第四十話
晩夏の午後、王都フェル=グレイの中央区にある王立図書院は、学生や学者たちで賑わっていた。
高いアーチ窓から差し込む陽光が、机に並んだ写本の背表紙を照らしている。
その静かな空気を破ったのは、一人の書記官の叫び声だった。
「――文字が……消えていく!」
周囲の視線が一斉に集まる。
机上に開かれた年代記の頁、その一節から墨が滲み出すように色を失い、やがて白紙となっていった。
最初は一行だけだった。だが次の瞬間、段落ごと、そして頁全体が真っさらになってゆく。
「これは……インクの劣化か?」
「いや、書かれていたのは確かに見たぞ!」
学徒たちの声がざわめきに変わる。
別の棚で研究していた老学士が慌てて地図帳を広げた。
「この地図もだ……北方山脈の記号が消えておる!」
確かに数日前まで刻まれていた鉱脈の印が、紙の繊維ごと存在を消したかのように跡形もなかった。
人々が動揺する中、王立記録局の使者が駆け込む。
「静粛に! ……この現象は局でも確認済み。大規模な記録消失が発生している。すぐに局員を招集せよ!」
ざわめきは恐怖に変わり、数人の学生は慌てて書架から書物を抱えて走り出した。
だが、その腕に抱いた本からも、同じように言葉が消え去ってゆく――。
その頃、局舎に戻っていたエヴァンとセシリアも、この異変の第一報を受け取ることになる。
セシリアは眉をひそめ、報告書を握りしめた。
「……いよいよ、来たわね。断片的だった現象が、王都で現れた」
エヴァンは短く吐き捨てる。
「ただの遺跡の異変じゃない。今度は、大陸そのものの記憶が狙われている」
宛先:エヴァン・クロスフィールド殿、セシリア・ヴァレンタイン殿
発信:王立記録局・特別探索課
任務名
《緊急探索任務:広域現象記録消失の震源調査》
任務目的
震源の特定
王都フェル=グレイおよび周辺地域で観測された記録消失現象の発生源を追跡し、大陸全体に拡散する前に阻止すること。
記録の影の確認
消失した記録が別の形で現れるという報告を調査し、実体・呪的作用・危険度を記録。
関連遺跡・碑文群の調査
現象は過去の探索対象(ラグナ=ヴェイル、ヴァルヘリオン廟堂等)に類似点を持つ可能性あり。各遺跡との関連を検証。
背景
王立図書院を含む複数の収蔵庫で記録消失が確認され、文献・地図・系譜の一部が消滅。
他国からも同様の報告が相次ぎ、交易や軍事記録に支障が発生中。
現象は呪的干渉と推定されるが、震源は未特定。
一部では「消失した記録が人の夢や影に現れる」との証言もあり、単なる資料劣化とは考え難い。
危険度評価
魔物危険度:不明(未確認の記録の影)
環境危険度:★★★☆☆(遺跡調査・精神干渉)
特殊危険度:★★★★★(知識体系そのものの消失)
備考
局内でも解析が進められているが、現場調査が不可欠。
あらゆる形式の記録媒体(石板、写本、魂刻、幻視)を対象とするため、複数の調査道具を携行せよ。
署名:
王立記録局 特別探索課 課長
アウレリウス・ヴェルディン(印)
王立記録局の会議室。
分厚い石壁に囲まれた空間には、各部門の代表が十数名集まり、中央の円卓には消えかけた地図と白紙の年代記が並んでいた。
「……ご覧の通りです」
報告を終えた学士が退くと、室内は重苦しい沈黙に包まれた。
課長アウレリウスが視線を二人へ向ける。
「エヴァン殿、セシリア殿。局は諸君に、この記録消失の震源調査を委ねたい」
セシリアは真剣な眼差しで消えかけた地図を見つめ、唇を引き結ぶ。
「……すでに王都に及んでいる以上、放置はできません。記録が消えれば、歴史そのものが消える」
エヴァンは短く頷き、低く言葉を重ねる。
「遺跡の奥にあった眠り手や潮声の碑文……あれと同じ系統のものだろう。震源を突き止めて叩くしかない」
会議室にざわめきが走る。
「震源は大陸全域かもしれないのだぞ!」
「しかし王都の記録が消えるなど、もはや戦争以上の危機だ!」
アウレリウスは重々しく頷き、二人に向けて通達を手渡した。
「これはもはや探索任務ではなく、大陸の存亡に関わる調査だ。――諸君の双肩に、この王都の記憶を託す」
