第三十四話
《王立記録局 発出文書:特別探索任務通達》
宛先:エヴァン・クロスフィールド殿、セシリア・ヴァレンタイン殿
【任務名】
《探索任務:終焉聖堂フェイン=ルティアに眠る封印文書の回収》
【目的】
目的1:半壊状態にある封印聖堂の実態調査
目的2:フェイン=ルティア文書と称される古代予言群の回収と解析
目的3:聖堂内に残留する崩壊後の異常記録波の発生源特定
【背景】
フェイン=ルティアは、かつて〈四大聖都〉のひとつに数えられた高地の神聖施設であり、古き時代の終末預言文書群が封じられていた場所とされる。
しかし、十年前に起きた「祈りの消失現象」以降、当該聖堂は崩壊、外部との接続が断絶された。
先日、未解析の記録信号が断続的に観測され、再調査の必要性が生じたため、貴殿ら二名に調査依頼を行うものである。
【補足】
当任務は現地記録守護団の支援を受けられない完全独立任務であり、危険の可能性も高いため、慎重な進行が望まれる。
また、当該領域では、言葉の成立そのものが変質しているとの報告もあるため、記録媒体の選定にも留意されたい。
王立記録局
特任探索課・監査官代理 エイディル・ローラン
「……また、あんたにしか頼めないって感じの依頼ね」
セシリアが書類を読みながら肩をすくめた。
記録局の応接室、窓の外には王都の高層書架が夕陽に染まっていた。
「言葉が変質するってのは……書くこと自体が罠になりかねないってことか」
エヴァンが眉をひそめる。
「でも、私たちは記すために歩いてる。なら、その中で見える真実もあるわよね」
「そうだな。例え、終わりの言葉に近づいていくとしても」
ふたりは無言で視線を交わすと、立ち上がった。
高地に向かって登る山道は、既に祈りの匂いを失って久しかった。
神聖と称された空気は、今やただの重く濁った空気に過ぎず、乾いた風が、割れた聖石の列柱を吹き抜けてゆく。
エヴァンは背の魔剣をわずかに持ち上げ、前方の石造りの聖堂跡を見据えた。
「……ここが、言葉の終わりと呼ばれた聖堂か」
セシリアは周囲を警戒しつつ、魔力を展開。周囲の気配に触れる。
「喋らない声が響いてるわ……言葉じゃない、でも、感情の残滓が揺れてる。怒りと、哀しみと、告白……それと、語ってはならない何か」
エヴァンは無言で頷き、二人は慎重に、崩れかけた聖堂の扉――もはや半ば地に埋もれていた石板の縁へと歩を進めた。
その瞬間――
――ぎぃい、ぎぃぃぃ……
閉ざされた扉の縁から、誰かの爪で石を引き裂くような音が鳴った。
だが姿は見えない。音は、すぐ横からでも、頭上からでも、足元からでも聞こえる。
それは場所を持たない、記録に値しないノイズだった。
「セシリア」
「ええ、記録されなかったものの気配がいる」
エヴァンが魔剣を抜くと、刃はわずかに軋むように反応し、聖堂の奥から暗い風が吹き抜けた。
聖堂の内部は、まるで凍りついた言葉の墓標のようだった。
壁面には、破損した聖句、削られた預言、黒く煤けた象形文字。
その全てが、何か誰かに読まれることを拒絶しているかのように、意味の断絶を露わにしていた。
セシリアはそっと囁く。
「たぶん、この聖堂そのものが、語ることを忘れさせる装置になってるのよ。思考すら、まともに整わなくなりそう」
エヴァンは瞳を細め、刃を再度握り直した。
「だが、それでも書が存在するなら、それを手に入れる。ここで終わった言葉を……俺たちが記すために」
聖堂の奥、瓦礫の下にうごめく気配が、明確に敵意を持って彼らを睨みつける。
――それは、言葉を持たぬまま現れた。
聖堂奥の崩れた主祭壇。その祭壇に封じられていたなにかが、
空間を文字列のように解体しながら現れる。
音も光も、剥がれた皮膜のように宙を漂い、
