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第二十六話

 乾いた風が大地を撫でるように吹き抜け、薄く積もった砂をさらっていく。

 空は淡い金色に染まり、夕刻を告げる陽光が、地平線に沈むように傾いていた。


 かつて「アゼリウム」と呼ばれた都市の遺構――

 今は誰も覚えていない文明の墓標。


 砂の海に沈むその地に、二つの影があった。


「……あれが記録にあった中央殿堂跡か。思ったよりも、残ってるな」

 黒のマントをなびかせながら、エヴァン・クロスフィールドが前方の巨大な建造物を指差した。

 風に巻かれた砂が斜めに流れ、かつての威厳をすっかり削ぎ落としているが、それでも、

 中心にそびえるドーム型の塔は確かに知の聖域だった頃の面影を残していた。


「この地に記されたすべては、無垢なる砂に還る……そんな碑文が記録局の文献に残ってたわ」

 隣に立つセシリア・ヴァレンタインが、髪を風に靡かせ、静かに答える。

 旅装の上からかけた外套の裾を手で押さえつつ、彼女は遠い目をしていた。


「忘れるために、知識を集める。皮肉な話だな」

「でも、記録局がこの調査を依頼したのは、そこに知の遺物が残っていると信じてるから。

 ……それに、私たちが記すことで、失われる前の記録が残せる」


 ふたりは、かつて学びと記憶を司ったアゼリウム記憶殿へと歩みを進める。

 その足元にあるのは、数百年前に封じられた、知と無知の境界。



 かつて図書館と呼ばれていた場所の扉は、半ば砂に飲み込まれ、斜めに傾いたアーチ状の入口がかろうじて開口していた。

 それでも、エヴァンとセシリアのような探索の経験者にとっては、通るに足る隙間である。


「ここ……空気が変わった」

 セシリアが囁くように言った。


 ひとたび足を踏み入れれば、音が消える。

 外の風の音も、衣擦れも、足音さえも、吸い込まれるように沈黙していった。

 まるで、ここでは語られることを禁じるとでも言うように。


 内部は薄暗かった。だが、天井の割れ目から射し込むわずかな陽光が、そこかしこに散らばった古文書の断片を照らし出している。

 朽ちた本棚、瓦礫、砂。残された痕跡は、時間そのものがすでに記録を喰らったようだった。


 しかし――


「……セシリア、今、聞こえたか?」


 エヴァンがわずかに首を傾け、周囲を警戒するように魔剣の柄に手をかける。

 セシリアは頷いた。

 そして、その声は、再び彼女たちの意識に語りかけてくる。


 >「ページをめくれ……記せぬ名を、語れぬ記憶を、ここに残せ……」

 >「お前たちは……まだ名を持っているか?」


 その言葉は耳で聞こえたものではなかった。

 脳に直接響くような、柔らかで歪んだ、声の記憶だった。

 書物そのものが、意識を持って語りかけてきた――そんな印象があった。


「文書の一部が……生きている?」

 セシリアが呟くと、崩れかけた書架の影から、砂に埋もれていた一冊の本が、ふいに動いた。

 まるで自ら意思を持つかのように、ゆっくりと開き始める。


 ――パサリ。


 そのページに記されていたのは、読めぬ文字列と、ひとつの空白。

 何も記されていないはずの場所に、じわりと黒いインクのようなものが染みていく。


「これは……記憶を吸い上げようとしている」

 セシリアが直感的に警告した。


「こいつは夢語りの魔導書の一部か……それとも記録を奪う魔術装置か。どちらにせよ放ってはおけないな」


 エヴァンが魔剣を引き抜いた。

 その瞬間、書物がまるでそれに反応したかのように、ページの奥から黒い触手のようなものが現れ、周囲に飛び散る記憶の断片を掴もうとした。


「来るぞ――!」

 魔力が部屋全体に充満し、静寂は一瞬で破られた。



 黒い書物の頁が風もないのにめくれ上がる。

 そのたびに、空気が軋んだ。視界が歪み、周囲の景色が不意に既視感のようなものへと塗り替えられていく。


「……嘘だ。ここ、昔のギルドじゃ……ない」

 エヴァンが見たのは、どこか懐かしい――しかし確かに存在しない過去の場所だった。


「エヴァン、気を抜かないで。それは記憶の幻よ!」


 セシリアの叫びが響くと同時に、床から伸び上がった黒い触手のような書頁が、エヴァンの足を絡め取ろうとした。

 だが、彼は魔剣を逆手に振るい、その一撃で虚影を一掃する。


破邪セイクリッド・クレバス!」


 魔剣の刃から放たれる白銀の光が、まやかしの空間を裂いた。

 頁喰らいの本体――書物に似た扁平な肉体が、うねる触手を蠢かせて壁際へと退いた。


 >「語るな。語るな。語るな。語ってはならぬ。記すな。名を、思い出すな――」


 断続的なノイズのような声が、意識の奥へと突き刺さる。


「精神干渉が強い……これは、本そのものが思考言語を侵食してきてる」


 セシリアは呪文詠唱の準備を整えながら、前線を維持するエヴァンに声を投げる。


「光の盾を張るわ、意識を守って!」

「助かる。こいつ……記憶を崩して、こちらの存在を希釈してくるつもりだ!」


 再び頁が舞い上がる。今度は、その一枚一枚が人間の顔を模した幻を浮かべ、囁く。

 かつて出会った人々、忘れたはずの敵、そして、エヴァン自身の姿さえ。


 >「お前は、誰だ? 本当に、存在していたのか?」


 ギィン!


 魔剣がそれを拒絶するように震え、淡い紋章が刃の根元に浮かび上がった。

 《名持ちの剣》――この刃は、名のある者にのみ応える。


「俺は――エヴァン・クロスフィールド! 名を、力を、ここに刻む者だ!」


 その言葉が響いた瞬間、頁喰らいの動きが一瞬鈍った。

 まるで名を告げることが、それ自体で敵に対する反抗であるかのように。


「今よ、エヴァン!」


「いけぇぇぇっ!」


 踏み込み、魔剣が閃く。

 頁喰らいの中心核――心臓のように鼓動する虚白の頁へと、刃が突き刺さった。


 ズシン……!


