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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第8話 対決 第4章

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06 誰であろうと

「死なせたくないと? これを?」

「誤解すんな。そいつを殺すのは俺で……ああ、もう!」

 自分でも何を言っているのか判らなくなってくる。少年は空いている手で頭をかきむしった。

「ユファス!」

「何だい」

「あと、頼む」

 その言葉にユファスは片眉を上げた。

「まとまらないお前の考えを僕にまとめろ、と?」

そう(アレイス)

 ティルドが言うと、ユファスは思わず苦笑した。

「仕方ないな。つまりね司祭殿。弟が言うのは、こうだよ」

 言いながらユファスは、先にリグリスが蹴り遠ざけたメギルの杖を拾い上げた。

「当人の頭のなかは相当にぐちゃぐちゃしてるみたいだけど、何てことはない。簡単な一言で終わる」

 ユファスは長杖をためつすがめつするようにしながら、弟に並ぶようにした。

「誰であろうと、人が死ぬことに心楽しいことなんかないってね」

 ライナを。アーリを。彼らの知らぬ幾人もの命を意味なく奪った魔女でも。

 ティルドは黙って兄の言葉を聞き、リグリスはそれを鼻で笑った。だが青年は気にしなかった。

 彼は見て取った。

 業火の司祭の、油断を。

 彼ら兄弟がリエスはもちろん、メギルの命さえ気遣っていることを嘲笑い、そのふたつの命を握っていると考えているリグリスは、彼らが――殊、剣を手にしていないユファスのことなど、全く警戒をしていない。

 ユファスはしゅっと息を吸い込むとぐんと力を込めて床を蹴る。

 剣は手にしていない。

 だが、ティルドの剣を受けても砕けることのなかった魔女のこの杖は、十二分に――武器になる。

 リグリスの目が驚愕に開かれ、手が自身をかばうように上げられる前に、ユファスは下方から男の顔面を打った。思いがけぬ衝撃にリグリスはよろめき、手にしていた天鵞絨の塊を取り落とす。それが床に当たる音と同時に、ユファスは二撃目をリグリスの首筋に打ちつけ、何か印を切ろうとする手を返す杖で払って、加えてその腹を蹴り飛ばした。完全にバランスを失ったリグリスは後方に倒れ込む。

「ティルド!」

 はっとなった少年は剣をかまえ、司祭を越えてその向こうにいる神官にそれを振りかぶる。起きた物事を把握しきれなかった神官は、反射的にあとじさり、結果として捕らえていた少女を放した。

 ティルドはリエスの腕を引くと自身の背後にかばい、戦況の把握に努めた。

「リグリス様!」

 叫んだのはサーヌイだった。暴力沙汰(・・・・)には為す術のない細腕は、印を結びかけ、しかしユファスには風も火も効かぬと思ったか、それとも近接している司祭に万一のことがあってはと思ったか、はたまたほかの理由でか、それを完成させることはせず、文字通りに手をこまねいている。

 メギルもまたどうしていいのか判らぬように、その場に立ちつくした。

 少女を捕らえてきた神官は後退したことを恥じでもしたように、司祭を打ちつける狼藉者を驚愕と怒りの入り交じった視線で睨みつけるが、こういった直接的な武力に対抗する方法を知らぬというように、手を出しかねている。

 ティルドは一歩を踏み出しかけ、背後から服を引っ張られてとめられた。

「よせ、リエスっ」

 危ないからやめろとでも言うのか、いまだ沈黙の術下にあるリエスの口から説明は出なかったけれど、奇襲は相手が驚いている間にこそ効果があるものだ。冷静になった神官が助けを呼びに行くか、心を決めたサーヌイが何かの手段に出るか、やはりリグリスを守ろうとメギルが動くか、どれもさせないうちに彼の方が動かなくてはならない。

 少女の手を振り払おうとうしろを見たティルドは、リエスが何かを要求するように右手を差し出しているのを認めた。成程、少年をとめるのではない、自分にも何か武器を寄越せと言う訳だ。