黒く染まった三対の腕と、仮面のような顔――
いや、顔らしき何かを持つそれは、明確に敵意を込めて、二人を見下ろしていた。
「……こいつは、語られることすら拒絶された記録……!」
セシリアが防御障壁を展開するより早く、
敵の仮面が一つ――口のような裂け目を開いた。
『■■■■■■■■■■』
――その言葉を聞いた瞬間、エヴァンの視界が上書きされる。
石造りの聖堂が、何も語られぬ空間に変貌し、
世界の輪郭が曖昧になる。脳が理解を拒み、
認識のすべてがぼやけ、崩れ――それでも、彼は踏みとどまった。
「……クソ……! 言葉で、俺の認識を――!」
セシリアが魔法を撃つ。
だがその魔力も、言語化された概念に支えられている。
敵はそれを、言語そのものを崩壊させる力で打ち消してきた。
「――なら、名づけられてないままの力で貫くしかない!」
エヴァンが魔剣を構える。
刃に込めたのは、感情そのもの――怒り、意志、そして存在の肯定。
セシリアが、詠唱を放棄して《純粋魔力結晶》を直接展開。
詠唱なき魔弾が、敵の肩口を穿つ。
その瞬間、仮面がひとつ崩れた。中から名前の無い顔が覗く。
「効いたわ、エヴァン。言葉じゃなく、感情で刻む!」
「上等だ。俺の刃は、語られずとも斬れる」
――エヴァン、突撃。
魔剣が吠える。《無銘の斬撃》――名も呪も込めぬ一撃が、
語りの亡者に初めて明確な傷を刻んだ。
だが――
『■■■■――■■■――■』
仮面が一つ崩れるたび、新たな言葉なき記号が空間を染めていく。
祭壇が崩れ落ちる。
それと同時に、エヴァンとセシリアの足元から、文字のように折り重なる空間の裂け目が開いていった。
「時空が、語りとして再構築されてる……!」
セシリアの叫びも、空間に溶けて文字列に変換される。
話すという行為が、空間の構成要素として吸収されていく。
――この空間は、「語り」でできている。
天井は詩のように韻を刻み、
壁面は叙述として再編され、
大地は台詞の断片がタイルのように敷き詰められている。
そして、その中心に浮かぶ存在――
仮面を捨てた語りの亡者の本体が、
巨大な書物のような球体へと変貌していた。
そのページがめくれるたび、異なる現実の断片が空間に滲み出す。
この戦場で起きていることは、すべて――語られている。
「くっ……ッ! これじゃ……何をしても書かれた筋書きになる……!」
魔剣を振れば、「魔剣を振るった」と記録される。
魔法を放てば、「魔法を放った」と描写される。
全てが語りの支配下にある限り、自由意志すらも奪われていく。
「だったら――破ろう。この筋書きを!」
エヴァンが動く。だが敵は先回りして物語を記述する。
エヴァンが踏み込んだ瞬間、空間が崩れ、重力が反転した――。
記録が先に書かれ、彼の動きが拘束される。
「そんな……じゃあ、もう……」
「違う、セシリア。俺たちは読者じゃない。俺たちが書く側になるんだ。」
魔剣の刀身に力が灯る。
それは《語られぬ意志》――名も形も持たぬが、ここに在るという存在の証。
一方、セシリアは静かに目を閉じると、詠唱すら拒否した。
彼女の背後に浮かぶのは、構文を持たない純魔構式――。
ただ、魔力の衝動だけで構成された《虚構書架式陣》。
「記述に縛られた世界なら、書かれていないことこそが武器になる……!」
エヴァンとセシリアが同時に動く。
――剣が語られざる未来を切り裂き、
――魔法が意味を持たぬ音として空間を焼き尽くす。
《語りの渦》が崩れる。
本体の球体に、文字の亀裂が走り、
一枚ずつ、未来のページが破られていく。
「やっと、終わりが……見えてきた……!」
しかし最後の防衛機構が起動する――
空間の頁が破れ落ちる。
歴史の文が燃え尽きる。
そして、語る者さえ沈黙する。
