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第二十七話

 石造りの高天井に反響する足音。

 エヴァンとセシリアは、アゼリウム記憶殿からの帰還報告を終えた直後、次なる任務の案内を受けて、依頼棟の応接室に通されていた。


 部屋は薄く霧がかかったような静けさに包まれ、窓際の魔光ランプが時折揺れては、壁に貼られた古地図の影を滲ませていた。


 やがて、扉が音を立てて開いた。


 現れたのは、記録局高等官吏の一人――リゼ・エルネスト。銀の縁眼鏡をかけた青年で、その手には一枚の記録紙と封印済みの転送水晶が握られていた。


「お二人には、急ぎの案件がございます」


 彼の声は淡々としていたが、その背後にわずかな緊張を滲ませているのがエヴァンには分かった。セシリアもまた、黙って視線を向ける。


「舞台は――ラルダ砂海を越えた、南東の辺境地帯。名前のない古き集落跡地に、未確認の言語結晶が出現したとの報告がありました」


「言語結晶?」セシリアが小さく問い返す。「それもまた、記録されざる知識の形……ということ?」


「はい。ただし、今回はこれまでとは異なる点がひとつあります」

リゼは記録紙を差し出す。


「前回のアゼリウム任務で回収された《白紙の巻物》に、同一系統の魔力波長が反応を示したのです」


 エヴァンは目を細め、セシリアは眉根を寄せる。


「つまり……アゼリウムの続きかもしれない?」


「可能性は否定できません。ですが――そこには《封語結界》の痕跡も確認されており、事態は予断を許しません。探索には高位記録適格者の同行が必須と判断しました」


 リゼは封印済みの水晶を机に置いた。


「局としては、再びお二人の出動を要請します」


 エヴァンとセシリアは、短く視線を交わす。

 言葉はいらなかった。


「了解した」

「準備にかかるわ」



 翌朝。

 王都の西外縁にある《黒鉄門》から馬車を出す準備が整えられていた。今回の移動には、王立記録局から支給された専用の機動馬車――魔導仕掛けで速度と安定性を増した特装車両が用意されていた。


