私は悪役令嬢なので、どうせならスケールの大きな悪事を働こうと思いましたの
バジル王国の公爵令嬢ユスティナ・ローリエはため息をついた。
(ゲームの強制力は凄まじいのね……)
ユスティナは悩ましげに艶やかな赤毛を耳にかき上げる。
ユスティナは転生者だ。ユスティナの前世はごく普通の日本の女子高生。そして前世の記憶が蘇ったことでここが前世でプレイした乙女ゲームの『魔法のような恋を君と』、通称『マホ恋』の世界であることに気付いたユスティナ。おまけにユスティナは学園でヒロインを虐めて断罪される悪役令嬢。卒業パーティーという名の断罪の場で婚約者の王太子べアンハート・バジルから婚約破棄を告げられ国外追放されるのだ。それだけでなく、ゲームでは字幕で国外輸送途中に盗賊に襲われて殺されたと書いてあった。おまけにユスティナはローリエ公爵家で虐待に近い形で冷遇されているので家族は誰も助けてくれないのである。
とにかくゲームの通りにならぬよう、ヒロインとは全く関わらなかった。それにも関わらずヒロインへの虐めや嫌がらせの犯人に仕立て上げられてしまう。王太子べアンハートやその他の攻略対象達からは厳しい目で見られているのだ。卒業まで残り三ヶ月。このままでは国外追放途中に殺される運命まっしぐらである。
「どうしたら良いのよ……」
学園の中でもとりわけ人気のない場所で、ユスティナの宝石のような緑の目からは一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ユスティナ嬢?」
そこに突如として現れた者がいた。黒目黒髪で地味な風貌の男爵令息シャヴィ・グラスである。
ユスティナは慌てて涙を拭く。
「まさか人が来るとは思いませんでしたわ。シャヴィ様は先程いらしたのかしら?」
微笑んで誤魔化すユスティナ。前世の記憶があるとはいえ公爵家でしっかりと教育されているのでその笑みには気品がある。
「すみません……。ずっとここにいましたよ。ユスティナ嬢がいらっしゃる前から。まあ僕は存在感がありませんから」
気まずそうに笑うシャヴィ。
「それは……気付かず失礼しましたわ」
ユスティナは申し訳なさそうに苦笑した。
「あの、私が泣いていたことは誰にも言わないでください」
恐る恐るそう頼むユスティナ。するとシャヴィは快く頷く。
「ええ。誰にも言うつもりはありません。ただ……何か悩み事があるのなら、僕に話してくれませんか? ほら、誰かに聞いてもらうとスッキリするとよく言うじゃないですか」
シャヴィは心配そうにユスティナを見つめている。
ユスティナはシャヴィのその表情に、胸の奥が熱くなった。
(私のことを心配してくれているのね……。誰かにそう思ってもらえるのはいつ振りかしら……?)
ユスティナの中で何かが決壊し、気付けば全てを話していた。前世の記憶があり、ここは乙女ゲームの世界で自分は悪役令嬢であること。このままだと卒業パーティーで王太子べアンハートから婚約破棄され国外追放を告げられること。その途中で盗賊に襲われて命を落とすこと。頭がおかしい人だと思われること覚悟で全て話したのだ。ユスティナはそこまで追い詰められていた。
「ユスティナ嬢が転生者……。ここがゲームの世界……。ユスティナ嬢はこのままだと死んでしまう運命……」
シャヴィは黙り込み、何かを考える素振りをしていた。
「ユスティナ嬢、貴女は悪役令嬢なのですよね?」
「ええ、そうですわ。どう頑張っても私は悪役令嬢ですの」
ユスティナはため息をつく。
「ならば、もっとスケールの大きな悪事を働いてみませんか?」
「え……?」
シャヴィからの予想外の提案に、ユスティナは緑色の目を丸くした。
シャヴィはニヤリと笑い、パチンと指を鳴らした。
「貴方は……!」
ユスティナはシャヴィの姿を見て目を大きく見開いた。
✥ ✥ ✥ ✥
三ヶ月後、卒業パーティーにて。
「ユスティナ・ローリエ! お前との婚約を破棄する!」
バジル王国王太子べアンハートが大勢の前でユスティナにそう告げる。
金髪碧眼で見目麗しく、流石は乙女ゲームの攻略対象と言いたくなるかのようだ。
