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5.琥珀色の瞳に愛を込めて


 七月七日。晴れ。


 今日は朝から庭のお手入れをしていると、狼のアズがやってきて庭を駆け回りはじめた。花を踏まないでと言ったそばから踏んづけて、花壇に穴を掘って、そこにゴロゴロ転がって大喜び。気付けば鼻先が真っ黒になっていたから、おかしくて笑ってしまったわ。笑う私を不思議そうに見つめるアズが可愛くて、思い出すだけで心が温かくなる。

 私の愛しい子。まだまだ悪戯盛り。



 七月十七日。曇り。


 今日は気分が沈んでいて、アズに心配をかけてしまったわ。だめね、本当に。



 七月十八日。晴れ。


 昨日、というか今日だけど……アズが眠ったあとに、ジルが会いに来てくれた。私の気分が落ち込んでいるときは、いつだってこうして来てくれる。どうして分かるのかしら? 彼にはいつも甘えてばかり。

 愛していると伝えても、彼は涼しい顔で口角をあげるだけ。でも、知っているの。貴方が私の血しか吸わないこと。それが答えだということ。

 私がいなくなったらアズをお願いねって伝えたら、顔を顰めて嫌だと言うの。

 大丈夫。今はあの子の成長を見るのが、私の楽しみなんだから。



 七月二十二日。雨。


 朝から雨が降っていたから、今日はアズと家の中で過ごすことに。クッキーを焼いている間、狼のアズはオーブンの前に張り付いて焼けるのをずっと待っていたわ。クッキーが焼ける香りに鼻をすんすんさせて、お利口に座っている後ろ姿が愛おしかった。



 七月二十七日。晴れ。


 アズはお昼寝の時に五月祭で買った狼のぬいぐるみを抱いて寝ているわ。ずいぶんお気に入りみたいで、噛み付いて穴が空いたらクンクン鼻を鳴らして直せと訴えてくるの。申し訳ないけど、可愛くて笑ってしまったわ。

 お気に入りのぬいぐるみは、振り回してすぐにボロボロにしてしまうけど、今回の子は大事にしたいみたい。なんだか嬉しいわ。



 七月三十日。晴れ。


 明日はアズの誕生日。アズと私が出会った日。またひとつ歳を重ねて、またひとつ大人に近付いてしまうのね。嬉しいような、寂しいような……。でも、七歳のアズライトとの思い出は、きっと私の中で永遠に輝き続けるでしょう。アズの成長を一番近くで見られる私は幸せ者ね。

 プレゼントはうんと悩んだけれど、やっぱりあれ。ちょっとあの子には早いかしら。これからは読み書きも教えていかなくちゃいけないわ。喜んでくれるといいけれど……。

 明日は晴れますように。

 素敵な一日になりますように。



 ● ○ ●



「アズ、ちょっとこっちにいらっしゃい」


 本日の主役であるアズライトは、口いっぱいにクッキーを詰め込んで、両手で口を押さえながらシレネの元へやってきた。

 これは完全につまみ食いだ。今はアズライトの誕生日パーティーの準備中だというのに、シレネの目を盗んで焼き立てのクッキーを頬張っている。


「なに?」


 口を隠していれば気付かれないとでも思っているのだろうか。くぐもった声で返事をするアズライトを見て、シレネは肩を竦めた。


「アズ、一緒に二階に行きましょう。貴方にプレゼントがあるの」


 つまみ食いは今回見て見ぬふりをして用件を伝えると、アズライトの琥珀色の瞳がきらりと光った。


「プレゼント?」


「そうよ。貴方のために用意したの」


 今にもお尻から尻尾が生えてきて勢いよく振り乱すのではないかと思うほど、アズライトは興奮した様子で飛び跳ねた。シレネは嬉しそうにはしゃぐアズライトの手を引いて、二階にある自分の寝室の隣へ連れて行く。

 ドアに掛けてあるネームプレートには、アズライトの名前が記されていた。


「分かるかしら? 貴方の名前が書いてあるのよ」


「アズライト?」


「ええ、今日からここが貴方のお部屋よ」


 そう言ってドアを開けると、アズライトの背中に手を添えて中へ促した。

 部屋の中にはベッドや机、チェストや本棚などの必要なものに加え、アズライトの玩具やぬいぐるみがたくさん飾られていた。


「お誕生日おめでとう、アズ。私のところに来てくれて本当にありがとう。お部屋の準備が遅くなってしまったけれど、これからもこの家で貴方との思い出をいっぱい作っていきたいわ」


