることにある。
特に碑文に現れつつある《門》の語が、広域現象の核心である可能性が高い。
【背景情報】
王都・修道院での事例を含め、記録消失現象は従来局地的であったが、今回は異例の規模で広域連動。
消失対象は物理的な記録物に留まらず、一部の住民証言によれば「自身の記憶の一部が抜け落ちた」との報告もある。
既に王国議会では行政機能の喪失が危惧され、緊急調査の即応を求められている。
【危険度評価】
魔物危険度:★★★★☆(影の眷属が広域で同時多発)
環境危険度:★★★☆☆(碑文の消失、精神混乱、社会的混乱)
特殊危険度:★★★★★(黒き門との連動、記録のみならず記憶への侵蝕の兆候)
【備考】
行動の優先順位は「広域的構造の把握>各地の局地鎮圧」とする。
必要に応じて王都守備隊・地方役人との協働を許可。
調査に伴い得られた記録断片はすべて記録局に提出すること。
署名:
王立記録局 特別探索課 課長
アウレリウス・ヴェルディン(印)
封蝋の割れた文書を机上に置き、二人はしばし沈黙した。
窓から射し込む秋の光は冷たく、部屋の空気は一層重く感じられる。
最初に口を開いたのはエヴァンだった。
「……とうとう来たか。局地の影じゃなく、広域の記録消失だとよ」
彼は腕を組み、文書に目を落とす。
「このまま広がれば、王国そのものが記録を失い、統治も崩れる。剣で斬るだけじゃ済まない相手だな」
セシリアは静かに符板を撫で、目を伏せた。
「……《門》の語。鐘の廃墟でも見たし、修道士たちも残していた。いよいよ、その正体に触れることになるわ」
彼女の声にはわずかな震えが混じっていたが、すぐに視線を上げ、強い光を宿す。
「でも、私は記す者。どれだけ消されても、痕跡を拾い、繋ぎ止めてみせる」
エヴァンは短く笑い、剣の柄に手を置いた。
「なら俺は、その時間を稼ぐ剣でいよう。記す者と斬る者――二人でやれるだけやるさ」
机上に置かれた依頼文書の最後の一文、
広域的構造の把握>各地の局地鎮圧
その言葉が、これまで以上の危険と重圧を告げていた。
セシリアは深く息を吸い込み、エヴァンに微笑みかける。
「行きましょう。影が門を開こうとしているのなら、その前に私たちが記録するの」
エヴァンは黙って頷き、窓外の王都を一瞥した。
遠い地平には、すでに黒い靄が広がり始めていた。
エヴァンとセシリアが執務室を出ると、廊下には局員や研究者たちが集まっていた。
彼らの机には白紙化した文書や、消えた碑文の拓本が山のように積まれている。
一人の若い研究員が二人を見て声をかけた。
「……本当に、もうどうにもならないんです。昨日の調査記録も、今朝には白紙になっていました。まるで記録そのものが拒絶されているみたいで……」
彼の目の下には深い隈が刻まれ、疲労と恐怖が入り混じっていた。
別の年配の監査官が重々しい口調で言う。
「君たちに託すしかない。我々は記録を守る者だが、影の前ではあまりに無力だ。……頼む、どうか核を突き止めてくれ」
エヴァンは立ち止まり、短く答えた。
「――俺たちが必ず辿り着く。お前たちはここで踏みとどまってくれ」
セシリアは符板を掲げ、微笑みを浮かべる。
「記す意志さえ残っていれば、完全には消えないわ。どうか諦めずに、残せる限りを繋いでください」
その言葉に、研究員たちはわずかに顔を上げ、疲弊の中に光を見出すような表情を浮かべた。
二人が廊下を去る背を、局員たちは無言で見送った。
その視線には、不安と同時に大きな期待が宿っていた。
王国の記録を守れるのは、今や彼ら以外にない――その事実を、誰もが理解していたからだ。
王都フェル=グレイの城門前。
まだ朝靄が残る石畳を、エヴァンとセシリアは並んで歩いていた。
局から支給された《精神防護符》と《砂塵遮断の外套》を身につけ、馬車の荷台には旅支度と記録用具が整然と積まれている。
門をくぐると、王都の喧噪は次第に遠ざかり、郊外の平野が広がっていった。
