04 どこか似ているのね
「答えなんて、あるのなら私が教えてほしいくらい。それよりどうするの。冠を持って逃げる? それとも、リグリス様に残してもらえるの? 或いは、ふたりして捕まり直してくれるつもり」
兄弟は顔を見合わせた。それは要するに、こんなところでぐずぐずするなという忠告である。
「俺ぁお前を信用なんかしないぞ」
ティルドはメギルを睨みつけた。
「する必要はないわ」
「けれど敵対も難しい。そこは判るだろう、ティルド」
兄の言葉に弟は唸るしかなかった。
捕らえ、いずれ殺すはずだったであろうユファスを助けた。
ティルドの危難を知らせ、ユファスがそれを救うのをまた手助けた。
味方のふりをしている、と疑うにしても、そんなふうに彼らを騙して何の意味がある?
兄弟のふたりとも、これまでの時点で殺されていたかもしれない。それを逃がしてからまた捕らえたり殺そうとすることに意味などあるのか? まして、〈風読みの冠〉付きときた!
「でもよ……」
どう考えたらいいのか、気の毒に少年は戸惑うばかりだった。
仇だ。この魔女を殺すつもりでいたのだ。だが確かに、兄を助けてくれた。今度は、認めたくないが、自分のことまで。
「何か考察をしたいのなら、あとでいくらでもすればいいわ。いまはとにかく、行きなさい」
メギルは戸口を示した。ユファスはティルドを見る。ティルドは――〈風読みの冠〉を見た。
「俺」
少年はそれに手を伸ばす。
「本当に、これの」
「待った」
ゆっくりと冠に向けられた腕をぱっと掴んだのは、少年の兄だった。
「ユファス?」
「そうだった。お前は〈継承者〉なんだそうだね、アロダ術師の言葉によればだけど」
「スーランの出鱈目ではないわ。少なくとも私たちはみな、そう思っている」
「私たち、ね」
ティルドは唇を歪めた。メギルは、リグリスを裏切ったかのような行動を取りながら、リグリス側にいると言っている。
「私の立ち位置はどうでもいいわ」
「どうでもよくはないと思うけれど」
「どうでもいいよ。俺は言ったようにこの魔女を信頼なんかしない。油断させてどうにかしようったって警戒は忘れない」
「判っているわ。そのようなつもりもない」
ならどのようなつもりなのか、と問うてみてもはじまらない気がした。ティルドは兄に向き直る。
「で、その手は何。みすみす、これをここに置いてけってんじゃないだろうな?」
「まさか。僕は例の腕輪を持ったことで風を継いだんだろう。意味するところはともかく、これまでなかった力を使えたことは真実だから、否定しない」
「んじゃ、俺がこれ持ったら、おんなじことが起きるか?」
「その可能性は大いにある。そうなると、殺される確率が高くなる」
「まあ、理屈は判る気もするけど」
「だから、僕が持つ」
ユファスはそう言うと、冠の下に敷かれている天鵞絨を使って宝飾品を手早く包み込み、取り上げた。
「たいそうなものだね。緊張するよ」
「ちょっとばかし高価だって、んなの、ただのモノだ」
風読みの継承者は自らが継ぐべきものに対してそう言い捨てると、兄に右手を差し出した。
「何」
「冠は任せる。代わりに、剣」
ユファスは反論しかけたが、弟の強い目線に合って仕方なさそうに嘆息した。
「公正な観点で見れば、それがよさそうだね。頼むよ、現役エディスン兵」
青年は片手で冠を持つともう片方の手で器用に剣帯を外し、ティルドに渡した。少年は素早くそれを身につける。
「短剣の方はユファスが持ってろよ。……って、見覚えないな、それ。どこで拾ったんだ」
「その通り。まさしく、拾ったんだ。よくご覧」
青年は腰帯に差し込んだままの小さな刃を示した。
「武器と言うより生活の道具さ。果物の籠の隣に置かれてた」
「成程」
ないよりはましという程度であるが、この場合、何だってあった方がいい。
「よし、行こう」
ティルドはばっと部屋を飛び出しかけ、メギルにとめられる。
「そっちは駄目。こっちよ」
「触んな」
ティルドは唸るように言った。
「信用もしねえし、許しもしねえ。兄貴を救ったからって、アーリを殺したことがチャラになると思うんじゃねえぞ」
「思っていないわ。起きたことは変えられない。過去は戻らない。私が誰かを殺したいと思って火を放ったことはこれまで一度だけだけれど、命じられてそうしたことの方が責任が軽いとは思っていないわ」
「……判ってんじゃねえか」
少年は、女の知らぬ過去に気圧されそうになった自分を叱咤しながら言った。
「なら」
「メギル様」
その声にティルドは天を仰いだ。全く以て――ぐずぐずしたというところか!
