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第三十六話

【王立記録局・探索依頼文書】


依頼番号:R-EX-3117

機密等級:S-2(極秘・限定開示)

宛先:探索担当者 エヴァン・クロスフィールド殿/セシリア・ヴァレンタイン殿

発信者:王立記録局・秘匿史料課 課長 リュシアン・ファーヴェル


【任務名】


《探索任務:黒曜砂漠〈ノクス=デゼルト〉に出現した影写の祭壇調査》


【任務目的】


砂漠地下遺構の現状確認

 黒曜砂漠北縁に新たに露出した地下空洞群を調査し、内部構造・異常現象を記録すること。


影写の祭壇の確認と解析

 現地目撃情報にある「影を写し取る祭壇」と呼ばれる構造物を特定し、機能および危険性を評価。


行方不明者の捜索

 数日前に独自調査へ向かった商会隊商の一行(計5名)が消息を絶っており、可能な限り生存の有無を確認すること。


【背景情報】


黒曜砂漠は千年前の星火災禍によって生まれた硝子質の荒野であり、

夜間は砂粒が光を反射し「星の海」と形容される特異景観を呈する。


近月、砂丘崩落の後に地下空洞が出現、内部から奇妙な石造祭壇と、

「影が影として動かなくなる」現象の報告が相次ぐ。


現地に残された日誌の断片には次の一文が記されていた:


我らは光に背を向けられ、己の影に取り込まれた


【危険度評価】


魔物危険度:★★★☆☆(砂棲魔物・影異形の可能性)


環境危険度:★★★★☆(高温・乾燥・砂嵐・光反射による幻惑)


特殊危険度:不明(影写現象の精神影響)


【備考】


特殊装備として《影封じの水晶符》を支給。


影が異常行動を示した場合、即座に符を用いて封鎖処置を行うこと。


本件は王立学院の天文史部門からも強い関心が寄せられているため、

 得られた記録は速やかに局へ転送すること。


署名

王立記録局・秘匿史料課 課長

リュシアン・ファーヴェル(印)



