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【ハイファンタジー 西洋・中世】

至高の盗人と困り果てた聖女

作者: 小雨川蛙

 

 その盗人はどんな盗人よりも素晴らしい技術を持っていた。

 何せ、彼は誰も盗めないものをあっさりと盗むのだから。


 街を歩く盗人の隣に血走った眼をしながら歩く男が現れた。

 傍目からは分からないが、男は自らの懐にナイフを忍ばせていた。

 これからそれを使って一人の女を殺しに行くのだ。

 男の一世一代の告白をあっさり断った女を。

 しかしながら、実情としては男と女の間には特別な関係はなく、言ってしまえばただの独りよがりな男の想いを女が急に晒されただけなのだ。

「逆恨みか」

 盗人は小声で呟き、にやりと笑う。

「いいね。それ」

 そう言って男の背後に近づき、そして次の瞬間には踵を返してスタスタとその場を去ってしまった。

 直後。

 男はふと立ち止まってしまいため息をつく。

 懐に隠していたナイフの重みが妙に苦しく感じたのだ。

「何やってんだ、俺は……」

 男はそう呟くとふらふらと歩いて街のベンチに座り込む。

「ただの失恋じゃねえか。馬鹿か、俺は」

 そう言って男はさめざめと泣いていた。

 情けない姿だったが、それにより男の心は静かに落ち着いていくのだった。


 一方、盗人と言えばあの男から離れた後に街でも評判な手の付けられないならず者の下へやってきた。

 こそっと隠れながらならず者を伺うと彼は集まった兵士達相手に今日も大笑いをしながら威嚇する。

「なんだ? てめえら。俺をひっとらえようって言うのか? いいぜ、かかってこいよ」

 その言葉に兵士達はしり込みをする。

 何せ、つい先日に意気揚々とこのならず者を捕えようとした隊長があっさりと返り討ちに合い、重症の身体で今も病院のベッドの上で寝込んでいるのだ。

 隊長にさえ勝てない相手だ。

 部下である自分達が勝てるはずもない。

「ここいらは俺の縄張りだ。てめえらもそれをよく理解しておくんだな」

 ギャハハハとこれ見よがしな笑い声をあげながらならず者はのっしのっしと歩き出す。

 その姿が近づいてきたので兵士達は悲鳴をあげて横に逃げた。

 それを見て盗人はこれまた小声で呟き笑う。

「いいね。あの乱暴加減」

 そう言って、子蜘蛛が跳ねるような俊敏さでならず者に駆け寄ると、彼に触れるか触れないかの距離まで来て、そのまま走り去ってしまった。

 当然ながら妙な行動をした盗人にならず者は機嫌を悪くし大声で怒鳴り声をあげる。

「てめえ! おい! このガキ! 一体なんだって、いうん……だ…よ」

 しかし、その声は段々と小さくなっていき、やがてならず者はそのまま膝から崩れ落ちる。

 いきなりの光景に兵士たちが混乱しているとならず者は大泣きを始めた。

「俺は……俺は、一体なんてことを……」

 大声をあげて泣き出すならず者を兵士達は恐る恐る近づくと、彼は立ちあがって彼らに言った。

「すまねえ、俺を捕まえてくれ。裁きを受けるから……」

 呆然としたままに兵士達はならず者をあっさりと捕まえた。


 さて。

 そんな盗人の下に聖女が現れて言った。

「まだそんなことをしているの?」

 すると盗人はケラケラと笑って答えた。

「おやおや、聖女様じゃないですかい。ご機嫌麗しゅう」

 盗人と聖女は最早、顔馴染みと言えるほどに何度も会っていた。

 何せ、聖女は悪事を働く者を成敗するために旅をしているのだから。

 聖女は困った表情を盗人に向けて言う。

「もういい加減、それをするのやめなさい。あなたのためにならないから」

「はぁ? 悪ぃかよ。俺はこれが好きで生きてるんだからよ。それに、そんなに気に食わねえなら俺を成敗すりゃいいじゃねえか」

 その言葉に聖女は言葉に詰まり、そしてため息をついて剣の柄に手をかける。

 それを見た瞬間に盗人は「ひひひ」と笑って風のように逃げ出した。

「ほら! 悔しかったら捕まえてみろよ! 聖女様!」

 そう言って走り去った盗人を見て聖女は剣の柄から手を放して大きなため息をついた。

「ほんともう、どうしよう、あの人……」

 聖女が困り果てるのは当然と言える。

 あの盗人が盗んでいるのは人々の思考なのだ。

 それも、思考の中でも最も強い『悪意』という思考。

 故にあの盗人が盗みをする度にその場には平和が訪れてしまう。

 平和を何よりも望む聖女にとってもありがたいことなのだ。

 しかし、その一方で盗人は確かに罪を犯しているのも問題なのだ。

 だが、それよりもずっと大きい問題が聖女の頭を悩ませ続けている。

 それはつまり、悪意を盗んだ盗人の心には常に悪意が満ちているということ。

 そして、悪意がある故に盗人は決して改心することがなく、盗みを永遠に続けているのだ。

「あぁ、本当にもうどうしたらいいのかしら……」

 聖女はそう言って、今日もまた頭を抱えるのだった。

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