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第三十九話

【王立記録局 発出文書:特別探索任務通達】


宛先:エヴァン・クロスフィールド殿、セシリア・ヴァレンタイン殿

発信:王立記録局・特別探索課


【任務名】


《探索任務:氷砂漠の下に眠る〈白き墓廟〉の調査》


【任務目的】


氷砂漠地下遺構の現状確認

 北方氷砂漠の氷層崩落により露出した巨大地下回廊の構造を調査し、内部に発生している異常現象を記録すること。


白き墓廟の特定と内部解析

 古文書に記された白き墓廟の実在を確認し、内部に収蔵されている可能性のある古代記録媒体の回収を行うこと。


未知の守護存在の確認

 遊牧民より「氷下の墓廟に立ち入った者は白き影に導かれ帰らぬ」との報告あり。実体の有無および危険性を評価。


【背景】


〈白き墓廟〉は、神聖歴以前に北方の王朝が築いたと伝わる埋葬施設であるが、位置は長らく不明であった。

 今夏の大規模な氷崩落により地下遺構の一部が露出し、複数の探査者が立ち入ったが、未帰還者が続出。

 特に「氷に囚われたまま声だけが響く」という証言が散見され、王立記録局は危険事象と認定。


【危険度評価】


魔物危険度:★★★☆☆(氷棲魔物の活動確認済み)

環境危険度:★★★★☆(氷崩落・低温・酸素欠乏の恐れ)

特殊危険度:★★★★☆(白き影の存在および精神干渉の可能性)


【備考】


支給物資:氷雪環境用の《防寒外套》および《氷晶灯》。


行動時間は昼間を基本とするが、氷層の安定性に応じて随時撤退を考慮すること。


発見された記録媒体はすべて収集対象。特に氷に封じられた声の存在が確認された場合、詳細を記録せよ。


署名:

王立記録局 特別探索課 課長

アウレリウス・ヴェルディン(印)



 夕暮れの光が窓格子を赤銅色に染める中、厚手の羊皮紙に綴られた新たな依頼文書が卓上に置かれた。

 エヴァンは文面を黙読し、深く息を吐く。


「……今度は氷砂漠か。砂の次は氷かよ」


 皮肉を込めて呟く声に、セシリアは淡い笑みを浮かべる。

「気候の選り好みはできないわ。記録が眠っているなら、どこへでも行くしかない」


「白き墓廟……聞いたことがあるか?」

「古代王朝の伝承ね。死者の声を氷に閉じ込め、永遠に残そうとした、と。でも……声が眠りに囚われるなんて話は文献にはなかった。報告にある白き影は、単なる精霊や幻ではなさそう」