草原は晩夏の陽射しに照らされ、金色に揺れている。だがその地平の向こう、北東の空には黒い靄がうっすらと漂っていた。
エヴァンは馬の手綱を握りながら、目を細めた。
「あの黒雲……ただの天候じゃないな。王都で見た白紙化の時と同じ気配だ」
セシリアは符板を取り出し、靄の方向へ目を凝らした。
「記録が失われると、世界そのものが透明になっていく……その歪みが、空にまで滲み出しているのかもしれないわ」
馬車を進めるごとに、周囲の風景も変わっていった。
木立に刻まれた碑文はところどころ掠れて白くなり、村道沿いの祈祷碑も一部が抜け落ちている。
昼過ぎ、二人は街道沿いの小村に立ち寄った。
村の広場には古い石碑が立っていたが、表面の文字は半分以上が消えていた。
村人が近寄り、不安げに声をかけてくる。
「……つい昨日まで刻まれていた祖先の名が、今朝には無くなっていたんです。あれはどういうことなのか……」
セシリアは符板に残存する痕跡を写し取りながら、穏やかに答えた。
「記録そのものを喰らう影の仕業です。心配はいりません、私たちが原因を突き止めます」
エヴァンは村人に短く頷き、剣の柄に手を添えた。
「ここから先で必ず核を見つける。お前たちは日常を守れ。……それが俺たちの戦いだ」
夕暮れ、北東の丘陵に差しかかる。
そこから望む小都市のシルエットは、どこか沈鬱だった。
屋根瓦は所々欠け落ち、教会の塔の上には鐘があるはずなのに――そこだけ空白になっていた。
セシリアが小さく息を呑む。
「……もう始まっている。最初の調査地は、あの町ね」
エヴァンは馬を進めながら、冷たい風を受けて呟いた。
「影は待ってやしない。行くぞ、セシリア」
夜の帳が降りる中、二人は町の入口へと足を踏み入れた――。
町の石門を抜けると、街路は夕闇に沈みかけていた。
だが本来灯っているはずの篝火や看板の文字は、ところどころ白紙のように消え落ちている。
まるで存在していたはずの記録や痕跡が、抜き取られたかのようだった。
セシリアが符板を片手に歩を進めると、近隣の住民が怯えた目で二人を見つめた。
やがて勇気を振り絞ったように、一人の老女が声を掛けてきた。
「……うちの家系の系譜書が、気づけば真っ白に。子や孫の名前まで消えてしまったんだよ……。わたしはまだ覚えているのに、記録にはもう残っていない」
老女は震える手で巻物を差し出す。その羊皮紙は確かに空白だった。
セシリアは眉を寄せ、符板に写し取った。
「……記憶と記録が乖離している。影が存在そのものを狙い始めているのね」
次に出会ったのは商人風の男。
「昨日まで確かに記されていた荷の明細が、丸ごと消えちまった。誰に何を売ったのかも、帳簿から消えてる。……これじゃ商いなんてできやしない」
男は額に汗を浮かべ、必死に訴えた。
エヴァンは短く頷き、低い声で言った。
「安心しろ。お前の商売を守るのも俺たちの仕事だ」
町の小役所に赴くと、役人たちが山積みの白紙の帳簿を前に途方に暮れていた。
「税収記録も、戸籍台帳も……数日前から次々と消えていくんです。これでは住民の確認もできません」
役人は深々と頭を下げた。
「王立記録局から来てくださったと伺いました。どうか――どうか原因を突き止めてください」
セシリアは符板を叩き、冷静に答える。
「痕跡は必ず残っているはずです。影が何を喰らっているのか、必ず探り出してみせます」
こうした証言を集めるうちに、二人は確信する。
――この町のどこかに、影の核が潜んでいる。
それは碑文や記録物の白紙化だけでなく、人々の生きた記憶すら蝕もうとしていた。
エヴァンは剣に手を添え、静かに呟く。
「……核を斬り裂かない限り、この町は丸ごと喰われる」
セシリアは頷き、符板を光らせた。
「なら、行きましょう。記録を奪う影の正体を――暴くのよ」
住民や役人から証言を得たのち、エヴァンとセシリアは町の中心部を歩いていた。
夜の帳が降りはじめ、灯火はちらほら見えるものの、看板の文字や祈祷文は白く抜け落ちたまま。
