09 持つ気は、ないのか
少年は息を吐いた。
剣の訓練などは旅に出てからほとんどやっておらず――レギスからアーレイドまでの旅路に、隊商の戦士シザと幾度か手合わせをした程度だ――身体が鈍っていた、というのはあるかもしれない。
だが、エディスンの街で彼が毎日訓練を行っていた状態であったとしても、この指導を受けて身体が悲鳴を上げなかったとは思えない。
ティルドは、確かにユファスに言った。
アーレイドの軍団長に、兵士の訓練の片隅でいいから混ぜてくれるよう頼んでもらえないかと。
だが、それがどこをどうしたら、近衛隊長が直接に指導をしてくれるという話になるのだろう?
ソレスという名の隊長は三十代半ばというところで、その地位にあるにしてはずいぶん若いようだったが、その剣技と指導の見事さにおいてはティルドが尊敬している彼の小隊長レーンの遙かに上を行った。ソレス隊長は忙しい合間のわずかな時間で少年の悪い癖、隙を容赦なく――剣で――指摘し、合計してもまだ一刻にはならぬであろう彼の指導は、ティルドを大いに勇気づけ、同時に少し落ち込ませたのだった。
「生きてるか?」
夜遅くに厨房から帰ってきた兄がそう問えば、ティルドは寝台にぐったりとなったままでどうにかうなずいた。
「元兵士としては羨ましい限りだよ。あれだけの人に指導をしてもらえるなんて」
「有難いっちゃあ、有難いけど」
ティルドは横になったままで言った。
「いったい、何でだよ? 近衛隊長様がわざわざ」
「彼は、トルスと仲がいいんだよ」
ユファスは笑って、彼の働く下厨房の料理長の名を告げた。
「それから、エイルともね」
「あっそ」
ティルドは気のないような返事をした。
魔術師らしくない魔術師である青年のことはよく覚えていたが、あれから姿を見ていない。ユファスはエイルに相談をしようと言ったが、当の魔術師はその後、アーレイドを訪問していないようだった。
「そう言や、お前の方はどうなんだよ」
ふと思ってティルドは問うた。
「僕?」
弟の言う意味が判らず、ユファスは片眉を上げた。
「剣はもう本当に、やってないのか」
「ああ、そういう意味か」
成程というように彼はうなずいた。
「そうだね、もうずっと剣なんて持ってない。右手に持つものを包丁に変えて長いよ。僕がカトライ王陛下に使えたのは三年か四年か、そんなもんだ。一方でアーレイドへきてからは五年以上になったかな。いまじゃ兵士としての経歴より料理人の方が長いんだから」
「――持つ気は、ないのか」
ティルドは身を起こすと、そんなことを言った。ユファスは少し驚いたように弟を見てから、そうだね、とまた言った。
「もう、忘れてしまったな」
「少しやれば、すぐに勘を取り戻すさ」
「そうかもしれない。でも僕には剣の使い手として致命的な欠陥がある」
ユファスはそう言いながら自身の左肩を叩いた。
「街のごろつきの類から身を守るくらいにはなれるかもしれないけれど、城壁の外で剣を頼りに旅をしていくには、無理があるんじゃないかな」
ティルドはそんなことはないと言おうとして、躊躇った。
少し前に交わした言葉を思い出したのだ。
(兵士として陛下に仕えることは無理でも)
(誰かに剣を捧げるくらいことはできるとか、まだ思ってるのかな)
兄はそんなことを言った。
彼はそれを剣の道への未練だと思った。
だがもしかしたらそれは、死んだ娘への哀悼であったろうか。
たとえ、ユファスが剣士であったとしても、火事からライナという娘を守ることはできなかっただろう。だが、姫君に剣を捧げるように娘を守ろうと思っていた――思うようになるところだったのに、というような、それは後悔であったのだろうか。
それならばティルドも同様だ。
彼はアーリを守りたかった。
守れなかったのは、何も彼の剣の腕が未熟だからではない。
たとえ彼が凄腕の戦士であったとしても、その剣で魔女の火から少女を守ることはできなかっただろう。
あの日から一旬近くがたったが、アーリのことを思えば、まだとてもそんなふうに冷静に考えをまとめることはできなかった。だがそれでも、次第に判ってくることもある。あのときの彼には、何もできなかった。
だからと言って、仕方がないなどとは思えない。
変わることのない思いもまた、あった。
彼は必ず、彼女の仇を討つ。
白詰草の命を奪った魔女を追う。
ユファスは、ティルドの思いに気づいていたが何も言わなかった。ローデンもまた、何も言わなかった。
(ローデン様は、結果的に俺が冠を追うならそれでいいとでも思ってるんだろう)
ティルドはそう考えた。
(祭りよりも冠だと――言ったっけ)
(でも俺には)
(冠よりも、仇だ)
もし、少年がはっきりとそう言えば、宮廷魔術師はどう答えるのだろうか。
ティルドはそんなことを考えたが、答えを求めるでも、なかった。




