01 どんな物語に関わっているの
彼の主は吟遊詩人の話を聞いているようでありながら、時折ふっと上の空になるようだ。砂漠の男にはそう見えた。
吟遊詩人もまた何かに気づいたか、いささか不自然な間を持ってヴェルフレストを眺めるようにする。
それに気づいたヴェルフレストは、何だというように片眉を上げた。
「それで」
ヴェルフレストは、肩をすくめると続きを促す。
「お前に何の助力ができるというんだ、リーン」
「いまから、それを説明するところなんだけれど」
「そうか」
彼はほとんど無意識で、許可を与える仕草をした。リーンはそれを目にとめたが、ヴェルフレストが何らかの地位にいることは予測をしているためか、特に驚いたり尊大だと腹を立てるような様子もなかった。ただ、それを隠すつもりでいたはずなのにきれいに忘れているようだな、とは思ったかもしれない。
〈黒兎の冒険〉亭は雑然とした食事処を伴った宿屋である。
どうにかカリ=スよりも先に宿の部屋に戻っていたヴェルフレストは、彼の「脱走」と魔女との邂逅の件は、何ひとつカリ=スに報せていなかった。ひとり歩きのことはともかく、アドレアのことは彼自身の内で整理がついていない。それはあまり、面白くなかった。
「言ったように、僕は〈風謡いの首飾り〉の話をしてくれた貴族のことを覚えている」
リーンは嘘をついたことに対する謝罪の仕草をした。
「かなり昔のことになるから、向こうは覚えていないと思う」
「昔」
ヴェルフレストは首をかしげた。
「そう言えるほど長いこと、吟遊詩人として旅をしているのか」
「おかげさまで」
リーンは、何でもないことのように肩をすくめた。彼は見たところ、二十代半ばから後半というところだ。成人した頃からやっているとすれば、たとえば十年も前であれば確かに「かなり昔」だなと、若いヴェルフレストはただうなずいた。
「それで顔も広いと」
「まあね。たまたま得た人脈が広がった結果、何度か王宮に呼ばれるようなこともあってね」
それでまた人脈が広がる、と吟遊詩人は笑った。そう言えば〈吟遊詩人の人脈は下手な王様よりも上〉などという言葉もあるな、などとヴェルフレストも思い出す。
「件の人物は、ウェレス領の北端近くにあるタジャスという小さな町の」
詩人は少し考えるようにした。
「男爵、だ」
「ほう」
「彼は身体が弱くてね、あまり外に出られないものだから、吟遊詩人を招いて歌を聴くのが好きだったんだ。それで僕も訪れた」
「詩人が歌いに行って、逆に物語を聞いてきたと?」
「そうなるね」
ヴェルフレストが茶化すように言うと、リーンは笑ってうなずいた。
「〈風謡いの首飾り〉。かつてタジャスの町にあったそうだ。けれど、美しい宝飾品を巡った血生臭い争いがあって、どこか遠くに捨てられたという話だった」
「捨てられた」
「そう。だから、君がタジャスに行っても首飾りを手にできるという訳じゃないけど、もう少し詳しい話を聞けるかもしれない」
詩人は何かを思い出しているように目を閉じたが、すぐに開いた。
「彼に宛てて書状を用意すれば、僕のことは忘れていても、きっと協力してくれると思う。彼はあの話が好きなんだ。ただ」
リーンは少し目線を落とした。
「何だ」
「病を克服できなくて、亡くなっているようなことがなければ……ね」
言ってリーンはすぐに厄除けの印を切った。
「いい子――いや、もうそんな年じゃないな。いい人だよ。元気でいてくれることを祈りたい」
「そうだな」
ヴェルフレストは同意した。病で亡くなるより、元気であった方がよい。「いい人」であればなおさらだ。
「どうかな。彼への書状は必要そう?」
「頼もう」
ヴェルフレストは短く言った。そのあとに「面白い」とでも続くかと思ったカリ=スは、ヴェルフレストが真剣な顔をしているので驚いた。
「判った。明日には用意しておくよ」
そう言ってからリーンは少し迷うようにして、また口を開いた。
「ひとつだけ。僕はそのとき、リーンではなくクラーナと名乗っていた。書状にはそう署名するし、彼の記憶を呼び起こそうと思うならそう言ってくれ」
「クラーナ」
彼は繰り返した。リーンはうなずく。
「判った」