 爆ぜるような衝撃とともに、空間の歪みが一瞬、止まる。



 ドクン……ドクン……

 響く心音は、ふたりのものではなかった。

 それは頁喰らい――否、《記憶喰らいの写本》が脈動する鼓動。裂かれた虚白の頁から黒煙が立ち上り、空間そのものを焼き焦がすように広がっていく。


「これは……第二形態……?」


 セシリアが呟く。エヴァンの足元から、微細な黒い文字の列が浮かび上がっていた。それは、彼自身の記憶だ。


「……クロスフィールド家、魔導剣術……父の死、王都の冬……セシリアとの出会い……」


 懐かしくも、ひどく無防備なものが、目の前に晒されていた。


「……こいつ、俺たちの記憶を解析して書き換えようとしてる!」


 エヴァンが叫ぶと、空間の奥からもう一体の自分が現れる。

 瞳が虚ろなもう一人のエヴァン。そこに宿っているのは、《記憶喰らい》の化身だ。


「名を持つ剣士。お前の名は、誰が決めた? 本当に、それはお前の意志か?」


 その問いは鋭く、あまりにも生々しい。


 黒い鏡面のような剣を構えた贋作のエヴァンが、一閃。

 本物の魔剣と衝突し、火花が散る。魔力が軋み、記憶が軋む。


「くっ……! セシリア、奴は――」


「知ってる! 私の前にも、別の私が現れた!」


 セシリアの視界にも、ひとりの少女が立っていた。

 魔導院にて名を得られなかった、失敗作として打ち棄てられた自分――記録に残されなかった彼女が、淡く笑う。


「あなたは優秀だった。愛された。でも私は、見捨てられたままだった。私の言葉を、あなたが語っていいの?」


「……あなたは私。でも、私はもう、あの頃には戻れない。だから……ここで、あなたに応えるわ」


「煌光術式・断章リミニセンス!」


 セシリアの詠唱が完了し、眩い蒼光が空間全体を包む。

 光は偽の記憶を照らし出し、その歪みを白日にさらす。


「――エヴァン、今!」


「ああ……!」

 魔剣が閃き、贋作の剣を弾き飛ばす。

 ふたりの名が重なり、真なる語られるべき記憶が力を帯びる。


「記憶とは、生きてきた証だ。奪わせるものか」


 贋作たちが崩れ、暗黒の頁が呻いた。


「記すな……記してはならぬ……語られるたび、我は……我は……」



 空間が反転する。

 断ち切られた偽の記憶が剥がれ落ち、《記憶喰らい》の本体が顕現した。


 それは、無数の頁が縫い合わされた書の巨影――人の形を模した異形であった。

 頁には無数の記憶が刻まれ、語られなかった名、忘れられた存在、記されることのなかった人生たちの断片が絶え間なく呟きを漏らす。


「われは語られぬ者……

 名を持たず、語られず、

 書かれなかった全ての影。

 記すとは、死をもたらす罪である――」


「……それが、お前の本心か」


 エヴァンが魔剣を構えながら前に出る。

 その足元に、忘却の砂が広がっていく。踏みしめるたび、記憶が重くなる。


「記すことは、誰かを置き去りにする。

 語ることは、誰かの沈黙を裏切る。

 だが、それでも――」


 隣に並び立つセシリアが、そっと囁くように言葉を継ぐ。


「私たちは、語ることをやめない。

 名を持つ者として、記される意味を受け止めていく」


 《記憶喰らい》が咆哮する。

 無数の頁が裂けて、忘却の嵐が空間を襲う。黒く渦巻く風が、過去を、記憶を、言葉を削ぎ落とす。 


 だが、その中で――

 魔剣が、光を纏った。

 エヴァンの剣は、幾重もの記憶の層を超え、真なる名を携えていた。