 エヴァンは馬車の背面で剣帯を締め直し、背負う魔剣を確認する。

 セシリアは傍らで、封印魔法陣が刻まれた革製の記録ケースに新たな記録紙と魔術具を納めていた。


「……ねぇ、エヴァン。アゼリウムの巻物に記された語られることを拒むって言葉、今でも少し気になるの」


「語られぬことが、本当に忘れられていくなら……俺たちが記す意味も、あるってことだろ」


 エヴァンはそう言って魔剣の柄に手を添える。


「……そうね。なら、今回も忘れられる前に、私たちが記してあげないと」


 互いの意思を確かめ合った二人は、乗り込むと馬車はゆっくりと動き出した。


 向かう先は、名前の失われた旧集落。

 未記録の言語結晶と、かつて語られることのなかった知識が眠る場所。


 その地は、かつて存在したとされる封じられた言葉の聖域――

 名もなき語源の遺構、《サレンティア遺構》と呼ばれる地であった。



【サレンティア遺構 外縁・封語の門前】

 岩と砂に覆われた丘陵地帯に、半ば崩れた石の門がぽつりと立っていた。

 その門の上部には、今は使われていない古代言語で「言葉に帰る者の眠り」と彫られている。

 風が止み、空気が凍りつくような静けさが一帯を支配していた。


「ここが……《サレンティア》か」


 エヴァンが足元の砂を踏みしめながら呟く。

 崩れた敷石には、ところどころに記録符らしき文様の痕跡があり、長い時の中で風化しながらもなお、何かを守り続けているような気配があった。


 セシリアは門に刻まれた碑文を魔力でなぞるように手をかざし、微かに口を開く。


「この門……外の言葉で語るなって、魔力反応が言ってるわ。たぶん、内部では通常言語が干渉される」


「……言語干渉型の封印領域か」

 エヴァンは軽く魔剣の鞘に指を添える。「となると、言葉そのものが武器になる可能性もあるな」


「ええ。私の魔法も即時詠唱は通らないかも。書式転換が必要ね」


 セシリアは、古文書式の呪文転換記録を開き、準備を整える。

 エヴァンは一歩先に進み、門をくぐる。


【第一層:語源の回廊】

 門をくぐった瞬間、空気が変わった。

 すべての音が濁り、ひとつ遅れて聞こえる。まるで耳が水中にあるような奇妙な感覚。

 壁面には、異なる言語体系の文様が折り重なるように刻まれており、一定の間隔で発光する装飾文が流れていく。


 セシリアが小さく息を呑む。


「この回廊……時間と記憶の順序がズレてる……語られた過去を逆再生するように構成されてるわ」


 エヴァンは壁の模様を眺めながら、魔剣を手に取る。

「……逆順の記録か。じゃあ、何も語られなかった場所が、この先にあるということだな」


「そこに、言語結晶があるはず」


 ふたりは慎重に歩を進める。

 すると、奥の方で――ぼんやりと淡く光る浮遊する結晶体が、空中に漂っていた。


 それは、形を保ちながら、音のようなものを発している。

 だがその音は耳では聞こえず、意識の底に直接触れるような語感だけが流れ込んできた。


 セシリアが眉をひそめる。


「これは……記録された言葉ではなく、かつて言おうとしたけれど口にされなかった言葉。潜在記憶の残響……!」


 その瞬間、結晶体が強く脈動し、空間に揺らぎが生じる。

 回廊全体が歪み、壁に刻まれた文様がうねる声のように膨張する。


「……来るぞ!」


 エヴァンが魔剣を抜いた瞬間、闇の中から――声にならなかった者たちが形を得て現れた。


 その姿は、口が存在しない異形。だが全身から発されなかった叫びが溢れ出し、空間を揺らしていた。



【第一戦闘:語られなかった声】

 浮遊する言語結晶が割れた。


 まるで中から何かが孵化するように、結晶の内側から現れたのは――

 輪郭の定まらぬ影。人のようでいて人ではない。

 耳に届かぬ声が、脳髄を直に震わせる。


『────……────……────……』


「やっぱり来たわね。これは……言葉にならなかった意思の残滓。名前すら持たなかった存在」


 セシリアの声が緊張を帯びる。魔導書が半ば自動で頁を捲り、魔力が奔流のように高まっていく。


 エヴァンは魔剣《ヴァルア=ルクス》を構え、言葉を発した。


「なら、俺たちが語ってやるさ。お前の在り方が、ここに存在した意味を――」


 声なき敵が動いた。

 その姿は残響のように分裂し、三体の言語なき者として襲いかかってきた。

 それぞれの体から発せられる音波は、言語を破壊する干渉波。思考と魔力の流れを妨げる。


「セシリア、正面は任せてくれ!」


「了解! 左側の個体に封縛魔法を!」


 セシリアの呪文詠唱は、通常の音声ではない――指で虚空に文字を描く記録式詠唱。

 彼女の魔力が虚空に浮かぶ古代文字を走らせ、左の敵を縛る〈言魂縫い〉の術式が発動。


「拘束した! 一時的に動きが鈍るはず!」


 エヴァンはその隙を逃さず、一気に踏み込み――

 右斜めから切り上げるように魔剣を振る。剣筋には蒼白の魔力が流れ、空間の歪みを切り裂く。


「──喰らえ、《裂語斬》!」


 刃は存在しない言語の構成体を断ち、敵の一体を霧のように砕いた。


 だが、残る二体はその消滅を感知するや否や、急激に速度を増し、分裂しながら周囲を包囲してきた。


「まずい、回り込まれる!」


 セシリアが瞬時に詠唱を切り替える。


「《反復位相盾・第二式》!」


 四重の魔法障壁が展開され、エヴァンの背を守る。敵が放つ語れなかった想念の波が障壁にぶつかり、歪んだ音となって跳ね返った。


「感謝する!」


 エヴァンは敵の懐に飛び込み、逆手に魔剣を持ち替えて振るう。

 切っ先から放たれた衝撃波が、二体を後方へ吹き飛ばす。


「セシリア、今だ!」


「了解──《崩語爆》!」


 彼女が展開した魔法は、意味を成さない言葉で構成された爆裂魔法。

 敵の存在構成を反転させ、意識の根本から崩す。


 爆裂する閃光の中、最後の個体が悲鳴のような音を放ち――消えた。


 静寂が戻る。


 瓦礫の上に残されたのは、砕けた結晶片と、淡く光を放つ一冊の記録冊子。

 それは、かつて語られなかった記録を――今、語ろうとしていた。



《調査パート:封じられし言葉の記録》

 戦闘の余韻が静かに消え去った後、瓦礫の中にぽつりと落ちていた記録冊子は、まるで何かを訴えかけるように淡く光を放ち続けていた。


 エヴァンが魔剣を鞘に収め、その冊子を拾い上げる。触れた瞬間、手のひらに微かな震えと温もりが走る。


「……これは、ただの記録じゃないな。感情が、宿ってる」


「ええ……魔力というより、誰かの語りが封じられてる。けれど、それがなぜ封じられたのか……」


 セシリアがそっと手を添え、冊子の表紙を開く。

 そこには文字ではなく、古代の絵文符が刻まれていた。かすれた色彩と筆致が、長い時を経てなお鮮やかに語りかけてくる。


 一頁、また一頁と捲るたびに、断片的な情景がふたりの脳裏に流れ込んでくる。


 ──そこは、言葉を持たぬ民の村だった。


 声を持たず、記録に頼らず、それでも互いを理解し合い、静かに生きていた人々。

 だが、ある日を境に、彼らは言葉を教えられた。


 教えたのは外から来た者たち。文明と法を携え、彼らに記録の価値と言葉の力を授けた。


 だがその瞬間から、村は崩れていく。


 感情を持ち始めた者たちは誤解し、怒り、恐れ、言葉の誤用が争いを生み、最終的に――

 言葉を持ったがゆえに滅んだ。


 記録冊子の最後の頁には、ひとつの呪文のような言葉があった。


「だから我らは、言葉を封じる。語らぬまま、伝わらぬまま、それが正しき忘却だと知るから」


 沈黙が落ちる。


 エヴァンは深く息を吐き、冊子を閉じた。


「……皮肉だな。語ることで滅んだ者たちが、語らないことで真実を残そうとした」


「そうね。でも、語らなければ、それはいつか誰にも届かない」


 セシリアはそっと冊子を胸に抱えた。

 その魔力の波は、まだ微かに鼓動のように生きていた。


「私たちは、これを持ち帰りましょう。語ることを恐れずに、この想いを正しい形で残すために」


 エヴァンは頷き、ふたりは崩れかけた遺構を後にした。

 その背に、かつての村人たちの影が静かに寄り添うように――記されざる祈りを残して。



《王立記録局・探索任務報告書》

提出者:

エヴァン・クロスフィールド(自由探索者・魔剣士)

セシリア・ヴァレンタイン(王立魔術研究機関・特別調査官)


任務名:

アゼリウム記憶殿調査任務・第三期記録提出


調査対象:

遺跡内保管記録冊子(分類コード:AZ-R07/絵文符記録綴)


【第一項:調査概要】

アゼリウム記憶殿の第二記録庫内にて、魔力的反応を伴う冊子を確認。

当該冊子は物理的記述を排し、古代絵文符を用いた叙述表現で構成されており、解読の結果、以下の内容を記録していた。


【第二項:内容要旨】

調査対象は、言語を持たぬ先住的共同体における生活・文化・価値観を図式的に描写したものである。


当該共同体は、外部からもたらされた言葉により内的崩壊を経験した後、沈黙を選び、集団記憶の封印を行った痕跡を持つ。


記録冊子はその封印の一部であり、語らないことによって逆説的に真実を後世へ残そうとしたと見られる。


【第三項:魔力特性と影響】

調査中、当該冊子との接触により一時的な記憶干渉を受けたが、現場にて封印解除及び情報抽出を完了。


再現時には、知覚幻影と感情転移の波動が顕著であり、感応型記録媒体として高度に洗練された古代技術が用いられている可能性が高い。


【第四項:最終所見】

本記録は、現代の言語社会構造への批判的視座を内包する極めて稀少な沈黙による記録である。


特に、記録を語らないことによって守るという文化的選択肢は、現王国の記録文化において再考の契機となる可能性を孕む。


以上、当任務における現地調査を完了し、記録冊子を王立記録局へ提出する。

文責は調査チームが負う。


《王立記録局・内部検討会議 抄録》

調査官1(言語考古学部門)

「語らなかった者たちという記録は、実に深い意味を持つ。我々は、記録の網で全てを掬えると思っていたが……それは誤りだったのかもしれない」


調査官2(魔術文化史)

「むしろ、語られなかったことこそ、我々が最も注意深く探るべき空白なのでは? 言葉の持つ暴力性を、彼らは直感的に理解していたのだろう」


調査官3(倫理統制局)

「だが、封じるという行為もまた暴力ではないのか? どこかで記されることが選ばれていれば、彼らの破滅は避けられたかもしれない」


議長(副長官代行)

「――この記録を、語りと記録の新たな分水嶺として、次の調査課題に繋げるべきだ。

探索者たちは、今も沈黙の砂の中から、語られぬ真実を掘り起こしている」


この報告と検討をもって、《アゼリウム記憶殿調査任務・第三期》は正式に完了。



 火は静かに燃えていた。

 風もなく、夜の帳は淡く降り、乾いた砂に色を落とす。アゼリウムの遺跡の外縁、かつて市場だったらしい石畳の広場の片隅。崩れた柱の影にふたりは腰を下ろしていた。


「……こうして静かにしてると、あの連中のことを思い出すね」

 エヴァンはぼそりと呟き、魔剣の柄にそっと手を添えた。


「語らぬ者たちのこと?」

 セシリアが火に手をかざしながら問い返す。その顔には疲労の翳があったが、同時にどこか柔らかな陰影が灯っていた。


「そう。あれだけ強い意志で沈黙を選び取ったのに……結局、こうして俺たちに記録されてしまったんだ」

 エヴァンは火を見つめながら、苦笑のような表情を浮かべる。「皮肉だろ?」


「でも、記したのは彼ら自身よ。形こそ異なるけれど、きっと残したい気持ちもあった。だから私たちは見つけられた」

 セシリアの声は静かで、揺れない。


「……セシリアは、記録って、万能だと思うか?」


「思わないわ」

 即答だった。

「記録は、誰かの意志や解釈に左右される。欠けるし、歪むし、ときには嘘にもなる。でも――」


 彼女はエヴァンの方を見た。


「それでも、何かを伝えたいと思う気持ちだけは、嘘じゃないって信じてる」


 エヴァンはしばらく黙っていた。

 そして、ふと口元を緩めて小さく笑った。


「そういうところ、君は変わらないな。変わらないから――助かる」

 低く、落ち着いた声だった。


「エヴァン?」


「……いや、なんでもない。ただ、こうしてまた一緒にいられることが、少しだけ奇跡みたいに思えてさ」

 彼はそう言って、夜空を仰いだ。


 星はなかった。けれど、そこにあるはずのものを、ふたりは確かに見ていた。

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