 エヴァンは顎に手を当て、視線を窓外へやる。

「鐘の異形に続いて、今度は声そのものを氷に閉じ込める遺跡か。……どうも最近は、記録と呪いが切り離せねぇな」


「だからこそ私たちが呼ばれるのよ。記すことで呪いを言葉に変える。ね?」

 セシリアの声音は柔らかかったが、その奥に確かな覚悟が宿っていた。



 翌朝、二人は王都の市街に出て、必要な補給を整えた。


《防寒外套》の補強:氷砂漠は昼と夜で気温差が激しく、特に夜は骨まで凍りつく寒さ。局支給品に加え、彼らは商人街で毛皮の内張りを追加。


《氷晶灯》の確認:氷の洞窟内では炎が消される恐れがあるため、魔力光源を複数個用意。


予備食糧:乾燥肉と保存果実。氷砂漠では狩猟も採集も望めない。


「……何度やっても、遠征前は荷が多いな」

「でも、減らすと一番必要な時に後悔するのよ」

 セシリアがそう言いながら、魔導符の束を小袋に詰める。



 三日後、二人は王都を後にした。

 北境へ向かう街道は既に初秋の色を帯び、黄金色の草原を抜ける風が冷たさを含み始めている。

 遠くには山並みが見え、そのさらに彼方に白く輝く氷砂漠が広がっているのだろう。


「……あの先に、声が眠る墓廟がある」

「ええ。けれど眠っているのは、声だけじゃないかもしれない」


 セシリアの言葉に、エヴァンは黙って頷く。

 王都フェル=グレイの尖塔が背後に遠ざかり、彼らの旅は再び、未知の記録へと向かって始まった。



 旅立って五日目。山間を抜ける街道には、初秋の冷たい風が吹き抜けていた。

 馬車の荷台に腰掛けながら、セシリアは膝の上で分厚い巻物を開いていた。


「また文献か……道中でも休まないんだな」

 エヴァンは馬の手綱を操りながら苦笑する。


「ええ。氷砂漠の遺跡は、どうやら声を媒介にした記録形式を持っていたらしいの。過去の伝承を少しでも知っておけば、現地で役に立つはず」


「声を記録に……か。どうにも、俺たちが向き合うのは言葉を奪う仕掛けばかりだな」

 エヴァンは肩をすくめる。


「それでも、あなたは斬ってくれるじゃない。記録が呪いに変わったとしても」

 セシリアは視線を上げ、わずかに笑んだ。

「……だから、私は調べ続けるの。どんな呪いも、きっと誰かが記した記録に還せると信じて」



 夜、宿場町の焚き火の傍ら。

 周囲では旅人たちが酒を酌み交わし、楽士が小さな竪琴で短い調べを奏でていた。


「……久しぶりだな、こうして静かな音楽を聴くのは」

 エヴァンは木杯を手に、火に照らされた横顔を少し緩めた。


「前回は鐘の音に追われて、まともに耳を澄ませる余裕もなかったから」

 セシリアも頷き、指先で火の粉を追うように空を見上げる。

「このまま任務がなければ……私たち、ただの旅人のように見えるかしら」


「さあな。ただの旅人は、夢の中で剣なんて振るわないだろう」

 エヴァンの返答に、セシリアは思わず笑みを零した。

「そうね……私たちは、やっぱり旅人じゃなく記す者なのね」



 翌朝。街道の先に、白く輝く山並みが姿を現した。

 その向こう――氷砂漠が広がっている。


「見えてきたな」

「ええ……あの氷の下に、声が眠る墓廟がある」


 二人は短く視線を交わす。

 互いに冗談を交わしながらも、胸の奥には冷たい予感が広がっていた。



 北境を越えた先、一面の白が広がっていた。

 黒曜砂漠の灼熱を歩いた身には、同じ「砂漠」と呼ぶのが不思議に思えるほど、氷砂漠は静かで冷たかった。

 風は鋭く、肌を裂くような感触を与え、足下の雪は硬く締まり、靴底から冷気がじわりと侵入してくる。


 エヴァンは外套の襟を立て、息を白く吐いた。

「……ここまで寒いとはな。まるで大地そのものが死んでいるようだ」


 セシリアは氷晶灯を掲げ、目を細める。

「生きているからこそ、氷が鳴っているのよ。聞こえる? 氷の下から……声が」


 確かに、足元から低く唸るような振動が伝わっていた。風の音でも、氷のきしみでもない。

 ――何かが下に眠っている。



 廟堂の外郭は、氷に閉ざされた巨大な裂け目として姿を現していた。

 高さ数十メートルの氷壁には、幾重もの層が重なり、まるで地層のように時代を刻んでいる。

 その最下層に、人為的な刻印――扉の痕跡らしきものが見えた。


 エヴァンが手袋越しに触れると、冷たさと共に淡い光が広がった。

