10 誓いを立てるようなもの
「たとえば、食事の仕方。無意識かもしれないけれど、何度もナイフを探してるだろ。高級料理屋でもない限り、そんなものはついてこないよ。食べ方もきれいだ。こりゃ、空腹を知らない人間だなと思うよ。肉を骨までしゃぶることもないし、麺麭でソースを拭くようなこともしないからね。崩れない姿勢、杯の持ち方、あげてたらきりがないけど、これはまあ、わたしが料理に携わる人間だからだろうね」
ヴェルフレストは降参のしるしに両手を拡げた。
「ずいぶんと拙かったものだな」
「まあ、これらは気にすることでもないよ。わたしみたいなのでけりゃ気づかないだろう。いちばん判りやすいのは」
アクラスはまっすぐにヴェルフレストを指さした。
「着てるもんだね。飾り気のない地味なものだけど、質がいい。普通なら、ひと月は働かなきゃ手に入らないような生地さ。そんなものを着て放浪する旅人はいないよ」
「ふむ」
王子は納得した。正直なところを言えば、彼はかなりの我慢をしてこの質の悪い服を着ているのだが、まだ努力が足りないというところか。
「あとは言葉遣いかな。上流の人間にしてはだいぶ砕けてるけど、発音はものすごくきれいだね。でもこれは、わたしが旅をしている人間だから判ること。北方からきたと言ったっけ? 中心部あたりへ行っちまえば、むしろどこかの訛りだと思われるくらいだろう」
言葉遣いはともかく、発音を直すのは難しそうだ、と上流階級の人間は思った。
「でも貴族の坊ちゃんだと思われて面倒なのは、盗賊に懐を狙われることくらいだろう。立派な護衛がいれば、大丈夫じゃないのかい」
「護衛か」
彼はカリ=スを見た。
「どうだ?」
「無論だ」
砂漠の男はうなずいた。
「私はお前を守るために隣にいる」
「それだ」
ヴェルフレストはカリ=スを指さした。
「聞かせろ。父がお前に売った恩の話を」
「お前が喜ぶような面白い話ではないぞ」
「聞いても差し障りがないんだったら、わたしも聞いてみたいねえ。カリ=ス、あんたは東の人間だろ? うちの隊商は東方へも行くから多少は文化を知ってるけど、誓いを立てたみたいに誰かに――その息子にまでついていくなんて、あまり聞かないよ」
「我々は」
カリ=スは少し迷ってから口を開いた。
「部族の上に長を戴く。長の言葉は絶対で、それに逆らうような者はいない。ただ、尊敬する相手をミ=サスと呼び、その相手の決めたことには従う。そうだな、誓いを立てるようなものだ」
「へえ」
アクラスは肩をすくめた。
「わたしの知るあたりじゃ、聞かない風習だね」
「だろうな」
カリ=スはそうとだけ言った。
「本来、それは砂漠を離れれば意味のない誓いだ。だが彼の父の計らいで私の部族は流行り病の難を逃れた。その恩に報いるため、私は部族の代表として彼に仕えている」
「――ちょっと待て」
ヴェルフレストは呆然とした。
「そんな話は聞いたことがないぞ」
「そうであろう。お前の父上は、記憶に留めてもいないかもしれない。私が彼に剣を捧げたときも、何かを思い出した風情はなかった」
「父は何をした?」
彼は不思議に思って尋ねた。砂漠の民の一部族がどれくらいの人数で構成されているものかは彼の知識にはなかったけれど、十人や二十人ではないだろう。それらを救ったことが、記憶に残らぬほどの瑣末事だと言うのか?
「簡単に言えば、薬を求めて西へやってきた私に助言と手助けを下さった」
「――助言」
父王と見知らぬ砂漠の男がいったいどこで出会い、どんな言葉を交わしたものか、彼には想像がつかなかった。
「そうだ。そのおかげで、我が部族は滅亡を免れた。私の家族には手遅れだったが、それは砂の神の定め給いしことだ」
「家族だと?」
またもヴェルフレストは驚かされる。
「お前、まさか」
「そうだ」
カリ=スはまた言った。
「私はその病で妻子を失っている。それ故、長は私が砂漠を離れることを認めてくださったのだろう。とどまれば、つらいと」
「……ずいぶんと」
アクラスは呟くように言った。
「泣かせる話じゃないか。妻子を亡くしたのに、部族を救ってくれたからと、自分を覚えてもいない相手に恩返しだなんて。ヴェル、あんたカリ=スに迷惑をかけるんじゃないよ」
「……努力しよう」
どうにか、王子はそれだけ返した。
「おおっと、いけない」
不意にアクラスは立ち上がった。
「もう厨房に戻らないと。仕込みは任せても大丈夫だけど、繁忙時にあいつらだけにしたら立ちゆかないばかりか、あとで何を言われるか」
「行くのか」
突然の離席宣言にヴェルフレストは少し驚いたが、引き止めるようなことはしなかった。
「〈ジャラスの歌声〉亭の営業時間は昼刻と、夕暮れから深夜まで。気が向いたらきておくれ」
そう言うと料理人は、もう彼らの方を振り返りもせずに慌ただしく店を出ていった。
「ふむ」
彼はそれを見送って、杯を手にした。
「面白いな」
そう言ったのは王子ではなく、砂漠の男の方だった。
「料理人か。城にもいたが、あまり話をしたことはなかった」
「俺もないがな、料理人だからああいう話しぶりだという訳でもないと思うぞ」
王子はそう言って笑うと、つけ加えた。
「あの観察眼は、共通するかもしれないがな」
彼は自身の衣服を引っ張るようにして、これでも上質なのか、と言った。




