第三十三話
【第十六の探索記録:竜の眠る記録層】
◆王立記録局・特別依頼通達
依頼番号:016-Δ-AZ/RE
分類:特別記録探索任務(階層異常兆候)
依頼名:竜記録層ドラコノス・レクスにおける失伝封印群の再調査
任務目的:
・過去に失われた記録とされた竜にまつわる叙述文群の再構築
・同階層における封印記録の異常増殖原因の調査
・記録内在性生命体(RI-Being)との接触と対話の試行
備考:
本階層は、過去に封印処理された語る竜の残滓を記録媒体として保持しており、
近年、記録体そのものが増殖する異常事象が確認された。
いくつかの断片は記憶生命体の孵化兆候を示しており、深層接触者の派遣が急務である。
王立記録局探索局・階層管理部門
王都フェル=グレイ、王立記録局の一角。
静寂な大理石の回廊を進むセシリアは、手に収めた資料束の重みに眉を寄せていた。
「記録が……自己増殖している?」
彼女は囁くように呟いた。「竜の言葉が、自らを語り続けているように見える……」
その向かいで、魔剣を磨くエヴァンは静かに言う。
「記録が意志を持つなら、それはもう存在だ。向き合うしかない」
セシリアは頷いた。「でも、竜の記録は危険よ。あの種族の記憶は、ただの物語じゃない。魂そのものよ」
「なら、刃と魔法で守ればいい。俺たちの仕事は、それだけだ」
ふたりの会話の背後で、階層管理官が顔を出す。
「《ドラコノス・レクス》へ至る転送門は準備済みです。接触第一段階では、記録中の竜種叙述核への干渉は避け、まず周辺の記録安定性を確保してください」
「わかっています。……記録が目覚める前に、正しく語れる者が必要になるはずだから」
セシリアは魔導書のページを閉じた。
エヴァンは魔剣を背に収めた。
そして――
ふたりは記録層へと、静かに足を踏み出した。
王立記録局の深層転移門を抜けた瞬間、
ふたりは気配に気づいた。
それは熱ではなく、圧だった。
肌にまとわりつく霊気。空間を満たす記憶の息吹。
空は存在せず、天井は見えず、ただ遥か上空に金の鱗のような輝きが波打つ。
「……ここが、《ドラコノス・レクス》……」
セシリアの声がかすかに震える。
記録局の図面では第十七階層・神話圏下部、
竜に関する記録断片を封印保存する禁帯領域。
だが、目の前に広がっていたのは、書架でも封印陣でもなかった。
「これは……巣か?」
エヴァンが呟くように言う。
そう、それは巣――あるいは記録の殻。
周囲には巨大な鱗片のような石板が浮遊し、
空中を漂う記述文字が光をたゆたわせている。
竜語の断片だ。
記録媒体として封印されたはずの古代文字が、意志を持つように軌跡を描いて舞っている。
セシリアが魔導書を開き、対照する。
「これは……意思の継承型記録構造よ。まるで……自己言語で繁殖してる……」
その時だった。
低く、胸を打つ音が響いた。
地の底からではなく、空虚なこの空間の中心から。
「聞こえるか、人の子よ」
声ではない。
脳の奥に直接、焼きつくような音のかたち。
黄金の文が空間に滲む――
《記録の孵化は始まった。我が名は記されし者――〈ヴァル=グラマル〉》
「記録体が……名乗っている?」
セシリアの手が震える。
「違うな」
エヴァンは魔剣を抜いた。
「これは……竜の記憶そのものだ。封じられた何かが、いま語ろうとしている」
そして、その言葉の直後、記録空間が歪んだ。
無数の光条――竜語の文が螺旋を描き、
中央に一つ、黒曜にして紅玉の瞳が現れる。
それは――
記録そのものから生まれた竜の亡霊。
生前の姿ではない。
語られ、記されたことで再構築された語られる存在。
中央に浮かぶ瞳――それは決して攻撃してこなかった。
ただ、記録空間の中央でじっとふたりを見下ろすように、在るだけだ。
セシリアがそっと前へ出る。
魔力を最小限に抑え、威圧しないように手を広げる。
「あなたは……《ヴァル=グラマル》と名乗った。竜の記憶……記された存在、なのね?」
【記されし存在に問うか。人の子よ、お前たちは忘却の時代を越えて来たのか?】
「ええ。私たちは《王立記録局》の探索官。失われた記録とその真実を回収し、語り継ぐためにここへ来たわ」
【語り継ぐ……その行為は、我が種にとって剣でもある。かつて、語られたことで滅んだ竜がいた】
エヴァンが目を細めた。
「……語られたことで、滅んだ?」
【そう。語られることは、形を与える。だが、形とは限界でもある。無限の竜を有限の物語へと押し込める行為だ】
その言葉に、ふたりの間に沈黙が落ちた。
まるで、記録という行為そのものへの逆説が突きつけられたかのようだった。
【かつてこの空間は、竜語の詩によって満ちていた。
だが記す者たちがそれを文に変え、記録に閉じ込めた。
その時より、我らの記憶は形に縛られ、死したものとなった】
セシリアが眉を寄せた。
「じゃあ……あなたは、今も生きているとは言えない?」
【否。私は記され続ける限り存在する】
エヴァンが言葉を継ぐ。
「逆に言えば、記録が失われれば消えるってことか。……それでも、俺たちは記録しなければならない。語られぬまま、無に帰すわけにはいかないんだ」
【理解はする。だが、それが滅びへの道であった者もいる】
ふたりの背後で、空間に無数の記述線が描かれる。
