05 口にしてはならぬ
「俺に何かが属するというのなら、冠だろう。俺にそんな気はないが、その血は流れている」
「それは勘違いさ、ヴェルフレスト。お前の血に流れるのは、風見の司の血。お前はそれを知らないだけ。カトライも、エイファム・ローデンも」
「では、お前は何を知る」
「言ったように」
魔女はわずかに首をかしげるようにした。白い髪が揺れる。
「答える気はない」
ヴェルフレストは眩しいものを見るかのように目を細めた。と言うのも、彼はこのときどうしてか、白い髪に白い顔、そこに血のような赤い瞳を持つ不気味な魔女を――美しいと感じたからだ。
「〈風謡い〉を探すのかい」
「何だと? あの吟遊詩人との話も聞いていたのか?」
「詩人だって? いいや、知らないよ。だがお前はウェレスへ行くのだろう」
「そこに、本当にあるのか」
少し驚いてヴェルフレストが言うと、魔女は首を振った。
「いまはない。あるのは、残り香だけ。そこからどこへ行ったものか、私には掴めない」
「実際に、あったと言うのか」
少し驚きながら彼は言った。
「ならば、俺がウェレスの話を耳にしたのは」
にやりとして王子は続ける。
「運命、だと?」
「そうかもしれない」
アドレアは短く答えた。
「ヴェルフレスト。私はお前に風司を継いでもらいたいと思っている」
「俺は、そうは思わないようだ」
「考えなどは、いまに変わる」
「お前が、変えるか?」
ヴェルフレストはじっと、自身が美しいと感じた女を見た。
アイメアの街で彼女が初めて彼に声をかけたとき、彼は誘惑はされないと言った。だがそう言い続けていられるだろうか、とふと思った。
「私が? 魔術で? それとも」
アドレアはまるでヴェルフレストの考えを読んだかのように続けた。
「誘惑をして?」
「そうかもしれん」
今度はヴェルフレストが言った。アドレアは笑う。その笑みは、冷たかった。
「自惚れるでないよ、王子」
その冷たい笑みは、やはりヴェルフレストには美しく見えた。
「私がお前を好いていると言うことと、男と女のように誘うと言うことには、果てなきこの世の果てと果てのように遠いことさ」
「お前を魔女と怖れるのならば、俺はその言葉に安心するべきなのだろうな」
だが、と彼は続けた。
「俺はお前を美しいと思うようだ。自惚れるなと言うのならば、お前が魔術で俺を魅了しようとしているのではないのだろうな」
「私を――美しいと、言うのか?」
アドレアの目は、そう讃えられたたいていの女がするようには、喜びや気恥ずかしさを見せなかった。
「興を買おうと言うつもりではなかろうね」
そこにあるのは怒り、だっただろうか。
ヴェルフレストは自身の心臓が音を立てるのを感じた。
「心にもないことを平然と口にする――お前には、黒き魔術師の素質があるのではないか、ヴェルフレスト」
「心が込められていなかったなら、詫びでも言うか」
彼は軽く返してみたが、突然寒気のようなものに襲われたことは否定できなかった。アドレアの顔からは、いっさいの笑みめいたものが消えている。
「お前は、魔女の興を買おうとして道を誤り、怒りを買おうとしている。街の娘の頬なら喜びで赤く染まろうな。だがアドレアにそのような下らぬ世辞を使えば、余計な災いを招こう」
「何故怒る?」
ヴェルフレストは問いかけた。
「俺が世辞を言い、お前の機嫌を取ると? 何故そのような面倒な真似をしなくてはならない」
ヴェルフレストは両手を広げた。
「魔女は好かないが、お前は美しい。俺はそう思うからそう述べたのだ。アドレア」
このようなことを言いながらも、彼には目前の女を口説き落とすつもりはない。リーケルの手を取って甘いことを言い、ファーラに呆れられるようないい加減な言葉を吐き、どこかの酒場の女の肩を抱いては卑猥な言葉を囁く。それらは彼にとって、形式だった。言うなれば、礼儀なのである。挨拶代わりだ。
だが少なくとも「心にもないこと」は口にしない。多少の装飾や付加はあっても、ないことをあるとは言わない。
本音だ。アドレアを美しいと思うのも、また。
「機嫌を取ろうだの口説こうだの言うんじゃない。思うままに思い、それを口にしただけだ」
彼は繰り返した。
「第三王子の正妻の座に魅惑を覚える姫たちの前でか」
「それは、そういうことも、あるが」
王子は答えた。魔女は笑い声をたてたが、それは暖かみに欠けた。
「確かに姫君たちは俺の言葉に赤くなり、目を伏せる。内心でどう思っていようとな。だがそれ以外の反応を知らない訳でもない。口の利き方の悪い侍女にそう言えば、百倍の皮肉になって返ってくる」
ヴェルフレストはアドレアの冷たさを気になどしていないように変わらぬ口調で続けた。だが彼が期待したようには、魔女の機嫌がもと通りになることはないようだった。
「何も特別なことではないと言うのだね。自惚れるなと?」
彼女の目は冷たいままだった。
「アドレア。何を怒る」
ヴェルフレストは不思議だった。褒められて喜ばぬからではない。言ったように、通常と異なる反応はファーラで慣れている。
気にかかるのは、魔女の怒り向こうにある、何か。
「お前を美しいと思ってはならぬのか? 同時に怖ろしいとも思うがな。それらが俺のなかで均等に存在してはならぬか、魔女」
「ならぬ」
それが魔女の答えだった。
「その顔で、その声でそのようなことを口にしてはならぬ。決して」
「――何故だ」
「答える気は、ない」
彼女は三度言った。
「ウェレスへ往け。風司の道を求めよ。私がお前に望むのはそれだけ」
「判らぬ。アドレア、お前は何故……何の関わりがある」
「関わりなどない」
アドレアは言った。燃えるような色の瞳は、しかし冷たいのだった。
「そう言ったのは、お前だ」
「俺は、そんなことは言っていない」
彼は判らないと言うように首を振りながら言った。
「ああそうだとも、ヴェルフレスト。お前は何も知らず、私に何も言ってはいない。だがお前だ。お前が私をかの指輪に結びつけ、そして関わるなと言った。だが私はその誓いを破る。お前が風司だ、ほかの者には渡さぬ!」
瞬間、凍れる紅石のようだった瞳に強い感情が走った。ヴェルフレストは、それが何なのか見て取ることはできない。
「往け、私はお前を見ている。必要ならば呼ぶといい。いつでも力を貸そう。だが――」
アドレアは一歩を引いた。
「二度と、私を美しいなどと言うな」
「アドレア」
呼びかけは既に遅かった。
彼の声は虚しく、誰もいない路地に響き渡った。
「何故だ」
ヴェルフレストの呟きは、疑問であった。それと同時に、奇妙な胸騒ぎに対してのものだった。
アドレアの言うことはおかしなことばかりである。
彼を好むと言い、彼に含みのあるようなことを言い、讃えられれば怒った。
二度しか会っていないヴェルフレストが彼女の過去に関わりがあるようなことを言った。
そして――指輪を手にし、風司の道を行けと。
「風司の、道か」
ヴェルフレストは呟いた。
「それはまた、面白い、な」
そう続けながら彼は、自分が本当にそう思っているのかどうか判らないと言う、奇妙な気持ちを味わった。




