04 無茶な頼みごと
「ユファス! アーリが……アーリが」
身を震わせながら、ティルドが声を出す。
「言わなくていい」
こうなると、少女の死は確実であることのように思えた。状況は判らない。だがティルドは強く打ちのめされている。その事実だけで、年の離れた兄には十二分だった。
ユファスは、彼らがまだ子供だったときと同じように弟をやさしく抱いた。何年か離れていようと、そしていくつになろうと、彼らの関係は変わらない。こうした対応もまた。
弟の嘆きを目にしながらユファスはふと、ライナが死んだとき自分はこれほど激しい感情を覚えただろうかと訝った。彼女の死に衝撃は受けたし、哀しい気持ちにはもちろんなったけれど、こんなふうに泣くことはなかった。自分は冷淡なのだろうかと彼は何となく思い、自分ではよく判らないなとも思った。
そうしてどれくらい経っただろうか。
少年は次第に落ち着いてくると、急に気恥ずかしくなったように兄から身を離した。
「大丈夫か?」
ユファスの問いかけにティルドは、少し弱々しいながらもはっきりとうなずいた。その目は、真っ赤である。
「俺たち……腕輪を探しに、行ったんだ」
少年はまだ震える声で話しはじめた。
「いろいろ、あって、見つけることが、できて……もしかしたら、本当に冠や耳飾りと、関係があるかもしれないと、思ったんだ。そうしたら」
途切れ途切れに語るティルドは、そこで強く唇をかんだ。そして何かと戦うように瞳を燃やし、数秒沈黙をしてから、続けた。
「魔術師が、現れて」
「魔術師」
ユファスは思わず繰り返した。ティルドはうなずく。
「それを〈風食みの腕輪〉と呼んで、渡せと言った。俺が断ると、魔術を使って」
少年は涙声のまま、まるでこの場の空気が薄いかのように、懸命に息をしようとした。ユファスは話をやめさせようかと思ったが、制止の言葉を口にする前にティルドは続けた。
「魔術で、アーリを殺した」
浮かび上がった涙を堪えようとするように、少年の顔は歪められ、赤くなった。
「俺、あの子を守りたいと思ったのに。俺だけ、腕輪の力で魔法を避けた。何でだ、なあユファス、何でだよ? 何で俺が……アーリが、あんな目に!」
「ティルド」
ユファスは驚きに支配され、かけるべき言葉を思いつかなかった。
「魔術。そんなことが」
「嘘じゃない!」
「疑ってなんかいるもんか」
かっとなったように叫ぶ弟を兄はなだめた。
「ただ、驚いたんだ。そんな世界を――知らないから」
「俺だって知らない。知らなかった」
ティルドは言い換えた。
「でも、知った。知りたくなかったけど、知った」
少年は顔を拭った。
「……頼みがある、兄貴」
「何だ」
不穏なものを感じながら、ユファスは問うた。ティルドは泣きはらした瞳でまっすぐ、兄を見る。
「アーレイドの軍団長に、俺を稽古に参加させてくれるよう、頼んでくれないか」
「――おい」
「もちろん、無茶な頼みごとだってのは判ってる。兄貴は料理人だし、軍団長と面識なんかないかもしれないけど、俺」
「そんなことを言ってるんじゃない。何を考えてるんだ、ティルド」
尋ねながらも、答えは判っているように思った。
「俺は、もっと剣技を磨く。そして、アーリの仇を討つ」
「馬鹿なことを言うな。相手は魔術師だろう?」
「そうさ。でも俺に魔術は使えない。だから、剣で勝つ。魔術師だって、人間だ。無敵じゃない。方法はきっとある」
「落ち着けよ、仇討ちなんてそんなこと」
「あいつは! 兄貴のライナも殺したんだぞ!」
ティルドは叫び、ユファスは目を丸くした。
「……何だって?」
思わず言ってしまったティルドは、兄に衝撃を与えたことに気づいてはっとなった。
「ライナが? どういうことだ、ティルド」
「あいつは……火の魔法でポージル邸と〈燕の森〉亭を燃やしたことも認めた。その強い火の術で」
彼はうつむいた。
「アーリも」
「――何て」
ユファスは言葉を失った。沈黙が、降りる。
「その、ユファス、俺」
「ティルド、城にこい」
兄はゆっくりと言った。
「どうにかして部屋を用意してもらう。そこで何日かゆっくりして、それでもどうしてもって言うなら、軍団長にお願いしてもいい」
「兄貴は、何とも思わないのかよ!?」
彼は叫んだ。ユファスの言葉は、数日経って落ち着けば馬鹿なことを考えなくなるだろう、というものに聞こえた。
「そうじゃない。ティルド。確かに僕は……お前ほどは、激していない。彼女の死を直接に見ていないせいもあるだろう。けれど、何とも思わない訳じゃない」
「それなら」
「聞けよ。考えたんだ。魔術のことなら、まず魔術師協会に話をするべきだ」
「協会なんかが何をしてくれるって言うんだよ」
ティルドは不満そうに言った。ユファスは、首を振る。
「判らない。でも僕やお前が剣の修行をして上達するより早く、何かが判るかもしれない」
その可能性はもっともだった。ティルドは言葉に詰まる。
「ただ、いまの状態のお前が協会に行っても、冷静に対応はできないだろう。僕が訪ねておく。それから、エイルにも相談をしよう」
「あいつ? でも大した魔術なんか使えないって、自分で」
「それでも魔術師だ。本人は嫌でもね」
確かにそれは本当だ。どんなに力が弱い魔術師であっても、魔術に全く縁もゆかりもない彼らよりは何か判ることもあろう。
「それから」
ユファスは少し躊躇ってから続けた。
「ローデン公爵にも、連絡をした方がいいだろう」
ティルドは少し顔を強張らせた。
「気にするな。それも僕がやる」
「いや」
ティルドは首を振った。
「俺が……やるよ」
彼は息を吐いた。
「ローデン様と口もききたくないって言うんじゃないんだ。ただ意地を……張ってただけさ」
それに、と彼は付け加える。
「魔術のことは魔術師に、って言うならローデン様がいちばんだと思う。なのに俺がいま一瞬嫌な顔をしたのは……『お前の手には負えないから帰ってきなさい』なんて言われるかもしれないと思ったからさ」
レギスの街で〈風読みの冠〉がポージル邸から消えたと知ったとき、ティルドはそう言われることを望んだ。それを追え、取り戻せと言われたことを理不尽に思い、自分なんかをそんな旅路に出したローデンを何度も呪った。
だが、いまでは。
彼は〈風読みの冠〉〈風聞きの耳飾り〉を追う気でいる。
それを追うことは、あの魔女を追うこと。
アーリの、仇を。
ティルド・ムールは、両の拳を力強く――握りしめた。




