04 業火を司る神
「残念だが、ここには花を贈るような娘がいない」
「そんなの」
少年は笑った。
「気になる娘を見つけて、贈ればいい。いまから恋人を作るのにも、使える小道具じゃないか?」
言われたヴェルフレストは面白がって花を数本選んだ。はじめはリーケルを思い浮かべながら彼女の好む白い花を指したが、それに合わせるのに彼女の金髪のような光る飾り玉を選ぼうとした彼は、ふと、その隣にあったものに指を向けた。
「この、小さな赤い花を」
少年は言われた通りにそれを白い花の間に差し、少し困った顔をした。
「こう言ったら難だけどさ、兄さん、あんまり花を選ぶセンスないんじゃないの」
それじゃまるで血みたいだよ――と少年は言ったが、ヴェルフレストはこれでいいんだと答えた。
小さな花束を片手に顔立ちのいい彼が街を行けば、いささか人目を引いた。
彼は注目されることには慣れていたから、自分に向けられる視線に神経質になるようなことはない。彼は、まるではっきりと目的があるかのように――この花を手渡す娘の家を訪れようとでもしているかのように、迷いのない足取りで日中の街を行った。
通いなれた恋人宅への道だとでも言うように彼はその小路を曲がり、そこに人気がないことを見て取ると満足そうにうなずいて、足をとめた。
通行人がふたりいればかろうじて肩を触れずにすれ違えるかという程度の、そこは細い道だった。利用するものは滅多にいないだろう。彼はそう考えると石の壁に背をつけ――待った。
「私を待っているのかい、可愛い坊や?」
「お前が呼んだのだろう、アドレア」
ヴェルフレストは唇の両端を上げた。音もなく現れた魔女に向けて、彼は小さな花束を優雅に差し出した。
「お前に」
「おかしな王子だ」
女はくつくつと笑った。
「不気味な魔女に向けて、まるで女を口説くように花を贈るのかい?」
「白い花を見ていたら急にお前の顔が浮かんだ。俺が突然お前に惚れたことを自覚したのでなければ、これはお前が俺を『呼んだ』のだろうと思ったのさ。そこで」
お前に花を選んだ、と王子は結んだ。また、魔女は笑う。
「正解だよ。花を贈ってもらおうとは思わなかったけれどね」
言いながらアドレアは差し出されたままの花束を受け取った。
「白い髪と、赤い目。これは私だね」
「そうなる。発想が少し単純すぎたか」
「いいや、充分『意外性』に満ちているよ」
アドレアはそう言って、先の花売りの少年とヴェルフレストの会話を聞いていたことを示した。
「魔女に好かれるのは嫌ではなかったのかい」
「花を贈ったからと言って、口説こうとしているとは限らないだろう」
ヴェルフレストは澄まして言った。
「だが、お前に呼ばれて出向くのに手ぶらではいかんと思った」
「それは魔女が怖いからかい、ヴェルフレスト」
「どうかな」
王子は肩をすくめた。
「不気味ではないと言えば、嘘になろうな。俺は魔術など知らぬ。ローデンのことは父上がするように信頼しているが、それでも魔術師だと思えば一歩を引きたくなることもある」
彼は正直に語り、アドレアはじっとヴェルフレストを見た。
「だが怖いかと言えば、どうだろうな。俺はお前の目的が判らない。何のために俺を『呼ぶ』のか。そうだな、少し怖いかもしれん」
「素直だね」
魔女は唇の両端をあげた。
「素直な子は好きだよ」
「俺はお前の好みにずいぶんと合致するようだな」
「そのようだ」
魔女はうなずいた。
「私はお前が可愛くてたまらない」
「嫌われるよりは、よいようにも思うが」
ヴェルフレストは薄く笑った。
「はっきりと言え、魔女。お前は、エディスンを訪れておらぬと言った。そして、俺がようやくエディスンから出たと嬉しそうに言ったな。お前は何者だ。何故、俺につきまとう」
彼はアドレアをまっすぐに見た。
「やはり、父上やローデンに恨みでもあるのか」
「そうではない」
魔女は言った。
「私はお前たちが好きだよ、王子。お前も、カトライ王も。ローデンなどは可愛いとは思わないがね」
その言葉に王子は、皮肉のない笑いが洩れるのを覚えた。
「なかなか面白いことを言うな、アドレア」
彼は片頬を笑いに歪めたままで続ける。
「だがそれは、お前が父上やローデンを知っていると言うことにもなる」
「そうさ」
魔女は認めた。
「私はカトライ王のことは好きだ。彼の息子たちのなかではお前がいちばん好きだ。こうして話ができて私がどれだけ嬉しいか、お前には判るまいね」
「ああ、判らぬな」
今度はヴェルフレストが認めた。
「魔女。お前はいったい」
彼は笑いを納め、すっと目を細めるようにしてアドレアを見た。
「何者だ」
「ただの魔女さ」
アドレアは答えた。
「そして私はお前が好き。私はお前の味方をする。たとえ」
ヴェルフレストが反論する前に、アドレアは続けた。
「お前は信じなくてもね」
「敵よりは味方である方がよいが」
王子は言った。
「何の答えにもなっていないな」
「そうさ。当然だろうね。私に答える気がないのだから」
「アドレア」
彼は、魔女の名を呼んだ。
「ではそれは、お前が答える気になったときでかまわぬ」
ヴェルフレストがそう言うと、白い顔が面白そうに笑んだ。
「味方だと言うのなら話してもらおう。〈風読みの冠〉を奪ったのは何者だ」
「リグリス」
「何だって?」
あまりにも簡単に返ってきた答えに、ヴェルフレストは目をしばたたいた。
「ドレンタル・リグリス。いまはそう名乗っている。オブローンを崇める神官さ」
「オブローン? アスファだと?」
「そう、獄界の業火を司る神。死 神 の親戚だ」
「業火の信者が、何故〈風司〉に関わる」
ヴェルフレストが問えば、アドレアは片眉を上げる。
「判らないのかい。魔術の勉強をさぼったとしても、これくらいのことは判ってもらいたいね」
その言いように、ヴェルフレストはすうっと目を細めた。心によぎるものがある。
「――風は火を強める」
「その通り」
アドレアはうなずいた。
「だが、まさか」
「何を疑う?」
首を振ったヴェルフレストにアドレアは言った。
「業火の神の力を強めるのなら、火神の力があればいいとでも思うかい? いいや、風神さ。火に火を足しても強くはならない。風は、煽る。当たり前の自然現象だ」
「自然現象だと? 魔術の話だろう」
「同じさ」
魔女は言った。
「あいつは指輪のことも探っている。決して、あいつの手にお前の指輪を渡すんじゃないよ、ヴェルフレスト」
「俺の指輪。〈風見〉と言ったか」
ヴェルフレストは以前の邂逅を思い出して言った。