かつて語りの亡者と呼ばれた存在は、もはや人の形をしていなかった。
それは《言葉そのもの》が集束した、巨大な虚無の巻物――
世界がかつて語ろうとしたが、誰にも届かず、封印された物語たちの墓標。
「ここで語られる物語は……終わらせない」
エヴァン・クロスフィールドは、魔剣を握りしめる。
剣は震えている――だが、それは恐れではない。
語られぬ者としての意志が、刀身に宿っているからだ。
「僕たちは……終わるためにここに来たんじゃない。語り継ぐために、だよ」
セシリア・ヴァレンタインが囁くように唱えた言葉は、魔法ではなかった。
ただの言葉だった。
けれど、それが――この《語りの牢獄》に対する、最大の反逆。
「記されざる終焉など……要らない。未来は、今ここで、私たちが語るの」
虚無の巻物が開かれ、無数の結末が流れ出す。
滅び。敗北。断絶。忘却。
しかしその中心に、語られない可能性という空白が残っていた。
そこへ踏み込む。
――エヴァンの魔剣が、虚無の書に書かれる寸前の余白を断ち切った。
――セシリアの魔法が、記録されることのない想いを刻みつけた。
破壊ではない。
これは、語られぬ未来を自分たちの物語として上書きする行為。
そして、
「……物語を、ここで閉じるのは――誰でもない。俺たちだ」
最後の一閃。
魔剣が深く深く突き刺さり、
虚構と記述のすべてを成していた書物が、沈黙の中で崩れ落ちる。
時間が止まり、
音が消え、
空間がゆっくりと綻んでいく。
語りは終わった。だが、物語はここから始まる。
空間が静かに瓦解し、語りの渦は完全に終息。
エヴァンとセシリアは、砂塵のような記述の欠片の中、再び言葉を取り戻した世界へと歩み出す。
――戦闘の気配は、すでに遠のいていた。
聖堂内に渦巻いていた異常な記録波の中心体は斃れ、空間を歪めていた語られぬ力は、静かに収束しつつあった。
エヴァンとセシリアは、崩れた礼拝堂の瓦礫を踏み越え、ようやく本来の目的に立ち戻る。
任務目的1:半壊状態にある封印聖堂の実態調査
任務目的2:フェイン=ルティア文書と称される古代予言群の回収と解析
任務目的3:残留する崩壊後の異常記録波の発生源特定
「……セシリア、こっちはまだ機構が生きてるみたいだ。文書保管区画の錠、解析できるか?」
エヴァンが示したのは、封印処理を施された記録格納棺。石棺のような形状で、表面には古代聖語による語録封印術式が残っている。
セシリアは慎重に魔導式具を取り出し、低く呟いた。
「封印は……昔のもの。おそらく、予言群が記された当時のまま残っているわ。これは……《語信式・双節型》ね。二重に意味そのものを縫いとめてある」
「解除できるか?」
「できる。……けど、気をつけて。解いた瞬間、言葉の奔流が吹き出すかもしれない。意味を読み取る前に、飲まれる可能性がある」
エヴァンは頷き、魔剣を地面に突き立てた。刃から静かに魔力の円が広がり、領域固定の術式が展開される。
「読解領域、構築完了。好きにやってくれ、セシリア」
「任せて」
そして――
封印解除の光が走った瞬間、静かだった空間が、音もなく意味で満たされた。
風も吹かぬ石の部屋に、声なき囁きが満ちる。
それは、書かれていない言葉。
それは、語られぬ未来。
それは、誰も記さなかった――だが確かに存在していた預言。
セシリアの眉がぴくりと動く。
「これは……終末の列音群……!」
「なんだ、それは?」
「未来を音の連なりで記録した予言。……意味を直訳すれば、意味喪失によって始まる世界の再編。これは……ただの予言じゃない。警告よ」
エヴァンが静かに、空の帳面に記録を写し取りながら呟く。
「やっぱりか。祈りの消失現象は、ただの宗教災害じゃない。……この文書には、もっと根の深いものがある」
