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あれはいつのことだっただろうか。きっと五年くらい前のことだったか。
当時ホダカは中学生だった。自分たちが暮らしている場所のことについて習い、周りの環境や自分のことについて悩み考える時期。ホダカは少なからず塔について疑問を抱えていた。もしかしたら他の生徒よりも多かったかもしれない。
そして友達ともそのことについて話し合っていた。自分たちでは覆すことなど到底できない、まるっきりどうしようもないことだったが彼らは狭い塔の中で熱心に語り合っていた。
その日も学校からの帰り道、ホダカを含めた何人かの友人同士で話に花を咲かせていた。
「俺はこの塔を建てた人に会ってみたいな! どうして建てたのかとか当時どうなってたのかとか色々聞いてやりたい!」
仲間の中でもわんぱくな友人が言った。
「僕は塔の中で一生を過ごしたいや。別に生まれてきた時からこうだったし」
おとなしい他の友人も言った。友人達はあーでもないこーでもないと言い合っている。
「ホダカは?」
やがてホダカにも順番が回ってきた。ホダカは自信満々に言った
「俺は塔の外を見てみたい。いつか塔の外に出てやるんだ」
「アハハ、ホダカは面白いな」
「でもいいなぁ。塔の外ってどんな感じなんだろ」
「親が言ってたけど、人が住めないほど恐ろしい生き物がいて外に出たら喰われちゃうんだって」
「それいつ言われたんだよ」
「小学校の頃とかだけど」
「なんだそれ、子守のためのおとぎ話じゃん」
なぁんだ、と皆んなで笑い合った。ホダカもこんな平和な日がずっと続くものだと思っていた。
ホダカは割と真剣に塔の外について考えていた。家に帰っても親に塔の外についてどうなっているのか、自分の予想を話したりした。図書館に行って塔の起源が書いてある文献を漁ったりもした。
彼は夢中だった。自分の興味ある事をただひたすらに追いかけて、好きなように生きる日々。彼にとって塔の世界の情勢だとか上層の人々が外についてどう思ってるかなどは、さして重要ではなかったし眼中にすらなかった。
中学二年生の夏休み、自由研究の課題が出た。ホダカは迷わず塔の外についてまとめることに決めた。両親も親身になってホダカの研究に付き合ってくれた。
夏休みが明け、自由研究の発表がクラスで行われた。保護者も参観しクラスはごった返していた。
ホダカの番が回ってきた。彼は見守ってくれている両親の目線に背中を押され、胸を張って壇上に立った。
発表の中盤、ホダカが塔の外についての考察を話していると、教頭に連れられてスーツを着た二人の男がやってきた。
他の学校の教師だろうか。ホダカはその時そう思った。
ホダカが発表を終えた時には男達はいなくなっていた。しかしホダカにはそれ以上に気になることがあった。
両親がいつの間にかいなくなっていたのだ。
クラスの拍手を聞きながら、ホダカの心は無事に発表を終えた誇らしさより両親がいなくなっていたことに対する不安で満たされていた。今日、両親の仕事はなかったはずなのだ。
俺が発表に夢中で見逃していたかもしれないし、急用が入ったのかもしれない。
ホダカはそう自分を納得させた。
いつもの友人達とお互いの自由研究について話しながら、ホダカは帰路に着いた。
普段ホダカ達が暮らしている集合住宅の一室が当たり前だがそこにあった。けれど何かの違和感をホダカは覚えた。
なんでだろう。なんだか静かだ。
彼は直感的にそう思った。まさか、という嫌な予感を押し殺して扉を開けた。
部屋は、真っ暗だった。
彼は必死に両親の名を呼んだ。叫んだと表現した方が近いかもしれない。しかし、目の前の闇はまるで突き放すかのように彼の声を吸い込むだけで、ホダカの望む返事は聞こえなかった。
ホダカが恐る恐る足を踏み入れると、シンと冷たい空気が彼の体にまとわりついた。自分の部屋を開けると、今朝あったはずの自由研究に使った資料がすっかり無くなっていた。
誰かに持ち去られたのかな。けどあれに何の価値が……。
ホダカが思案しながらリビングに入ると、文字通りもぬけの殻だった。誰もおらず、相変わらずの冷たい空気が淀んでいるだけだった。
一体何があったのか。ホダカが戸惑っていると部屋の扉が勢いよく開いた。
「ホダカ君、大変よ!」
隣に住むおばさんだった。彼女は血相を変えて部屋に飛び込んでくると、呆然としているホダカの肩をがしりと掴んだ。
「あなたのお母さん達が捕まったのよ! ほら見てこれ」
そう言っておばさんが見せてきた画面を見て、ホダカは体を貫かれたような感覚になった。
「——息子に夢を抱かせることを助長した罪で両親を現行犯逮捕」
そう書かれた見出しの上には「塔内庁関所警備局」と大きな字があった。
ホダカでも聞いたことがある名前だった。塔の治安維持をしている機関。学校でも習ったばかりだった。
その時、ホダカの脳内で今までの不可解な出来事が一つの線のように繋がった。
まさか自分の自由研究で両親が捕まるとは、彼は思いもよらなかった。
ホダカは狼狽えた。突然の出来事にまだ頭の整理ができていなかったのかもしれない。
「ホダカ君、どうするの」
おばさんが聞いてきた。
「分かりません……。とりあえず、関所に行ってみます」
そう言ってホダカは部屋を出た。