07 伯爵令嬢
旅立ちの支度をしておけ。
ということはつまり、準備ができ次第、旅路につけと言うことになるのだろう。
全くもって、意味が判らない。
ティルドは陶器の杯から上等のカラン茶を飲むと、知らず、深いため息をついた。
「……ティルド様?」
心配そうな声にはっと我に返る。
「どうされました? 先程から、ため息ばかり」
リーケル・スタイレン伯爵令嬢は、美しい顔を小さく傾げて少年を見た。ティルドはばつが悪くなって曖昧な笑みを浮かべる。
「リーケル様、俺……しばらく、ここにこられなくなるかもしれません」
「まあ」
青い目が翳った。
「何かの任務に就かれるのですね。お仕事ですもの、仕方ありませんわ。寂しいですけれど、我慢します」
そう言われて、任務より彼女を取りたいと思わない男もなかなかおるまい。ティルドも一般の例に洩れずそう思ったが、逆らえば死罪か追放では、選びたくなくても任務を取らざるを得ない。
彼のような平民が伯爵令嬢と知り合ったのは、夜会の護衛をしていたときだった。
決して丈夫でないリーケルが人いきれに気分を悪くして外に出てきたところを世話したのだったが、彼の方が高貴な美少女に惹かれるのはともかくとして、何故かリーケルの方も彼を気に入ったらしく、令嬢ははじめはその礼にと、その後も機会あるごとに少年を午後の茶に招いた。スタイレン伯爵はもちろんいい顔をしていないだろうが、何とも健全な昼間の茶の席程度ならば娘の好きにさせてやろうとでも言うのか、彼の方にお咎めが来ることは幸いにして――まだ――なかった。
すぐに支度を言われたティルドではあったが、一分一秒を争う話ではなく、早くとも数日中ということは聞かされた。茶会の約束は既に交わされていたものだったし、リーケルに簡単な報告もしたくて出向いた、という訳だ。
「どんなお仕事に就かれますの? 危険な任務ではありませんのよね?」
「山賊退治ほどは危なかないと思いますけど」
ティルドは頭をかいた。行くべき街がどこにあるのかすら少年ははっきり把握していなかったけれど、昼間に街道を旅する以上は、余程に治安の悪いところを歩かない限り、そうそうに危険はないはずだ。
「ちょっと長くかかるかもしれません。その、半年くらい」
「まあ」
少女の瞳が見開かれる。
「それは、長いですわ」
「いや、もっと短いかも。……正直言うと、よく判りません。でもどんなに長くても半年、です」
〈風神祭〉が半年後なのだ、それまでに戻ってこられる旅程でなければおかしい。
「大祭の頃ですわね」
同じことを――正確に言えば微妙な差はあったが――考えたらしく、少女は微笑んだ。
「それでしたら、お城の舞踏会ではティルド様にお会いできますわね」
「その警護の任に就くかは判りませんけど」
ティルドは正直に答えた。小隊がどこに配属されるかは彼の理解の及ぶ範囲ではないし、運よく城の警護に回されたとしても、夜会が行われるような広間を警護するのは近衛兵であることが多い。彼ら軍兵は、賊の侵入を警戒して城の外を警護するものだ。
「わたくし、ティルド様と踊ってみたいですわ」
「そっそれはちょっと無理です」
ティルドは顔を赤くした。舞踏会などに彼が出られるはずもなかったし、第一、踊りなど、かけらも知りはしない!
「無理ですの? 残念ですわ。ヴェルフレスト様はわたくしにお声をかけて下さいますけれど、ほかの方は滅多にそうして下さいませんの。ヴェル様は上手な踊り手でいらっしゃいますけれど、たまにはほかの方とも踊ってみたいですわ」
「ああ」
ティルドは顔をしかめそうになり、ごまかした。
「そりゃ、リーケル様は殿下のお気に入りってことでしょう。殿下の不興を買おうって貴族の息子はなかなか、いないでしょうね」