既視感
九月十九日
暗闇で一人の少女がなにか言っている。よくは聞こえない。今にも消えてしまいそうな、か細い声だ。俺はその子を知っている。知っているはずなのだ。誰かは分からないが、直感的に「知っている」ということだけが分かるのだ。その子の表情は暗くて見えない。少なくとも笑顔ではないのだろう。
パッ
俺は勢い良く飛び起きた。体中は汗でびっしょりと濡れている。肌を滴るそれが、すべてを物語っていた。
「また…か」
最近、夢見が悪い。毎日毎日、同じ夢を見る。夢の中の誰かは大切な何かを伝えようとしている。しかし、それが何かは分かりそうもない。
俺は布団を畳み、部屋の隅に寄せる。そして、殺風景な部屋の中にはその布団だけが残される。
「眠い…」
俺は起きるのを拒む瞼をこじ開け、洗面台へと向かった。俺は手で掬った水を顔にぶっかける。水道の水が冷たい。氷のようだ。
「よし! 今日も頑張るぞ」
俺はそう意気込んで、出勤の準備を整える。朝ごはんはコンビニで買えば良いだろう。俺は仕事着に着替え、玄関のドアを開けた。
キーンコーンカーンコーン
SHR開始のチャイムがなった。ここから、俺の一日が始まるのだ。
「チャイムなったぞー。席着けー」
「はーい!」
子ども達の元気な声が教室にこだまする。
「みんな席着いたか? よおし! 出席取るぞー」
俺は子ども達の名前を一人一人呼んでいく。そして、サ行が終わりだタ行に入る時、違和感を感じた。
一人足りない
両親からの連絡は入っていない。しかし、一人だけいないのである。
「あれ? 茅島は欠席なのか? 何か茅島のことで知ってる人いる?」
様子を見る限り、誰も知らない。そんな感じだ。
「そうだ! 凪、何か知ってる?」
凪は茅島と仲が良い。だから、何かしら知ってると思ったのだ。風邪だとか、ズル休みだとか。
「え? 分からないです…」
「そ…そうか。みんな! ちょっと待っててくれ。親御さんに連絡してみるから」
こうなっちゃ、こっちから電話するしかない。俺は生徒達に静かに待っているよう指示し、職員室に向かう。教室を出てすぐ、生徒達の騒がしい声が聞こえてきた。まあ、そりゃそうだよな。小学生が大人しく先生の帰りを待つ訳ないか…。しかし、今は注意している暇もない。直ちに確認を急がねば。
俺は職員室にある固定電話の受話器を取る。そして、茅島の母の電話番号を入力する。電話の呼び出しコールが鳴り響く。ただ、鳴り響く。鳴り響き続ける。その後、「電話に出れません」。その文言だけが、俺の耳にこぶり付いた。何度も何度もかけた。しかし、応答はいずれも無かった。
「川島先生、どうなさいました?」
「あ…校長先生。それが…」
「ん?」
どうしようもなくなった俺はしかたなく、校長先生に要件を話すことにした。校長先生は上下関係の有無にも関わらず、みんなに敬語を使う。そんな人なので、良いアドバイスをくれると考えたのだ。
「ほお、なるほど。応答が無いと。それなら、欠席扱いにしちゃって良いですよ」
「そう…ですか。そうするしかないですよね」
しかし、こちら側としても、生徒の欠席理由が分からないと心配なんだけどなあ。
「念のため、放課後、茅島さんのお家へ伺おうと思います」
「それは良いですね。本当にありがとうございます。川島先生は生徒思いの良い先生だ」
「いやいや、滅相もないですよ。そろそろ、戻りますね」
「頑張って下さいね」
こんな感じで、みんなを褒めては元気付ける。だから、信頼される。俺もこんな先生になりたいもんだ。
一時間目の終了のチャイムが鳴った。
教室に戻ってきた俺は休み時間を挟み、チャイムと同時に授業を開始した。ニ時間目は国語だ。黒板には「主人公の気持ちが第一だん落と第四だん落でどう異なるかを読み取ろう!」と今日の授業の目標を書いた。生徒の学年に合わせた漢字を書くのは意外に難しい。何年生でどんな漢字を教わるかなんて、覚え切れない。
「先生! それ習ってないです」
「え? これか?」
俺は「異」の字を指差す。そしたら、その生徒は小さく頷いた。そう、こういうことが起きるのだ。
「ごめん! 平仮名にするね」
俺はその漢字を平仮名に書き換える。真剣な表情で授業を受ける子、友達と話している子。そして、ここにはいない子…。各々の個性が輝いていた。けど…
「そこ、うるさいぞ。静かに」
「はーい」
教師だから、注意はしなければならない。
気が付くと、授業は残り五分となっていた。キリが良いから、この時間は終わりとしよう。
「よおし、今日は終わり! 後五分、寝ててもいいぞー」
「よっしゃ! 先生、優しいー」
喜んでる。喜んでる。とても、気分が良いぞ。でも、全員がいないと何か引き締まらないなあ。
授業が終了し、休み時間に入る。
「先生ー、心那、何で休みなんですか?」
「連絡しても出ないから、先生も分からないんだよ」
俺は変に隠したりはせず、事実をしっかり話した。あらぬ噂をたてられても困るからな。
「そうなんですか…。キャンプの話、聞きたかったのになあ…」
俺はその言葉を聞いた瞬間、嫌な汗が垂れるのが分かった。見に覚えのある胸騒ぎがしたのだ。その原因が俺には分かった。三年前、そのまた三年前、さらに遡って三年前…。そして、あのときも…。同じだったから。