「文書だけじゃない。……ここに残された空間そのものが、何かを記録していた痕跡なのよ」
彼女は指で、石の壁をなぞる。そこには、文字ではなく、意味の形――まるで音楽の譜面を立体化したような溝が刻まれていた。
「……ここは、記録装置そのものだったのよ、エヴァン」
「記録装置……空間が?」
「そう。予言を保存するための、空間そのものを使った保存媒体――でも、その一部は……喰われてる」
セシリアの指先が止まる。空間の記録断片が、ところどころ欠けているのだ。
エヴァンは魔剣を抜き、足元の残留波を切るように構えた。
「異常記録波の源……まだ、残ってるかもしれないな」
セシリアも頷く。
「……探索は続けるべきね。フェイン=ルティア文書の完全回収まで、まだ終わっていないわ」
古代封印文書《フェイン=ルティア文書》。
その核心をなす、終末の列音群と称される音型預言は、単なる未来視でも神託でもなかった。
それは――
《知識そのものが崩壊する》
《言葉が意味を失う》
《記録とは、存在の形式である》
そう警告するような、知の形式への問いそのものであった。
礼拝堂地下、石の回廊の奥。
そこは文書の格納区画ではなく、《音律解読室》と記された封鎖領域だった。
「……ここが、列音群を聞き取るための場所か」
エヴァンの声が、響かぬ石室に沈む。空間そのものが、音を封じているかのようだった。
セシリアは手にした《文書断章》を掲げる。
「この断章、ただの文字列じゃない。波動に置換して初めて、意味が開く仕掛けになってる。聞きなさい、エヴァン」
彼女は静かに詠唱した。
《ミエナイ・モノ・ヲ・カナデヨ》
《シズマル・トキ・ニ・ワスレルナ》
《カタラレヌ・モノ・ハ・キオクニ・ヨル》
その瞬間――
封じられていた空間が、音を発した。
それは「声」ではなかった。
空間が、部屋ごと震え、壁が、床が、空気が、列音として振動を始めた。
「……うっ、ぐ……!」
エヴァンは耳を押さえる。音というより、意味の衝突に近い。
「これは……ただの言語じゃない。これは、知識を読むことそのものが、戦いになる……!」
セシリアは眼を見開く。空間の奥に、何かが現れた。
形なき知識の集合、名もなき《音律知識体》が、空間から浮かび上がる。
【識別不能記録体:ソレハ、知識ノ形式】
【終末ノ列音群ヲ、貴殿ラハ読メルカ?】
【試練ヲ超エヨ。無カナ知識ト対話セヨ】
その存在は言葉にならない詩を、知覚に直接叩きつけてくる。
構文、意味、音韻、すべてを圧縮した情報の塊――それ自体が敵。
エヴァンが魔剣を構える。「あれが……この空間を喰っていた異常記録波の根源か」
セシリアが静かに頷く。「ええ。……戦いなさい、エヴァン。知識は斬れるわ。あなたの魔剣なら」
エヴァンは踏み込み、空間に斬撃を放つ。
言葉の形式が剥がれ、世界の構造が一部未記述になる――その刃に対し、《知識体》は、さらに多層の情報波を打ち出してきた。
「セシリア、援護を!」
「来るわ――詠唱:意味解析式展開――《語義律断層》!!」
魔導式の展開とともに、知識体の放つ情報波が解体され、一部が解読可能になる。
その空隙を縫うように、エヴァンが――もう一撃。
【問ウ:語ラレヌ終ワリトハ、何カ?】
【貴殿ラハ、終末ヲ記録スル意思アリヤ?】
音なき問いかけが、空間に響く。
セシリアの魔導具が共鳴し、断章の解読が進む。
「……終末とは、記録されぬものが世界を侵す現象。ならば――」
エヴァンが構え直す。
「記すために、斬る!」
知識体――。
それは言葉でも、姿でもない。
ただ、記録という存在の形式そのもの。
その本質は、「記されなかったこと」――。
語られず、記されず、理解もされなかった、全ての知識の影であった。