「魔剣《リオ=ファース》。

 名を記す刃。語られることなき断絶を、今、断ち斬る」


 そしてセシリアの手に浮かぶは、記憶の魔導式核。

 数多の言葉の層を束ねた魔術、《術式・千詞顕現サウザンド・ルーン》が展開する。


「言葉が、誰かの生を支えるのなら――

 私はその重さを、記憶のすべてで受け止める!」


 二人の力が融合する。

 魔剣の軌跡に、魔術の文字が縫い込まれ、光と記憶が奔流となって《記憶喰らい》を貫いた。


「我は――……記され……る……ことを――……」


 声が掠れ、影が砕けた。

 忘却の頁が風に舞い、やがて静かに燃え尽きる。


 残されたのは、一片の白紙の頁。

 何者の記憶でもない、ただこれから書かれる物語の余白だった。


 ふたりは立っていた。

 風が止み、空間の歪みが収束する。 


「……終わった、のか?」


「ああ。もう、記憶は語ることを拒まない」


 エヴァンはそっと、その白紙の頁を拾う。

 セシリアは隣で微笑んだ。


「なら、ここから――私たちの物語をまた、記していこう」



 戦いの終わりが訪れても、任務は続く。

 セシリアはそっと魔導式の手帳を開き、王立記録局からの探索任務概要を再確認した。


◆【探索任務概要:王立記録局より】

任務名:アゼリウム記憶殿の調査と記録断片の回収


目的1:砂に埋もれた古代言語の断片回収


目的2:中央殿堂の封印扉の確認と開封許可の判断


目的3:知識を守るために失われた記憶に関する調査


「……まずは、殿堂の奥へ進もう。敵が守っていた場所が、鍵になるはずだ」


 エヴァンは落ち着いた声で言った。剣はすでに納められているが、目の奥はなお鋭く、用心を忘れていない。


● 殿堂奥部:封印扉の前

 中央の間には、巨大な石扉が待っていた。

 その表面には、砂に風化しかけた古代アゼリウム文字がびっしりと刻まれている。


 セシリアが前に進み、魔導計測機で扉の魔力波を測定した。


「……扉の封印は完全解除されていない。だが、一定以上の知識記録断片が揃えば――開封の儀式が可能になるみたい」


「つまり、記憶断片を集める必要があるんだな」


 頷き合い、ふたりは扉を後にする。殿堂の周囲にはまだ探索していない区域が複数残されていた。


【目的1】砂に埋もれた古代言語の断片回収

 殿堂の側廊――かつて学者や記録官たちが利用していた閲覧室跡。

 砂に半ば埋もれた部屋の中、崩れかけた書架の影から、古い石板が顔を覗かせていた。


「エヴァン、これを……」

 セシリアが掘り出したのは、文字が刻まれた破片だ。


 それは、かつてこの殿堂で保管されていた記録核の一部。

 セシリアは慎重にそれを魔力で包み取り出す。


「記録とは未来への橋……アゼリウム語でそう刻まれてる。過去を忘れてはいけない、という意志ね」


「俺たちの戦いにも、意味があったって証だな」


 断片は合計で五つ発見され、それぞれに異なる文が刻まれていた。


【目的3】知識を守るために失われた記憶に関する調査

 石板の最後の一片には、こうあった。


『ある日、記録官たちは全てを失うより、いっそ忘れようと決意した』

『そして封印した。語られざる王の記憶もろとも、私たちの言葉も』


 セシリアは小さく息を呑む。

「……記憶の封印は、敵から守るためだったのね。喪失は、逃避じゃない。守る手段だった」


 エヴァンがそっと頷いた。

「だからこそ、今こうして――取り戻す意味があるんだ」