 目を丸くして部屋を見渡していたアズライトは、シレネの手を握った。澄んだ琥珀色の瞳が揺れて、髪よりも暗い灰色の睫毛を伏せる。


「俺、ずっとここにいる?」


 少し不安そうなアズライトの声に、シレネは静かに微笑んだ。

 アズライトを引き取ってから、彼の両親をずっと探していた。幼いアズライトには本当の両親が必要だと思っていたから。人狼は人の姿にも狼にもなれる分、探すのが難しい。魔女の力を使っても見つからないアズライトの両親は、ひょっとしたらもうこの世にいないか、この国を出てしまったのかもしれない。


 どう伝えようか。これから先も魔女の自分と暮らしていくことを伝えたら、アズライトはどう思うだろうか。

 悩むほどになかなか決心ができず、今までアズライトの部屋を用意することもできなかった。


 手放すことなど、もうとっくに無理だと分かっていたのに。


「アズ、あのね……」


「シレネといる」


 ぎゅっと握られた手に力が込められ、シレネは俯くアズライトを見つめた。


「俺、シレネといる。ずっと一緒にいる」


 言い聞かせるようなアズライトの言葉を聞いて、シレネはようやく気が付いた。

 不安だったのは、シレネだけではなかったのだ。小さな身体でいろんなことを考え、自分の置かれた状況を理解し、アズライトなりに不安と戦ってきた。

 どんなに手探りの日々であろうと、この小さな手だけは離してはいけない。何があっても守らなくてはならないものが、いつの間にか自分にも存在していたのだと気付いて、胸が熱くなった。


「アズ……」


 シレネは床に膝を付いて、アズライトを抱きしめた。


「ずっと一緒よ、アズライト。ここは貴方のお家で、私も貴方と一緒にいるわ。何があっても、私が貴方を守ってあげる」


 シレネの腕の中でアズライトはふふっと嬉しそうに笑うと、シレネの耳に唇を寄せた。


「大きくなったら、俺がシレネを守るね」


 内緒話をするように囁くと、くすくす笑って恥ずかしそうに身じろいだ。その仕草のなんと愛おしいこと。シレネは堪らずアズライトを抱き上げて、くるりと回った。


「まあ、アズったら! どうしてそんなに私を喜ばせるのが上手なの!」


 すっかり重くなったアズライトを抱っこすれば、思わぬアトラクションにアズライトは大喜びで手を振った。


「シレネ、もう一回まわって!」


「えー、無理よ。貴方とっても重たくなったわ、アズ」


「もう一回!」


「ほら、このあとお肉もケーキも食べるのよ。ビオラが今頃、美味しいお肉をテーブルに並べているわ」


「俺、下に行く」


「そうね、それがいいわ。お部屋はあとで冒険しましょう」


 抱いていたアズライトを下ろしてあげると、一目散に階段の方へ駆けて行った。肉と聞けば大抵のことは忘れてくれるので、扱いやすくて助かっている。


「あ、もうひとつプレゼントを渡そうと思っていたのに」


 アズライトの机に置いてあるラッピングされた長方形の箱には、彼の瞳によく似た深い琥珀色のガラスペンが入っている。シレネのガラスペンを気に入っていたので、アズライト用に魔法をかけて、簡単には割れないものを準備した。

 簡単に落ちるインクと一緒に。


「シレネー! 早く来てー!」


 一階からアズライトの大きな声が響いて、シレネは手にしていたプレゼントを机に置いた。


「シレネー!」


「はぁーい! 今行くわ」


 急かすアズライトの声に返事をすると、シレネはネームプレートの付いた部屋のドアをぱたんと閉めた。



 ● ○ ●



 七月三十一日。晴れ。


 今日はアズライトの誕生日。朝から準備に大忙し。本日の主役はお肉もケーキもたくさん食べて、一日中楽しそうにしていたわ。プレゼントのお部屋もガラスペンも喜んでもらえてひと安心。よかった。ビオラからはボールの玩具をもらって、投げろ投げろと何度も催促して庭で遊んでいたわ。お花を踏むのだけはやめてほしいのだけど……。

 あの子の笑顔をこれからも守っていきたいし、成長を一番近くで見ていたい。

 私のところに来てくれてありがとう、アズライト。あんまり早く大人にならないでね。

 ずっと愛しているわ。




 使い慣れた万年筆を置いて、シレネは日記帳を閉じた。小さな鍵を閉め、引き出しの中へとしまう。アズライトが来てからつけ始めた日記は、今や寝る前の日課になっている。


 机で灯るオレンジ色の明かりを消すと、シレネはベッドに身体を横たえた。隣では狼のぬいぐるみを抱きしめたアズライトが眠っている。

 アズライトに部屋を用意してあげたものの、「一緒に寝る」と言っていつも通りシレネのベッドに潜り込んできたのだ。

 まだ当分は一人で眠るつもりはないらしい。


 乱れた毛布を身体に掛けてやり、天使のような顔で眠るアズライトのおでこにキスをする。



「おやすみなさい、私の愛しいアズライト」




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