「セシリア、空間が……!」
エヴァンの叫びとともに、聖堂そのものが構造を失う。
石は崩れず、しかし存在していないように、周囲が記されていない空間へと変貌してゆく。
「これが、《終焉の列音群》の本質……」
セシリアは青ざめながらも、断章を手に踏み出す。
「語られなかったものが、今、語りかけてきてる……」
【語ラレナカッタ知識ハ、終ワリヲ呼ブ】
【形式ナキ知識ハ、世界ヲ崩壊サセル】
【理解サレナイ限リ、我等ハ記憶ヲ侵食スル】
知識体は問うているのではない。
知識そのものが敵となり、理解されるまで存在を拒絶するという戦闘構造。
「くるぞ!」
エヴァンの魔剣が、情報の奔流に包まれる。
攻撃も防御も――知識の解読がなければ成立しない戦い。
セシリアが詠唱する。
「《第二段階魔導詩式展開――形式知識構造の再定義》!」
言葉に意味が宿り、エヴァンの剣に新たな意味層が付与される。
「――今なら通じる! 斬れ、エヴァン!」
「応!」
エヴァンは跳躍。空間を裂く。
魔剣が、世界の未定義領域を斬り、そこに「記述という形」を刻む。
「存在せよ」――その命令こそが、知識体の崩壊を導く。
知識体が呻くような振動を放ち、形を持たない断片へと砕けていく。
【記録ハ……トドカナカッタ……】
【語ル者ナキ記憶ハ、滅ビユク……】
最後の音が静かに空気を抜け、崩壊が止まる。
静寂が戻った。
あたりは、かつての礼拝堂の最深区画。
だが、そこに明らかな変化があった。
セシリアが手にする断章が、静かに光を放っていた。
「これは……」
そこに記されていたのは、明確な古代預言ではなかった。
それは、かつて語られなかった記録――
「失われた者たちの知識」に、初めて名前を与えた文だった。
《われらは敗北者ではない。名もなく、ただ忘れられた者である。
だが、忘却こそが知識の本質。
語ることのなかった我らの声が、いま語られた。
これを記せ。これを伝えよ。記録の形式のうちに。》
セシリアは深く息を吐く。「これで……ようやく、知識が、救われたのね」
エヴァンは頷く。「斬って終わらせたんじゃない。記したことで、終わった」
彼らは静かに頷き合い、歩き出す。
終わりではない。まだ先がある。
【王立記録局提出文書】
報告番号:R-EX-2185-FL
提出者:エヴァン・クロスフィールド/セシリア・ヴァレンタイン
■ 任務名
《探索任務:終焉聖堂フェイン=ルティアに眠る封印文書の回収》
■ 任務目的達成報告
①【目的:半壊状態にある封印聖堂の実態調査】
対象施設フェイン=ルティア聖堂は、外観構造の約60%が崩落しており、聖堂正面及び西翼は風化と魔力風化によって完全消失。
一方、聖堂中枢(中央礼拝殿)および地下階層は異常空間化し、外界の物理法則を逸脱した状態にあることを確認。
この変質空間は、十年前の「祈りの消失現象」に起因する崩壊的干渉波と推定され、現在もなお微弱な記録歪曲が観測される。
なお、調査中に 空間全体が知識体(擬似意識体)による構造制御を受けていたと判明。これは封印の一部が未完だった可能性を示唆。
②【目的:フェイン=ルティア文書と称される古代予言群の回収と解析】
探索中、以下の文書を回収:
終末列音群の一部断片(3枚):各断章は古代神聖語による詩型予言形式で、内容は「記録されぬ歴史」「語られざる災厄」に関連。
記録されなかった語りと題された断章:異常空間崩壊時に現れた文書であり、知識体によって守られていた最後の記録。文面には「語られぬ者たちの意思」とされる声明が含まれており、予言性というより認識と存在の境界に対する哲学的文書と見なされる。
形式喪失記録媒体(4種):文書として形を保っていなかった知識断片。解析により、文字を用いず情報を刻んだ精神波形式の記録構造であると判明。
