01 冠の創り手⑤ 物語を探しに
その訪問は男爵を驚かせ、喜ばせたが、その次には不思議そうに首を傾げさせた。
「リーン、だったな」
「はい、ギーセス閣下」
吟遊詩人はにっこりと笑んで、宮廷式の礼をした。
「若い頃のお父上によく似ている。私の記憶にあるクラーナとそっくりだ」
「彼を知る人からは、よく言われます」
クラーナ、それともリーンはにっこりと答え、隣で怪訝な顔を見せたガルシランを男爵に気づかれぬように睨みつけた。
「お父上は息災か」
「ええ、おかげさまで。相変わらず旅から旅の歌暮らしです。僕も同じことやってる訳ですけど」
「奥方は」
「は」
問われたリーンは瞬時、きょとんとした。
「そう。彼の妻、あなたの母上というのはどのような女性なのだろうと思ってな」
「ああ」
吟遊詩人は苦笑すると、少し考えてから答えた。
「彼らはね、結婚という形は取らなかったんです。フィエテなんてひとつところに落ち着けやしない。彼は彼女を愛していたけれど、そのために旅をやめることはできなかった」
「では、お前が生まれたことは」
「僕?……ああ、そうですね。僕が生まれたことを知ったのは、何年かあとですね。それからはまめに……と言っても一年に一度くらいかな。母と僕を訪ねたけれど、いまではどうして――いるものか」
「――息災だと、言わなかったか?」
言われたリーンははたとなった。
「ええ、まあ。少し前に会って話をしましたが、いまは判らないということで」
その説明をギーセスは考えるようにして、旅人父子とその妻にして母の複雑な家庭事情を想像した。
「クラーナはいまでも詩人として旅をしているか。そうだったな、ヴェルフレスト王子殿下と行き会って、彼をこの地に導いてくれた」
「ええ、はい。その話は聞いています」
〈道標〉役を果たした当人はにっこりと言った。
「冬場に南に下るのを嫌がって、息子を寄越したのだとお思いいただければ」
「しかし」
そこでギーセスは首をひねったのだ。
「〈風謡いの首飾り〉とはな。先だってもヴェルフレスト王子殿下がそれについて尋ねてこられた。お前もそれを探しているのか?」
「首飾りを探してはいません。僕は詩人ですから、物語を探しにきたんですよ」
「成程」
納得したように男爵はうなずいた。
「殿下がお帰りになってからも、いろいろと判ったことがある。まとめているところだ。お前の新しい歌の参考にでもなればよいが」
「有難いお言葉です、閣下。是非とも」
そうして吟遊詩人はタジャス男爵の茶席の客となり、隣の戦士は沈黙を求められていることに気づいて可能な限り黙っていた。
「首飾りがどうやってこの町にやってきたのかは判らなかった。美しい装飾品だということだから、売り買いを経てきたのだろう」
ギーセスはそんなふうに話をはじめた。
「悲劇のために、それは呪いの首飾りとなった。そういった伝承はあったのだが、その悲劇が何であったのかは伝わっていなかった。それを調べてみようと思いついたのだ。残念ながらヴェルフレスト殿下のお助けにはならないようだが、お前の助けにはなるかもしれないな」
「殿下が求められるのは首飾りであって、物語ではないということですか」
「そのようだ。ほかの風具を見つけて、エディスンにお戻りになっていられればよいが」
確かにそのような状況になっていることとは知らぬままで、ギーセスは言った。
「ほかの?……ということは、閣下は殿下が首飾りを手にしてはいらっしゃらないと言われるのですね。在処をご存知なのですか?」
「首飾りのか? 正確なところは知らぬ。どこかの魔術師が持っているという話だ。ちょっとした知人が、頼んでもいないのに協力を申し出てきて、そんな中途半端な情報を掴んできた。案の定あまり役には立たないようだがな」
ギーセスは鼻を鳴らしてそう言い、リーンは少し目を見開いた。穏やかな顔つきの男爵にしては、「協力者」に対してどうにも意地の悪い言い方だ。だがそれもさもありなん――と思ったことは、詩人は得意の仮面の裏に隠した。
「では、閣下が見つけられた物語とは」
「そうだな、その話をしよう」
かつて、財を成した男がいたと言う。
何で成功をしたものかは判らないが、男爵家をも脅かす富を持ち――と言っても、タジャス男爵家は貴族の地位にあるにしては慎ましやかな暮らしをしていたが――多くの貴重な宝を抱えた。
「そのなかに、首飾りがあったのですね」
「おそらくは」
その息子たちは男のような才覚はなく、代が下るごとにその財産は食いつぶされていった。
「そうして没落し、いまではその名前さえタジャスでは覚えられていない。それ故、この悲劇の物語も伝わらなかったのだな」
最後の代となった主のもとに、ふたりの客人が訪れたと言う。
「伝わらなかったのなら、どうやってそんな話を掴んだんです?」
「魔術師協会は、どんな記録をも収めているという話だ」
「……ああ、成程」
リーンは苦い顔をしかけ、やはりそれを隠した。
