無慈悲な紙切れ 其の壱
嫌に静かだな…。人がいる気配を感じることができない。窓も閉め切っていて、カーテンで家の中が見えなくなっている。
ピーンポーン
取り敢えず、インターフォンを押してみる。押しても押しても反応が無い。物音すらしない。音沙汰が全く無いのである。
「留守なのかなあ…。すいませーん、どなたかいらっしゃいませんか? 娘さんの担任をしている川島と申しまーす」
どんなにでかい声を張り上げても、中から人は出てこない。何気なく、玄関のドアのぶに触れてみる。
「あれ?」
絶対にあってはならない事実がそこにはあった。玄関の鍵がかかっていないのである。
ガチャ
俺はドアをゆっくりと開けてみる。こ気味悪い音が鳴り響いた。それが、沈黙を破る。気付くと、外は真っ暗とまではいかないが、薄暗くなっている。しかし、家の中はそれを駕ぐ程の暗さをしていた。
「失礼しまーす」
不法侵入と言われれば、それまでだ。でも、今はそんなことを言っていられない。
「うわ、何か息苦しいな」
家の中は窓をすべて閉じているせいか、嫌な空気が篭もっていた。空気が重い。にしても、なんでこんなにも暗いんだ? 家に人がいないからか? だとしたら、鍵はなんでかかってないんだ? 閉め忘れたのか? 頭の中で、様々な疑問が列を成す。 閉め忘れた説を信じたい。しかし、これらの疑問を一度にすべて解決するもう一つの仮説が立てられてしまう。それは、玄関までの廊下と、リビングを仕切っているこのドアを開ければ、おのずと分かるのだろう。
俺は不思議な光景を見た。四十代半ばぐらいの男と女が机に突っ伏している。机の上には七輪。外に繋がるあらゆる隙間という隙間をガムテープで塞いである。二人揃って寝ちゃったのかな…。なんて現実逃避してはいられないみたいだ。しかし、そこには「茅島心那」の姿は無かった。本当に何を見させられているのだろう。自分の身近でこんなことが起きてしまう。今だけじゃない。あの時も…。
よく見ると、机の上には七輪だけではなく、何枚かの紙が無造作に置かれていた。俺はその一枚を手に取る。それには「この子を探しています」という文言と共に、「茅島心那」の顔写真が添えられていた。
「また…だ。あの時もそうだった」
こんな紙を俺はこの十二年間で何度見てきたことか…。毎回毎回三年ごと。それも、この子のような、か弱い女の子。そして、今年が前回の事件から三年目。まさかとは思っていたが、本当に起きてしまうとは…。しかも、今回は俺の教え子だ。ここにいる二人が選んでしまった結末。一概に、「あり得ない」と決めつけることはできそうもなかった。
俺が警察に通報して、数分後のこと。何台ものパトカーと救急車が家の周りを取り囲んだ。
「どのような状況で遺体を発見したのですか?」
「それは…」
俺は警察に見たままの事実を包み隠さず話した。現場の紙切れに触れてしまったことも。
「なるほど。分かりました。けんちゃんありがとね」
けんちゃん? けんちゃんは俺が小学生の時のあだ名のはず。何でコイツが知ってんだ? しかも、急にタメ口。ただでさえ、疑問まみれだって言うのに、新たな謎が渋滞する。
「『何で知ってんだ?』って顔してるな。まだ分からないのか? 俺だよ俺、佐伯。佐伯秀悟」
佐伯秀悟か…。小学生の時、そんな奴いた気がするな…。確か、警察官になりたいって言ってたっけな…。なるほど。つまり、本人ってことか? いや、本人だな…。…って、え!?
「しゅうちゃん?! 久しぶりー! 本当に警察官になったんだ!」
さっきまでの感覚が吹き飛んだ。やはり、こんな時程、友達のありがたみを感じることができる。
「そう! …てか、災難だったね。何でお前、そんなに巻き込まれんだか…。疫病神か何かかよ!」
「ご…ごめん。今、冗談聞いてられるメンタル持ち合わせてないわ」
久しぶりの再開で喜んでしまったが、その冗談は耳が痛い。
「あの…佐伯先輩、仕事中ですよ? 世間話は程々にしてもらえません?」
流石に今はまずかったな。一応、俺は第一発見者な訳だし。そりゃ、後輩ちゃんにも怒られるわ。
「そうだな。すまん。…では、本題に入るけど、被害者とはどんな関係で、どんな経緯を辿ってこの現場に来たんだ?」
俺は学校でのこと。そして、この現場で見たことなどをきめ細かく話した。
「なるほどねえ…。教え子の両親だったんだ。そりゃ、気の毒だったね…。了解! 一通りの事情聴取は済んだから、帰ってもらっても大丈夫だよー」
「帰りたいのは山々なんだけど、少し気になることがあって…」
俺は三年ごとに発生していた事件との繋がりを疑ったのだ。しかし、今は自分の憶測。素人の考えを現役のベテラン警察官には話したくはなかった。
「今話せる?」
「いや、プライベートのことだから無理かな。良かったら、空いてる日、俺の家に来てくんね?」
「分かった。なら、今週の土曜日とかはどうだ?」
「そうしようか」
俺は今回の件を学校にも話さないといけない。「茅島心那」の事件とその両親の事件については明日辺りにニュース番組で報道されるだろう。しかし、自分で話さないといけない気がしたのだ。大切な教え子や大好きだった人を守ることはできなかった。だからせめて、これだけはしておきたい気持ちがあったのだ。そして、一番思うのは「もう誰も失いたくはない」ということだけである。
「あれ?」
急に後ろを振り向くしゅうちゃん。
「どうした?」
俺もそこに目をやる。誰もいない。
「いや…誰かに見られてる気がしたんだよ」
「誰かって誰?」
「分からない」
不気味だな…。誰もいなかったと思うが…。彼が感じた謎の気配。それを知るすべは毛頭無かった。