「……刻印が反応した。やはりここが〈白き墓廟〉の入口か」



 セシリアは氷壁に浮かぶ文字列に杖先を当て、魔力を流し込む。

 刻まれていたのは古代北方語――すでに忘れられた言語だったが、詩のような形式を帯びていた。


《眠りは記録なり》

《声は氷に留められ、時を超える》

《眠りを破る者、永遠に声を奪われん》


「……警告ね。墓廟に入る者は眠りに囚われる、と」

「じゃあ、戻った者がいないのも当然か」

 エヴァンの声は低く、吐息が白く散った。



 さらに周囲を調べると、氷の裂け目には不可解な現象が記録された。


 氷の温度が一定でなく、部分的に急激な冷却、加熱が起きている。


 氷晶灯を近づけると、氷面に「影」が浮かぶ――光源に対して存在しないはずの影が。


 氷層の奥からは周期的な振動音が聞こえ、それが周囲の雪面に細かい亀裂を走らせている。


 セシリアは記録板に書き込みながら、ふと背筋を伸ばした。

「……ただの氷じゃない。これは記憶の層。声や影を刻んだ氷が、何世紀も重なってるのよ」


「つまり、ここ自体が一つの記録装置……墓廟そのものが、声を保存する仕組みか」

「ええ。そして眠り手は、その記録を守るために現れる……」


 冷たい風が裂け目を吹き抜け、遠くで氷が軋む音が響いた。

 二人は無言で目を合わせる。――ここから先が、本番だ。



 エヴァンが魔剣をゆっくりと構えると、氷壁に刻まれた古代の扉紋が微かに振動した。

 セシリアが《精神防護符》を掲げ、低い詠唱を囁く。

「――扉よ、声の眠りを解け」


 氷が鳴動し、深い地の底から響くような重低音と共に、厚い氷扉が左右へ割れた。

 内部から流れ出したのは冷気だけではない。

 ――囁き声だ。誰のものか分からぬ声が、何百、何千と重なって漏れ出す。


「……もう始まっている」

 セシリアは額に汗を浮かべながら呟いた。



 内部は、氷で固められた長い回廊だった。

 壁には無数の浮き彫りが並び、それぞれが口を開いたままの人物像を描いている。

 声を発しているかのような姿――だがそこからは音が出ず、ただ冷気に溶けていた。


 エヴァンは剣先で床を突き、慎重に歩を進める。

「……足跡がある。新しい。行方不明になった連中か」


 雪に覆われていない靴跡が、奥へと続いていた。

 しかし途中から、足跡は急に乱れ、やがて床に横たわる影に変わっていた。


「人の影が……凍りついている……?」

 セシリアは杖を向け、魔力光を当てる。

 確かにそれは影の形をした氷板であり、床に貼り付いたまま動かない。

 人の姿はもうどこにもない。


「……これが眠り手の仕業か」



 回廊を抜けると、吹き抜けの大空間に出た。

 天井は見えぬほど高く、氷柱が森のように並び、その合間に石棺が数十並んでいる。

 石棺の表面には刻印がびっしりと彫られ、ところどころから青白い光が漏れていた。


「これが……石棺の記録群」

 セシリアは震える声で呟いた。

「石に刻んだ文字ではない……魂魄そのものを封じて記録にしている……」


 囁き声はここで最高潮となり、二人の鼓膜を圧迫する。

 声は重なり、混ざり、意味を持たぬ旋律となって空間を満たしていた。


 エヴァンが低く唸る。

「……剣を抜いたまま進む。何が出てもおかしくない」


 二人が歩を進めた瞬間、石棺のひとつが不気味な振動を発し、棺の隙間から白い影が溢れ出した。

 その影は人の形をとり、しかし顔はなく、口だけが開いた。


「眠り手……」

 セシリアが名を呼ぶと同時に、氷の空間全体が凍りつくように静止した。

 ――時間そのものが、止まった。



 石棺から滲み出た白い影は、空間の中心で膨らみ、やがて人の輪郭を持った。

 しかしその顔には目も鼻もなく、ただ大きな口だけが開かれ、吐息のように冷気を垂れ流していた。


 次の瞬間、エヴァンの振るった魔剣が唸りを上げて斬り裂く――

 だが、刃は影を切り裂いたはずなのに、抵抗を感じなかった。

 振り下ろしたはずの衝撃も返ってこず、まるで夢の中で剣を振ったかのように空虚だった。


「……効いてない……!」

 エヴァンが後退する。


 眠り手の口が、深い淵のように広がった。

 そこから吹き出したのは音ではなく、沈黙だった。