竜の歴史、竜の詩、竜の知識、そして……滅んだ者たちの名。
セシリアが歩み寄る。
「……私たちは、記す。けれど、それは封じるためじゃない。誰かが語り直せるように記録するの。もしあなたが望むなら――記されることを恐れる必要はない」
一瞬、空間に波紋のような光が広がった。
竜の瞳の奥が、わずかに揺れた。
【人の子よ、お前たちは、語り継ぐということを誤解していない。
我が名を記してもよい。だが、それは我が現在を閉じ込めるのではなく、未来へと引き渡すためであれ】
セシリアは頷いた。
「誓うわ。あなたの記憶は、私たちが引き継ぐ。誰かがまた語るために、書き残す」
【ならば、与えよう】
次の瞬間――
空間の中心が開き、竜の心核を模した光の結晶がふたりの前に出現する。
そこには、竜たちが辿った時代の断片、失われた言語と、竜の滅びの歌が刻まれていた。
【探索記録更新】
回収記録:
・古竜《ヴァル=グラマル》の記憶核
・竜語による時代詩「七つの滅びと再生」
・記録体の自己記述型意志との共生協定
追加考察:
記録とは封印ではなく、未来への橋である
《記録存在》との対話記録は初。要専門機関による解析を推奨
【王立記録局:特別記録探索報告書】
探索任務番号:第XII-α7
提出者:エヴァン・クロスフィールド、セシリア・ヴァレンタイン
探索任務名:記憶領域における語る竜との接触及び記録断片回収任務
【1.任務達成報告】
目的①:記録意識体との接触および調査
→ 達成。記録構造内部にて、**記憶存在《ヴァル=グラマル》**との接触を果たし、対話に成功。
目的②:語られたことで失われた存在の真実調査
→ 概ね達成。《語る》行為が一部の記録意識体において封印や死と等価であるという逆説的現象を確認。
目的③:記憶核および竜語詩の回収
→ 完全達成。記憶存在より譲渡された記録心核を回収済み。解析には高度な言語構造解析と、古竜文化に精通した記録官の立会いが必要。
【2.遭遇記録】
空間構造内において、明確な敵対行動は確認されず。
代わりに、探索者の動機・言葉・記録への姿勢に対し、試すような意志の問答が展開された。
対話を通じ、《ヴァル=グラマル》が記録されることに抱く恐怖と希望を理解。
これに応答する形で、探索者より「未来の語り部としての記録」の在り方を提示。
【3.回収物と危険性】
記憶核結晶体×1(記憶存在が直接生成した思念圧縮体)
→ 周辺空間の情報を再構成可能な高度構文圧縮。封印中。
竜語時代詩「七つの滅びと再生」写本(仮称)
→ 解析班に引き渡し済。解読には音律的詠唱と共鳴儀式が必要。
その他副次的断片
→ 空間内部で断片的に視認された竜文化圏の宗教的モチーフ。未確定資料多し。
【4.推奨事項】
本件は記録の在り方そのものに関する哲学的・倫理的命題を含む。
記録局内の上層部判断を仰ぎ、今後の探索指針および記録物保護方針を再検討すべき。
特に記されることで死ぬ記憶存在との接触リスクについて、今後明確な取り決めを。
【5.探索者コメント(抄録)】
エヴァン・クロスフィールド 記:
「記録という行為が、誰かにとっては終わりにもなる……そのことを忘れず、けれど俺は記す。未来の誰かがそれを読み、受け継ぐと信じて」
セシリア・ヴァレンタイン 記:
「この記録は封印ではありません。声を持てなかった記憶が、ようやく誰かに届く……その橋渡しを、私は続けたいと思います」
以上をもって、探索報告と致します。
提出者署名:E.クロスフィールド/S.ヴァレンタイン
記録局への報告を終えた後も、ふたりはすぐには王都に戻らなかった。
西方の緩やかな丘陵地帯にある、忘れられた野営地で、一晩の野宿を選んだのだ。
夜。風は柔らかく、草をなでる音がかすかに響く。
焚き火の炎が揺れる中、エヴァンは黙って手元の記録帳をめくっていた。古竜の語り――断片を、書き留めるために。
「書くのって、けっこう静かな作業なのね」
そう言って、セシリアが横に腰を下ろす。彼女の手には、魔法で温めた湯を注いだ小さな陶器のカップ。
「……静かにしないと、言葉がこぼれるんだ」
「ふふ、それって、記録者っぽいわね。ねえ、さっきの竜……記されることを恐れてたって、覚えてる?」
エヴァンは頷く。
「記録されたことが、変質を呼ぶ。誰かに見られることで、自分じゃなくなる……その恐怖は、少しわかる気がする」
「そうね。私も……魔法が強すぎて、周りに変な目で見られたときは、自分自身が解釈されてるような気がした」
セシリアは静かに微笑む。だがその笑みは、どこか寂しげでもある。
「でもね、エヴァン。あなたが記す言葉は、誰かを縛るためじゃなくて、誰かを受け止めるためにある。私はそう思うの」
焚き火の火花が、小さくはじける。
「……ありがとう。たぶん、俺が記してるのは、戦いや真実よりも……君との旅の痕跡なんだ」
「じゃあ、その帳面……私がのぞいたら、恥ずかしいようなことも書いてあるのかしら?」
「……さあ、どうだろうな。あんまり期待するなよ」
言葉と一緒に、夜風が笑う。
ふたりはしばらく黙って、同じ風景を眺めていた。記録にも残らないような、ただ穏やかな時間。
その夜、エヴァンの記録帳の片隅に、こっそりとひとこと、手書きが増えていた。
『――この夜のことは、記録しない。けれど忘れない』