町そのものが影に喰われている感覚が濃くなっていた。
セシリアが符板を掲げると、青白い光が漂い、消失した記録の残滓が浮かび上がった。
「……ここ、町の記録はすべてこの方向に引き寄せられている」
光の線は路地を抜け、やがて古い教会へと続いていた。
扉は半ば崩れ、内部はひどく静かだった。
だが祭壇の奥――祈祷碑の一つだけが、周囲と異質な光を放っていた。
碑面はすでに白紙化しており、中央に黒い染みが滲み出している。
エヴァンが近づくと、剣の刃に淡い震えが走った。
「……間違いない。これが核だ」
その瞬間、碑面の黒い染みが広がり、床に影の水面のような円を作り出す。
そこから無数の手が伸び、呻き声と共に広間を覆った。
「……喰わせろ……忘れさせろ……」
セシリアは一歩下がり、符板に呪式を走らせた。
「影の核が顕現した……! これはただの眷属じゃないわ!」
エヴァンは剣を抜き、冷たい声で言い放つ。
「核を斬り裂けば、町は取り戻せる」
セシリアは符板を輝かせ、冷静に応じた。
「……ええ。でも覚悟して。これは町全体を呑み込んでる本体。簡単には壊れない」
二人は背中合わせに立ち、迫り来る影の波を睨み据えた。
広間の空気は一気に重くなり、鐘のような低い振動が耳を打つ。
――影の核との決戦が、いま始まろうとしていた。
広間の中央で脈動する影の核は、黒い染みのように床へ広がり、無数の囁きを吐き出していた。
よく聞けばそれは、この町で消えた記録の断片――名前、日付、取引、祈祷文。ばらばらの単語が絡み合い、意味を失ったまま蠢いている。
セシリアは符板を掲げ、低声で呟いた。
「……これは記録をただ消しているんじゃない。文字や記録が持つ意味を剥ぎ取り、影の中に蓄えている」
符板の光が黒い染みを照らすと、影の内側に薄い層が見えた。
まるで羊皮紙を何枚も重ねるように、町の記録が影の体内に吸い込まれ、薄膜となって積み重なっている。
「……なるほどな」
エヴァンは剣を握りしめ、低く唸る。
「つまり、あの核を斬れば記録は戻るのか?」
セシリアは首を横に振る。
「残念だけど、剥ぎ取られた記録は既に空白に還っている。戻すことはできない。
でも――その蓄積を壊せば、これ以上の喪失は防げる」
影の核が反応するように、白紙化した祈祷碑が次々と砕け散る。
そこから溢れた欠片が宙に舞い、黒い液状の光に飲み込まれ、再び核へと吸収されていった。
記録を喰らい、体を肥大させる――それが影の性質。
セシリアは眉をひそめる。
「……これ、放置すれば町だけじゃない。大陸全域に広がるわ」
エヴァンは剣を構え直し、目を細める。
「なら、止めるのは今だ。――来るぞ」
影の核が震え、巨大な人影のように立ち上がる。
その輪郭は曖昧で、しかし無数の白紙が渦巻くように身体を形作っていた。
囁きが叫びに変わり、町全体にこだまする。
エヴァンは足を踏み込み、剣を正眼に構える。
セシリアは符板を輝かせ、詠唱を始めた。
――影の核との本格戦闘が、いま始まろうとしていた。
広間の中央で立ち上がった影の核は、無数の白紙を渦巻かせながら人影の形をとっていた。
その腕は紙片の束のように長く伸び、ひと振りするごとに祈祷碑の破片や記録の断片を巻き込み、黒い刃へと変わる。
核の影が両腕を広げると、空気そのものが歪み、広間に残っていた碑文が次々と消し飛んでいく。
「……来る!」
セシリアが詠唱を走らせ、結界を展開したが、符の一部が白紙に還っていく。
「防御符が消される!? 記録自体が否定されてる……!」
エヴァンは剣を振るい、迫る黒い刃を斬り払った。
だが手応えは曖昧で、斬った瞬間に斬った記録までもが消えていく。
「……攻撃すら記録を奪われるのか」
核が呻き声を放つと、町の住民の声が幾重にも重なり、二人を取り囲んだ。
「――名前がない……」「忘れられる……」「助けて……」
それは生きた人々の痕跡ではなく、影に吸われた声の残滓。