二人は互いに短く目を合わせ、受諾の意を示した。
王都を出立して十日目。エヴァンとセシリアの前に姿を現したのは、灰色の平原に沈む巨大な廃墟だった。
かつて栄華を誇った都市、〈イシュタルナ廃都〉――その名は古文書にしか残っていないが、ここもまた記録消失が最初期に確認された地点である。
瓦解した城壁の上には蔦が絡み、塔の残骸は黒く焦げたように傾いていた。
風が吹き抜けるたび、崩れた石畳の隙間から粉のような白砂が舞い上がる。
「……酷いな。人の手ではない。まるで都市ごと記憶から削られたみたいだ」
エヴァンは魔剣の柄に手をかけ、冷えた空気を睨む。
「ここでも記録消失が進んでいるはずよ。だから震源に近い……」
セシリアは懐から記録局支給の符板を取り出し、残留魔力を測定した。針は微かに振れ、青白い光が石壁の刻印に反応する。
都市外郭を歩けば、碑文や壁画のほとんどが剥がれたように消えていた。
石の表面には確かに刻まれていた痕跡があるが、文字は白紙のように滑らかになっている。
セシリアが手を当て、魔力を流し込むと、一瞬だけ影のような文様が浮かび上がった。
「……見えた。けど、すぐ消える。これは上書きされた影ね」
その時――廃都の空気が低く震えた。
耳の奥に響くのは、かつてここに暮らした人々の記録の声。
囁き、叫び、祈り……それが全て断片のまま、影となって漂っていた。
「やはりか」
エヴァンは剣を抜き放つ。
「廃都そのものが、記録の影に覆われている」
崩れた街路を抜け、二人は廃都の中心へと進む。
かつて王都にも匹敵する規模を誇った大聖堂は、今や瓦礫に覆われていたが、その骨格はなお荘厳だった。
天井の半分は落ち、残る梁に陽光が差し込んでいる。
だがその光でさえ、祭壇の前に漂う黒い霞を払うことはできなかった。
「……感じる?」
セシリアが声を潜めた。
「――ああ。剣の刃が震えてる。ここが震源だ」
エヴァンは魔剣を構え、ゆっくりと歩を進める。
祭壇の石壁には、かつての聖典が刻まれていたはずだ。
だが今は文字の大半が消え、ただ白く磨かれた板のように虚無を映している。
虚無の中で、かすかな影が形をとり始めた。
『……われらは……忘れられた……』
『……名も、時も……すべて……消えた……』
囁きが空間を満たし、やがて複数の声が重なり合う。
それは記録を失った者たちの声――歴史から消された人々の残響だった。
「これが……記録の影」
セシリアの言葉と同時に、影は渦を巻き、祭壇上に人の形をとる。
顔はなく、代わりに無数の文字の断片が空白を埋め尽くしていた。
だがその文字は、視線を向けた瞬間に消え、また現れる。
影の群像が動き出す。
それは剣を握る兵の形をとり、祈る修道士の形をとり、商人の帳簿を抱えた姿をとり――すべてが虚無に還ろうとする。
彼らの叫びは、耳でなく心を直接打った。
『記せ……記せ……記されねば……消える……!』
大聖堂の床に刻まれた石文が光を放ち、二人の足元に絡みつく。
時間が曖昧になり、動きが鈍る。
セシリアの瞳が大きく揺れた。
「これ……放置すれば、王都で見た白紙化がさらに広がる……!」
エヴァンは剣を強く握り、影の群像へ切っ先を向けた。
「ならば――ここで断つ!」
群像を成す記録の影が一斉に動き出した。
剣を掲げた兵士の影は石畳を割るほどの斬撃を振り下ろし、祈りの姿をした修道士の影は、光を逆流させて二人の視界を奪う。
商人の影が抱えた帳簿からは、墨のような黒い霧が溢れ出し、言葉を呑み込むように広がってゆく。
「普通の剣じゃ、斬れない……!」
エヴァンの魔剣が影を貫いても、傷は白い余白となり、すぐに閉じてしまう。
「――記録で対抗するのよ!」
セシリアが叫び、杖先に符板を重ねた。
彼女が符板を掲げると、先ほど外郭で写し取った碑文が光を帯びる。
古代文字が宙に浮かび、剣の周囲に走り込んだ。
「なるほど……!」
エヴァンは剣を構え直し、その刃に刻まれた光の文字を睨む。
「記録を……武器にする!」
次の瞬間、斬撃が走った。
