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「ここが我々の管轄の中層部A地区からG地区です。どうでしょう。綺麗じゃないですか?」
塔の中央を貫いているエレベーター。周りがガラス張りになっているそれからは、下の階に降りていくたびに、中層部の建物や景色に住民達の動きまではっきりと見て取れた。
生まれも育ちもこの街だというミズキは、先ほどから街のあっちやこっちを指差し熱心に説明を続けている。よほどこの街が好きなのだろう。彼の目はとてもいきいきとしていた。ホダカはそんなミズキに少し憧れを抱いた。
それに比べて、俺には誇れる故郷もこれと言った友人も、なにか成し遂げたい夢もない。
ホダカが俯いているとミズキが遠慮がちに聞いてきた。
「あの、ホダカさんがもし行きたいと思ってる場所があるなら案内しますけど……」
「そうですね……。じゃあミズキさんの好きな場所で構いませんよ」
ホダカがそう言うと、待っていましたと言わんばかりに相変わらずの繊細な手つきで、ミズキはエレベーターのボタンを巧みに操作した。
中層部C地区。関所から三階層分上に上がった階。エレベーターから降り立つと、さっきまでガラスの壁越しに見えた人々の賑やかさが直接ホダカの体に伝わってきた。子供達の楽しそうな声。学校帰りの中学生。談笑する老人達。景色は同じ無機質な鉄のビルとガラスだけなのに、ホダカの暮らしていた上層付近とは感じ取れる空気が全く違った。
「こっちです。ちょうど良い公園があるんですよ」
ミズキに連れられた公園は、無愛想なビル群の中にほんの少しの緑があるだけだった。本来ならその雑踏に埋もれるかもしれない場所だが、暖かさのこもったこの街の空気のおかげか存在感を放っていた。
「C地区はこの管轄で一番活気があるんです」
公園のベンチに座りながらミズキは口を開いた。
「確かにとても人が多いですね。僕の住んでいたところとはまるで違う」
「そうですか。ここは僕の誇りある故郷なんです。確かに建物は白いビルばかりですが、色褪せない人の温かみがある。そんなところが好きなんです」
羨ましい。ホダカが一番最初に思ったのはそれだった。思い出される硬いベッドにくすんだ壁。やめよう。考えないようにしたばかりじゃないか。
「そういえば、脱走を試みた人たちについてどう思いますか」
ホダカの悪夢を打ち消すようにミズキの屈託のない声が耳に入ってきた。
「どう思うっていうのは……」
「ああ、いえ。そのなんて言うか、どうして逃げようと思うんでしょうか。狭い塔の中とは言え、それなりに幸せな生活を送っているはずです。塔の中での生活はもう大昔からのことですし。僕は塔での暮らしに不満を抱いたことはありません。それを捨ててまでして、なんで無謀なことをするのでしょうか」
「さあ。もしかしたら何かとてつもなく嫌なことがったのかもしれませんよ」
「そういうものなんでしょうか」
恐らく幸せな故郷と塔での楽しい事しか知らないであろうミズキは、心底不思議そうな顔をしている。だが、ホダカは違った。顔も知らない脱走者達に彼は同情した。
ああ。俺にも分かる。辛いよな。逃げ出したくなるよな。
そう声をかけてやりたい気持ちになった。
そろそろ休憩も終わりといった具合にホダカ達がベンチを立ち上がったその時、地区全体に警報音が鳴り響いた。
ホダカが周りを見ると、ついさっきまで楽しげに話していた子供達は涙目になり、多くの人が突然の出来事に右往左往していた。
だがそんな騒然とした中、ホダカにはなぜかはっきりと誰かが走ってくる音が聞こえた。音の聞こえる方に目を向けると、一人の少女が警備員に追われて逃げていた。その目は真剣で何かに訴えるような目つきだった。ホダカは一瞬その目に吸い込まれそうになった。
「誰かそいつを捕まえてくれ!」
警備員の声でホダカは思い出した。そうだ。俺は関所の職員だった。あの少女を捕まえなければ。ホダカは少女の前に立ちはだかった。
結局、少女はすぐに捕えられた。ミズキが、追いかけていた警備員二人と話している間ホダカは少女を見ていた。身なりはそこまで良いとは言えず、服は薄かった。だが、目つきだけは鋭く誰も寄せ付けないような空気を放っていた。