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風読みの冠  作者: 一枝 唯
終章 vol.1/3

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04 どこかの協会長

 その扉を開ける前は、たいていの者が緊張する。

 全ての者、と言っていいかもしれない。

 この部屋にやってくる者は必ず、この部屋の主に敬意と、場合によっては怖れを抱いている。

 だから戸を叩く前に深呼吸をして気持ちを整えたり、小さく呪を唱えて部屋の主の力に影響されないようにする。この扉の前で、それは普通の光景だ。

 そうなれば扉は、叩かれることもなしに開けられることはない。

 ただひとりの男の手をのぞいては。

「──やあ、エイファム。くるだろうと思っていたよ」

 品のいい書斎の大きな卓の向こう、明るい金の髪を短く刈り込んだ男は、ローデンと同年代か少し上のようだった。

 無遠慮にそこに入り込んだローデンは、何やらぶつぶつと呟くが、それは何らかの魔術という訳ではなく、何の魔力も持たない、ごく普通の罵り言葉のようであった。

「おやおや」

 部屋の主は面白そうに言った。

「これはまた、派手にやったもんだねえ。時間が経つのに、まだ匂いが残ってる。ずいぶんと異界に近づいたという訳だ。お前は影響を受けやすいんだから気をつけないと」

「アロダの不意をつくには、あれがいちばん効果的だったのだ。私の選んだ方法などどうでもよかろう」

「どうでもよくはない。ほら、そうやって苛つくと瞳孔が金になる。光の加減じゃ済まないよ、そんな公爵閣下じゃ王様に迷惑がかかるじゃないか」

「ええい、判っておる」

 ローデンは苛々と手を振った。

「だから、渋々とここにきたのではないか」

 宮廷魔術師はじろりと相手を睨みつけた。

「治せ、フェルデラ」

「お願いします、だろう?」

 エディスン魔術師協会長(リート・ディラス)フェルデラは眼鏡の奥からにっこりと笑った。

「いくら親しくても、礼儀を忘れちゃいけないな。私たちは魔術師協会長と公爵閣下でもあるんだしね」

「お前と親しくした覚えなど、ない」

 何とも不機嫌にローデンは返す。フェルデラは肩をすくめた。

「はいはい、判ってるよ。お前は子供の頃からそうだ。すぐに私に反発する。どうしてだろうね、私はお前と仲良くしたいのに」

「うるさい、私はお前を好かないのだ」

 ローデンはきっぱりと言った。

「だが、これ(・・)はお前にしか治せん。だから仕方なく、足を運んだだけだ」

「お願いする気はないんだね、全く、幾つになっても強情だよ」

 そういうとフェルデラはローデンを招き寄せた。宮廷魔術師は卓の前まで歩を進め、金の瞳でじろりと協会長を見る。

「元気そうだな、フェルデラ」

「おかげさまでね。お前の尽力であらかた片づいた。神術師(・・・)たちはその力を失ったし、神殿(クラキル)も満足したようだ。感謝のしるしに、『お願い』の段階は省いてやろう」

 フェルデラは細い両腕を伸ばすとローデンの方にそれを向けて祈るような仕草をした。

 それはまるで魔術師(リート)と言うより神官(アスファ)のようだったが、これがフェルデラのやり方であることをローデンは知っていたから余計な口は挟まなかった。

 魔力を持つ者たちだけに判る不思議な空気が流れた。特別な呪文や仕草がなくても、術がはじまり、そして終わったことは彼らにはあまりにも明瞭で、説明の必要はない。

「こちらを見て。……うん、金色が抜けたね。髪も明るみを取り戻したよ、気にして屋内でまでフードをかぶっていなくていい」

 協会長はローデンを右から左からのぞき込んで、満足いったようにうなずいた。ローデンは口のなかで何か呟いてから、フードを外した。

「何だって? 聞こえないよ」

「二度は言ってやらん」

 その台詞が謝意を表すものであることをフェルデラは気づいていて繰り返させようとしたが、ローデンは拒絶した。協会長は笑う。

「それにしても、エイファム。もう若くないんだから、無茶はやめなさい」

「この『無茶』は」

 ローデンは鼻を鳴らした。

「どこかの協会長が、とんだ外れもの(ラゲンド)を派遣してくれたおかげだがな」

 言われたフェルデラは苦笑いを浮かべた。

「それについては申し開きようがないね。彼の交友関係(・・・・)までは、調べなかった。ただ、アロダ術師はお前に似ていると思ったから上手く操縦するだろうと考えたのだけれど」

