01 ビナレス地方の西端
西への旅は順調に続いていた。
彼らについて喧嘩をするほど仲がいい、と言ったのは護衛戦士のシザだったが、それはなかなかに適切なところを表していたのかもしれない。
というのも、小さな町で見物人を集めるほどに口喧嘩を続けたティルドとアーリは、しかしその一刻後には何事もなかったように会話をし、しかし数日と経たぬうちに大なり小なりの言い合いをする、というのがすっかり習わしになったからだ。
喧嘩の直後は顔を見るのも嫌なのに、少しすればアーリの姿を認めて安心する自分をティルド・ムールは奇妙に思っていた。これではまるで、彼女に初恋でもしているようではないか?
(それはどうにも、冗談じゃないけどな)
言い合いの最中以外はアーリのことは決して嫌いではない。言うことと職業は多少気に入らないこともあるが、一緒にいれば楽しく過ごせる時間も多い。
それでも彼の憧れの女性はあくまでも楚々としたリーケル・スタイレン伯爵令嬢であって、アーリのような少女盗賊を恋愛対象として見るつもりはなかった。
少女の方でも同様らしく、彼は何度か、ガルという名の旅の剣士について聞かされた。
「格好いいのよ」
というのが、彼女がその剣士を語る主な表現だった。
「ハレサと同じ年齢なんて信じられない。ううん、同じ人類であることが信じられないわ」
盗賊の男が聞いたら彼女の頭をはたきそうなことをけろりと言って、アーリはうっとりとした。
「何がそんなに格好いいんだ? 顔か?」
「それも、もちろんだけど」
アーリは握りこぶしをした。馬鹿な質問をしてしまった、とティルドが悔やむのは十秒も経たぬうちであったが、背格好だとか様子だとか剣技だとか立ち居振る舞いだとかしゃべり方だとか声だとか、果ては指の美しさまで少女が力説を終えたのは一カイ近く経ってからである。
「判った、判ったよ、そいつは世界一いい男なんだろ」
「そこまでは言わないけど」
少女は満足そうに言った。
「近いとは思うわ」
年下の伯爵令嬢に憧れるティルドと、年上の旅の剣士に憧れるアーリでは、男女の仲が進む可能性は非常に低かった。ティルドとしては、助かるところである。毎日隣で休む若い娘がほかの男に夢中となれば、おかしな気持ちも湧き難い。
こうして隊商と旅をする間、ティルドはアーリと話す以外にはシザに剣の手ほどきをしてもらったり、ほかの大人たちともちょっとした雑談をしながら日を過ごした。アーリの方も、ほかの女たちと仲良くなったようである。この「仲良く」にはもちろん、喧嘩は入らない。
「もうすぐお分かれだな、ティルド」
目的の街が見えてくると、シザはにわか弟子の頭に手を乗せてそう言った。そんなふうにされると小柄であることが強調されるようでティルドとしては気に入らなかったが、にわか師匠への礼代わりとばかりに文句は差し控えた。
「何事もなく、いい旅路だったね」
「そうだな、ここまでくれば街の警護兵だって見える。いまからこの隊商を襲おうって賊もいなさそうだ。日のあるうちにアーレイドに入れるだろう」
西の助け手。
必ずしもそれを思った訳ではなかったが、ほかに行くところも思い当たらなくてティルドがやってきたのは、ビナレス地方の西端にあるアーレイドの街である。
エディスンほどの大都市ではないが、王城都市にはどこか共通するものがあるものか、それとも港町という点においてなのか。隊商と分かれて町を行くティルドにとって、ここはよく知るエディスンの空気に似て思えた。
「大きな街ねー」
アーリは感心したようにきょろきょろと周囲を見回した。
「エディスンほどじゃない。ま、雰囲気は似てるけど」
ティルドは先に思った通りのことを少女に説明した。
「そんなふうに余所者丸出しの顔してると、盗賊に狙われるぞ」
ちょっとした皮肉のつもりだったが、アーリはけらけらと笑った。
「洒落になんないわね、それは。そうなる前に早くここの組合にご挨拶に行っとかなきゃ」
「挨拶、だあ?」
「そうよ」
アーリは当然のように言った。
「街は違えど、掟は近いはずだわ。余所からきたらちゃんとご挨拶。ここのみなさまの縄張りは荒らしません、ってね」
常識よ、と少女は言い、そんな常識は身につけたくない、と少年は返す。
「まずは宿を取りましょ。それから、お風呂も使いたいわ」
「風呂か、いいな」
ティルドも同意した。レギスから幾つか寄った町にも公衆浴場はあったが、いかんせんそれは住民たちのもので、旅人が使うのは肩身が狭い。途上の湖で水浴びなどもしたが、湯の方が疲れが取れるとティルドは感じている。なかには熱い湯に浸かるなどというのをとんでもない悪癖、悪趣味と見なす人間もおり、エディスンではあまりない習慣だったが、アーリはそれを好み、ティルドも好ましいと考えていた。
彼らは門番に尋ねた宿屋のある一角に向かい、目に付いた〈鯨の歌声〉亭に部屋を取ることにした。ここで初めて問題になったのが、部屋の取り方、である。
「ひと部屋って訳には、いかないよな」
こほん、とティルドが咳払いをすれば、アーリは肩をすくめる。
「あら、いまさら何言ってんの。寝台がふたつあれば別にいいわよ。おかしな真似したら刺すからね」
「しねえよ、馬鹿野郎。まあ、別にお前が気にしないんなら俺はいいけど」
「気にしないわ。路銀の節約の方が大事でしょ」
それは確かにもっともである。節約をするにこしたことはない。稼いでいない以上は路銀など減っていくだけだ。
(アーリは稼ぐつもりでいるのかな)
少し不安になったが、ここの盗賊の縄張りを荒らさないと言うことは、勝手な盗みを働きはしないということなのではないか、と考えることにした。ここの組合の許可さえ出れば、掏摸くらいは平気でやるかもしれない、という不吉な思いは脇に置く。
彼が不安になっても心配しても憤っても怒鳴っても、少女が手癖を改める気にならないのであれば、彼女の行末について思い悩むのは時間の無駄と言うものだ。




