11 僕が君を雇おうか
ぱたん、と扉を後ろ手で閉めた戦士は、先に部屋に入った吟遊詩人の背中をじっと見た。
「さて」
夕餉の席を退き、借り受けた客室に戻ってくるまで無言だったガルシランは、そこでようやく口を開いた。
「誰がクラーナで、リーンだと?」
「いまさらそれを問うの」
リーンは笑った。
「確かに、ゼレット閣下は一度、口を滑らせかけたけどね。うまくごまかしたのに」
「ギーセス閣下は疑ってもいないから、気づかなかっただろう。だが俺は、お前がクラーナとも呼ばれていることを知っている」
ガルシランは戸を背にしたままで言った。リーンは肩をすくめる。
「だいたいのところは判ってるんだろ。黙っててくれたことには礼を言うよ、ガル」
リーンは卓に弦楽器をそっと置きながら答えた。
「三十年前に訪れたクラーナにそっくりの、リーンか。だがユファスや通りすがりの青年にクラーナと呼ばれていたのは、お前だ」
「そう。実際のところを言えば、僕は父には大して似てない。ギーセス閣下の方が余程、彼の父親に似てるね」
「リーン」
戦士は詩人の名を呼んだ。
「それともクラーナ。お前は何者なんだ」
「名前はどっちだっていいけど」
リーンはガルシランを振り返らぬままで言った。
「君には、何らかの予測がついてるんじゃないの」
「ふん、だいたいのところはな。だが、お前のような種族は聞いたこともない」
「……待った」
そこで詩人は心外そうに振り返った。
「僕が魔物だとでも思ってる?」
「三十年前と同じ姿を持つ。人間ではないだろうが」
「言っておくけど、正真正銘の人間だよ。まあ、正直に言えば、そうじゃなかった時期はある。そちらの方が長いくらいだ。でも僕は人間としてちゃんと母親から生まれたし、いまだって人外じゃないよ」
「それじゃ」
ガルシランはじろじろとリーンを見た。
「これだけ訊いておこうか」
「……何」
少し警戒するようにリーンは言った。
「お前は、幾つなんだ?」
ガルシランは胡乱そうに言い、詩人は目をしばたたいて、それから笑った。
「ええと」
リーンは指を折った。
「そうだなあ、多分、八十六か七か、それくらい」
「……元気なご老体でけっこうだ」
少し呆れたようにガルシランは言った。
「肉体年齢は二十六だよ、六十年間、時間をとめてたようなもんだから。僕が好きでやってた訳じゃない。呪いみたいなもんなんだ。あのさ」
詩人は咳払いをした。
「君はこう言うの、受け入れられるだろうと思うから気軽に話すんだけど」
「まあ、そうだな。少なくとも妖怪退散、と斬りつけたりはしない」
言ってガルシランは唇を歪めた。
「どこからも依頼されてもいないからな。金にならん」
「そりゃ助かった」
リーン、それともクラーナは笑った。
「念のために。このこと知ってる人は少ないから、妙なことは口走らないでくれよ。事情があってゼレット閣下はご存知だけれど、ギーセス閣下はもちろん、ユファスも知らないんだ。ティルドもね」
「秘密を知る数少ないお仲間に入れてもらえた訳だ。礼を言うべきか?」
「お好きに」
吟遊詩人は肩をすくめると、楽器に向き直った。
「さて、旅立ちの前に弦を変えておこう。そうだ、久しぶりに作曲をやってもいいな」
「お好きに」
戦士はそう返すと、奇妙な連れを得たものだと口の端を上げた。
「ところで」
リーンは口調を変えた。
「僕も気になってることがあるんだけど、訊いてもいいかな」
「何だ」
「この前、見知らぬ魔術師と何か話してただろう。あれからちょっと様子がおかしいんじゃないかと思って」
「見てたのか」
「見かけたけど、声をかけるのがはばかられる雰囲気だったから」
詩人は椅子に座り込むと、戦士を見上げるようにした。
ガルシランは戸棚に近づくと、置かれている酒瓶からアスト酒を杯に注いだ。
「要るか」
「僕はいいよ」
「そうか」
言うと戦士は酒を飲み干し、またそれに注いだ。
「メギルが死んだそうだ」
「――君の、恋人」
「昔の、な」
ガルシランは肩をすくめる。
「その魔術師が知らせてきたのかい」
「そうだ」
「何者?」
「さあな。ただ、俺たちがピラータを離れて何日もしなかった頃のことらしい」
「ティルドが……女の子の仇を取ったと?」
「俺もそう訊いた。半分は正解で、半分は大外れだそうだ」
「何だい、それ」
「詳しくは聞かなかった」
それが戦士の答えだった。
「とにかく、メギルは死んだ。これは事実みたいだな。答えを出さなかったままの俺は、実際的にも気持ちの上でも決着を付けることができなかったと言う訳だ」
ガルシランはまた酒を飲み干し、また注いだ。
「死んじまったもんは仕方がない。メギルを追う、答えの出なかった旅はこれで終わりだ」
「……それは」
リーンはじっとガルシランを見た。
「もとの暮らしに戻るという意味? 吟遊詩人がお呼びでない、切ったはったの世界」
「そうなるな」
「僕は邪魔だと」
「そうは言わんが、安全を願って街道を旅するのとは違う。わざわざ危険に足を踏み入れるんだ。歌になりそうな冒険に出会っても、喜んでる間に死ぬぞ」
「それはそれで、理想的な死に方のような気もするけど」
「リーン」
戦士は詩人の名を呼んだ。
「お前がついてくると言ったときは最初は閉口したが、いまとなっちゃいい連れだったし、一緒にいれば不思議と安心できた。だがここまでにしよう。俺の恋物語なんかは、お前の創作のいい足しになっただろう」
「否定はしないよ」
リーンは肩をすくめた。
「もう決めたんだね」
「ああ」
「当てはあるの」
「ひとりじゃ限界があるからな。大きな街に戻って仲間を捜す。弟や親友以外と組んだことはないが、まあ何とかなるだろう」
「そう」
リーンは考えるようにした。
「じゃあ、僕が君を雇おうか」
「……何?」
思いもかけない言葉にガルシランは思い切り眉をひそめた。
「そんな顔するなよ。君は依頼を受けて、それをこなす生活に戻るんだろ。いきなり依頼主がいてよかったじゃない」
「八十ウン歳のご老人のお守りなんてのは、俺の仕事じゃないぞ」
「言ってくれるね」
リーンは笑った。
「もちろん、戦士ガルシランにそんな仕事をさせようってんじゃない。君が体験してきた冒険にも匹敵する歌が作れるような話さ」
詩人は弦楽器をつま弾く真似をした。
「このタジャスの町から、〈風謡いの首飾り〉に呪いをもたらした謎の魔術師の足取りを追う旅、なんてのはどうだい?」
「……当てがなさすぎる」
ガルシランは首を振った。
「そうかい? 面白そうだ、と思ったくせに」
リーンがにやりとすれば、戦士は唇を歪めた。
「腐れ魔術師め」
人の心を読むな、とガルシランは言い、リーンは決まりごとのように、魔術師なんかじゃないよ、と返してから笑った。