ヴェルフレストは短く言った。何か事情があるのだろう。彼とて、ただ「ヴェル」と名乗っているし、偽名を使ったと――どちらが偽名か知らぬが――責める気はない。
「何にしても、有難い」
ヴェルフレストはそう言うと、真剣な顔のままでリーンを見た。
「ついでだ、リーン。訊いておく」
どうぞ、と言うように詩人は片掌を上にしてみせた。
「件の首飾り以外に何か知ることはないか。〈風読みの冠〉〈風聞きの耳飾り〉あとは腕輪に――指輪」
「いったい何の話だい」
リーンは目を見開いた。
「ヴェル、いったい君はどんな物語に関わっているの」
「判らん」
彼は素直に答えた。
「壮大なる叙事詩か、胸を奮わせる冒険歌か」
彼はにやりとした。
「情熱的な恋歌ではないようだ」
それはそれで面白そうだが、と侍女をして「恋を知らない」と言わせた王子はつけ加えた。
「少なくとも物語を編んでいるのは俺ではなく、奏でるのも俺の役割ではないが」
奏でるのなら僕だね、と詩人は言った。
「どうしてこう次々と、変わった運命を抱える人間たちと出会うかなあ、僕は」
「連れの戦士のことか?」
ヴェルフレストは、カリ=スがリーンの連れを「誓いを立てた人間」と考えあまつさえ「危険」と見て取ったことを――思い出した。
「まあね。彼もだけど、ひと月かそこら前に会った男の子がね。伝説の宝玉の名前を持っていて、何か困ったことに巻き込まれているようだった。すぐに脱出するなんて息巻いていたけど、僕の勘では、のっぴきならないところまで行ってしまっているんじゃないかな」
「何だか知らないが」
まさか、吟遊詩人の語るのがティルド・ムール少年のことであるなどとは考えるはずもない――当たり前である――ヴェルフレストは肩をすくめた。
「ほかに何か面白い話はないのか」
「風と名のつく宝飾品に関して? 僕は数多く伝承の類を知っているつもりだけれど、ぴんとくるものはないな」
ヴェルフレストは特に落胆しなかった。万一にでも何かが判れば幸運だと思った程度である。本当に何かが判るとは思っていない。だが彼は続けた。
「では、伝承の大家にひとつ訊いてみるとしよう」
彼がそう言うとリーンは笑う。
「どうぞ。知っていることなら何でも答えるよ。幸いなことに、どんな制約もないからね」
リーンの言い方はどこか皮肉めいていたが、その意味はヴェルフレストには判らなかった。彼は気にせずに続けることにする。
「オブローンという名を知っているか」
聞いたリーンは嫌そうに眉をひそめながら魔除けの印を切った。
「あんまり声高に言うもんじゃないよ。獄界神の名前なんてさ」
「死神の親戚だとか」
「知ってるんじゃないか」
リーンは呆れ顔で言った。
「神々をも怖れない、なんて言うのは格好よく聞こえるけれど、軽んじると酷い目に遭うかもしれないよ」
「軽んじるつもりはないが。名前くらいしか知らないんでな。どういった神だ」
「火の神と言ってもアイ・アラスのような自然神じゃない。獄界の業火を司る、怖しい神様だよ。その火は何ものをも焼き尽くすと言われているね」
それがどうしたの、とリーン。カリ=スも奇妙な顔をしてヴェルフレストを見る。これまで、彼はそんな名を口にしたことはない。
「どうやら俺の競争相手は、その神官らしい」
「競争相手?」
「何を知った、ヴェル」
またも首をひねるリーンを横目に、カリ=スは素早く問うた。
「いつの間に、とは問わずにおくが」
護衛の言葉にヴェルフレストはただ肩をすくめる。
「ある魔女が俺を呼ぶんだ」
「魔女だって? あまり、いい感じのしない言葉だけれど」
「女魔術師、でもいいさ。そちらがお好みならな」
「そう言うことをいってるんじゃないよ。女だろうと男だろうと、魔術師なんてのは」
言いながらリーンが切るのは厄除けの印である。たいていならば魔除けのそれを切るところだったが。
「魔女は俺に」
ヴェルフレストはどこまで話すべきか一瞬躊躇い、続けた。
「〈風謡いの首飾り〉を求めるよう、言った」
正確には、アドレアは「ウェレスへ往け」と言っただけだが、それはつまりそう言うことなのだろうと王子は解釈していた。指輪のことは、口にしなかった。どうしてかは、自分でも判らない。
その言葉に詩人は目をしばたたき、砂漠の男は王子を黙って見続ける。




