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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第1話 使命 第3章

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08 いちばんいい処方箋

「人間の薬でも効くか?」

「おそらくは。だが量を調整しなければならないだろう」

「俺は特に治癒学は学んでおらんからな、何が要り、何が効くものか見当もつかん。医師や薬師でも探してみるか」

 そう言うとヴェルフレストは質問内容を換えて街びとに話しかけた。今度はそれなりな返答が戻ってきて、彼らは教わった医師の診療所に足を向ける。

「熱冷ましの薬を売ってほしいんだが」

「病人はどっちだね」

 初老の医師は、ちろりと奇妙な二人連れを見た。

「どちらも健康そうだ」

「おかげさまでな。薬が要るのは俺たちじゃない」

「なら薬屋へ行くのだな。私は医師であるから、病人を診る。薬草で商売はせんよ」

「ならばよい薬を商う店を教えてくれ」

「うちは街の案内屋でもない」

 医師はそう言ったが、本気でふたりを追い払おうとしたのではないようだった。

「病人は誰だ? 連れてこられぬほど悪いのか? どこにいる。何なら往診してやってもいい」

「すまんが、先生(セラス)

 ヴェルフレストは片手を上げて医師の親切を制した。

「生憎と人間ではなくてな。薬が効くかどうかもあやしいが、やらないよりはましだろうと」

「何だと?」

 医師はあらためてふたりを――特にカリ=スを見た。

「東方の人間は馬を大事にするというな」

当たりだ(レグル)

「ならば私が行っても何にもならぬし、薬も少しばかり多めに与えたところで無駄だな。そんなことに(ラル)を使うのはやめておけ」

「だが放ってはおけぬ」

 カリ=スが言うと、医師は判ったというようにうなずいた。

「急ぎの旅なのか?」

「そうでもない」

 ヴェルフレストは言った。それが真実なのかどうなのか、彼自身よく判らなかったが。

「ならば数日ばかりゆっくりしていけばいい。馬の扱いがいい宿屋を教えてやろう。そこで馬を休ませるというのが、砂漠殿(セル・ディバルン)にも馬にも、いちばんいい処方箋だろう」

「それは助かる、先生。礼を」

 言う――とヴェルフレストが続け終わらぬうちに、その小さな診療所の扉は乱暴に開かれた。

ニル先生(コルス・ニル)! こいつを診てやってくれ!」

 ばたんと開いた扉の向こうには、カリ=スと同じくらいの年齢の男で、その腕にはぐったりとした子供――十歳ほどであろうか――が抱かれていた。

「どうした、何があった」

 ニル医師はぱっと立ち上がり、ヴェルフレストとカリ=スは道を空けるようにする。

「できたての煮込み料理を全身にかぶった」

「成程」

 言うとニルは両袖をまくる。

「水!」

 医師は叫び、医師と患者をのぞく三人の男は一(リア)ぽかんとした。が、次の瞬間にはその「命令」を理解して周囲を見回す。

(かめ)はそこ、桶も隣にある、早くしろ!」

 いちばん若くて俊敏なヴェルフレストがその場にたどりついたが、甕の口は桶を入れるほど大きくない。柄杓は添えられていたが、これでちまちま汲んでいては時間の無駄と言うものだ。

「カリ=ス!」

 彼は砂漠の男を呼ぶと甕と桶を指した。カリ=スはうなずいて足を踏ん張ると甕を持ち上げて桶に水を注ぐ。あっという間に水は溜まり、ヴェルフレストは柄を掴んで医師のもとへ戻った。

「よし、かけろ」

「何?」

「こいつに水をぶっかけろ」

 ヴェルフレストは一瞬躊躇ったが、思い切りよくそれに従った。

「よし、次ははさみだ」

「どこにあるのさ?」

 子供を運んできた男が問う。医師は唸った。

「ええい、どこだったか。そこの兄ちゃん、短剣でも持っているならば貸せ。服を裂くんだ」

 言われたのはヴェルフレストであろう、彼がうなずいて短剣を引き抜くと、医師はやれというように手を振った。彼は一歩を進み――わずかに躊躇う。

「私がやろう」

 カリ=スはすっと王子の右手から上等な作りのそれを取ると、前に進み出る。ニル医師が指示をすると、まるで彼の熟練の助手のようにカリ=スはその指示をこなした。

「兄ちゃん、いまのうちに新しく水を汲んでこい。井戸は右に二区画だ。アクラス、お前は〈青い檸檬〉亭なんぞで女を口説いとる馬鹿助手を引っ張ってこい」

 命じられた王子殿下は怒ることも面白がることもとりあえずは脇におき、素早く動いた。アクラスと呼ばれた男も、うなずいて診療所を出る。

「兄さん、通りすがりかい?」

「まあそのようなもんだ」

「そりゃ悪かったね、ま、頼むよ」

 アクラスはそう言うとヴェルフレストの肩を叩いて自身に与えられた「命令」を果たしにいった。彼は、事故で火傷を負った子供の姿を前に面白いと口にすることはさすがにしなかったが、医師の対応はたいへん面白いと感じていた。

 カリ=スのように彼を王子と知りながらそうでないように振舞うのではなく、本当に知らない相手。彼を旅の若造と思って、こともあろうに命令をする。

「面白い」

 呟くとヴェルフレスト王子は井戸へと走った。


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