03 花はどう?
ヴェルフレストは深呼吸をした。
久しぶりにひとり、である。
カリ=スのことは嫌いではないが、「姫君」のように護衛につかれていたのではたまらない。エディスンのなかでも、こんなふうにぴったり張り付かれていたことはなかった。ヴェルフレストの邪魔にならないよう、少し離れていたものだ。
だがそれはもちろん「エディスンのなかだから」である。彼が出向くような場所は治安がよかったし、ヴェルフレストの顔も知られていた。不穏な情勢でもない限り、自都市の第三王子を傷つけようと思う者もいない。
ヴェルフレストもそうしたことは理解していたが、アイメアの街で料理人アクラスが言っていたように「一日かそこら離れていたところで拐かされるはずもない」のだ。少なくとも彼はそう考えた。
と言っても、カリ=スの護衛を緩くする手段はある。たとえばヴェルフレストが女を誘えば――やはりいい顔はしないが――、幾ら何でも寝室までついてくる訳にいかないからだ。
もっともいまは、女もいない。カリ=スは馬の世話に出ており、ヴェルフレストは部屋で遅い朝をのんびり楽しんでいたところだ。
カリ=スは、彼が部屋でずっとおとなしくしていると思っているだろうか。ヴェルフレストはにやりした。誠実で忠実な砂漠の男を騙すようで気は引けたが、少し散歩に出るくらいならばよいだろうと、そんなふうに思っていた。
見知らぬ街を全くのひとりで――傍らにカリ=スも、口説いた女もなく――歩くというのは、初めてのこととなった。
旅自体はカリ=スと一緒でももうふた月以上になる。となれば、物珍しさのあまりきょろきょろしておかしな相手に目を付けられることももうないし、平民ならば当たり前のこと、たとえば財布から出した小銭の大きさや形によってどれがどれだけの価値を持つか瞬時に判るというようなことにも慣れてきた。
それに、このミクランの町を離れてウェレス王の勢力下に入っていけば、ひとり歩きも酒場の女と戯れることも避けなければならない。いまのうちに楽しんでおくのが最良だ。
ただ、いくらカリ=スが馬を大切にしていても、その世話に一刻かけるようなこともないから、女を求めるには時間が足りなさそうだ。ヴェルフレストは女を好みはするが、放っておいても美しい女が寄ってくる身分でいたためか自分から強く欲することもなかったので、それを諦めるのにも大して悔しい気持ちを覚えなかった。
(恋のひとつでも覚えてくればよいんですわ)
ふと、彼の脳裏に侍女ファーラの台詞が蘇った。
情熱的な色恋にいまひとつ経験と興味が乏しい王子殿下は、機会があれば試そう、などと考える。もしそれを知ればファーラは、恋というのはやってみようと思ってできることでもないのだと説教をしただろうか。
暑い季節は去っており、いまどきは過ごしやすいと言われる時期だ。だが常夏のエディスンからやってきた彼には、朝夕は少し肌寒かった。こうして冬と言われるぞっとしないものが近づいてくるなか、寒い地方に南下してゆくとなれば涼しいを通り越して寒いという状況を経験することになりそうだ。そう考えたヴェルフレストは、それもまた面白そうだなどと思った。
「そこの兄さん! 恋人に花はどう?」
かけられた声に何となく視線を移せば、色とりどりの草花を配色よく積んだ移動式の籠の前で十ニ、三歳の少年がにこにこしている。
「花か」
彼はふと、リーケルを思い出した。ファーラは伯爵令嬢にきちんと花を贈り届けているだろうか。彼女の仕事は疑わないが、彼の気に入りの侍女がどんな花を好んで選ぶものか、何となく気になった。
「恋人の機嫌を取るなら、これがいちばん簡単で効果絶大さ。花を嫌う女なんてそういないからな」
花売りの少年の言葉に彼は苦笑した。彼もそう考えて残してきた娘に花を贈らせているのだから。こういったことは北方も中心部もおそらく南方も、そして上流も下町も関係がないと見える。
「どう? 年下の陽気な娘になら、この黄色いコラン。ちっちゃくて可愛いだろ。年上の経験豊かなご婦人になら断然、真っ赤な薔薇だね。ただし、相手が人妻の場合は、派手だから避けた方がいいかなっ」
ヴェルフレストは思わず笑いがこみあげるのを感じた。
「花売りは、長いのか?」
そんなことを言われた少年は瞬きをした。花のことや値段、或いは道でも聞かれるならば判るが、この質問は想定外だというところであろう。
「まあね、一年以上はやってるよ」
とりあえず少年はそう答えた。
「成程。では、お前にそういった口上を教えたのは?」
「別に誰も。自分で考える」
「成程」
ヴェルフレストはまた言った。
「では、ひとつ教えてやる。逆だ」
「逆?」
少年はまた目をしばたたいて繰り返した。ヴェルフレストはうなずく。
「若い娘には、薔薇。年と経験を重ねた女性には、小さな可愛らしい花の方が受けがいい」
「どうして」
「それはな」
王子はにやりとした。
「若ければ自分が大輪の花が似合うと思いたいものだし、年を取れば娘のように可愛らしいと言ってもらいたい。贈り物というのは意外性の強いものの方が喜ばれる、というのもある」
一概には言えんがな、と彼はつけ加えた。少年は楽しそうに目を見開く。
「へえっ、そりゃいいことを聞いた。若いようなのに遊んでんだね、兄さん」
どうかな、と言うようにヴェルフレストは肩をすくめた。
「まあいいや、その言い方は使えそうだ、意外性があった方が喜ばれるよってね」
少年はにこにことしたままヴェルフレストを手招いた。
「授業料代わりだ、よければ何本か持ってってくれよ」
 