 肩をすくめてフェルデラは続ける。

「私が間違っていたということかな」

「喧嘩を売っているのか」

 フェルデラの言うのはつまり、ローデンがアロダを「操縦」し損なったと言うことである。それについてローデンを責めず、自らの失態であるように言うのは、責任者としては立派であったが、ローデンには皮肉と取れた。

「私とお前が喧嘩なんかしたら、エディスンが壊滅するじゃないか。その前に〈媼〉に成敗されそうだけれど」

 協会長は気軽に言った。

「シアナとはずいぶん、協力し合ったようだな。私に対しては、隠しごとばかりしたと言うのに」

「ヒサラ術師の話か? 彼は回復に時間がかかったんだ。生き延びても、魔術師として仕事を続けられるか判らなかった。結果が出てから知らせるつもりでいたんだよ」

 フェルデラは首を振った。

「そうやって、過ぎたことにいちいち文句を言うのはやめなさい。お前にも私にもまだ仕事があるんだから、遊んでいる場合じゃないだろう」

「仕事。仕事ならいつだってある」

「宮廷魔術師にして公爵閣下はお忙しい、と。お前に比べたら魔術師協会長など閑職かもしれないな」

「嫌味か」

「忙しくてたいへんだろうと言ってるんじゃないか」

 フェルデラは嘆息した。

「〈風神祭〉に不穏な影が何もないことは、お前に対して告げる必要もないだろうけれど、それでもまだ気になることはある」

「グルスに、サーヌイ」

そう(アレイス)。でもトバイ・グルスに関しては、エディスン協会として警戒する必要はないと思われる。彼はもともと、協会に対しては上手に敵対しないようにしてきた。もし生き延びていたとしても、協会は関知しない」

「あれをエディスンに引き戻したのは、アドレアの存在だったと言えるだろう。アドレアが愛したこの街――いや、王の血筋を愛した故、かつて逃した魔女を網にかけようとしただけだ。いまになって思えば、陛下や王妃殿下の感情を喰らったのは、アドレアを苦しめるためだった」

「〈白きアディ〉か。不思議な魔女だとは思っていたが、実のところは百年単位の純愛を貫いたひとりの娘だった、と。気の毒なことをしたね」

 フェルデラは哀悼の印を切った。

「彼女はようやく解放されたのだ」

 ヴェル様の望まれた形とは違ったが、とローデンは言った。

「いまごろは冥界で、彼女の王子と再会しているかもしれんな」

「おや」

 フェルデラは片眉を上げた。

「珍しく、吟遊詩人(フィエテ)みたいに浪漫的なことを言うね」

「何の。彼女ほど長きではないが、私とてエディスン王家の血筋には詳しいのだ」

 ローデンは肩をすくめた。

「遠い昔の王がいまのエディスン家と変わらぬ人柄ならば、諦め悪く頑固者だ。いつまでもラ・ムールで彼女を待っていそうなものだからな」

「成程」

 冥界に流れる大河ラ・ムールで、人は生前の未練を流し去ると言う。「彼女の王子」は何百年に渡ろうと変わらぬ思いを抱き続けかねない、カトライやその息子たちはそれくらい強情だ、と言う宮廷魔術師にフェルデラは笑った。

「そうだといいね。願わくばコズディムが気を利かせて、次の人生で彼らを幸せにしてくれますように」

 言いながら協会長は冥界神への印を切り、ローデンも倣った。

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