セシリアは符板を叩き、残響を逆流させるように詠唱する。
「《リメイン・ルクス》――声はここにある! 消されても、確かに響いた証は残る!」
広間に光の紐が走り、囁きを縛めて一瞬の静寂を取り戻す。
エヴァンは前へ出て、核に向かって剣を構えた。
「記録を消すなら――俺が刻む!」
剣先に魔力が集まり、黒鋼の刃が青白く輝く。
「――《断章撃・刻印閃》!」
一閃が広間を走り、核の胸部を深々と裂く。
斬撃は記録そのものとなり、消去の力に抗って斬られた事実を残す。
核は揺らぎ、白紙の紙片が四散した。
だが完全には崩れず、なお蠢いている。
セシリアは符板を抱え、息を整える。
「……あと一押し。核の本体を剥ぎ出して、記録で縫い止めるわ」
エヴァンは剣を肩に担ぎ直し、冷たく頷く。
「斬って、記して、終わらせる」
広間の空気が再び震え、核はより濃い影の姿へと凝縮し始めた。
次こそが最終局面――二人は確信していた。
裂かれた核は、崩れる代わりに凝縮し始めた。
白紙の紙片が渦を巻き、やがて巨大な鐘の形をとる。鐘身は黒く、表面にはかつて刻まれていた祈祷文の痕跡が無数に白い裂け目となって浮かび上がっていた。
そして鐘は鳴らず、沈黙のまま空気を震わせる。――それこそが時間を奪う音であった。
エヴァンとセシリアは一瞬にして動きを封じられる。
刹那の沈黙が永遠に伸び、剣も、符板も、体すらも動かない。
「……まだ、終わらせない」
エヴァンの胸の奥から迸る意志が、剣をわずかに震わせる。
セシリアは符板に残してきた記録を重ね合わせ、囁くように呪を紡いだ。
「記録がある限り、沈黙は完全には成立しない……!」
彼女が繋ぎ合わせた文字の鎖が鐘の内部に穿たれ、わずかな隙間を作る。
その裂け目にエヴァンの剣先が差し込まれた。
鐘の影が形を崩し、時間停止の圧力が一瞬だけ緩む。
エヴァンは全身を前へと叩きつけるように踏み込み、叫んだ。
「――《断章絶刃・刻印滅》!」
剣撃が記録そのものとして刻まれ、鐘の影を深々と両断する。
白紙の渦は引き裂かれ、溜め込まれていた記録の残滓が光となって四散した。
セシリアは符板を掲げ、最後の呪で裂け目を封じる。
「――《エンバルム・コーデックス》!」
光の鎖が核を縫い止め、完全に沈黙を固定した。
鐘の影は断末魔のように低く鳴り、砕け散った。
広間を覆っていた圧迫感は消え、空気が一気に軽くなる。
しかし、残ったのは崩れた祈祷碑と、白紙になった記録の残骸だけだった。
失われたものは戻らない。
だが、これ以上の喪失は防いだ――その一点だけが確かな成果だった。
エヴァンは剣を収め、深く息を吐いた。
セシリアは符板を胸に抱え、低く囁いた。
「……この戦いはまだ序章。影は、もっと深いところに根を張っている」
二人は互いに頷き合い、静まり返った修道院を後にした。
影が消滅した後、広間には静寂が広がった。
エヴァンとセシリアは警戒を解かぬまま、奥へと進み、生存者が残されていないかを探す。
石棺の間を一つひとつ調べると、いくつかの棺の中には、既に力尽きた修道士や町の人々の姿が横たわっていた。
その身体は干からび、外見は眠っているかのようで、命の灯火はとうに絶えている。
セシリアは手を合わせ、小さく祈りを捧げた。
「……影に囚われ、記録を奪われて……。でも、せめて静かな眠りを」
やがて彼女は、わずかに脈動を残す影響を受けた村人を見つけた。
「エヴァン! まだ息がある!」
すぐさま解呪符を取り出し、影の残滓を祓う。
弱々しく目を開いたその者は、すぐに気を失ったが、呼吸は確かに続いていた。
――わずかだが、生存者はいた。
さらに二人は、石棺の奥に安置されていた記録群を確認した。
石板、骨に刻まれた文字、陶器に封じられた符号文。
どれも砂と影にまみれながらも、まだ読める状態で残っていた。
セシリアは符板を取り出し、慎重に記録を複写していく。
「古代王朝期の葬祭文……それに、影の出現を示す記述が散見されるわ。これは重要な資料になる」