 王立記録局の依頼文書を受け取り、準備を整えた二人は、王都の南門を発った。

 晩夏の残り火がまだ街路に漂っており、夕刻には赤銅色の光が尖塔の壁を照らしていた。


「黒曜砂漠か……名だけはよく聞いたが、足を踏み入れるのは初めてだな」

 馬車の窓から遠ざかる王都を眺めながら、エヴァンが呟く。

「夜空の裏側が砂に落ちている――学院時代の資料に、そう書かれていたわ」

 セシリアが応じ、指先で依頼文書を軽く叩く。

「けれど今は、影そのものが囁きを持つ場所……そう呼ばれている」


 街道はやがて緑を失い、乾いた大地が広がり始めた。

 低木さえ疎らな荒野の先、水平線のように黒く光る帯が見える。

 それが、黒曜砂漠。星火災禍の痕跡が千年の時を経てもなお輝きを保つ地。


 数日後。

 黄昏の時刻、二人の馬車は砂漠縁の前哨地に到着した。

 粗末な石壁に囲まれた集落――旅人と学者、そして砂を恐れる兵たちが、火を灯しながら夜を迎えている。


 宿営所の帳の中、地図を広げた案内役が声を潜めた。

「空洞群は北東の砂丘の下。先に潜った商会の連中は、そこから消息を絶った。……影に呑まれた、と言う者もいる」


 その言葉に、セシリアは静かに頷く。

「影写の祭壇のある場所ね。……影が影でなくなる現象、必ず記録に残すわ」

「影を斬るなんて芸当はしたことがないが……やってみるしかないな」

 エヴァンは口元で笑い、魔剣の柄を軽く叩いた。


 夜が落ちる。

 砂漠は光を反射して銀色に煌き、まるで無数の星々が大地に降り注いだようだった。

 その中央、影を持たぬ黒い亀裂が――彼らを待っていた。



 夜半、砂丘の影に口を開けた黒い亀裂へと、エヴァンとセシリアは足を踏み入れた。

 冷たい風が地下から吹き上がり、外の砂漠の熱気と対照的に、底知れぬ深さを思わせる。


「……熱が引く。ここは、自然洞窟じゃない」

 セシリアが壁面に手を当てる。黒曜石のように滑らかな岩肌に、人工的な刻線が走っていた。

「遺構だな。星火災禍以前の……」

 エヴァンが低く言い、魔剣の鍔に手をかけた。


 通路は緩やかに下り、やがて広い空洞へと開ける。

 そこには石柱が整然と立ち並び、崩れかけた祭殿のような空間が広がっていた。壁面には影が異様に濃く、灯したランタンの光さえ吸い込まれるように揺らいでいる。



 セシリアが記録符を取り出し、空洞の測定を始める。

「温度低下、魔力濃度上昇。影の濃度が周囲光量に比例していない……影そのものが実体を持ち始めている」

「影に重さがある……そんな馬鹿な話が」

 エヴァンが足先で影を踏むと、そこには一瞬、確かな抵抗が返った。


「……記録する。これは影写現象と呼ぶべきね」

 セシリアは緊迫した声で記録板に書き付ける。

 第一任務――地下遺構の現状確認。すでに異常は十分に記録する価値があった。



 空洞の中央には、半壊した石壇が鎮座していた。

 表面には無数の鏡片が埋め込まれ、ランタンの光を受けては奇妙にねじれた反射を返す。

 その反射の中に――二人の影ではない、別の人影がちらついた。


「……これが、影写の祭壇」

 セシリアは息を呑む。

「ただ映すだけじゃないな。影を写し取り、定着させる装置だ」

 エヴァンが刃をかざし、影を払おうとするが――鏡片に焼き付いた影は微動だにしない。


 次の瞬間、鏡片から黒い手が伸び、地を這うように祭壇の周囲に広がった。

 影が影を呼び、祭殿全体が呻くような響きを発する。


 エヴァンは提供されていた《影封じの水晶符》を用いた。

 水晶が輝き、影を吸い込む。溢れる影の手は一時的なものか収束する。


 セシリアが影の縁に散らばる物を見つけた。

 朽ちた革袋、折れた槍柄、そして半ば飲み込まれかけた足跡。

「……商会隊商の物だわ。間違いない」

 足跡は途中で途切れ、影に沈み込んで消えていた。


「奴ら……影に呑まれたのか」

 エヴァンの声は低い。

 三つ目の任務――行方不明者の捜索。その答えは、目の前の影が握っているらしかった。


 果たして影は再び膨張を続け、空洞全体を飲み込もうとし始めた。

 それは碑文の化身にも似た異常存在――いや、もっと原始的で、制御不能の災厄の気配を放っていた。



 石壇に埋め込まれた鏡片が一斉に震え、砕け散ることなく内側から光を放った。

 それは炎ではなく、影を逆照射するかのような黒い光。

 空間に広がる影が一斉に波打ち、粘液のように床を這い、壁をよじ登り、天井から滴り落ちてきた。


「……影そのものが実体化してる」

 セシリアが杖を振り上げ、即座に防御の魔方陣を展開する。

