04 そんなもののために
その言葉にティルドは顔をしかめた。
「何だか魔術師に口先で騙されそうになっている気分だぞ」
「そうだ」
「何ぃ?」
「騙そうとしていると言うのではない。魔術の理だ。いや、言葉の網のすり抜けと言ったか。口先の言葉遊びのようでも、力を持つ」
「んじゃ何か? それは俺のものですが王子殿下にお貸しいたしましょうと言え、と?」
「駄目か?」
「……ええいやめろ、お前にそんな顔をされると気色が悪い」
懇願するような目線にティルドは呪いの言葉を吐き、ヴェルフレストとしては「どんな顔をしたのだ」とばかりに表情を戻す。
「継承、ねえ」
ヴェルフレストの用いた言葉に、ティルドは考えた。
不思議な空間から還ることができたとして、そのあとに待つものは何だ?
サーヌイによって殺される。
もちろん素直に殺されてやるつもりはない。攻めに転じる意志がある。
だが、周りの神官たちだって、いつまでもじっとしていることはないだろう。いくら荒事を知らない連中でも、サーヌイのような狂信で剣をも怖れずに取り囲まれれば厄介だ。
(サーヌイはリエスを治すって約束は守るかもしれねえ)
(でも、解放するとは言ってねえし、二度と変な術かけないとも言ってねえ)
ティルドが言うことを聞かない限り、リエスを利用しようとするのは目に見えている。つまりは、首を――冠ごと――差し出すまで?
(簡単に殺されたりするもんか。そう思ったことも本当だ)
(でも)
(またリエスを盾に取られたら? ユファスは帰すとか言ってたあれが嘘だとしても、兄貴には剣がある。……肩は心配だけど)
(リエスにまた術をかけられたら、同じことだ)
ユファスやリエス自身もそうしたことは判っていて、それでティルドをとめていたのだろう。今更気づいてもどうしようもない、いや、あの時点でティルドも同じように考えたとしても、ひとまずの時間稼ぎに「継承するふりをする」という選択をしただろう。となれば現状は変わらない。
(継いだら詰む、としたら)
(俺は、あれを継いで戻ったらいけないってことか?)
ティルドはまとまらない考えに心を右往左往させた。
(だって、そうしたら俺は殺され、サーヌイが継ぐ。あいつに本当にできるかは判らねえ。でもどっちにしたって)
(俺は殺される)
殺される気はない、攻めに転じる。何度も呪文のように考えたところで、反攻の手段がなければ、それは――。
(そんなの、ただの空言だろう)
ふと、そんな言葉が彼の内に浮かんだ。
(口先でいくら言ったところで、ただの「口答え」に過ぎない)
(判っているのか? 本当に、死ぬということ)
不意にぞくりとした。
命が、彼の全てが終わるということ。
(死にたく、ないだろう?)
これまで何度も命の危機は彼を訪れていたが、このとき突然それが明瞭に意識された。
「ムール」
ヴェルフレストの声がする。
「答えは」
「俺」
思い浮かんだ言葉は口から出なかった。
少年の脳裏にはその思いがよぎっていた。
(もしかしたら、これが最上じゃないか?)
(目の前の相手にに冠を渡してしまえば、それを継がずに済む)
(継がなければ、殺されやしないんだ)
そんな気持ちが次々と浮かんでくる。
まるで誰かが彼に囁いているように。
「俺」
そうだ、簡単だ。ヴェルフレストにやると言えばいい。そうすれば冠はエディスンに戻って、サーヌイは地団駄を踏むだろう。
「それとも、また戦うか。防戦ばかりだったが、それで勝てると思うのか」
ヴェルフレストが言い、ティルドは黙る。
勝つ。
勝てば、どうなる。
殺される。
「ムール」
返答のない少年に業を煮やして、ヴェルフレストはまたも剣をかまえた。奇妙に刃がきらめいて見える。
(殺される。魔術で? それとも、刺されて?)
(そんなのは、嫌だろう?)
(でも)
だが、ならば逃げる、とも思うことはできない。
リエスを助けたい。ユファスを助けたい。
ヴェルフレストには、ティルドを突如襲う葛藤を見て取ることはできない。少年の沈黙は、戦う決意の表れのように見えた。
少年は彼に冠を渡すつもりなど、ないと。
「剣をかまえろ」
王子は言った。
「喋りあっている時間など惜しい。お前が渡さぬと言うなら、俺は」
ヴェルフレストは細剣を横から振るった。
「奪う」
「俺は」
反射的に、ティルドは防衛をする。
だが、どうしていいのかは、判らなかった。
奇妙な思考が頭をぐるぐると支配する。
きれいに型通りの剣を使ってくるヴェルフレストの癖は、見破ろうと思えばやれそうだった。そうでなくとも、王子殿下が習わない少し乱暴な方法――ここには何もなかったが、ものを投げつけるとか、蹴りを入れるとか、肘打ちを食らわすとか、そういう実践的なやり方――をすれば、彼は簡単に優位に立てるかもしれなかった。
だが少年は、萎縮していた。
リエスとユファスを助けたい。
でも、殺されたくない。
ティルドははっとなった。
そのとき、踏み込んできたヴェルフレストが上級芝居もかくやという完璧な角度から、ティルドの剣を薙ぎ払ったのだ。
少年の剣が宙を舞った。
からん、とそれが落ちる。
ティルドののど元に細剣が突きつけられた。
「――ここまでだ、ムール」
息を弾ませながらヴェルフレストは言った。
「冠は、もらっていく」
「ヴェル」
待て、と。まだだ、と。渡さぬと。
声は口から出なかった。その代わり、脳裏がこんな言葉で埋まっていく。
手放せばいい。
訳の判らないものの継承者なんて、馬鹿げている。
そんなもののために命を捨てるなんて。
「俺は」
どうすればいいのだろう。
何も言わぬティルドを数秒じっと見つめてから、ヴェルフレストは剣を引くとそれを鞘に収めた。
「済まぬ」
王子の謝罪はぼんやりと少年の耳に届いた。
「リエスにも」
ああそうか、とティルドは思う。
自分がここで冠をヴェルフレストに渡せば、サーヌイは彼女を癒さないだろう。ティルドは少女を守れない。
だが、自分が死ぬよりは。
そうだ、リエスだって、ティルドが殺されるのを見るくらいだったら、あのまま歩けぬままでいる方がきっと――。
(……何だって?)
少年の奇妙な思考が、そこでとまった。
(俺、何を考えてる?)
(ちょっと待てよ。これ、本当に俺の考えか?)
おかしい。
死ぬのは怖い。確かに、それは間違いない。
だが、自分が生き延びられればあの蓮華娘がどうなってもいいと、彼は本当に思ったのか?
違う。
少年はじっと、まとまらぬ思考に焦点を合わせようとした。
(これは)
(俺の考えたことじゃ、ない)
ならば、どこから湧いてきた――誰に植え付けられたものだろうか?
どこかでくすっと、笑い声が聞こえた気がした。
一方でヴェルフレストは、ゆっくりと少年から視線を移していた。
〈風読みの冠〉。
十年前〈風神祭〉で父が儀式に使った、その装身具。
それは、彼には何の意味もない。
彼の継ぐものでもなければ、欲しいものでもない。
ただ、これがあればアドレアが救われる。救われるかもしれぬ。
いや、グルスはそのように甘くはないだろう。
だがそれでも、手にするのだ。少しでも望みがあるうちは。
ヴェルフレストは冠のそばにかがみこんだ。白い指が、躊躇いがちに金の輪に伸ばされる。
王子は深く息を吸って、それを掴もうと――した。




