12 これは何て言うのかしら?
「やーだ、勝手なんだ、男なんて」
「自分のことを棚に上げるなよなっ」
ティルドは叫ぶように言ったが、これまでならば罵り合いはじめたであろう展開は、剣呑な視線のぶつけ合いではない。そこにあるのは少し照れの混じった、十代の恋人同士らしい、幸せそうな笑みだ。
「魔除けの腕輪、か」
言いながらアーリは緑色の腕輪を左腕にはめてみると、太陽にかざすようにしながらしばらく眺めた。
「ふうん」
アーリは考えるように言った。
「関係、あるのかしらね」
少年に視線を向けながら、少女は紺色の帽子をかぶり直す。
「さあな」
ティルドは肩をすくめながら言った。
「こうなったらローデン様と連絡を取るべきかなあ」
「お金の心配なら要らないわよ」
アーリはにっと笑った。何とも不吉な笑みである。
「よせって言ってるだろ。だいたい、経費はまだ充分あるんだから」
「まあまあ」
少女は、少年を不安にさせる笑みを浮かべたままで腕輪をはずすと、ティルドにそれを差し出した。
「はい」
「……ああ」
何となくごまかされたような気がしながら――ごまかされた以外の何ものでもない――ティルドはそれを受け取った。
その、とき。
ティルドは、きつく目を閉じた。
思いがけぬ突風が、辺りを駆け抜けたのだ。
だがそれはほんの一瞬で去り、目を開けたティルドは、アーリが不思議そうに彼をのぞき込んでいるのを見る。
「どうしたの? 頭痛でもした?」
昨夜はそんなに飲まなかったわよね、とアーリ。
「いま……すごい風が吹いたろ」
「何言ってんのティルド。頭大丈夫?」
少女は目をぱちくりとさせる。
「何って……いま」
「いまもさっきも、穏やかな天気じゃない。港の方に行けば風もあるでしょうけど――風?」
アーリは軽く目を瞠った。
「やだ、じゃ、それ、本物なんじゃないの?」
「待てよ、魔力なんてないって話だぜ」
「やだ」ということはないだろう、と思いながらティルドは言った。
「でもティルドは風が吹いたって思ったんでしょ? それってやっぱ、何か魔力があるのよ! そうだわ、やだ、どうしてあたしは平気だったのかしら」
「待てってば、気のせいだよ、ただの」
言いながら少年は、腕輪を隠しにしまった。装飾品を身につける習性は、彼にはない。
「本当にそう思うの? ずいぶん、びっくりした顔してたわよ」
「う、いや、その」
本当を言えば、気のせいだとは思っていない。確かに、ものすごい突風がこの場所を――いや、彼を襲った。
「俺はっ、ご免だぞっ」
「何言ってるのよ、目指すものじゃないの」
少女ははしゃいで手を叩く。
「それじゃ、これは大した前進ね! 風読み、風聞き、これは何て言うのかしら? すてき、浪漫だわ」
「待て待て待て」
ティルドはアーリをとどめるように両手をあげた。
「前進はいいけどな、何でお前は何も感じなくて、俺なんだよ? これが運命だとか星巡りだとかってのは、お断りだからなっ」
「断らなくてもいいじゃなーい、星の定めた運命なんてすてきよ。誰にでも降ってくるもんじゃないわ」
「ほしければ運命ごとお前にやるっ」
「あらすてき」
少女は声を上げて笑った。
「何言ったか判ってる、ティルド? それって、まるで求婚よ」
「ばっ、馬鹿野郎っ」
これには少年は、耳まで赤くなった。言われてみればいまの言葉は確かに、「自分の運命を捧げる」というような誓いのようだった。だがもちろんティルドはそんなつもりで言葉を発したのではなく、アーリもそんなことはよく判って、言っている。これは明らかに少年がからかわれており――この調子ならば、アーリとの恋人関係はいつも一歩先を少女に行かれることに、なりそうだ。
どう言い返そうかと唸り声をあげるティルドの背後で――不意に、くすりと笑う声がした。ティルドは驚いて振り返る。
「何か……可笑しいのかよ」
見れば、そこにはひとりの女がいた。
輝くばかりの金の髪は肩よりも長く、日を浴びてきらめいている。作り物のように濃く青い瞳とティルドの茶色いそれが出会った。少年は、薄ら寒いものを感じた。
彼は知らず、まるでアーリを守るように少女の前に立った。それを見た女はまた笑う。
「何が、可笑しいんだよ」
少年はまた言った。女の薄い唇の両端が上げられる。
若い恋人たちの微笑ましいやりとりを見て、思わず笑みをもらす者もいるだろう。だがティルドそこに不吉な印象しか見て取れなかった。女は美しいと言える外見だったにも関わらず、美女だと見惚れるにはどうにも冷たい雰囲気があった。
「可笑しい、ですって?」
その冷ややかな笑みを乗せた口から発せられた声には、何か不思議な響きがあった。きれいな声なのに、どこか、耳障りのような。
もし、ここにローデンやエイルがいれば、魔術が働いていることを少年に教えただろう。だが、彼らは、いない。
「何も可笑しくなんてないわ、坊や。私は、嬉しいのだから」
「……何だよ」
いい予感がしない。ティルドはそう思った。はっきり言えば、すごく悪い予感がする。
「何か、俺たちに用なのか」
「もちろん」
女はまた笑った。いや、その唇はずっと笑みの形に作られたままだ。
「用はあるわ、坊や。それを渡してもらいたいの。その、〈風食みの腕輪〉をね」




