02 冠の創り手④-2 呪われた首飾り
「違わないわ。歌を聞いてみないと確実なことは言えないけれど、たぶんね。でもそれだけじゃない」
女の声に敬虔なものを聞き取った男は先を急かすことなく、じっと待った。
「母なる女神よ! これは癒しに限らない。その力を肥大させたものよ。猛る心を収めることだってできる。何てこと」
言った女の顔は青ざめた。
「判る? 使い方によっては人の心を操れるのよ」
「だが、それくらいの魔術だってあるだろう。〈静心〉の術ならそれほど難しいものでもない」
男は少し意外そうに言った。
「褒められる話じゃないが、そう怖れるほどのことか?」
「魔術で心の流れを無理に変えるのとは違うの。心に働きかけて、本当に変えさせてしまうのよ」
女は首飾りに目を奪われたままで続けた。
「外から心の動きを変えれば生じるはずの破綻が、生じない」
「破綻が生じないならその方がいいんじゃないか」
「冗談はやめて」
女は首を振った。
「これの力は、使われるべきではないわ」
「判らないな。いったい」
男は納得がいかない様子で反論しかけたが、女は首を振った。
「これは神殿の領域になる」
「何だって?」
「そうでしょう? 怖れや哀しみ、苦しみ、怒りを諭し、心をゆっくりと和らげるのは神官の仕事だわ。或いは、時間。〈名の知れぬ時の神〉にしか癒やせないはずの傷が、音色ひとつで簡単に――とはいかないかもしれないけれど、癒やされる」
「だが」
男はまた首をひねる。
「魔術師や精霊師が神殿に義理立てする必要なんてない」
「ええ、そうね。でも」
どう言おうか、女は迷うようだった。
「そうだわ、あなたが最初に〈風読みの冠〉を作ろうとした理由は何だった? 均衡、でしょう? こんな『道具』が神殿の為すべきことを為したら、均衡はどうなるの?」
「……崩れるな」
男は唸った。
「互いの領域が云々という話だけじゃない。いまでこそ魔術師に紛れるようになった精霊師だけれど……そうなった原因を私たちは忘れていない。精霊師に対する、迫害。自然を操る不心得者として黒魔術師や魔女たちのように怖れられ、いいえ、それよりも蔑まれ、追われ、狩られ、殺された。その原因を作ったのは?」
「精霊師の祈りが信者を奪うと勘違いした神殿、か」
「彼らが精霊師を追い詰めてその手にかけたというのではないけれど、言葉の力は強いわ。神殿は、精霊師を呪術師と同格に置いた。魔術師協会とことをかまえられない分、組織を持たない精霊師は格好の的だった」
「しかしいまでは、たいていのケルエトはケルエトの自覚もないまま、魔術師協会の保護下だ。心配する必要は」
「ないでしょうね。でも気にかかる。これは」
女はそっと息を吐いた。
「災いを呼ぶ」
地の精霊師は予言の力など持たないのだから、それは予感というものに近かっただろうか。
それとも、大地が自らと繋がるものに何か警告めいたものを発したのだろうか。真偽は、判らない。
「これはその力ゆえに、疎まれ、波乱を呼ぶことになるんじゃないかしら」
「さあな。運命は読めない。俺にもだ」
「そうね。未来は判らない」
女はそう言うとそっと嘆息した。
「起きることは、起きること。これを壊しでもするのならともかく」
「冗談じゃない。この、稀有なるものを壊すだと?」
「自分で作ったのは、そうする気のくせに」
「俺が壊すんじゃない。壊れても仕方がないと思うだけだ」
「これに関してはどう違うの?」
「お前が言ったんじゃないか。起きることは起きること。――俺たちには操れないよ」
「そうかもしれないわ」
女はまた息を吐くと、首飾りを冠に近づけた。
「風具に託すしか、ないのね」
「そうなるだろう」
男はうなずいて、ふたつの風具に手をかざす。女は一歩を退いて、それを見守った。
風の精霊師は口のなかで小さく詠唱をはじめた。
