07 そうなのかもしれません
「ガルシラン殿のこと、覚えてますか」
「もちろん。彼が何か?」
「私はあなたに、彼に近づくなと言いましたよね。危険だからと」
「そうだね。彼はメギルを守ってティルドと戦うところだった」
「ええ、確かに。でもね、私が危惧したのはそれじゃないんです。ひとつには、一緒にいた吟遊詩人のことがありました。彼は魔術師じゃないが、不思議な目を持っていて、私は彼に見られたくなかった。それと、もうひとつは」
「――彼をメギルに会わせたくなかった?」
「未練はないとか言ったって、昔の恋人に引きずられるこた、判りきってましたからね」
「もしかして」
ユファスはふと思いついたように言った。
「僕を殺そうとしてくれたときも」
「死なせやしなかったじゃありませんか」
魔術師は抗議した。
「それは結果的な話だろう」
青年は指摘をした。
「ともあれ、あのときも……それじゃ彼女のためだったんだ」
「そうなります」
アロダは謝罪の仕草をした。謝ってもらったからと言って、笑って許せることでもないが。
「何かあなた方の利――と言うより、自分たちの不利になることを口走って、彼女が『リグリス様』に怒られることを防ぎたかったんです。彼女はあの司祭様に褒められるのが大好きでしたから」
魔術師は嘆息してから続けた。
「馬鹿みたいですか。馬鹿みたいですね。馬鹿にしてくれていいんですよ」
「しないよ」
ユファスは言った。
「魅力ある、女性だったんだろう。魔女と呼ばれるようにさえならなければ」
「そうですね」
アロダはまた言った。
「魅了の魔術なんか使わなくたって、こんなふうに中年男をいちころにできるだけの女性でした。そう言ってあげられればよかったとは思いますね。魔女を廃業してどこかで真っ当な魔術師をやっていても、あなたは絶対に男には不自由はしませんからご安心をって」
「どうしても一言、入るんだね」
ユファスが笑うとアロダは肩をすくめた。
「性分です。仕方ない」
その言葉にユファスは片眉を上げ、違うだろう、と言った。
「アロダ術師、あなたのそれは、照れ隠しって言うんだよ」
「……意地悪です、ユファス殿」
「たまには僕にも言わせてほしいね」
ユファスは澄まして言ってからまた墓標の方に視線をやった。
「ねえ術師、あなたは」
青年はあの日の――あの日に至るまでの出来事を思い出しながら言った。
「どうしてメギルがあんなことをしたのだと思う?」
「あんなこと?」
「僕を助けること。ティルドを助けること。サーヌイを──助けること。そして」
「ご主人様を殺すこと、ですか」
アロダは顎に手を当てた。
メギルとサーヌイの炎がリグリスを殺したのは「不幸な事故」とは思えなかった。
魔女の意識が朦朧としていたとしても、その火がティルドとリエスをくぐり抜けて「ご主人様」に向かう可能性に思い至らなかったとは考えにくい。
メギルは、リグリスを狙った。
サーヌイについては判らない。死の間際にある恋しい女に、力を貸してくれとでも言われたのだろうか。青年神官は、風読みの継承者が火に傷つけられないことは知っていても、その火がティルドを抜けて奥に向かうことは知らなかったのかもしれない。
だが神官がどのようなつもりであれ炎はリグリスを襲い、魔女は、そうなると知っていたはずだ。
「狙って、殺した。僕にもそう思える。だと言うのに」
ユファスは呟くように言った。
「彼女は最後に、やはりリグリスを想うようなことも言った」
「女心というやつは、男には永遠に判らんもんなんでしょう」
アロダは肩をすくめた。
「まあ、恋愛音痴の私が言っても説得力がないですかね。ガルシラン殿みたいな色男なら別ですが」
「そうかもしれないね」
「すみませんね」
「違うよ、あなたのことじゃなくて」
ユファスは笑った。
「判らないんだろうよ。男だからとか女だからじゃなくて、人の気持ちなんて。自分の――ものだって」
「おや」
魔術師は片眉を上げた。
「まさかユファス殿」
「違うよ」
アロダの言いたいことを察して、ユファスは肩をすくめた。
「メギル自身がそう言ったんだ。僕は、彼女には惹かれなかった」
「魔女だからですか」
「それは」
青年は少し迷うようにした。
「そういうことになるのかな。自らの意思で手を血に染めた女性」
「では、そうでなくて出会っていたら、判りませんか」
「どうだろう。何とも言えないね。一魔術師である彼女と僕が出会うという仮定自体、意味がない」
「そうですね。彼女がごく普通に真っ当な魔術師をやってたら、あなたも私も、彼女と巡り会うこたなかったでしょう。彼女がリグリスの手を取らなくても、別な人間が彼女の代わりをしただけ。流された――燃やされた命は変わらなかっただろうと考えれば」
アロダは呟いた。
「私ゃ、リグリス様に感謝すべきでしょうかね」
ユファスはそれには何も答えなかった。
「私ゃ思うんです。彼女はね、自分では何だかんだ言ってましたが、魔女でありたいと思ったことはなかったんじゃないかとね」
魔術師はそんなことを言った。
「ガルシラン殿に魔女だと言われたのは、かなり衝撃だったんだと見ました。と言うのはですね、おそらく彼らが恋人同士であった間、『魔女』という呼び名は尊敬や愛情の表現だったんだと思うんですよ。それが、蔑む目的で発せられた。何の魔術でもない、彼の意志と彼女の行動によって。メギルは初めて気がついたんじゃないですかね。……魔女であると言うことの、真の意味を」
「そして、そうなりたくなかった」
「そんなところじゃないかと。それから『リグリス様』」
アロダは続けた。
「彼女は知ってましたよ、自分が彼に愛されていないことを。自分の身体と魔力が司祭を名乗る男に都合がいいだけだってね。でも、知らなかったんです。用済みになれば捨てられること。いえ、判っているつもりでは、いたでしょうな。だが判っていなかった。愛憎のもつれで殺されるのでもなければ、生かしておけば厄介だというような打算ですらない」
「ただ――邪魔な小石を蹴飛ばすかのように」
「そう。メギルという個人は、彼には全くどうでもよかったこと。私ゃ……知ってましたがね」
アロダは語り、ユファスは黙って聞いた。
「リグリスの心に気づいて……恨んだと言うんじゃないでしょう。憎んだとか、そう言うのでもね。リグリスが持つ火の力に女としてではない、魔術師としての彼女が惹かれたのだとしても、それは彼女にはやはり恋だった」
「恋情故に、焼き殺したとでも?」
「逝くのならば一緒に、と思ったかは判りません。死を目前にした人間の心がどう動くかなんて高位の魔術師でも判らない。彼女は、魔女でありたくないという思いと司祭様への想いに挟まれて、どうしてか、ああする結論にたどり着いた。あなた方への助力であると同時に」
魔術師は肩をすくめた。
「リグリスへの意趣返し、だったのかも」」
「やっぱり」
ユファスは首を振って言った。
「あなたは、ちゃんと言えばよかったんだよ。その場にいなくてもそれだけ考えられるほど、あなたは彼女を見ていた。……いまさら言っても仕方のないことだけれど」
「そうですね」
アロダは三度言った。
「そうなのかもしれません」
魔術師の返答が「言えばよかった」についてなのか「いまさら仕方がない」についてなのか、ユファスには判らなかった。