 光の結界が張られるが、影はその表面を爪で引っかくように蠢き、ひび割れを広げていく。


 エヴァンは剣を抜き、低く構えた。

「……なるほどな。影を写すってのはこういう意味か。喰った影を、この場で再生産してやがる」


 次の瞬間、鏡片から吐き出されるように人型の影が数体現れた。

 輪郭は歪み、顔はない。だが、その動きは異様に速く、しかも――


「待って、エヴァン……あれ、形が……」

 セシリアの声がこわばる。

 影の人型は、かつてここに足を踏み入れた者たちの装備と動きを模していた。

 短槍、商人服、革袋――すべてが行方不明者たちの姿を、黒い影として再現していた。



「……影に呑まれた者の残滓、か」

 エヴァンが呟き、すぐに一歩踏み込む。

 魔剣が横一文字に走り、最も近い影の胴を両断する。

 切り裂かれた黒は液体のように散るが、すぐに地に落ちて新たな影となって立ち上がった。


「分裂する……か。斬るだけじゃキリがない」

「なら、概念そのものを封じるしかない」

 セシリアは両手で杖を掲げ、複雑な詠唱を編み上げる。

 頭上に広がる魔法陣は、影を拒む白光を宿し――


「――《ルーメン・カテドラ》!」


 光が祭殿を満たし、影の群れが一瞬たじろぐ。

 その隙にエヴァンが突撃し、影の中心――祭壇の核へと斬り込む。


 しかし、刃が届いた瞬間、祭壇から噴き出した黒光が剣を弾き返した。

 祭壇そのものが、自律した影の主であるかのように。



「……やっぱり、ただの装置じゃないわ。これ自体が影写の化身」

 セシリアの声に、空間全体が低く共鳴する。

 影が人語に似た囁きを漏らす――


『――影を捧げよ。影を返せ。ここに残すなら、お前たちの影を』


 床に伸びた二人の影が、不自然に揺れ、地面から引き剥がされるように浮き上がり始めた。

 それはまさに魂の複製を奪い取ろうとする動き。


「エヴァン、私たち自身が、写し取られるわ」

「だったら――壊すしかないな」


 二人は背中合わせに立ち、祭壇を中心に渦巻く影の奔流へ挑みかかった――。



 祭壇から吹き上がる黒光が天井を貫き、洞窟全体を夜のように染め上げた。

 二人の影が床から引き剥がされ、半透明の姿をとって浮かび上がる。

 それは「エヴァンの影」と「セシリアの影」――まさに自分たちの複製だった。


「……なるほど、俺たち自身を敵に回すってか」

 エヴァンは剣を構え直し、低く笑った。

「なら――本物がどっちか、思い知らせてやる」


 影のエヴァンが魔剣を構え、同じ剣筋で斬りかかる。

 刃と刃が激突し、火花が散る。

 本物と偽物――技量は完全に一致していた。

 違うのは、意思だけ。


 同時に、セシリアの影は詠唱を始めていた。

「アルス=テネブラ……ソルム=――」

「私の術式を……模倣してる」

 セシリアは即座に反詠唱を開始し、術式を上書きする。

 光と影の二つの魔法陣が空中で衝突し、爆ぜた。



「セシリア、核を見つけろ。分身体と遊んでたらキリがない」

「わかってる」

 彼女は杖を突き立て、祭壇に視線を集中させる。

 黒光の奥で――確かに核が脈打っていた。

 それは鏡片の奥底に沈む、漆黒の宝玉。


「……あそこよ」

 セシリアが指差す。

 エヴァンは即座に影の自分を弾き飛ばし、全身で祭壇へ踏み込んだ。


 だが、宝玉を守るように、影の群れが壁となって立ちはだかる。

 人型、獣型、そして失踪した商人たちの影――。

 あらゆる形が重なり合い、黒い奔流と化して襲いかかる。


「道を開ける!」

 セシリアの杖に、白光が凝縮していく。

「――《ルーメン・エクスプロージョン》!」

 白い閃光が広間を満たし、影たちが一瞬にして吹き飛ばされる。

 その中に、核への一本道が現れた。



「今だ!」

 エヴァンが渾身の力で跳躍し、宝玉めがけて剣を振り下ろす。

 刃は鏡片を砕き、黒光を裂き、宝玉に突き刺さった。


 耳を裂く悲鳴が、影の群れから一斉に漏れた。

 影のエヴァンもセシリアも、形を保てず霧のように溶け崩れていく。


 最後に残った宝玉が、砕け散り、夜闇のような光を吐きながら消滅した。


 ……静寂。


 洞窟には、ただ砂を落とす乾いた音だけが残った。



 セシリアは杖を支えに深く息をつき、エヴァンのもとへ歩み寄る。

「……どうやら、写し取られた影たちは解放されたみたいね」

「商人たちは?」

 エヴァンの問いに、セシリアは首を振った。

「残念だけど……影に呑まれた時点で、もう戻れなかったのでしょう」