すぐ近くにいる女にも聞こえないほど小さな声であるそれは、実際に口に出されていなかったかもしれなかった。
手品師が目くらましを試みているかのように、或いは吟遊詩人が弦楽器を弾くように、男の手は右に左に、前に後ろに、滑らかな動きを見せた。
それをじっと見守っている女が目眩を覚えそうになると、不意にその動きはとまる。
男は大きく息を吐き、それからそっと彼の冠に触れた。
「――完成?」
「そうなる」
何の気もないように男は呟いたが、その声が震えるのに自分で気づいて舌打ちした。女は笑う。
「素直に感動したら? 観客が私だけなんてもったいないかなと思ったけれど、ちょうどよかったかしらね?」
「何がだ」
言われた意味が判らなくて、男は問い返す。女はにっと笑った。
「いいのよ、泣いても」
からかうような口調に男は片眉を上げた。
「そりゃ心が広い」
「さ、もうお宝を元通りにして、休みましょうか。こんなところ見つかったら、申し開きのしようが――」
女は首飾りを手にしながら言い、そこで言葉はとめられた。
何か物音がしたようで、彼らは凍りついたようにぴたりと動きをとめた。
男が唇に指を当て、戸の方に様子を伺いにいく。そっと扉を開け、周辺に誰もいないことを確かめてこようと、部屋を出た。
そのとき。
天井裏から静かに現れた影が、男を見送る女の背後に下りた。
しゅっと不吉な音がすると、女の首から血が噴き出した。
戸を後ろ手で閉めたその向こうで、愛する女ののどが掻ききられたのだと男が知ったのは、女の死から数分経つか経たぬかの内だった。
その出来事は、悲劇の物語としてタジャスの地にしばらく伝わっていた。
屋敷には盗賊が入った。その狙いは〈風謡い〉と呼ばれる不思議な首飾り。盗賊は金庫からそれを取り出すことには成功したが、物音で目覚めた家人に見つかり、その殺害を図った。実際にはそれは家の者ではなく、たまたまそこを訪れていた旅の女だった。女の連れは狂気に陥り、盗賊はもとより、関わった者全てを殺害したと言う。
地の精霊師などは、刃に対してどんな特殊な防御力も持たない。
のどを掻き切られれば血を流す。癒しの力があったところで、自らが死に行くときにそのような力を引き出すことはできない。風の精霊師にして魔術師という稀代の能力を持つ男であっても、死者を蘇らせる術はなかった。
〈風謡いの首飾り〉に力を与え、〈風読みの冠〉を完成させたその夜に女は死に、それを知った男は盗賊を惨殺した。その賊を送り込んだのは与えられるべき富を与えられなかった弟であり、そうと知った男は、怒りのままにその兄も弟も魔力にかけた。
男は女の血のついた〈風謡いの首飾り〉を暗い思いで手にしたが、持ち去ることをせず、その町にそのまま投げ捨てた。
呪いをかけたという自覚はなかった。
ただ、厭わしく忌まわしく憎らしかった。
その精霊師の思いは精霊師が作った道具に伝わり、風と地の力を持つ〈風謡い〉は暗い歌を歌うようになった。
それは誰をも癒さず、欲望だけを刺激する、呪われた首飾りとなり、タジャスを混乱に陥れた。
だがその呪いが発動した頃には、男はとうにその町から去っていた。
男は見晴らしのよい丘を見つけて愛しい女を葬ると、完成を帰した〈風読みの冠〉をそこに捧げた。
高価な宝飾品は、すぐに何者かに奪われるだろうと思ったが、それでもかまわなかった。
全ては在るように在るのだ。
違う日に訪れていれば。
女を先に帰していれば。
故郷から出さなければ。
冠などを作らなければ。
どんな魔術も時間を戻すことはできない。
ものごとは在るように在るのだ。
恨んでも嘆いても悔やんでも。
風具は作られ、風は流れる。
男の作ったものも、それよりも過去に精霊師たちが作ったものも、風具は大地を巡り、いつか風司を見つけるだろう。