【目的2】中央殿堂の封印扉の開封

 収集した断片と共鳴するように、封印扉の文字が淡く光り始めた。

 セシリアが魔力を注ぎ、エヴァンが記された名の力を剣に宿す。


 石扉が、音もなく開いた。


 内部は、まるで時が止まったような空間だった。

 中心には、アゼリウムの最後の記録官が座していた椅子と、未使用のままの白紙の巻物が置かれていた。


 巻物には、たったひとつ――こう書かれていた。


『誰かが、再び記すその時まで――我らは語られることを拒み、語られることを待つ』


 セシリアがそっと呟く。


「私たちはその誰かになったのかもね」


「だったら――これから語る物語に、恥じぬように進もう」



【王立記録局公式探索報告書】

記録番号:RR-AZ-06F

提出者:エヴァン・クロスフィールド(記録資格等級B)

     セシリア・ヴァレンタイン(記録資格等級A)


【探索対象名】

アゼリウム記憶殿(別称:アゼリウム中央殿堂)


【探索目的】

砂に埋もれた古代言語の断片回収


殿堂中央部に存在する封印扉の調査と開封の可否判断


「知識を守るために失われた記憶」の存在及び性質の調査


【探索経過及び成果】

◇第一区画:封印領域周辺部の制圧

魔導封鎖を解除し、記憶殿内部へ進入。


内部において敵対存在《記憶喰らい》と交戦。

※敵性の詳細:知識や記録に宿る魔力を吸収し、現実・夢境の境界を侵蝕する異形存在。


敵の消滅により、殿堂深部の魔力濃度が安定化。


◇第二区画:断片収集任務の遂行

閲覧室跡、保存庫跡より、計5点の古代アゼリウム語による記録断片を回収。


内容確認済み。保管中の破損度低。


各断片は封印扉の解除装置と共鳴。構造的意味を持つ記憶の鍵として機能したと推測される。


◇第三区画:封印扉の開封と内部確認

封印扉は記録断片との魔力共振により段階的に開封。


内部に記録官の座所を発見。


中央台座にて、白紙の巻物を回収(保管指定:高等記録庫第三階層へ移送推奨)。


巻物には以下の文言が記されていた:


『誰かが、再び記すその時まで――我らは語られることを拒み、語られることを待つ』


封印の本質は「記憶の封殺」ではなく、「未来の記録者を待つための保存行動」であったと結論。


【特記】

封印扉の解除後、周辺魔力濃度は一定水準を保ち、危険性は低下。


敵対存在《記憶喰らい》の性質から、今後の探索者にも幻視・夢境侵食の危険があるため注意が必要。


回収した記録断片には、現在失伝したとされるアゼリウム後期語の形式が含まれており、学術的価値は極めて高い。


記録殿奥部の空間構造が「物語を記す意志」と同期して反応することが確認された。これは現存するどの記録施設とも異なる挙動であり、さらなる研究が必要。


【任務結論】

本任務は、主要目的である1記録断片の回収、2封印扉の調査・解除、3記憶喪失の真相調査すべてを完遂。

現時点での追加調査・封印監視の必要性については王立記録局の判断を仰ぐ。


【添付資料】

回収記録断片5点(保護魔術処理済)


殿堂内部図面(簡易スキャン)


戦闘記録要約(敵性存在構造図含む)


魔力計測ログおよび巻物解析初期報告


以上をもって、任務報告とさせていただきます。


記録担当者署名:

エヴァン・クロスフィールド

セシリア・ヴァレンタイン

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