エヴァンは石棺の蓋を持ち上げながら、警戒を続けた。
「この場所ごと持ち出せればいいんだが……重量も脆さもある。搬送は無理だな」
「ええ、だからこそ複写と必要な断片だけを選んで持ち帰るの」
こうして二人は、できる限りの記録を整理し、収納箱に収めた。
影が残した痕跡と共に、この町の真実を王都へ持ち帰るために。
広間を振り返ると、無数の石棺と砕けた祈祷碑が静かに横たわっていた。
エヴァンは静かに呟く。
「……ここで眠る者たちは、もう二度と目を覚まさない。
だが、彼らの残した記録は、まだ俺たちの手に残っている」
セシリアは頷き、収納箱を抱きしめるように持ち直した。
「だからこそ……この喪失を繰り返させない。次の影が現れる前に、必ず」
二人は遺跡を後にし、王都への帰路についた。
【王立記録局・報告書提出】
提出文書:
件名:《氷砂漠修道院調査報告》
提出者:エヴァン・クロスフィールド、セシリア・ヴァレンタイン
提出先:王立記録局・特別探索課
調査経過概要
現地到着・外郭調査
氷砂漠の修道院外郭において、碑文の消失と環境の異常を確認。鐘楼より響くはずの鐘音が欠落しており、影響は外部まで広がっていた。
内部探索と異常現象
石棺の間で夢幻作用を伴う眠りの強制を体験。影の眷属が顕現し、修道院そのものを操る現象に発展。
影の核との交戦
核は鐘の化身として顕れ、記録そのものを奪い、時間停止の力を行使。
エヴァン・クロスフィールドが意思を刻む剣撃を以って核を切断、セシリア・ヴァレンタインが記録を縫合する術式で封印し、討滅に至る。
生存者確認
修道士・住民多数が既に死亡。
ただし数名に微弱な生命反応を確認し、応急処置の上で搬送。
記録群回収
石棺内部より古代王朝期の記録断片(石板・骨刻文・容器符号)を多数収集。
影の出現に関する初期の言及あり。
総合評価
危険度:★★★★☆
脅威は一時的に排除したが、影の根源は依然不明。
記録消失現象は局地にとどまらず、拡大の恐れあり。
石造りの記録局の一室。
課長アウレリウス・ヴェルディンは机に置かれた報告書に目を通し、低く唸った。
「……鐘が化身し、時間を止める、か。もはや伝承の域を超えた現実だな」
セシリアは机越しに静かに告げた。
「失われた記録は戻りません。ですが、少なくともこれ以上の喪失は防ぎました」
ヴェルディンは深く頷き、視線をエヴァンに向けた。
「君たちの働きは局としても大きな成果だ。だが……影の活動がここまで広域化している以上、我々も次の一手を急がねばならん」
エヴァンは短く答えた。
「俺たちは次にも備える。それだけです」
緊張を帯びた空気の中、報告は正式に受理され、二人の任務は一区切りを迎えた。
王都フェル=グレイの夕暮れ。
探索局の石造りの建物を後にしたエヴァンとセシリアは、人通りの少ない小路へと歩みを移した。
市場のざわめきも、鐘楼の響きも遠ざかり、石畳に差す夕日の光が二人の影を長く伸ばしている。
「……やっと息をつけるわね」
セシリアが溜め息を吐き、風に乱れる髪を押さえた。
エヴァンは笑みも見せずに応じる。
「まだ次がある。だが……今だけは休んでいいだろう」
その声音には、いつもの硬さの中にわずかな安堵が滲んでいた。
二人は馴染みの茶店へ足を運ぶ。
陶器の杯に注がれた薄紅の果実茶から立ちのぼる香気は、砂漠や廃墟の冷たさを忘れさせるように温かい。
セシリアは杯を手に取り、少し笑った。
「こんな穏やかな香りでさえ、失われたら……もう二度と戻らない。
だから、記録するのよね。私たちが見て、残して」
エヴァンは果実茶を口に含み、短く言った。
「……消えるものがあるなら、守れるものもある」
窓の外、王都の街灯が次々と灯る。
人々の声が行き交い、都市の営みは途切れずに続いていた。
二人はしばし無言で杯を傾けた。
戦いの疲労は確かにあったが、それ以上に「まだ抗える」という静かな決意が胸に芽生えていた。