すべての文書は封印状態にあった記録守護空間より回収し、現在《王立解析局》への転送手続き中。
③【目的:残留する崩壊後の異常記録波の発生源特定】
調査により、異常記録波は知識体と称される情報干渉構造体から発されていたことが明らかとなった。
この存在は、失われた知識・語られなかった歴史・理解されぬ思念などが、封印空間の内部で累積・圧縮され、擬似的な意識を形成したものと推定。
知識を語らせることでしか崩壊させられない構造的防衛反応を持っており、記録媒体が崩壊後もその一部が残存していた。
本任務において知識体は語られぬ記録として整理され、記録形式に変換・定義されたことで、異常波の発生源は無力化されたことを確認。
以後、再発生の兆候は観測されず、現地の安定性は回復しつつあると判断。
■ 付記
本任務は異常空間内部での記録形式そのものに対する戦闘および交渉を含んでおり、従来の探索とは根本的に性質が異なります。
特筆すべきは、記すことそのものが戦闘行為となり得た事例であり、今後もこの種の知識存在との接触には記録様式・言語形式の適応力が求められると考えられます。
■ 添付資料
回収断章(計7点):原文・複写共に提出済
知識体干渉波記録ログ(簡易形式)
記録守護空間の魔力構造図(セシリア・ヴァレンタイン作成)
提出者署名:
エヴァン・クロスフィールド
セシリア・ヴァレンタイン
フェイン=ルティアの聖堂跡から戻った翌日、ふたりは久しぶりに長い休息を取っていた。
王立記録局に報告を提出し終えた午後、セシリアは帝都ミハノルティの外れにある小さな書店を訪ねた。そこは古い記録集や魔法理論書だけでなく、時に詩集や絵本さえも棚に並ぶ、少し風変わりな店だった。
「――おい、また買いすぎじゃないか?」
カウンターの横で、エヴァンが苦笑交じりに言った。セシリアの手には、少なくとも三冊以上の書物が抱えられている。
「これは必要なものよ。予言解読のための語彙対照表、幻視に関する古代学派の論文、あとこれは……ただの詩集だけど」
「最後のは今必要か?」
「心を守るのに必要よ。今回の任務……少し、言葉が痛かったもの」
エヴァンは言葉を返せず、ただ小さく頷いた。
語られなかった存在と対峙したあの瞬間。言葉が剣となり、記録が毒にもなると知ったあの戦いを、彼は今も胸の奥で繰り返していた。
「ねえ、エヴァン」
ふいに、セシリアが本を抱えたまま振り返った。
「今度の任務では、記すこと自体が命を問う行為になったわ。私たちが今ここで語れるって、きっと……誰かが語れなかった代償の上にあるのよね」
その目には憂いと、ひとかけらの決意があった。
彼女は、知識を守る者でありながら、その知識が誰かを殺す刃にもなり得ることを、今回の探索で痛いほど知ったのだ。
「……だとしても、俺たちは語り継ぐしかない」
エヴァンは窓の外を見ながら静かに言った。
帝都の空は、黄昏色に染まりかけていた。フェイン=ルティアで見た、あの終末の空に似ていて――けれど、確かに違っていた。風が穏やかに、遠くから届くように、街の屋根を撫でていく。
「俺たちは、記す者として生きてる。だったら――たとえ呪われた言葉だとしても、刻んで、繋ぐ。それが、語られなかった者たちへの答えになる」
セシリアは黙って彼の言葉を聞き、やがて――微笑んだ。
「じゃあ、次の章を開く準備をしましょうか。まだ、終わってない記録がたくさんあるもの」
「……ああ。次も一緒だ」
二人は書店を出る。
夕刻の通りを歩きながら、ただ一歩、また一歩と。
背負う記録の重さも、記すべき未来も。
それでも、彼らは歩き続けるだろう。すべての語られなかった物語に向かって。