 幸か不幸か予備の武器はなかったが、ティルドは思いついて隠しに手を突っ込むと、取り出したものをリエスに押しつけた。少女がそれを受け取った隙にその手から解放されると、彼はまず、いちばん近い場所にいる神官に向けて刃を振るった。

 ユファスが言った通り、殺したいとは思わないが、そんなことを言っている場合ではないし、楽しくてやるのでもない。

 それに「殺したくない」よりも「殺させたくない」の方が強い。

 リエスを。ユファスを。メギルもか? それはよく判らない。

 ざっと音を立てて神官服が切り裂かれると、神官はだらしなくも悲鳴を上げて逃げ出した。追うか、それとも、と考える前に声が飛んでくる。

「ちょっとティルド、何よこれ!?」

 神官の術が破れたのだろう、憤然たるリエスの声だ。

「あとだ!」

 説明をしている暇はない。

 ティルドは兄と司祭の戦いに目をやった。

 ユファスは杖を何度も振るっていたが、無論、リグリスとていつまでも虚を突かれたままではない。幾度目かの打擲を加えられた司祭は、その杖を避けたり自身をかばおうなどとする代わりに思いがけない姿勢を取っていた。

 完全に倒れ込んだ状態から、上に乗っている相手を殴りつけるように手を伸ばすのは、たとえ意識が朦朧としたところで奇妙な動きである。

 ただ、戦いの最中にはあまり気にしまい。相手がおかしな行動を取り、それが罠や作為であれば気を付けねばならないが、不意を突かれて不利な立場にいる者は、何か画策をする余地などないのが通常だ。

 優位にある者は相手の奇態に気を払わないか、或いは自らの優位につながるものとほくそ笑む。

 もっともユファス青年はそれに気を払った。彼は、気づいた。

 彼は反射的にその手に目をやり、瞬時、目を奪われた。

 〈風食みの腕輪〉。

 彼に属する翡翠製の腕輪が、その権利を持たぬ男の左腕を飾っていた。

 風食みの司がそれを見たのはほんの一(リア)、いや、その半分にも満たぬほどの短い時間だった。だがそれは、隙と言われるものを敵に突かれるには充分すぎるほどの時間だ。

 リグリスは振り下ろされかけた魔女の杖をあやまたず掴み取った。こうなれば若者が均衡を崩す番となる。

 ユファスが勢いに押されて身体を斜めにさせると、リグリスは素早く身を捻って青年を組み敷いた。

「この――若造が」

「クソっ」

 青年は珍しく呪いの言葉を吐き、一転して大きく不利になった体勢から脱しようと試みる。

「ユファスっ」

 ティルドが兄の援護に向かおうとすると、思いがけないものが飛んできた。

 それがサーヌイのであろうがメギルのであろうが、火の魔術であれば彼は何の痛手も受けない。だが少年の左肩に思い切りよく命中したのは、卓の上に飾られていた燭台であった。

 それで怪我をすると言うことはないが、少年の足はとまり、投げ手に注意が行く。

「させません!」

「この野郎」

 物理的に何かを投げる以外、風と火の精霊師が風読みの継承者に対してできることはなかったかもしれない。ティルドはそう考えれば、サーヌイを無視してリグリスに向かってもよかった。

 だがサーヌイの結びだした印が、ティルドの心に警告を送る。

 火か、風か。

 どちらでも彼は無事なはずだ。兄も。

 だが、リエスは。

「させねえってのはこっちの台詞だ!」

 二度は、させない。

 死んだ少女の模造品とリグリスが言った、その意味はティルド少年には伝わっていない。

 だが、させるものか。

 ティルドはサーヌイに向けて走った。

 ユファスはリグリスにねじ伏せられまいと、全力を傾けた。

 リエスは戦いに参加できないものかと武器になるものを探して視線をさまよわせるなか、メギルはサーヌイの腕を強く引いて――形成されつつあった青年神官の印を崩した。

「メギル様!?」

 サーヌイが驚愕の色で叫び、ティルドは振り仰いだ剣をそのまま打ち下ろした。

 青年神官の前に立ちはだかった、金髪の魔女に。

「――な」

 手応えがあった。

 ありすぎるほどに。


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