01 砂漠を知っているのか
馬の手入れをしていたカリ=スは、ふと気配に気づいた。
顔を上げて厩舎の入り口を見れば、そこに見覚えのある姿がある。砂漠の男は記憶を思い起こすように目を細めた。
「リーン、だったか」
「やあ、カリ=ス」
独特の形をした袋の中身は、詩人たちがよく持つ弦楽器だとすぐに知れた。それがなくても、リーンという名の青年はなかなかに「吟遊詩人」と言うのがよく似合う顔つきをしていたが。
「ヴェルは一緒じゃないの?」
「部屋だ」
男は簡潔に答えた。
「彼に何か用か」
「別にそういう訳じゃないよ。僕もここに馬を預けてるんで、様子を見にきたんだ」
それが吟遊詩人の答えだった。
「ここの世話は万全だから安心だけど。でも君は、それにも満足しないみたいだね?」
「そういうつもりではないが」
カリ=スは戸惑ったように言った。
「こうして触れ合い、話をしてやらねば、彼らは寂しがる」
「成程、砂漠の民だね」
納得したようにリーンは言った。カリ=スは返答に迷う。彼は確かに〈砂漠の民〉と言われる、大砂漠に生きる部族の生まれだ。だが、「西」の人間は彼らのことなどほとんど知らない。大砂漠に近しい「東国」と言われる辺りの人間を指して「砂漠の民」と言うことも多いのだ、と西に生きるようになってからカリ=スは知ったが、リーンはそう言ったのではないような気がした。
「砂漠の民を知っているのか」
その感覚に従って、彼はそう問うてみた。
「少し、ね」
リーンは答えた。
「何年か前、ミロンという種族に世話になったことがあるよ」
「ミロン」
カリ=スは繰り返した。
「それは、我らの南に生きる民だ。ではお前は本当に砂漠を知っているのか」
「少し、ね」
リーンはまた言った。
「砂漠の民の前で砂漠を知っているだなんて、とても言えないな」
言いながらリーンは、彼の馬とおぼしき生き物の前までやってくるとその鼻面を撫でた。
「何故、行った」
「砂漠に? ちょっと、用事があって」
「おかしな男だな」
カリ=スは少し笑うようにした。
「西の人間が、生けるもののない、無味乾燥な大砂漠にどんな用事がある」
「君は『西』が長いんだね」
リーンも笑った。
「こちらの言い方を真似して自分の故郷を茶化すなんて。君たちがどんなに砂風を愛しているか、僕は判ってるつもりだけど」
カリ=スは驚き、不思議な響きの言葉を発して何か仕草をした。リーンは首を振る。
「ごめん、そこまでは詳しくないんだ。それには礼儀を返せない」
「かまわない。いまのは、返礼を必要としない言葉だ」
男はそう言うと、馬の手入れに戻った。
「連れの戦士はどうした」
「訓練所で剣を振り回してる。物騒だよね、僕はあんまり好きじゃないけど」
「では、何故彼と旅をする」
「それは……」
リーンは考えるようにした。
「面白そうだからかな」
そう聞いたカリ=スは苦笑した。
「お前は、ヴェルと気が合いそうだ」
「そう? 彼に似たことを言う男には嫌われ続けたもんだけどなあ」
リーンは肩をすくめた。
「そうではあるまい」
カリ=スは言った。
「ヴェルならば、お前を好く。だからその男がヴェルに似ているというのならば、その男もお前を好いていたはずだ」
「そうかな。まあ、嫌われていると思うのは気分のいいものじゃないから、お言葉に甘えてそう考えることにしよう。彼には怒られそうだけれど」
「お前は」
男はふと手を止めた。
「見た目ほどには、若くないのだな」
「……それってどういう意味」
リーンは顔をしかめた。
「僕が若作りしてるとでも言うのかな」
「そうか、年を取っているというのは非礼に当たるのだったな」
思い出したように砂漠の男は言った。
「詫びよう」
「いいよ、そんなの。ま、実年齢より若く見られることは確かさ」
二十代の半ばから後半に見える吟遊詩人は、好んで若い顔をしている訳じゃないけどね、などと言った。
「お前の心は、年を重ね、経験を積んだ者のように落ち着いている。そう見えるのだと言いたかった」
「君たちの目は不思議だなあ」
リーンは驚いたように言った。
「君たちの長は予見のような力を持っているみたいだけど、民たちにもみな共通するのかな」
「全員ではないが。私は長の孫に当たるから、もしかしたらそう言った力も少しはあるのかもしれない」
「へえ」
リーンは興味ありそうな声を出した。
「孫。じゃあ君は、いずれ長を継ぐ位置にいるんじゃないの? こんなところへきていていいのかい?」
「こちらで言う王位とは違う。長は身体に流れる血で選ばれるのではない」
「世襲制じゃないのか。それじゃ、どうやって次の長を決めるんだい」
「長は砂に還る前に必ず次の長を指名する」
「しないで亡くなるってことは……ないのか。予見者だもんね」
「いや」
カリ=スは否定した。
「自身の運命は見ることができない。ただ、指名するべきときだけが判るのだと言う。多くは死が近いことを意味するが、病に倒れて長であり続けることができなくなることもある。なかには、次代を指名したあと、砂の神に導かれて大砂漠の奥へと行ってしまった長もいるという話だ」
伝説だが、と砂漠の男は言った。