光の文字を纏った魔剣は、兵士の影を切り裂くと、その形は再生せず、文字の粒子となって霧散した。
修道士の影が祈りを唱える。
影から放たれた沈黙の波が二人を包み、時間が止まりかける。
しかしセシリアはすぐに反応した。
「――《記録護符・音律》!」
彼女は回収した古い石板をかざし、そこに刻まれた賛歌の旋律を魔法陣へ変換する。
消えかけた声が蘇り、聖歌のような響きが沈黙を破った。
時間が動き出し、エヴァンは一気に踏み込む。
「――おおおッ!」
魔剣の刃が修道士の影を縦に裂き、祈りの声ごと消滅させた。
残るは商人の影。
帳簿の黒い霧は周囲の文字を喰らい、聖堂の壁画からも文字を削り取っていた。
「放置すれば、この廃都そのものが白紙にされる……!」
セシリアの額に汗がにじむ。
エヴァンは深く息を吐き、仲間に目をやった。
「最後だ、セシリア。――記録を重ねるぞ!」
二人は符板と魔剣を交差させ、光の文字を奔流として解き放つ。
それは黒霧をかき消し、商人の影を粉々に散らした。
静寂が戻った大聖堂に、ただ虚ろな風が吹き抜ける。
祭壇の前には、白く残された空白の石壁だけが残っていた。
セシリアは肩で息をつきながら呟く。
「これが記録の影……記録を失った者たちの残響」
エヴァンは魔剣を収め、祭壇の空白に手を当てた。
「そして……これが震源の一つだ。だが本当の源は、まだ奥にある」
二人は互いに視線を交わし、大聖堂のさらに奥へ進む決意を固めた。
祭壇の奥には、崩れた階段が続いていた。
足元の石は白く摩耗し、刻まれていたであろう碑文はすべて削り取られている。
灯りを掲げると、壁には淡い影が揺れた――だが、それは二人の影ではなかった。
「……おかしい。光源と角度が合ってない」
エヴァンが剣を構える。
「影そのものが、この空間に染みついてるのよ」
セシリアは小声で答え、符板に魔力を流し込む。だが針はほとんど動かず、残留反応は空白のまま。
階段を降りた先に広がっていたのは、円形の地下回廊。
壁に沿って並ぶ石棺のいくつかはすでに壊れており、その中には古びた鎧や砂に埋もれた骨が散乱していた。
しかし、いくつかの石棺には――まだ人影があった。
目を閉じたまま微動だにしない者たち。
彼らは数日前に消息を絶った近隣村の兵士や調査員と一致していた。
体には外傷はなく、ただ「眠りに囚われている」ようにしか見えない。
「……生きている。だが、意識が完全に閉ざされてる」
セシリアは符板を翳し、呼吸と鼓動を確認する。
「これが眠り手の作用……記録の影と同調して、魂ごと夢に引きずり込むのね」
エヴァンの表情が険しくなる。
「ここを震源の一つと断定していいな。生存者を連れ帰るのは――まず、この力を絶たない限り無理だ」
回廊の中央には、巨大な石碑が立っていた。
表面にはびっしりと文字が刻まれていたはずだが、今は白紙の板のように虚無で覆われている。
ただ、その中心部だけが黒く染まり、渦を巻くように蠢いていた。
「これが……記録消失の核」
セシリアの声は緊張に震えていた。
黒渦から、再び影が漏れ出す。
それは先ほどの兵士や修道士ではなく、もっと不定形な存在。
記録されることを拒むという意思そのものが姿をとったような、深い虚無だった。
エヴァンは一歩前に出て、魔剣を抜き放つ。
「……来るぞ」
中央の石碑に浮かぶ黒渦が、形を変えて広がっていった。
それは人の輪郭を模しながらも、内部は空洞。
目も口もなく、ただ書かれることを拒む白紙そのものが、闇の中に立っているようだった。
『……記すな……名を与えるな……』
頭の奥で響く声。言葉ではなく、思考を侵食する衝動。
セシリアが眉をひそめる。
「……強い。これまでの影とは違う。核そのものが意思を持ってる」
エヴァンは魔剣を振るい、正面から斬り込んだ。
刃は確かに影の胸を裂いた――はずだった。
しかし次の瞬間、切り口は音もなく閉じ、白紙のように何も残らなかった。
「……やはり、ただ斬っても消えないか」
「核は記録されることそのものを拒絶してるの。だから斬撃も記録されない」
影が腕を伸ばす。触れられた石棺は瞬時に白紙化し、刻まれていた文様も、封印の痕跡も、すべて消滅した。