 二人の足元には、影が消えた後に残された荷物や商会の印章が転がっていた。

 行方不明者の末路を示す、最後の証。


 エヴァンはそれらを布袋に収め、短く呟いた。

「……証拠は持ち帰る。少なくとも、遺族に返せるものはある」


 セシリアは祭壇の残骸を見つめながら、微かに眉を寄せた。

「影を写す祭壇……危険度は最高で記録するべきね。

 あれはただの罠じゃない。都市ごと呑み込むための装置だった可能性がある」


 二人は互いに頷き合い、地下遺構を後にした。

 黒曜砂漠の夜明け前、東の地平線にはすでに薄い光が滲んでいた――。



 夜明け前に砂漠を発った二人は、数日の旅路を経て王都へ帰還した。

 王立記録局の重厚な石造りの庁舎に入ると、すぐに特別探索課の課長アウレリウス・ヴェルディンが出迎える。

 銀の装飾眼鏡越しの鋭い眼差しが、二人の背負った砂塵まみれの荷袋をとらえた。


「戻ったか……報告を聞こう」


1.砂漠地下遺構の現状確認


 セシリアが巻物を広げ、魔力で写し取った遺構の構造図を提示する。

「黒曜砂漠北縁の地下空洞は、かつて祭祀施設として機能していた形跡があります。

 ただし内部は崩落が進み、魔力の乱流も強い。長期の滞在は危険と判断します」

 壁面に残された古代語の碑文写しや、魔力流の計測値も併せて提出。

 アウレリウスは頷きながら記録係に控えさせる。


2.影写の祭壇の確認と解析


 エヴァンが祭壇の残骸から持ち帰った鏡片を机に置く。

 黒い光はすでに失われていたが、表面にはなお不気味な痕跡が残る。

「影を写し取り、模倣させる術式でした。戦闘においては、我々自身を複製し襲わせる形で発動。

 ……危険度は最高等級。再現や放置は極めて危険です」


 セシリアは補足するように言葉を継ぐ。

「解析の結果、祭壇は都市ごと影に呑み込む規模の装置だった可能性があります。

 今回の破壊で当面の脅威は去りましたが、残存部位の徹底的な封印が必要です」


 アウレリウスは深く息を吐き、静かに記録に書き留めた。


3.行方不明者の捜索


 最後に、エヴァンは布袋から商会の印章と壊れた日誌を取り出す。

「残念ながら、商人一行の生存は確認できなかった。

 影に呑まれ、存在ごと祭壇に取り込まれたと見られる。

 せめて、これだけでも遺族に返してやってほしい」


 セシリアもまた、商会員が残した符丁の記録を差し出す。

「彼らは勇敢に探索を試みていました。その証を否定せず、正しく記録に残してあげてください」


 アウレリウスはしばし目を伏せ、静かに頷いた。



「よくやってくれた」

 課長の声は低く、しかし確かな重みを帯びていた。

「君たちの報告により、祭壇の危険は王都に届かずに済んだ。……報酬と功績は、正式に記録局と王家より授与する」


 エヴァンとセシリアは深く礼を取り、報告を終える。

 庁舎を出れば、王都の空は柔らかな午後の陽を湛えていた。

 人々のざわめきは穏やかで――その平穏を守るための戦いが、また一つ幕を閉じたのである。



 報告から数日後。

 王都中央区の広場に面した酒場の奥、石壁の陰に二人の姿があった。

 エヴァンは木製のジョッキを傾け、淡い苦味のエールをひと口。

 セシリアは向かいで葡萄酒を口にしながら、微笑を浮かべる。


「……今回も生きて帰ってこれたわね」

「当たり前だろ。俺はまだ、死ぬつもりはない」

 軽口を叩くエヴァンの瞳には、わずかに疲労の色が残る。

 それでも彼の手は、剣の柄を離している――それが何よりの証だった。


 セシリアはグラスの縁をなぞりながら、ぽつりと言葉を落とした。

「……行方不明になった商人たち。影の中で見たわ。彼らの模倣が」

「俺もだ。戦いながら……わかってた」

「ええ。でも、最後まで自分の形を保っていた。だからこそ……彼らの証は残ったのよ」


 エヴァンは短く息を吐き、ジョッキを置いた。

「お前は優しいな」

「そう思う?」

「少なくとも、俺よりはな」

 互いの視線が交錯し、やがて笑みが零れた。



 酒場の扉が開き、風が差し込む。

 通りの向こうには、王立記録局の伝令が駆けていくのが見えた。

 その手には新たな封筒――新任務の封蝋が光る。


「……次も、すぐ来るわね」

「望むところだ。どうせ俺たちは、流れ者だからな」

 エヴァンは肩をすくめ、空になったジョッキを卓に置いた。

 セシリアは小さく頷き、グラスを掲げる。


「じゃあ――次の影へ」


 軽くぶつけ合った音が、夜の酒場に響いた。

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