「いったい、これはどういう」
サーヌイの呆然とした声を聞きながら、ティルドは最良の策を思いついた、と言えるかどうか難しいところだった。
「動くな!」
それがエディスン兵のやることか? 彼はレーン小隊長に怒鳴りつけられそうな気がしながら、いろいろな意味でやりたくないことをした。
ひとつには、憎き魔女を抱き寄せるような形になること。
もうひとつは、女に剣を向けること、である。
言うまでもなく彼は何度もメギルに剣を向けているが、それとこれとは違うであろう。やはり。
「ティ、ティルド殿、何と卑怯な真似を!」
神官の愛しい女を人質に取る。これでは、どう考えたってティルドが悪役である。
「面白いこと考えたわね、坊や」
「考えた訳じゃねえよ、口と手が勝手に動いたんだ」
「メ、メギル様、いったい」
サーヌイは律儀にもティルドに持ってきた飲み物の盆をふるふると震わせた。
「いい考えだね、ティルド」
兄の言葉に弟は片眉を上げた。てっきり、褒められないね、とでも言われると思ったのに。
「あなたは……生きていたんですか」
「そう。いまティルドがやってるのより酷いやり方で彼女を脅してね。可哀相だったけど、僕も死にたくはなかったし」
「――ユファス」
メギルは驚いたように青年を振り返った。ユファスは、メギルがリグリスを裏切ったのではないと言う形を作ろうとしている。
「さて、僕たちは飛んだ悪党ということになりそうだけれど、捕まえて閉じこめてくれたのはそちらが先だ。メギルのきれいな顔に傷を作りたくなかったら、そこをどいて、一カイばかりどこかでおとなしくしていてもらえるかな?」
「わ、私は」
それこそ可哀相なサーヌイ青年がメギルへの恋心とリグリスへの忠誠心で揺れるのが傍目にも判りすぎるほど判る。
「サーヌイ」
メギルは神官の名を呼んだ。
「……ごめんなさい。言う通りに、して」
ティルドは少し驚いた。彼は決して強く捕まえているのではなかったし、メギルが逃れるのは簡単だ。何故だか魔女が彼ら兄弟を助ける気でいるような気はしていたが――どう考えてもそうなのだが、納得できないのだ――本当の本当に、助ける気なのか?
「判り……ました」
弱々しくサーヌイは言った。これまたティルドは驚いた。どうやら女への恋心が、勝ったらしい。
「一カイ、一カイですよ。それだけ経ったらすぐにメギル様を放しなさい。彼女にかすり傷ひとつでもつけたら、絶対に許しません」
「……了解」
少年は、何となく毒気を抜かれながら答えた。本当に、ものすごく悪いことをしている気分になってくる。
「こっちよ」
メギルが囁くようにして、ティルドを導いた。兄が背後を守っているのを確認し、角を曲がってサーヌイが視界から外れると、ティルドは剣を下ろす。
「悪ぃ」
反射的に謝ってから後悔した。何故、魔女に剣を突きつけたと言って謝らなければならないのだろうか。
「何故謝るの? いいえ、何故、剣を下げるのかしら」
メギルはティルドが内心で彼自身を呪ったことに気づいたかの如く、言った。
「そのまま、私の首を掻き切ることだってできたのに」
「お前のことは憎い。それは変わらない。でもそこまで卑怯もんにはなれねえよ」
「不思議ね」
女は呟いた。
「あなたたちはどちらも不思議。外見は似ているのに中身は全く違う。でもやはり、どこか似ているのね。私を魔女と知り、恨み、憎んでも当然なのにどうしてかそうしないユファス。私を憎んで殺すと追ってきたのに、いざそうできるときにしない、あなた」
「おー、有難いね。ユファスは寛大で俺は意気地なしって訳だ」
「そうかい? 僕には逆に聞こえたけど」
兄弟が言うと女は笑った。
「ほら、似てるわ」
言われた兄弟は顔を見合わせた。