「以前はこのような形で話を追おうと思ったことがなかった故、聞き損なっていた。惜しいことをしたものだ」
そう言って男爵は続けた。
かつての富豪の館、落ちぶれつつある家にふたりの旅人がやってきた。旅人は〈風謡いの首飾り〉の噂を聞き、ぜひそれを見てみたいと訪れたのだと言う。
「それは、たまたまタジャスを訪れて? それとも、そのためにタジャスに?」
「そこまでは、記録にはないようだった」
ギーセスは首を振った。
「ただ、いくら魔術師協会と言えども、名も知れぬ旅人の来訪記録まで保存している訳ではない」
「では、記録に残っていた理由は」
「簡単なこと。そのふたりは、魔術師だったという訳だ」
熱心に語り合うふたりの横で、ふとガルシランは窓の外に目をやった。雨が降り出しそうだった。
「それが悲劇のはじまりですか。悪い魔法使いが、首飾りに呪いをかけたと」
リーンは少し皮肉を込めてそんな言い方をしたあと、ギーセスへの皮肉ではないのだと謝罪の仕草をつけ加えた。
物語では魔術師は悪役にされることが多い。「悪い魔法使いがお姫様を攫いました」だの「その病気は悪い魔法使いの仕業でした」というような類だ。話作りには便利だが、現実に当てはめるとなるといささか想像力不足と言おうか、魔術師たちに対する侮辱になりかねない。
生憎と、それを現実に当てはめる人間は多く、魔術師は忌まれ嫌われる。だがたいていの魔術師はそれを特に哀しくは思わず、歓迎し、なかには助長するものもいたくらいだから、これは〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉だった。
「協会の記録にあるのはこれだけ。ふたりの魔術師がそこを訪れた夜、その内のひとりが死んだ。魔術ではなく、刃によって殺された」
「殺された」
リーンは繰り返して眉をひそめた。
「そうらしい。首飾りを狙った賊の仕業だった。残されたもうひとりは報復とばかりに賊を殺し、家人を殺した」
ギーセスは厄払いの印を切る。リーンも倣った。ガルシランは肩をすくめただけだった。
「そのようなことをすれば、捕縛の対象でしょう」
「だが協会は何もしなかった。そのまま魔術師は去った。首飾りに呪いを残して」
「悲劇を見た首飾りが呪いを得た――か」
リーンは呟くように言った。
「恋人だったのだろうか」
「何?」
「その魔術師たちですよ。仲間を殺されて報復、というのはありそうな話だけれど、呪いまで残していくなんて恨みが……いいや、想いが深そうだ」
その呪いは、首飾りへの所有欲を増大させ、人々がそれを奪い合うようなものだった。魔術師が何を望んでそんな真似をしたのかは判らない。復讐ならば、賊を殺したことで済んでいるはず。
「強すぎる思いは、望んでもいない何かを引き起こすこともある。もしかしたらその魔術師も、意図して呪いをかけたのではないかもしれませんね」
「詩人だな」
すぐにそんな「物語」を思いつくリーンにギーセスは笑った。
「私からすると、遠い昔の伝承に『魔術師の旅人』という香辛料が少し添加されただけにも思える。もっともそうした差異も含めて私は興味深くまとめているが、お前の歌の足しにはなりそうか?」
「美しい歌を奏でる首飾りを求めてやってくれば、思わぬ恋人の死。衝撃が彼を狂気に陥らせ、怖ろしい魔術を振るわせた。その場で家人の命を奪うだけでは済まず、首飾りに呪いを残し、彼が去ったあともその所有者を争わせるように」
リーンは語り、嘆息した。
「〈オーアンの花の娘〉みたいだ。きれいだけれど哀しい。幻想のようで、血生臭い」
「〈黒き花〉の歌などがあるのか」
オーアンと呼ばれる黒い花は、中毒性のある薬効が有名で、幻惑草と言われるものの一種だ。大きな街では精製や売買、持ち込みすら禁じられていることも多い、「悪い薬」の代表格でもあった。
「かつて、かの花は白かったと言います。恋人に捨てられた娘の哀しみが、やがて恨み、憎しみ、呪いとなって花の色を変えた。娘は死してもなお、その花畑で恋人の帰りを待ち続けている――という歌です」
リーンは弦をつま弾く動作をした。
「お望みでしたら、のちほどにでも」
その言葉に男爵は首を振った。
「暗いものを持つ歌のようだ。その物語にも興味はあるし、お前の歌は聞いてみたいが、いまはせっかくの来訪だ。心が重くなるような歌を頼むことはするまい」
「それもそうですね。では、血生臭くない恋歌や、お姫様と王子様の幸せな物語でいきましょう。そうだ、僕の作った〈風謡いの首飾り〉の歌を披露するべきかな」
「お前の?」
ギーセスはわずかに首を傾げた。
「クラーナが作ったと聞いたが」
「ええまあ、共同制作という辺りです」
こほん、と咳払いをしてリーンは言った。
「どうってことのない恋歌に仕上がっていますけれど、僕は気に入っています」
「それは、楽しみだ」
恋した娘のために不思議な装飾品を求める若者の歌。
それは、風具に関わるふたりの若者の現状によく似通っていたが、彼らはそれを知らなかった。