彼の隣にいるのはピンク髪にピンクの目の、いかにもピンクが似合いそうなヒロイン。名をイヴォナ・タイムと言う。男爵令嬢だ。他の攻略対象達は彼女を守るように立ってユスティナを睨んでいる。
「このような場で婚約破棄でございますか。理由をお聞かせください」
ユスティナにとって恐れていたことなのだが、彼女は冷静だった。
「白々しいにも程がある! お前はイヴォナに数々の酷い嫌がらせを行った! そんな傍若無人なお前は王太子妃に相応しくない! よってお前を国外追放にし、イヴォナを俺の新たな新たな婚約者として迎える!」
高らかに宣言したべアンハート。
「……承知いたしました」
ユスティナはやはり冷静だった。
「ユスティナ嬢」
そんなユスティナの元へ向かってくる人物がいた。
シャヴィである。
「それならばユスティナ嬢、僕と結婚していただけませんか?」
その言葉に会場の者達は騒つく。
「おいおい、お前は相当な物好きだな! 今俺が婚約破棄して国外追放予定のユスティナに求婚とは! 弱小男爵令息のすることはよく分からないな!」
シャヴィを馬鹿にするべアンハート。
「弱小男爵令息……ね」
シャヴィはニヤリと笑い、パチンと指を鳴らす。
すると彼の髪と目の色が変化する。
黒い髪は銀髪に、黒い目は紫の目に変わったのだ。
地味で存在感が薄かったシャヴィは誰もがハッと目を奪われるような容姿であった。どうやら変装魔法を使っていたらしい。
「あれは……隣国レモングラス帝国の皇太子!」
会場にいた者の誰かが、銀髪に紫の目となったシャヴィの姿を見てそう叫ぶ。
すると会場は更に騒ついた。
レモングラス帝国はバジル王国と同程度の国力を持つ国である。
「シャヴィ・グラス改め、レモングラス帝国皇太子シャヴィエル・レモングラスだ。面倒ごとを避けるために身分と姿を偽って留学していた」
フッと笑うシャヴィ改めてシャヴイエル。
「改めてユスティナ嬢、貴女は今自由な立場になりました。是非、僕の妻になっていただきたい」
片膝をつきユスティナに求婚するシャヴィエル。
「喜んでお受けいたしますわ」
ユスティナは微笑んでシャヴィエルの手を取った。
「ではユスティナ嬢、行こうか」
「ええ、シャヴィエル殿下」
シャヴィエルにエスコートされ、ユスティナは会場を出ようとする。
それを黙っていない者がいた。
「こんなのおかしいわ! ユスティナは悪役令嬢なのよ! 隣国の皇太子からプロポーズされるなんてありえない!」
そう叫んだのはイヴォナ。
発言からしてどうやら彼女も転生者だとユスティナは判断した。
「イヴォナ嬢だったかな。ユスティナは未来のレモングラス帝国の皇妃だ。彼女を侮辱するということは、我がレモングラス帝国を侮辱するのと同義。近々覚悟してもらおう」
シャヴィエルは冷たくそう言い放ち、ユスティナを連れて会場を出るのであった。
べアンハートがユスティナと婚約破棄しイヴォナと新たに婚約を結ぶ宣言をしたこと。婚約破棄されたユスティナが隣国レモングラス帝国の皇太子シャヴィエルに求婚されたことはバジル王国を大いに賑わせた。
✥ ✥ ✥ ✥
数ヶ月後、レモングラス帝国にて。
皇太子妃となったユスティナはシャヴィエルと紅茶を飲みながら談笑していた。
「それにしても……まさかシャヴィエル様の妻になるとはあの時は思っておりませんでしたわ」
クスッと笑うユスティナ。
「僕はユスティナが学園で涙を流す姿を見て惹かれたんだよ。完璧な君がふと見せた弱さにやられたのさ。それで君を守りたい、幸せにしたいと思った」
優しい笑みのシャヴィエル。
「嬉しいですわ。でも……それだけではないことを知っておりますわ。シャヴィエル様には……いえ、レモングラス帝国にはとある目論見があることを」
悪戯っぽく笑うユスティナ。
「そうだね」
フッと笑うシャヴィエル。
✥ ✥ ✥ ✥
時はユスティナが弱小男爵令息として身分を偽っていたシャヴィエルに色々話したところまで遡る。
「貴方は……!」
ユスティナは変装魔法を解除したシャヴィエルの姿に驚愕していた。
「レモングラス帝国のシャヴィエル皇太子殿下ではございませんか……!」
ユスティナは王太子妃教育を受けていたため、近隣諸国の王族や皇族の顔と名前はしっかりと覚えていたのだ。
「流石はバジル王国で王太子妃教育を受けたユスティナ嬢だね」
