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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第2話 決意 第3章

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08 獄界神の神父

「それどころか、さすがは私が見込んだ男だと思うぞ、サーヌイ。私はお前に、とても期待をしている」

 口に出しては、リグリスはそう言うのだった。

「セラン」

 不安に青くなっていたサーヌイの顔は、次には喜びで赤く染まった。

「メギルの助言は参考にしてよいが、盲目的に従うことは避けよ。あれは火を使うと言っても、オブローンのものとは違う。魔女の火にすぎぬ」

「は、はい」

 サーヌイは身を固くして答えた。リグリスはそれに薄く笑って――やはり温かみはなかった――もう一度、青年を賞賛すると退室を促した。サーヌイは立ち上がると、もし彼が兵士であればぴしっと敬礼でもしそうな調子でリグリスに敬意の視線を向ける。

「では、アンカルを呼んできてくれ」

「はい、セラン」

 青年神父は最上級の敬意を表す呼び方をし、丁寧に頭を下げると主の前の退いた。

 サーヌイ・モンドがリグリスに拾われ、オブローンの道を往くようになってから、十年近くの月日が過ぎていた。故郷の村で悪魔の息子と罵られ、迫害されていた少年をリグリス神官が救ってくれたのである。

 彼はドレンタル・リグリスを父のように慕ったが、そこにあるのは家族の絆と言うよりも、厳格な師でもあった司祭による、容赦のない指導だった。

 と言っても、リグリスはことあるごとに彼を褒め、期待をしていると言い、彼がどんなに失態を犯してもほかの神官のように罰することはなかった。

 不思議に思うこともあったが、若輩と言うことで大目に見られているのだろうと思っていた。それは安心材料と言うよりも、長年をリグリスとともにしているにしては情けない話である。この町へやってきて、教会の神父(アスファル)を任されたことは自信のひとつにはなかったが、それでも彼はときどき、自身が本当にリグリスに、ひいてはオブローン神に仕えるに相応しいだろうかと迷うことがあった。

「サーヌイ神父」

 そして、ここ一年ほど彼を悩ますのが、これである。

「メギル様」

 彼は傍目にもはっきり判るほど、赤くなった。

「何度言えば判るの、私に尊称など不要よ」

 紅い唇の端を上げて妖艶なる女魔術師が笑めば、青年神父は耳まで赤くなった。

「リグリス様は何と?」

「あまり、お気には召さなかったようです」

 彼は苦笑めいたものを浮かべた。

「当然でしょうね。予言などはあなた方魔術師の領分です、私の夢など、何かを示唆することがあるとはとても思えません」

 ため息混じりの発言を聞いた魔女は微笑んだ。サーヌイにはそれはこの上なく魅力的な顔に見える。

 相手が女魔術師ならば、〈魅了〉の術でもかけられているかと疑う者も多かろう。だがサーヌイは純粋に彼女に惹かれている自身に気づき、彼女が何らかの術を使っているとは思わなかった。自分のような些末な存在にそんな技を用いるはずもない、という思いもあったが、単純に、何か術が行われていれば判るだろうと思うのだ。

 神官(アスファ)魔術師(リート)の術は通常、似て非なるものだ。簡単に言っていちばんの違いは、神官は神を崇めることで神力と言われるものを授かり、魔術師の場合は生まれつき、信条がどうあろうと望もうと望むまいと、身体に備わったものということになる。

 彼らは互いをあまりよく思わないことが多かったが、それはわざわざ仲良くしないだけで、組織を上げていがみ合うようなことはなかった。彼らは彼らなりの均衡を保ち、互いの領分を守る。

 というのは、しかし魔術師協会と八大神殿の公式見解(・・・・)だ。

 たとえば、協会と関わりの薄い魔術師や、八大神殿以外の神を信仰するものとなると、話は異なってきた。

 協会から離れたがる魔術師は孤高を望むことが多いが、なかには他者と結託するものもある。七大神や冥界神以外の神ということは、獄界神ということになるが――世の中には自然神の信徒などもいたが、通常、そこに神官や司祭は存在しなかった――彼らの力は聖なるものとされる神力と異なり、魔術の方に近かった。

 それ故、彼らは八大神殿の神官よりも明瞭に魔術師の力を見て取ることができる。

 つまり、メギルがサーヌイに魔力を振るえば、彼には判るはずなのだ。

「サーヌイ、あなたには素晴らしい力があるわ」

 女魔術師はそう言った。

「リグリス様があなたを見込むのには、理由があるの。あなたはまだ気づいていなくても、あなたはオブローンの申し子だわ」

「まさか、そのような力など」

 サーヌイはぎこちなく笑った。

「火を操る力と言うのならば、メギル様もお持ちではありませんか」

「ええそうね。けれど私とあなたの力は違う。あなたはリグリス様に必要な人間よ、サーヌイ。自信を持つといいわ」

 美しい魔術師に顔を近づけられれば、口にされた言葉がたとえ「今日は天気がよいわね」であったとしても、彼は赤くなっただろう。まして、このように褒め称えられれば、その結果は言うに及ばない。

「あの、私はアンカル殿を呼んでこなければ」

「彼なら階下にいたわ」

「有難うございます」

 サーヌイはそう言うと、メギルに礼をして女魔術師の脇を抜けた。女の身体からふわりと漂った甘い香水の匂いに意味もなくまた赤くなりながら、獄界神の神父は主の命令を果たしに急いだ。


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