10 もう二度と
「気に入らないけれど、剣ならやっぱりお前の方が適任かな」
ユファスは嘆息するとくるりと剣を回転させてその柄を弟に差し出した。
先ほどの杖術では受け流すことと下から振ることを主眼にしたせいか、あまり左肩の影響を受けなかった。だが思い切り振り上げ、振り下ろすような戦いが予測される剣術は、上がりきらぬ左肩にはつらい。兄は剣と引き替えに、弟からぐったりとしたままの少女を受け取った。
ティルドはもう一度「頼む」と言ってリエスを放すと剣を手にした。サーヌイの目線は忌々しいほど油断なくティルドとユファス、そしてリエスを見ていて、不意を突こうなどとすれば少女に術を放つだろう。
ユファスは神官たちを見回したが、好機とばかりに彼らが飛びかかってくることはないようだ。肉弾戦の経験がないであろう男たちはただ見守ってくれるつもりらしい。もちろん助かる話だ。
「……ごめんね、ふたりとも」
「謝んな」
「君は悪くない。気にすることない」
文字通り荷物になっていると気づいたリエスは情けなさそうな声で謝罪したが、兄弟は無論、それを受けなかった。
「そんなものをかまえてどうするんですか」
サーヌイは言った。
「ティルド、剣を下ろしてください」
静かに神官は言う。少年は、まるでその言葉が耳に届かなかったかのようにじっとしていた。
「下ろしてください」
神官はにっこりとしながら、違えようのない「命令」を繰り返す。
「不意打ちはあなた方の得意かもしれませんが、僕はやられません。人質に取る相手も、もういませんよ」
ティルドは唇を歪めた。
「人を卑怯者みたく言うなよな。こっちの剣の届かないとこからおかしな術をかけてくる方がよっぽど、卑怯じゃねえか」
人質云々は言い返せなかった。メギルを盾に取るような真似をしたことは半ば以上演技であったが、サーヌイにしてみればそうではない。
「よろしいですか、ティルド。ご記憶にないといけませんから、もう一度言います。永遠にその少女が歩けないままでは困るでしょう。それをもとに戻せるのはアンカル殿亡きいま、私だけ。私を殺そうなどとは思いませんように」
「……おい」
ティルドは眉をひそめた。
「それじゃ、リエスを助けたかったら俺に生き延びる術はないってか」
「ようやくお判りですか」
「馬鹿言わないでよっ、あたしのことなんかどうでもいいから、口車に乗っちゃ駄目よっ」
「馬鹿言うなっ、どうでもいいことがあるか」
「ティルドがあたしを助けたいなら、あたしだって同じだわ。ユファスだってよ。馬鹿なことやめて。そいつの言いなりになったりしたら、許さないんだからねっ」
「心配すんな!」
少年は叫んだ。
「俺だって死にたかない。当たり前だ。だからどうにかする」
「どうすんのよっ」
「それはこれから考える」
「妙案が浮かぶとは思えないな、弟よ」
ユファスは言ったが、自分の方にも何が案がある訳でもない。彼は嘆息した。
「こうやってついてきたのは、お前が捕らわれる原因になるためでも、お前が隣で殺されるのを見るためでもないんだけど」
「充分、助けになってくれてるよ。いまだって、こうしてリエスを頼めるのが兄貴で最高だと思ってる。あとは……よろしくな」
「やめてよっ、そんな不吉な言い方っ」
まるで遺言だ、と少女はユファスに支えられたまま、弱々しい声で懸命に叫ぶ。
「死なねえよ。死んでたまるか。俺はまだやりたいこともあるし知りたいこともある。風具がどうのなんて訳の判らんことのために殺されてたまるか」
そう言いながら少年は――剣の切っ先を下ろした。
「いいか、サーヌイ。俺が継承だかをしたら、リエスにかけた変な術を戻すって約束しろよ。それなら冠を受け取ってやる」
「彼女が立てるのを見届けてから死を受け入れるということですね。よいでしょう、それが慈悲というものですから」
「大した神官サマだ。ほら、寄越せ」
ティルドは右手の剣を完全に下げ、左手を伸ばした。サーヌイはティルドにおかしな真似ができぬよう、慎重に剣の届きにくい位置から差し出す。
ずっと追いかけてきたことになる、その宝飾品を。
〈風読みの冠〉を。
ユファスとリエスもまた、それを見守ることになった。もちろん彼らはティルドを見殺しにするつもりなどないから、どうにかして彼を救う道を探している。
「何だか、馬鹿みたいだけどな。それを頭にかぶれってんならそうしてやる。それで俺がものすごい力を手に入れててめえらを一瞬で吹き飛ばしても、恨むなよ」
「面白いですが」
サーヌイは笑った。
「それはないですよ」
どうにも馬鹿にされているようで、ティルドは腹が立つ。
「何が起きるか判らねえんじゃなかったのかよ」
「ええ、でもそれは、どういう現象が起こるか――たとえば風が吹くとか、光が走るとか、そういう現象について言ったものです。冠を継承して起こることは、ほかの道具と同じ」
「同じ?」
ユファスのように? 冠の力を引き出すと? 冠の力というのは、何なのだ? ほかの四つの風具の力を借りること? だがそれは既に、彼にはできているではないか?
「ティルド」
リエスの声がした。
「駄目、ねえ、駄目よ」
少年はどきりとした。幾度も繰り返された言葉にではない。少女の声は、涙声のように聞こえたのだ。
「お願い、やめてティルド」
「何、だよ」
「リエス?」
ユファスも心配そうな声を出す。
「ティルド、リエスが」
先ほどよりぐったりとした娘は、苦しそうに瞳を閉じながら言葉を発していた。まるで高熱にうなされているかのように。
「サーヌイ、てめえっ」
「何もしていませんよ」
神官は心外だというように言った。
「彼女は〈風聞き〉の司。道具が破砕されても、その力が残っているのでしょうか。何かを聞いてでもいるものか。ああ、冠を継承したら、それも判るかもしれませんね」
「お願い。駄目、悪いことが……起きちゃう」
「それでもいまは、そうするっきゃねえんだよっ」
少女の言葉は、まるで何かの予見をしたかのようだった。しかしただティルドを制するためのようでもある。
だがどうあれ、いまはこうするしかない。サーヌイにリエスを治させて、そこで攻撃に転じるしかない。
向こうだってそれを警戒しているし、簡単に隙は見せないだろう。
だがいまは、リエスだ。
――もう二度と、なくしたくない。
ティルド・ムールは、手を伸ばした。〈風読みの冠〉がそこにある。
細い金の輪、優美なる紫水晶と、それを飾る蓮華。
何が起こるか、彼にも判らなかった。それとも、知っていたのだろうか? このことによって、何が引き起こされるのか。
やめて、と繰り返すリエスの声を後方に、ティルドはそれを掴んだ。
そのとき、視界が、消えた。