中に眠る人々の痕跡まで、薄れ始める。
「なら――俺たちが記すしかない!」
エヴァンは魔剣を構え、符板に刻んだ外郭碑文を重ねた。
刃に古代文字が走り、光の軌跡を描き出す。
「《断章連斬――記録刻印》!」
斬撃と同時に文字が刻まれ、影の輪郭に焼き付けられた。
一瞬だけ、影が苦悶するように揺らぐ。
セシリアは杖を掲げ、石板から複写した古代賛歌を詠唱に変換する。
「――《詠唱再録・光律カンターレ》!」
響き渡る旋律が虚無を震わせ、時間の停止を振りほどいた。
しかし影は両腕を広げ、空間全体を押し包んだ。
時間が止まる――息が凍りつき、視線が動かなくなる。
セシリアの声も、エヴァンの動きも、すべて白紙の頁に閉じ込められた。
だが――エヴァンの魔剣だけは光を帯びて動いた。
刃に宿るのは存在を記す力。
時間の停止という空白に、彼自身の意志を記録として刻み込む。
「止まるな……俺はここにいる!」
剣閃が走り、白紙の膜に裂け目が生じた。
セシリアが裂け目に声を叩き込む。
「忘れられぬよう、記す!――《記録紡ぎ・連詞セクエンティア》!」
光の文字が奔流となり、影を覆う。
エヴァンはその中心へ踏み込み、魔剣を渾身の力で突き立てた。
「――終われッ! 《終章断筆》!」
刃が影の核を貫いた瞬間、虚無の形が崩壊し、耳を劈くような無音が走った。
石碑は砕け、白紙化の波は逆流するように吸い込まれていった。
静寂。
石棺の上に横たわる者たちの顔に、わずかな血色が戻り始めていた。
彼らはまだ眠ったままだが、魂は戻りつつある。
セシリアは安堵の息を漏らす。
「……これで、記録の影の核はひとつ封じられた」
エヴァンは剣を下ろし、石棺を見やった。
「生存者を連れて戻れるな。あとは石棺の記録群を回収するだけだ」
二人は互いに頷き合い、砕けた石碑の残骸から光る断片を拾い上げた。
それは、この廃都の記録を証す唯一の手掛かりとなるものだった。
戦闘が終わり、核が崩壊した後――石棺の列に静寂が戻った。
エヴァンは慎重に蓋を押し、内部を確かめる。
眠る人々の顔に、かすかな血色が戻っていた。頬はまだ冷たく、呼吸も浅いが、確かに生きている。
数日前に行方不明となった村兵の紋章が鎧に刻まれているのを見て、セシリアは目を細める。
「……間違いないわ。報告のあった調査兵たちね。魂の揺らぎは止まってる……もう影に引き込まれることはない」
「昏睡状態だが、運べば目を覚ます可能性はあるな」
エヴァンは魔剣を杖代わりにして立ち上がり、石棺の一つに布を掛けて印をつけた。
救助対象は四名、生存確認。彼らは後に記録局の回復師団に委ねられるだろう。
セシリアは残された石棺の内部を一つ一つ点検していく。
遺体そのものは風化していたが、棺の内壁に「刻印容器」と呼ばれる小型の石筒が埋め込まれていた。
「……これ、記録だわ。亡者の名と共に、王朝の出来事を封じている」
彼女は符板をかざし、淡い光で文字を写し取る。
また、棺の中には骨に直接彫られた文字も残っていた。
骨文書――死者そのものを記録媒体とする古代の慣習だ。
「これ以上持ち出せば崩れる。複写を優先するわ」
中央の壊れた石碑の残骸からは、白紙化を免れた断片が数枚見つかった。
そこには「王朝の終焉」「夢に縛られる声」など、今回の現象と繋がる断章が刻まれていた。
セシリアはこれらをすべて布袋に収め、丁寧に封印符を貼る。
「――回収完了。記録群は損耗しているけど、核心は残っているわ」
エヴァンは残された石棺の間を一巡し、救出対象の四名を背負う準備を整える。
「ここで全てを背負って帰るのは無理だ。残りは局の搬送班を呼ぶ。だが、これで任務の三目的は果たせた」
セシリアは頷き、最後に祭壇跡へ視線を向けた。
そこにはまだ消え残る白い余白があり、まるで「次がある」と告げているかのようだった。
「……これは一つの終わり。でも、始まりでもあるわね」
「記録が消える現象――もっと広い範囲で続いているかもしれない」
二人は互いに短く視線を交わし、救助対象と記録群を携えて廃都の地上へと向かう。