 耳を塞いでも止められない、意識そのものを掻き消す沈黙。


「ぐっ……頭が……!」

 エヴァンの視界が霞み、魔剣を握る手が震える。

 立っているはずの足が、ふいに感覚を失い、床に影が溶け込むように引きずり込まれていく。


 セシリアは杖を掲げ、魔力障壁を展開する。

「《精神防護符》、今こそ効いて……!」

 符の光が二人を包み、沈黙の侵食を僅かに遅らせた。


 しかしそれでも、眠り手の力は止まらなかった。

 石棺の間に並ぶ棺が次々と共鳴し、内部から呻き声のような囁きが漏れ出す。

 その声が合わさるたび、意識が重く引きずられ、瞼が勝手に閉じようとする。


「……眠らせる気か……!」

 エヴァンが唇を噛み、血の味で覚醒を繋ぎ止める。


 セシリアは必死に魔導式を紡ぐが、詠唱の言葉が喉の奥で崩れ、言語そのものが眠気に沈んでいく。

「言葉が……消されていく……!」


 眠り手は口をさらに開いた。

 そこに吸い込まれるように、石棺から漏れた声たちが一つに束ねられ、圧倒的な時間停止の力が空間に充満する。


 剣も、魔法も、通じない。

 このままでは、二人の意識ごと記録として封じられてしまう――。



 時間が止まった。

 呼吸も、声も、光さえも凍りついたように動かない。

 眠り手の口から溢れる沈黙が、あらゆる行為を「記録」として封じようとしていた。


 ――エヴァンは、剣が空を裂いた感触すら覚えない。

 まるで斬撃の瞬間を「削除」されたかのようだ。


「……ッ、セシリア……聞こえるか……?」

 凍結した時の中、かろうじて心に届く声。


 セシリアはうなずいた。

「ええ……でも、このままじゃ、意志まで眠らされる……」


 彼女は杖を強く握り、胸の内の《記録板》に視線を落とす。

 そこには、彼らが歩んできた任務の記録が刻まれていた――封印聖堂、沈降都市、砂漠の祭壇……。


「エヴァン、剣に記して。戦った証を。忘れさせない力こそ、武器になる」


 エヴァンは魔剣を見下ろす。

 刃は震えている。だがそれは恐怖ではない。

 彼が生き抜いてきた数々の記録――仲間を救い、記し続けた存在の証が宿り始めていた。


「……俺は、斬った記録を残す。記録そのものが、刃になる」


 魔剣が青白く輝いた。

 時間に縛られない意志の刻印が刀身に宿る。



 眠り手が再び口を広げ、二人を闇に閉じ込めようとする。

 その時――セシリアが詠唱を始めた。


「記録よ、眠らされるな。語れ、斬られた事実を。《記録再定義リスクリプション》!」


 彼女の魔力が空間を覆い、眠り手の沈黙を文字列として浮かび上がらせる。

 「静寂」「停止」「忘却」――それらが符号として見える。


「エヴァン、今!」


 エヴァンが吠える。

「俺の斬撃は、語られた記録を断ち切る――!」


 魔剣が振るわれ、浮かび上がった「忘却」の符号を切り裂いた。

 時間停止の呪縛が、音を立てて割れた。



 眠り手の口から、今まで閉じ込められていた声が解き放たれる。

 呻き、叫び、祈り……そして涙。

 それは廟堂に囚われてきた者たちの声だった。


 セシリアはその声を両手で受け止めるように抱き、詩の形に変換して記録板に刻む。

「これで……もう、忘れさせない」


 最後に残った眠り手の影が苦悶し、溶けるように崩れていく。

 エヴァンは魔剣を構え直し、一閃。

 「沈黙の記録」を貫き、完全に砕き散らした。


 ――凍っていた時間が解け、再び廟堂に冷たい風が流れた。


 氷の間に、ただ石棺と残された記録群が静かに並んでいた。

 二人は荒い息をつきながら、互いに視線を交わす。


「……やったな」

「ええ。でも……ここに眠っていた声を、どう伝えるかが本当の任務よ」


 二人は頷き合い、石棺の記録群へと歩み寄った。



 静まり返った石棺の間。

 先ほどまで響いていた囁きは収まり、ただ氷の滴る音だけが残っていた。


 エヴァンは魔剣を杖のように突き立て、足元の石棺へと身を屈める。

「……中に、まだ誰かいるのかもしれないな」


 セシリアは慎重に近づき、《精神探知式》を展開した。

 杖の先から光が走り、石棺の内部を透視するように浸透していく。



 最初の棺は古く、内部には崩れた骨片が残るのみだった。

 しかしその骨は淡い光を帯び、未だ「記録」として存在していた。


