05 模造品
苦虫を噛み潰したような顔、というのは、たとえばエイファム・ローデンなどにはよく見られる表情であったけれど、即断即決即実行、よく言えばたいそうに決断力のある、言ってしまえばあまり深く考えることのないティルド・ムール少年には滅多に浮かばぬものであった。
「リエスっ、何考えてんだ、てめえっ!」
だが次の瞬間に発せられた台詞はいつも通り――よくも悪くも――威勢のいいものである。
「――何ですってぇ!?」
壁の向こうで少年の声を聞き分けた少女は、負けじと声を張る。
「それはこっちの台詞でしょ、乗り込んで捕まって馬鹿みたい!」
「全く同じことやってるのはどこのどいつだっ」
「あたしは捕まったんじゃないわよ、そのふりをして侵入に成功したとこだわ!」
本気で言っているのかと思わず呆れかけたティルドだが、それがリエスの負け惜しみであることは明らかだった。
「あのなあ、だいたいお前は」
ティルドが叫びはじめたタイミングで、慈愛溢れる神官に後ろ手を取られた少女の姿が戸口から現れた。
「何よっ、文句があるんならはっきりと」
「黙らせろ」
リグリスが低い声で言えば、神官は何か印を切った。リエスの顔が憤怒に染まったが、どんな罵り言葉もその口からは出てこない。いつだったか、ラタンが少女にかけたのと同じ、沈黙の術である。
「やめろよ。仮にも女の子を人質に取るなんて、神官サマのやることかよ」
「人質? 愚かな」
司祭は笑った。
「あれは我らの作ったものだ。勝手に出歩いていたのを住処に連れ戻しただけのこと」
「作った、だ? 継承者に仕立てたってのか? アーリに似た娘を探して? ふざけやがって」
ティルドが苛立ちのような怒りのようなものを覚えて吐き捨てれば、リグリスは片眉を上げた。
「似た娘、か。成程、これが人形だと知らぬのだったな」
「おい、酷え言い方にもほどがあるんじゃねえのか、リエスは」
「死体だ」
リグリスは聖なる――邪なる――印を切って言った。
「……何?」
ティルドは、言われた意味が判らず、勢いをとめる。
「この娘の鼓動は作りものの鼓動、息吹は偽物だ。若い娘の死体を継ぎ合わせ、我らの術で偽の命を動かしている。死せる継承者を蘇らせ、我らのために利用する目的だったが、思わぬ効用があったという訳だな」
「何……言ってるんだ?」
ティルドは喉の渇きを覚えた。サーヌイが律儀にも運んできた飲み物を一口でも飲んでおけばよかった、などとどうでもいい思考が頭をかすめる。
「意味が……判らねえぞ」
「判ろうと判るまいと、同じだ。お前がそうして気にかける娘は、死んだ娘の模造品。似ているのは当然だ、似せて作ったのだから」
意味が判らなかった。
死んだ娘?
アーリのことか?
――模造品?
意味が、判らなかった。
「ティルド」
兄の声に、ぐるぐると回りかけた思考が戻ってくる。
「惑わされちゃ駄目だ」
ユファスの脳裏に蘇っていたのは、カリ=スの言葉である。砂漠の剣士は、神官ラタンの言葉に翻弄されるなと言った。業火の司祭が、何かティルドの助けになるような発言をするはずがない。これは彼を――彼らを惑わせる言葉だ。
「惑わせるだと?」
リグリスはくっと笑った。
「それは、私よりもこの女の得意とするところだな」
司祭はメギルに冷たい視線を向けた。
「サーヌイ、メギルを立たせろ」
言いながら司祭は転がっていた魔女の杖を女の手の届かぬところに蹴り飛ばした。
「その、メギル様」
「大丈夫、立てるわ」
サーヌイは戸惑った。敬愛する師にして主たる司祭と、妖艶なる魔女にして青年に優しい女、どちらを選ぶのかと問うた年上の神官はもう亡く、青年は選ばねばならない時がくるなど思ってもみなかった。
「サーヌイ、甘い顔を見せるな。これは所詮、魔女だ」
言われたメギルはゆっくりと立ち上がって、リグリスを見上げた。
女は不思議な感覚を覚えていた。心が冷え込んでいくような気がしたが、その理由がよく判らなかった。
リグリスが自分を愛していないことは知っている。火を操る魔力と男を操る魅力を利用し、この身体を楽しむだけのつもりで飼っているのだと知っている。彼女は、代わりに愛することを許されながら飼われていたのだとよく判っている。
なのに何故、心はいまこんなにも冷えるのだろう。何故、足元が崩れていくような気が、するのか。
殺されそうになったから?
幾度も褒められた、その言葉さえ全て嘘だと判ったから?
いいや、その本性をだって彼女は知っていた。そのはずだ。
「魔女」
メギルは小さく繰り返した。
「『魔女だから怖ろしい』『魔女だから男を惑わす』『魔女だから人を燃やす』『魔女だから血も涙もない』、言われてきた言葉は全て本当のことだけれど」
メギルは淡々と言った。
「『魔女だから役に立つ』いいえ、『魔女でなくともこの女は役に立つ』。リグリス様にそう思っていただけるのならそれでよかった。よいと思っていた。なのに」
「物足りなくなったから、魔術でどうともできる若者に鞍替えたという訳だ」
リグリスはユファスを見た。メギルも同じようにした。ユファスは唇を歪める。
「私は、決してそのようなことは」
「サーヌイ」
司祭は魔女の言葉を遮った。
「殺せ」
「――は?」
「その女は裏切りの汚名をそそげなかった。それだけでも充分、死に値する」
「し、しかし」
「ふざけんなっ」
叫んでいたのはティルドだった。模造品がどうのということについては判らないまま、それについて思い悩むよりも、言葉が口をついて出ていた。
「こいつは裏切る気なんてなかったんだ。何でか兄貴を救ったのは気の迷いみたいなんだろっ。さっきは、お前を守ろうとしただろうがよ! だってのに締め上げたり、殺せだなんてのは、何なんだよっ」
それはずいぶん、矛盾した台詞のようだった。魔女を殺そうとして追ってきたことに対しても、魔女が司祭を守ったのが彼自身の刃からであったことに対しても。
だが少年は気にしない。気にならなかった。気になったのは、いや、気に入らないのはリグリスの言動だった。
ティルドは、復讐心と怒り、憤りからメギルを殺したいと思った。だがリグリスからは何も感じられない。
強いて言うのであれば、少しと邪魔だからどかしてしまえと言うような、目障りだと言うような、それだけの。