シャヴィエルは満足そうに笑っている。
「ユスティナ嬢、さっきの君の話によると、君は婚約破棄されて命を落とす運命にある。それなら、その命、僕に預けてくれないか? 大丈夫、悪いようにはしない」
何かを企んでいる表情のシャヴィエル。
「一体何をお考えなのです?」
ユスティナは少し不安ではあったが、このまま死ぬのは嫌だったのでシャヴィエルの話を聞いてみることにした。
シャヴィエル及びレモングラス帝国は何とバジル王国の侵略を考えていたのだ。
国力が同程度で拮抗していた二国。しかしレモングラス帝国の諜報部隊がバジル王国の土地に豊富な魔石が埋まっている情報を得た。
魔力をエネルギーとして含む魔石はこの世界で最も大切な資源。どの国も喉から手が出るほど求めているものである。
レモングラス帝国はまだバジル王国が気付いていない魔石を国ごと奪おうと目論んでいたのだ。
「ユスティナ嬢、僕の妻となり、この計画に協力してくれるなら君は死ぬことはないよ。それにさ、ユスティナ嬢……君は悪役令嬢なんだろう? それならば、もっと大きな悪事を働いてみないかい?」
その悪魔のような囁きはユスティナの中にスッと溶け込んだ。
(悪役令嬢……悪役……)
ユスティナが蓋をしていた気持ち。それが心の奥から少しずつあふれ出す。
前世のユスティナは乙女ゲームにも夢中だったが、海外のアクション映画の悪役にも夢中になっていた。当たり前だが映画の悪役のようなことをやってはいけないのは前世のユスティナも分かっていた。しかし、そういった悪役に憧れる気持ちもあった。
「協力いたしますわ」
ユスティナは恍惚とした表情で頷いたのである。
その後は卒業パーティーまでの三ヶ月間、シャヴィエルがユスティナを妻に迎える根回しとバジル王国に攻め込む手段を整えたのである。
✥ ✥ ✥ ✥
「ユスティナがバジル王国の王太子妃教育を受けていたお陰であの国の弱点を知ることができた。そろそろ頃合いかな」
ニヤリと笑うシャヴィエル。
「でしたら、私もお供いたしますわ。べアンハート殿下とイヴォナ様がどのような表情をなさるか楽しみですわね」
楽しそうに笑うユスティナ。
「悪役令嬢どころかすっかり悪女になったね。僕はそんなユスティナも愛してるよ」
満足そうに微笑むシャヴィエル。
こうして、バジル王国へ攻め込む準備をするユスティナとシャヴィエルだった。
✥ ✥ ✥ ✥
レモングラス帝国に攻め込まれたバジル王国はあっという間に陥落した。
バジル王国の王族と主要貴族は縄で縛られ牢に入れられ、処刑を待つ状況になった。
ユスティナはシャヴイエルと共に牢へ向かう。
すると、縄で縛られたべアンハートと彼の妻になったイヴォナがいた。
「お前! ユスティナか!? よくもこの国を売ったな! この売国奴が!」
「ユスティナ様! どうしてこんな酷いことをするのですか!?」
牢の中から叫ぶ二人。
ユスティナはそんな二人に向けてとびきりの笑みを向ける。
「だって……私は悪役令嬢なので、どうせならスケールの大きな悪事を働こうと思いましたの」
ユスティナは楽しそうな表情だ。
「はあ!? お前は何を言ってるんだ!?」
わけが分からないと言うかのような表情のべアンハート。
一方転生者であるイヴォナはユスティナの言葉に青ざめる。
「そんな……。じゃあ私はどうしたら良かったの? せっかく王太子妃になれるべアンハート様のルートに進んだのに……」
ユスティナはイヴォナに対してフッと微笑むだけでそのままシャヴィエルと共に牢を後にするのであった。
「本当に前世で見た海外映画以上の悪役のようだったわね。でも、もうこれで悪事は終わりにしておきましょう。祖国を売るなんてスケールが大き過ぎる悪事だわ」
ユスティナはふふっと笑った。
「確かに、バジル王国が手に入ったからもうこれ以上は必要ないね。でも、ユスティナの楽しそうな表情が間近で見られて本当に良かったよ」
シャヴィエルは満足そうな表情だった。
悪役令嬢ユスティナはヒロインであるイヴォナを虐めず、祖国を売るという大きな悪事を働いたのである。
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