「……古代の修道士かしら。もう生きてはいないわ」

「記録だけが声として残っている、というわけか」



 別の棺では、氷に包まれた影のような人影が横たわっていた。

 セシリアが探知を深めると、その影は呼吸も心臓の鼓動もなく、ただ夢だけを見続けていた。


「……これはもう、戻らない。魂が眠りの記録として固定されてる」

「助けられないのか」

「ええ。解放すれば……崩れてしまう」



 そして――最後の一基を調べたとき。

 中からかすかな微熱と、弱々しい鼓動が伝わってきた。


 セシリアは目を見開く。

「エヴァン、これは……! まだ生きてる!」


 急ぎ符を解き、棺の封印を解除すると、若い男の身体が氷に包まれたまま現れた。

 目は閉じられているが、唇はかすかに動き、うわごとのように名前を呼んでいた。


「行方不明になっていた隊商の者だろう……間に合ったな」

 エヴァンは男を抱き上げ、外套で包む。

「まだ助かる……王都に連れ帰れば」



 十数基の石棺のうち、生存反応があったのは一名のみ。

 他はすでに眠りの記録に還っており、救出は不可能と判断された。


 セシリアは震える声で記録板に書き記した。

「……全員を救えたわけじゃない。でも、この声を持ち帰れば、少なくとも忘れられはしない」


 エヴァンは短くうなずき、肩越しに振り返る。

「任務の目的は果たした。石棺の記録群と、この生存者……必ず王都へ届ける」



 生存者を救出した後、二人は残された石棺一基ごとに丁寧に調べていった。

 蓋の表面には複雑な刻印が施されており、内部に納められていたものは、単なる遺体や副葬品ではなかった。

 ――石板、骨に刻まれた符号、そして不思議な光を帯びる水晶片。


 セシリアが記録板を手に、呟く。

「これは……ただの葬送ではないわ。魂魄そのものを記録媒体として封じていたのね。声、祈り、記憶……それがここに残っている」


 エヴァンは眉をひそめ、魔剣を杖代わりに立てた。

「だから眠り手が守っていたのか。眠りとは、つまり記録を封じる術式……」



 二人は一つずつ媒体を分類していく。


石板記録

  表面に古代王朝語で刻まれた碑文。内容は儀式の記録や王朝の系譜と見られる。

  崩落を免れたものは十数枚。


骨文書

  長骨に細かな符号を刻み込み、呪的な封印で保護したもの。

  内容は「夢幻に入る術」「声を留める術式」に関する断片的な記述。

  保存状態は不安定で、一部はすでに欠落。


水晶片の記録核

  人の声が囁き続けるように響く、微光を放つ水晶。

  セシリアが聴取すると、断片的な言葉が聞き取れた。

  「……われらは眠る……」「……忘れられるな……」


「これらは壊すことなく持ち帰るべきね。複写よりも実物の価値が大きい」

「だが脆いな。搬出中に壊せば記録は失われる」

「……だからこそ、私たちが護るのよ」



 セシリアは保護結界を重ね掛けし、石板や骨文書を魔導収納に封じ込めた。

 エヴァンは周囲を警戒しながら搬出経路を確認する。氷壁の振動は収まっており、再び眠り手が現れる気配はなかった。


 やがてすべての回収を終え、廟堂の中心に残されたのは――ただ静かに閉ざされた石棺と、氷の冷気だけだった。


 セシリアは最後に振り返り、そっと手を胸に当てた。

「眠らされた声はすべて救えなかった。でも……ここで失われた記録は、確かに外へ持ち帰った」


 エヴァンは頷き、背の荷を確かめる。

「これで報告ができる。生存者も、一基の声も……俺たちが連れ帰る」


 二人は氷の回廊を後にし、王都フェル=グレイへ帰還の途についた。



【王立記録局提出文書】


報告番号:R-EX-2219-VH

提出者:エヴァン・クロスフィールド/セシリア・ヴァレンタイン


任務名


《探索任務:古代遺跡〈ヴァルヘリオン廟堂〉に眠る石棺の記録群》


任務目的達成報告


1:遺跡構造の現状調査


黒曜砂漠南縁に露出した〈ヴァルヘリオン廟堂〉は外郭に氷化現象が確認され、通常の風化作用では説明不能な「凍結領域」を形成。


内部は石棺を中心とする祭祀空間が複数層に並び、各層ごとに精神干渉波が観測された。


回廊には「影の凍結」が残存し、失踪者が影だけを残して消滅する現象が発生していた。


2:石棺の記録群の回収と解析


記録媒体の形態は以下の通り:

 ・石板記録:儀式・系譜を示す文書、計12点

 ・骨文書:夢幻作用・魂魄封印の術式、計7点(うち3点は損傷)

 ・水晶片の記録核:囁き声を保持する媒体、計4点


すべてを結界保護下に収納し、王都へ持ち帰り済み。


記録は魂魄を刻む形式を主体としており、今後の解析には精神系術者の立会いが不可欠。


3:不明存在眠りスリーパーの確認


遺跡中心部にて実体化。


特徴:

 ・通常攻撃無効化

 ・沈黙作用により時間停止を発生

 ・石棺から魂声を吸収し、意識を封じる


対処:

 剣と魔法ではなく、「意志や記録そのもの」を媒介とした反撃により撃退。

 これにより囚われた声は解放され、空間の精神干渉波は収束。


4:生存者確認


行方不明となっていた隊商一行のうち、1名を救出。

 残る者は魂魄ごと封じられており、肉体生命は失われていた。


付記


本遺跡は「眠り」を媒体とした記録保存装置として機能していたと推定。


生存者の証言により、眠り手は数十年前の探索者をも取り込んでいた痕跡が判明。


今後の再調査は慎重を要し、監査局による封鎖指定を推奨。


提出者署名:

エヴァン・クロスフィールド

セシリア・ヴァレンタイン



 監査官代理エイディル・ローランが報告書を読み終えると、深いため息をついた。


「……つまり、眠り手は記録そのものを食らう存在だったわけですね」


 セシリアはうなずき、疲れを隠さず答える。

「はい。書かれなかった声、記されなかった魂を、永遠に眠らせる仕組みでした。放置すれば、周辺集落も危険にさらされます」


 エヴァンが腕を組み、冷たく付け加える。

「だが今は収束した。石棺の記録群も確保済みだ」


 ローランは二人を見渡し、机上の報告書を閉じた。

「……分かりました。記録群は解析班へ送ります。あなた方の働きで、失われかけていた知識が守られたのです。感謝します」


 セシリアは少しだけ微笑む。

「救えなかった声もあります。……でも、記したことで、確かに残せたはずです」


 ローランは黙ってうなずき、最後に言葉を添えた。

「――その記録、決して失われぬよう我らが守りましょう」



 報告を終えた翌日、セシリアはエヴァンを半ば無理やり街路へ連れ出した。

 向かった先は、王都でも古い部類に入る小さな書店。棚には年代物の詩集や魔導論文、誰も読まないような手写本が無造作に積まれている。


「また来たのか。昨日も三冊抱えていっただろう」

 エヴァンは店の外で腕を組み、呆れ顔をする。


「仕方ないでしょ。あの廟堂で眠りの記録を見たら、どうしても読み比べたくなるのよ」

 セシリアはそう言いながら、光沢を帯びた羊皮紙の写本を大事そうに抱えていた。


「それは?」

「夢と意識に関する古代学派の研究書。……それに、これはただの詩集」

「詩集か……必要なのか?」

「心を守るのに必要よ。今回は特に、言葉や声が痛かったもの」


 その言葉に、エヴァンは少しだけ黙り込む。彼もまた、眠り手に意志を奪われかけた瞬間の記憶を引きずっていた。



 店を出た二人は、石畳を並んで歩いた。

 王都の空は赤く染まり、屋根の上に影が長く伸びている。


「エヴァン」

「なんだ」

「私たちは、記すことによって戦ってる。けど同時に、記録は人を縛ることもある。廟堂の声を思うと……少し怖いの」


 彼女の視線は夕陽に染まる空へと向いていた。

 エヴァンはしばらく黙り、やがて短く答える。


「……それでも記すしかない。忘れたら、すべてが眠り手の糧になる」

「そうね」

 セシリアは微笑んだ。

「だから私たちは、続けるのよね。次の依頼も」


 その横顔に、エヴァンもわずかに笑みを返した。


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