10 断ってもよい
「支配する力。あれは王だ。ほかの風具より力があるというのではない。命じて、従わせる力があるのだ。逆に言えば、司を任命できることすらあるのやもしれん」
成程、王だとの意味が判ったようだ、と王子は考え、成程、判るような判らないようなことしか言わないローデンは相変わらずだ、と少年は思った。
「力をなくしたと言うが、それがどこまで真実なのかは計れない」
「嘘なんかついてねえよ」
「お前が嘘をついたと言っているのではない。風具が眠ったと司たちが思うのならば、そうなのだろう。だが、その通りではないか」
「何」
やはり判らない、とティルドが言えばローデンは睨む。
「眠らせた。力が失われた訳ではない。司たちの意志とは関わらず、また目覚めるやも」
「そうかもしれないけどさあ」
ティルドは呑気に言った。
「とりあえず寝てるんだから。いいんじゃねえの」
それが「片がついてない」と言うのだ、とローデンは言いかけ、しかし嘆息して首を振るにとどめた。
「風司。その是非を決めるのは未来」
ローデンはアドレアがカトライに伝えた言葉を思い出した。
「或いは、星の巡りということになるのか」
魔術師は苦い顔で言った。それは自らの手の届かぬことだと認める言葉であった。
「起きたことは起きたことですな」
「そうだ、俺はお前に訊いておきたいことがあった、ローデン」
ふと思い出したように王子は言った。
「指輪だ。あのとき、どうして俺に指輪を持たせた」
風司は父王だったはずだ。父に指輪を渡したとき、ヴェルフレストはそう感じていた。
「カトライ様が言われたのですよ。あなたに司を継がせる、とね」
「それはそうだろうな。父上が言わないのに、お前が勝手にやったとは思わん」
ヴェルフレストはそう言うと、続けた。
「だがいったい、いつの間に俺の服に忍ばせたのだ。魔術か」
「そんなものを使わなくても、侍女に命じれば済むことです」
ローデンは平然と言った。
「ひとり、殿下の寝所に忍んでもおかしなことを言われないであろう娘を知っていましたのでね」
「──ファーラか」
ヴェルフレストは簡単なからくりに気づくと苦笑をした。王子の留守中に、ファーラが宮廷魔術師のもとへ行ったという話は聞いていた。面識は、ある訳だ。
「あのときはカラザンが倒れたということで報告を受け損ないましたが、あの娘ならばきっちり仕事を果たしてから父親のもとへ行くだろうと判っておりました」
「父親? カラザンがファーラの父だと知っていたのか。姓が違うのに何故判った」
「私は噂話には興味ありませんが、それでもあの話は有名ですから」
「あの話?」
ヴェルフレストは眉をひそめた。
「どんな話だ」
「ああ、もう十年にはなりますか。ヴェル様はご存知ないですね」
ローデンは肩をすくめる。
「優秀なる医療補佐官と、法務官の優秀なる書記の夫婦がいたのですよ。完璧な夫婦と思われていましたが、忙しすぎてお互いに時間が取れなかったとでも言うのでしょうかな。夫婦の間のことは判りませんが、彼らは離縁をすることにしても、時間が取れなかった。そこで」
魔術師は笑った。
「彼らの採った方法は、互いに唯一休める飯どきの休憩時間に、王宮の食堂で協議をすることでした。あれは語り草です。当人たちはどんなからかいの種にされても全く気にしていないようですが。いや、カラザン補佐官はいくらか気にしているようですが、メンディス書記官の方はかけらも」
「……ファーラの母親だからな」
ヴェルフレストは納得したように言った。ファーラを知らぬティルドは黙ってそれを聞いていたが、なかなか強烈な家族のようだ、と思った。
「娘は母親寄りのようで父に冷淡らしいですが、カラザンは実直でよい男です。余計な世話でしょうが、確執がなくなることを祈っていますよ」
「それは……難しいかもしれぬな」
ファーラの言い様を思い出してヴェルフレストは言った。
「まあ、彼らの親子関係に俺が口出しをできるでもなし。それはよいことにしよう。気になることはほかにある」
言うとヴェルフレストはくるりとカリ=スを振り返った。
「調子はどうだ。いつから復帰できる」
「そのことだが、ヴェル」
話し出そうとしたカリ=スをとどめるようにローデンが片手を上げた。
「ヴェル様、そのお話は私から」
「――何だ」
どことなく不穏なものを聞き取り、ヴェルフレストは青い目を揺らめかせた。
「カリ=スにはわずかですが後遺症が出ます。規定として、彼は兵役から外される」
「な」
ヴェルフレストは呆然とし、ティルドも驚いた。
と言うのも、第三王子がこの話に衝撃を受けるのは判りきっているのである。もう少し言葉を濁すとか慰めとともに優しく言うとかできないものか、と気に入らぬ王子に対して親切にも思ってしまったのである。もちろんどんな言い方をしたところで事実に変わりはないのだが。
「ローデン、何を馬鹿な!」
そら見たことか、と少年は思う。ティルドでさえ納得いかないのである。どうしたらヴェルフレストがそんな処分を受け入れるものか。
「俺は認めぬぞ」
「そうでもないでしょう」
宮廷魔術師はティルドに言ったのと同じ台詞を吐いた。ティルドは首を傾げ、ヴェルフレストは厳しくローデンを睨みつける。魔術師はさらりと続けた。
「正規兵には細かい規定がありますが、王子殿下の個人的な護衛ならばそうでもありませんよ」
澄まして言うローデンの言葉に驚いたのはヴェルフレストにティルドはもちろん、カリ=スも同様だった。砂漠の男は明らかに、いま初めてその話を聞いたようだった。珍しくも驚愕の表情を浮かべている。
「ローデン閣下」
カリ=スはすっとローデンに向き直った。
「もちろん、断ってもよい」
公爵はにやりとした。
「軍団長などは、お前に新兵を訓練する役割を担ってほしいそうだ」
「カリ=ス」
ローデンの言葉にカリ=スが躊躇いのようなものを見せたので、王子は声を出した。
「迷いがあるならば好きにしろ、お前の決める道だ。軍に居続けることを選ぼうと文句は言わぬ。ただ、少しばかり」
「『面白くないだけだ』」
カリ=スはヴェルフレストの言を先取った。王子は認めるように少し笑う。
「私の務めは、カトライ陛下にお仕えすること。私はその命令と要望に従う」
「父上はお前に選ばせるさ」
一瞬躊躇ってからヴェルフレストは続けた。
「もし砂漠に帰りたければ、それだって」
その言葉に砂漠の男は首を振る。
「それは我が道ではない」
「決まってんじゃんか、カリ=スの選ぶ道なんか」
ティルド少年はあっさり言うと肩をすくめた。
「助かるなあ。あんたがヴェルを守るってんなら、俺が近衛兵やっててもこいつのために命張ることなんてなくなるもんな」
言って大仰に感謝の仕草をする。ヴェルフレストはカリ=スを見、カリ=スはうなずいた。
「お前が我が主だ、ヴェル」
砂漠の男は「西」の彼らに見慣れぬ印を切った。ローデンは公式に認可を与える仕草をし、ラスルの民の恩を抱えた男は、名実ともにエディスン第三王子の護衛となった。