【提出報告書】
王立記録局 特別探索課 提出報告書
提出者:エヴァン・クロスフィールド、セシリア・ヴァレンタイン
任務名:《探索任務:廃都イシュタルナにおける記録消失現象調査》
1.現地状況
廃都イシュタルナ中央大聖堂より地下構造を確認。
外郭の碑文および壁画は大部分が白紙化し、記録が消滅していた。
地下回廊にて複数の石棺を確認。内部には古代の骨文書・刻印容器が遺存。
2.不明存在「記録の影」
中央石碑より発生した黒渦状存在を確認。
通常攻撃は無効、記録媒体や古代碑文を媒介にした攻撃のみ有効。
記録されることを拒絶する意志として顕現。時間停止作用を伴った。
最終的に撃破、現象の核を封殺。
3.生存者の確認
行方不明となっていた村兵・調査兵 計4名を生存確認。
状態:昏睡。魂の揺らぎは安定、搬送により回復見込みあり。
4.記録群の回収
石棺より骨文書、刻印容器を回収。
石碑断片より「王朝の終焉」「夢に縛られる声」の断章を確認。
損耗大きいが、現象解明の一次資料として十分。
5.結論
廃都における記録消失現象は一時的に収束。
ただし余白痕が残存し、広域現象の一部に過ぎない可能性高し。
さらなる調査・防御体制の構築が急務。
署名:
エヴァン・クロスフィールド(印)
セシリア・ヴァレンタイン(印)
【局内報告会:口頭報告と質疑】
王立記録局 特別探索課、石造りの会議室。
課長アウレリウス・ヴェルディンの前で、二人は立ち並ぶ。机上には報告書が置かれている。
「……以上が現地での確認結果です」
エヴァンが結び、セシリアが軽く会釈を添えた。
アウレリウスは書面を静かに閉じ、二人を見据える。
「時間停止……。このような現象、従来の記録には存在せん。君たちの報告は、重大な証左となるだろう」
別の監査官が口を挟む。
「通常の武力では通じず、記録を以て抗ったと……。つまり存在を刻む力こそ対抗手段と?」
「はい」
セシリアが応じる。
「影は白紙化によって存在を消そうとしました。ですが、我々が碑文を複写し、声を記録に重ねた時だけ、力を封じることができたのです」
「なるほど……記録局の根幹に関わる問題だな」
アウレリウスは低くうなずいた。
「救出者の処置は回復師団に任せる。君たちは一度休息を取れ。ただし――次があることを忘れるな」
二人は深く一礼し、静かに会議室を後にした。
夕刻、王立記録局の会議室を出た二人は、別棟の休息室に足を運んでいた。
石造りの小部屋には窓が一つ。差し込む陽光は赤みを帯び、砂漠を経て戻った旅人たちをやわらかく包む。
木卓の上に、局の書記官が用意した温かい茶が湯気を立てている。
エヴァンは鎧を外し、椅子に腰を預けて息を吐いた。
「……ようやく静けさを味わえるな」
セシリアは湯呑みを手に取り、じっと表面の波紋を見つめていた。
「白紙になった記録……あれが戻らないのは、やっぱり悔しいわ」
「だが、お前が断片を残したから、全てが失われたわけじゃない」
エヴァンの言葉に、彼女は小さく微笑む。
「……そう言ってくれるのは、あなただけね」
しばしの沈黙。窓の外からは、王都の鐘楼が時を告げる音が聞こえてきた。
セシリアは視線を落とし、囁くように言った。
「ねえ、エヴァン。もし記録が全部消えてしまったら……私たちの名前も、この戦いも、存在しなかったことになるのかしら」
エヴァンは湯呑みを置き、彼女を見据える。
「記録が消えても、俺たちは生きてる。剣に刻んだ軌跡も、声に刻んだ願いも。……それを記す者がいる限り、消えることはない」
「……あなたらしい答えね」
セシリアは少しだけ肩の力を抜き、窓辺に腰掛けた。
夏の終わりを告げる風が吹き抜け、彼女の長い髪を揺らす。
茶を飲み干したエヴァンが立ち上がる。
「次は、もっと大きな波が来るだろうな」
「ええ。廃都での戦いは、きっと序章に過ぎない」
二人は目を合わせ、同じ思いを胸に刻む。
それは、失われていく記録と、広がりゆく白紙化の波――
やがて王都だけでなく、大陸全土を揺るがす危機へと繋がっていくのだった。




